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赤眼の吸血鬼  作者: カエルオオカミ
砂漠に巣くう姫
102/131

旅路

 広がる一面の緑。木製の荷を運ぶ馬車は広大な平原を駆けていた。馬車に乗る者たちは様々……商人が多く、荷物のみが載せられた荷車と、人が乗る荷車に分けられている。一つの馬車には4、5人の人間。それぞれ屋根の上から幌が掛けられているものとそうでないものがある。

 そのうちの一つ……幌は掛けられていないが、外からは全く中の様子を窺うことができない荷車。物見は布により完全に遮断されており、おそらく光すら入り込むことはできないだろう。一風変わったデザインに当初は存在感を放っていたものの、今では気にするものはいなかった。


「はぁ……」


 荷車からぶらりと足を垂らした少女がため息をついた。背負った杖は、彼女の肩から腰くらいまである立派なものだが、どうやらそれを使っているような様子はなかった。


「せっかくの旅路だ、何か食えるものを獲ってこようじゃないか!」


 いかにも元気そうに叫んでいる弓使いの男……彼女の記憶が正しければ、彼の名前はティム。トムともそれなりの仲を保っているらしい。しかし、顔の広い我らがパーティーリーダーであれば、あれくらいの知り合いなどいくらでもいるのだろう。


「そろそろ休憩に入るぞ……レナ。ちょうど小さな湖があそこに見えてきた」


 ディーンの声にレナははっとした。思わずうとうとし始めていたところであった。


「睡眠も大事だが、レナ……いざというときに動けなきゃ困る。一応、俺たちは護衛だからな……」


「……分かってる」


 レナは小さくあくびをしながら答える。それを見てトムは軽くレナの肩を叩いた。


「ま、今のお前はいてもいなくても同じかもしれないけどな、ハハハ!」


「悪気がないのがむしろ怖いよ、トム」


 周囲の馬の速度が遅くなり始める。レナの視線の先には、先ほどディーンが言っていたように小さな湖が見え始めていた。遠くに見える高地から流れ来る水の流れは、その終着点に大小多様な湖を作り出す。これも平原に無数に存在する湖の一つだ。




「俺は水を確保してくる。食料に関しては……ティムの奴が張り切ってるから、何かしら獲ってくるだろう」


「これは?」


 レナは懐から革袋を取り出して言った。


「栄養豊富ってか? そんなもんばっか食ってたら魔物になっちまうな。それも、とびっきり不細工な奴だ。人間様はもっとグルメじゃなくちゃな!」


 いきり立った様子でトムは湖のほうへと向かって行った。湖の方向へはすでに何人かの冒険者と商人らしき者たちが向かっていた。


「どうしたの、トム……」


「ああ……あいつは魔物の肉が嫌いなんだ。特にその干し肉はな」


「そう? 私は好きだけどね、これ」


 そう言ってレナは千切った黒い塊を口に放り込んだ。特にこれといった感情も見せずにそれを咀嚼するレナを前に、なぜかディーンは引きつった表情を浮かべていた。


「おーい!」


 威勢の良い声が聞こえる。レナがそちらの方向を向くと、そこにはティムがこちらに向かって走ってくるところだった。ディーンはさっさとティムの視線から外れるように動いた。


「え……私?」


「あぁ、あんた確かトムの仲間で、魔法使いだろ? ちょっと協力してほしいことがあってな」


 そう言ってティムは強引にレナの手を引いて、ずんずんと前へ進んでいってしまう。レナの顔を見ようともしない。その瞬間、レナはこの男の、人となりをなんとなく理解できた気がした。ティムは空の向こうを指さした。


「あそこに魔感鳥(マジックバード)がいるだろう? おそらくあと少しでこっちにやってくる。俺とあんたの二人で撃ち落としてしまおうってわけだ」


「あぁぅ……え、撃ち落とす?」


 レナには一瞬、ティムは何のことを言っているのかが分からなかった。しかし、だんだんと見えてきた米粒のようなそれは、なるほど鳥のようにも見える。遠くの相手を正確に射貫く、弓使いならではの芸当だろう。


「そうだ。あんたもそんなもんばっか食ってるのも嫌だろう? ざっと見た限り10から20はいる、ついてるな。こんなところで魔感鳥(マジックバード)の群れ に会うなんて」


