吸血姫
冷たい砂岩の壁に囲まれた薄暗い空間。流れる空気に生気はなく、血特有の生臭い匂いが漂っていた。砂岩の天井からは細かい砂が零れ落ち、淀んだ空気の流れに沿って宙に靄を構成する。
長い通路を進んだ先には広間があった。数人の男たちは跪き、ボロボロの布切れを纏った人影がそれに従っていた。彼らの頭には獣の耳が生えており、これが亜人の一種であることを示唆していた。
「はぁ……物足りないわね」
わざとらしい溜息が、静まり返った広間を満たした。広間の前方には一脚の小綺麗な椅子があった。彼女は、壁に張り付けられた何かに向かって言った。
「これももう駄目ね、体に血が一滴も残っていない」
「たす……けて……」
掠れた少女の声が聞こえた。彼女は一瞬そちらに視線を移すが、すぐに元の位置に戻した。彼女の向ける視線の先には、背丈の小さな干からびた死体が、何やら釘のようなもので手足を打ち付けられて壁に固定されていた。
彼女はそれを名残惜しそうに見つめると、指を小さく振るような仕草をした。その瞬間、死体の足元に広がっていた液体が宙に舞い上がった――かと思うと、彼女の手にした透明なグラスに吸い込まれるように注がれた。彼女は不安定な角度でグラスを弄びながら、注がれた鮮やかな赤を眺める。
「この瞬間がたまらない……永遠の退屈の中、唯一の楽しみね……」
彼女はうっとりとした様子でグラスを見つめると、グラスの縁に口元をつけ、ゆっくりと中の液体を喉へ流し込んでいく。彼女の体は喜びにピクリと震え、背後の二対のシルエットもそれに呼応するように震えていた。
「る……ルセイリア様……」
「何、せっかくの楽しみを邪魔して……」
「亜人を十匹程度……捕まえてまいりました」
おびえるような男の声に彼女は面倒くさそうに、視線を男の隣に向けた。
「はぁ……それで、その汚いものをどうするつもり?」
「え……いえ、亜人は数も少なく貴重ですから……その血を召し上がるのかと……」
次の瞬間――堅い砂岩の地面が一瞬のうちに盛り上がり……赤黒い槍が男の体を貫いた。
「あなた馬鹿? そんな汚い物、口に入れられたものじゃないわ」
「うっ……うわあああぁぁぁぁ!」
突然目の前の人間が殺されたのを見てパニック状態になった数人が悲鳴を上げる。彼女は頬杖を突いたままその様子を見つめ、杖に使っているほうの手の人差し指を軽く差し出した。と同時に、悲鳴を上げた数人の上半身がはじけ飛んだ。
「……耳障りな声を上げないでくれる? せっかく今、いい気分だったのに」
形すらなくなった上半身は肉片として周囲に散らばり肉質の雨を降らせた。かつての知り合いをその体に浴びながら、いまだ微動だにせず跪いているように見える彼らの姿は僅かに震えていた。
彼女は軽く舌打ちをすると、不機嫌そうに手に持っていたグラスを握りつぶした。まだ残っていたグラスの赤い液体が、彼女の白い手を伝いぼたぼたと地面に落ちた。
そしてどこか気品さを感じる動作で椅子を立つと、通り道にいた一番手前で縮み困っていた亜人の姿を視界に入れ、蹴り飛ばした。亜人の体は簡単に吹き飛ばされ壁に激突し……その体は蹴られた位置を中心に半分に折れ曲がっていた。
「……いい気分が台無しだわ。あなたたちには王国内、成人以下の少女を連れてくるように言ったはずだけど」
「で……ですが、これ以上子供をさらって殺すようなことをすれば、王都が黙っていません! こちらの要求を受け入れる代わりに民の安全を保証している手前 、これ以上はこちらの仕業と見られても……王都の聖騎士に危険因子と判断されれば、我々のような盗賊団は……!」