「あぁ……でも、私……」


 レナは思わずティムから視線をそらした。何の疑いも持っていないティムの顔は、レナに罪悪感とも言える微妙な感情 を与えた。


「どうした? もしや鳥は苦手か?」


「いや、そんなことはないです、けど……」


「じゃあ決まりだな! 俺がパパっとやるから、撃ち漏らした分をやってくれ!」


 それだけ言い残すとティムは自分の仲間だろう、彼らに合図を送った。各々、喜びの表情を浮かべる者、全身で感情を表現するもの――いずれにしろ彼の合図は吉兆を表したものに違いなかった。

 魔法の使えない今の自分には何もできることはない……そのことを自覚しているレナの心中はとても穏やかではなかった。すぐ近くにいる自分の仲間に目線で助けを送る――しかしレナの視線に気づいたディーンは、そっと目を閉じた。


「(そういえば……ディーンはこういう人 、苦手だった気が……)」


 そうこうしている内に、すでにティムは矢筒から矢を取り出し、準備を進めていた。レナはいよいよ背中の役立たない木の棒を構えて、ふりだけでもしようかと真剣に悩み始めていた。そんな折――ようやくレナに助け舟が出された。


「おい、ティム。何してる?」


 そこには一度様子を見に来たトムの姿があった。どうやら手ぶらの様子、樽は数人がかりで他のものに運ばせているようだった。


「あぁ、お前んところの魔法使いちゃんにちょっと手伝ってもらおうと思ってな」


「それならお前の役には立てないな」


 レナは心臓が大きく跳ねるような感覚を覚えた。全く魔法を使えないということが分かれば自分の立場が危ぶまれる。どこに役立たずの冒険者をわざわざ連れていきたいと思う者がいるだろうか。


「ん? どういうことだ」


「そいつ、今日は体調が悪いんだ。昨日俺がパシッて魔法を使わせまくったからな 」


「はぁ? お前、人使いが荒いのはほどほどにしておけよ」


 再びティムはレナのもとにやってきて、背中をやさしく叩いた。


「あんたも苦労するな……ちなみにあいつ、組合(ギルド)内ではなかなかだぞ。トムに借りを作ると、倍搾り取られるってな?」


「は、はぁ……」


 困惑するレナをよそに、ティムは言いたいことをすべて言って満足したのか、長弓に矢をつがえながら去っていった。


「ありがとう……トム」


「ん~まぁ、お前が役に立たないというのは普段でも同じだからな……事実、お前あんな上にいる相手を正確に撃ち抜くなんてできないだろう?」


 トムはレナの感謝を素直には受け取らなかった。いつものことだと理解しながらも、レナは気づけば不満ありげな表情を浮かべていた。


「試したことないもん……」


「へぇ、じゃあ今度試してみようじゃないか。そのためにも、早いところ、()()()()()()から脱却してもらいたいところだがな」


 小馬鹿にしたようなトムの言い草に、レナは一発食らわせてやろうかどうかを真剣に悩み始めたところだった。二人の間に流れる空気を瞬時に理解したディーンはため息をついた。

 まもなく歓声が上がった。ティムの矢がちょうど魔感鳥(マジックバード)の群れを穿ち、5匹の魔感鳥(マジックバード)が地面に落ちてくるところだった。











「ねえ……」


「どうした?」


 レナは焼きあがった魔感鳥(マジックバード)の肉を丁重に手に取ってから言った。水の確保に向かっていた者たちも仕事を一通り終えた様子で、今は談笑しながら多くない肉を分け合っているところだった。


「あの人……さっきから何も食べていないみたい」


 レナの視線の先には例の従者の女――シャナクがいた。一応、彼ら三人の護衛対象である。話の流れを察したトムの表情が若干歪んだ。シャナクは壁越しに、馬車の中の人物と会話している様子だった。


「……どうやら向こうさんは意地でも俺たちの前に姿は見せたくないらしい」


「何か外に出たくない理由でもあるのかも……」


「だろうな。大方、ろくなものとは思えないが……」


 トムのどこか不機嫌そうな様子にレナは首をかしげた。


「トム、お前が行くなら俺はここにいる……」


「あぁ、それでいい」


 ずんずんと大股で先に進むトムを、レナは小走りで追った。普段のおちゃらけた様子とは違う、しかし真剣さの表れでもない、どこか苛立ったトムの感情をレナは敏感に感じ取った。

 乱暴に草を蹴り飛ばすトムの足音に気が付いたのか、シャナクは馬車の壁から離れた。油断のない表情は明らかにこちらを警戒しているものだった。


「……一体何の御用でしょうか?」


「先ほどから何も口にしていらっしゃらないようでしたので……せっかく今は食料も十分にあることですし……」


 普段聞きなれないトムの口調にレナは意外な一面を見た。しかしそんな感傷に浸っている余裕は今、この場にはなかった。


「いいえ、必要ありません」


 シャナクはトムを睨みつけると冷たく言い捨てた。慣れないトムの柔らかな物言いにも関わらずの返答に、レナは胸の奥が痛むのを感じた。


「ですが……」


「はぁ……そのようなものを口にしろと?」


「ちょっと……!?」


 シャナクのあからさまな嫌悪に先に口が出たのはレナのほうだった。冒険者という職業柄、レナにとってはシャナクのこの言い草はとても我慢ならないものだった。それはトムも同じこと――いやむしろ、レナ以上だろう。しかしトムはレナの口元に手をやり、それ以上の言葉を止めさせた。


「……そちらの()()()も、何も食べないというのは体に悪いと思いますが……」


「なおさらですね……お嬢様に魔物の肉などというものを口にさせるわけにはいきません」


 そう言ってシャナクはトムから視線を逸らした。これ以上相手をする気はないという様子ではあったが、明らかにこちらを見下したような態度をレナはひしひしと感じていた。魔物の肉は冒険者にとっては旅路における大切な栄養であり、緊急時には命を繋ぐもの。

 おそらくシャナクは王国の一部貴族に見られる選民思想の持ち主だろう。ありふれたことであり今更気に留めるものでもない。しかしそれを黙ってできるほど、レナは大人ではない。

 レナは自分でも気づかぬうちにシャナクを睨みつけていた。ただ、それが過ちであると気が付くのに時間はかからなかった。トムは穏やかな表情を浮かべていた。しかし、レナは確かにトムの表情の筋肉が震えるのを見た。


「やめて、シャナク」


 その瞬間――今まで誰の気配すら感じられなかった馬車の中から、二人の予想だにしない声が聞こえた。二人が驚いた理由は共通してただ一つ、馬車の中の人物が思った以上に幼かったということだ。


「お嬢様……」


「申し訳ありません……今はお腹が空いておりませんので」


 とても丁寧な言葉づかいで幼い声は答える。そこに違和感を覚えるほかない。レナとトムは互いに顔を見合わせて、少し考えてから結論を出した。


「……そうですか、分かりました。そう言われるのであれば、これ以上は止めましょう」


「……ありがとうございます」


 シャナクとは異なり、幼い声の口気(こうき)は非常に柔らかく。二人の間に渦巻いていた怒りというものは和らぎ始めていた。とはいえ、あそこまで姿を見せないことに理由はあるのか。そこがなんとも解せないところであった。

 レナの先を行くトムの心中にはいまだ怒りが漂っていた。


「トム……」


「さあな、面白い事情を抱えてはいそうだが……俺たちには関係ないことだ」


 トムは視線を前に向けたまま不機嫌そうに歩いて行った。レナは心情的にもそれに付いていくのに精一杯だった。











 昼食を食べ終えてから間もなく、それは訪れた。速度を落とさず進み続ける馬車の上、レナのみが不穏な気配を誰よりも早く感じ取った。


「……! このちくちくした魔力の流れは……」


魔狼(ルー)だと!?」


「くそ! こいつら……どうしてここに!?」


 最前線にいた冒険者の一人が倒れた。襲い掛かる魔狼(ルー)の群れに腹をやられたのだ。まさに数匹の魔狼(ルー)が追撃を加えようとした瞬間、仲間が駆けつけて難を逃れた。しかし一刻も早く治療が必要だ。


「ディーン! 早くレナを守れ!」


 トムが叫んだ。ディーンは無言でうなずくと素早くレナの前に駆けていった。魔狼(ルー)の群れは今前線で数人の冒険者たちが抑えているが、いつこちらへやってきてもおかしくない。ディーンの行動は後援の魔法使いを守る者として当然の行動に見えただろう。しかし……


「レナ……余計なことを考えるな」


 レナの心境を察したディーンは静かに言った。


「……魔法は使えそうか?」


「ううん……道中ずっと試してるけど、なんだかうまくいかないみたい」


「そうか……ならお前はここを離れるなよ」


 ディーンは手に持った大剣を握りしめる。御者の導きによって馬車を含めた冒険者を除いた乗客たちは後方へと下がってきていた。今ここにいるのは多くが非戦闘員であった。彼らはみな不安げな表情で二人を見つめていた。