男の言葉は最後まで紡がれることはなかった。一瞬の出来事であった。薄暗い砂岩の洞窟は眩しいほどの光に包まれ、そして元の明るさに戻った。男の表情は言葉半ばで時間が止まったかの如く固まっていた。しかしそれも暫し、次の瞬間男の体は無数の肉片となって粉々に砕け散った。
「あんたたちがどうなろうと私の知ったことじゃないわ。それはあなたたち、人間の都合でしょう?」
盗賊たちは皆、次は自分の番ではないかと震えていた。そんな彼らを不機嫌そうに見つめ――彼女は悪意に満ちた表情を浮かべた。
その瞬間――荒々しい突風が盗賊たちの頭上を通り過ぎた。巨大な質量はそのまま地面に叩きつけられ、砂岩の微細な粉塵を吹きあがらせた。そこには大柄な男の影が一つ、刀身の一部が欠けていながらなお死のにおいを漂わせる大剣を手に立っていた。男は自身の攻撃対象がいた方向を見つめ、苛立った様子で舌打ちをした。
そこには赤い霧が立ち込めていた。もちろんこの洞窟は霧が自然発生するような環境ではない。まるで無数の虫が群れるように形を成す赤い霧は細身の人型……そしてドレスのシルエットを描いた。
それは【霧化】――高位の吸血鬼の持つ能力の一つだ。
「……今なら冗談で許してあげるけど?」
「あんた今、俺の仲間を皆殺しにするつもりだっただろう」
「さあ、どうかしら?」
「食事の時間を邪魔されて腹でも立ったか、吸血鬼様?」
そんな男の言葉に彼女の表情は色を失い、すぐには返答を行わなかった。最後に赤い霧は彼女の種族の象徴である、黒い二対の翼のシルエットを成す。彼女は一度ため息をつくと、再び椅子のほうへ向かい歩き出した。男は不満げな表情を浮かべながらも、安堵の色を浮かべた。
刹那――男の顔が歪んだ。恐るべき赤い槍が男の肩を貫いたのだ。
「……ぐっ!?」
「今回だけは許してあげる、その勇気と無謀さに免じてね」
男は聞こえないほどの呻き声を漏らし、もはや持っていられなくなったのか大剣を地面に落とした。すでに赤い槍は霧となって消えていたが、残された刺傷からはどくどくと血が流れ続けていた。
恨めしい男の視線、ひざまずいて顔をうつむいた盗賊たちの恐怖……そのすべてを無視し、彼女は血濡れた椅子を通り過ぎ壁へ向かった。そこには息も絶え絶えの少女が壁に貼り付けにされていた。打ち付けられた手足から流れる血は黒く変色し、もはや流れることすら止めていた。不規則な呼吸はわずかに少女の胸を上下させていた。瞬間――殺意に満ちた血 の槍が少女の胸を貫いた。
「が……うぇ……」
胸と口からおびただしい血を吐く少女。その体を伝う血を手に注がせると、彼女は嫌らしくそれを舐めた。掌から零れ落ちた少女の血が、黒と赤 の彼女のドレスを染め上げる。赤黒く変色したドレスの色は、再び鮮血を得て鮮やかな赤へと変わる。
「美しいわね……幼い少女の流す真っ赤な血……これに勝るものはないわ」
物言わぬ死体となった少女を前に、彼女は血濡れた手を弄ぶようにひらひらさせた。
「いいわ、一人は私が適当に捕まえる。その場で殺してしまってもいいけれど」
「……まさか、町に出るつもりなのか……!?」
「ふふ……とても良い知らせが入ったわ。人間ではないけれど、とても興味があるわ。じきにこの国にやってくる……なぁに、文句あるの?」
彼女は不敵な笑みを浮かべながら大げさに頭をかしげた。それを見た男はやがて諦めたのか、悔し気に頭を下げた。
程なく一匹の蝙蝠が彼女の肩に止まった。
「彼女の眷属に一匹、紛れ込ませておいた甲斐があったわ」
彼女はまるでわが子を可愛がる母親のように優しく撫でたが、下瞼を上げ目は狂ったような笑みを浮かべていた。