「魔法使いちゃん!」


普段の余裕は一切感じられない、焦った様相のティムが現れた。ここまで全速力で走ってきたのか、かなり息を切らしていた。


「……あなたは」


「あんた……治癒魔法は使えるか? ああ、あんたが普段の調子じゃないことは聞いた。でも……今すぐにでも治療が必要なんだ。どうやら、当たり所が悪かったらしい……」


 見れば、二人の冒険者に支えられながら後方下がっていく者がいた。先ほど腹を魔物にやられた冒険者だ。ティムが真剣な表情でレナの目をじっと見つめると……レナはそれを逸らさずにはいられなかった。


「……ごめんなさい、私……治癒魔法は使えないんです」


 レナの答えにティムの表情は僅かすら揺らがなかった。


「そうか……」


 ティムは乱暴に自分の頭を手で押さえた。時折、心配そうな様子で前線に目をやった。冒険者たちの奮戦もあり、魔狼(ルー)はだいぶ数を減らしていた。


「でも……治癒ポーションはあります。もちろん皆さん持っているものとは思いますが……少しでも足しになれば」


 冒険者ならば、治癒ポーションなど常識あるものならば誰でも持参しているだろう。それでもわざわざここにやってきたということは、それだけでは手に余る怪我だということ。そのことはレナも理解しているはずだった……


「あぁ、ありがとう……大切に使わせてもらうよ」


 今のレナができるのはそれくらいだということを、ほかでもないティムが一番理解していた。だからこそ、ティムはただそれを受け取った。






「あれで全部か?」


「うん……」


「道中で怪我をしないといいな」


「そうだね……」


 レナの気持ちの入っていない返答にディーンはなにも指摘をしなかった。


「さて……向こうもじきに終わりそうだ。乗客たちを安心させるのは俺たちの役目だ」


 ぼーっと遠くを見つめているレナに構わずディーンは続けた。狩りを終えた冒険者たちの表情には自然と安堵の色が現れ始める。その色に染まりきらないのはやはり怪我人の存在だろう。しかし負の感情が薄いのを見るに、状況はそこまで悪くないように思えた。

 何事もなく事を終えたディーンはこのままトムのもとへ合流するつもりだった。どこかぼんやりとした様子のレナ もいずれは普段の調子に戻るだろう。前線の冒険者たちの不自然な動き、そして視界の端に入った不穏な影の正体に気づかなければ……彼は幸せだったかもしれない。


「一匹抜けたのか!? レナっ……!?」


 隣にいたはずのレナの姿はそこにはなく、すでに自分のもとを出発し、かなり離れた位置にいた。事の始まり……それと同様にレナはいち早く事態に気づいた。一匹の魔狼(ルー)が冒険者たちの結界 を抜け、何の武器も持たない無力な者たちへ向かっていた。


 本来の魔法使いの射程範囲に魔物が入った。至極集中した状態でレナは射程範囲に足を踏み入れた。統制の乱れた彼女の魔力は何とか形を成し、最低限魔法を扱うことのできる次元にまで到達していた。目に見えない魔力の流れが彼女の体を伝い、手元に集中する。そこには空気が白くなる程度の冷気が集中していた。


「レナ!」


「【氷柱(アイシクル)】!」


 魔物の目的は一つの馬車。レナたち三人の護衛対象である。彼らの馬車は他とは大分離れた位置にあった。御者の姿は見えず、にもかかわらず馬 は全くパニックを起こす気配がない。人間よりも気配に敏感な馬が、迫りくる魔狼(ルー)に気付かないわけがない。しかし、そんなことは今のレナに知る余裕はなかった。


 レナの手元から放たれたのは氷の柱。わずか一本、しかしその速度と質量は、十分あの魔物を傷つけるに値するものだった。

 しかし……氷の柱が描く軌跡はどこか安定しない。それを最前線で見て理解していたレナの表情に焦りが現れる。最低限の魔法――それが完璧であるはずがない。極端な使用者のために作られた魔道具はレナには手に余るものだった。未熟な魔力の湖を、激流が起こったかのように乱すローブの力。ガクガクと軌道を変える氷柱は寄り道の末、魔狼(ルー)を捉えた。ただし……()()一人巻き添えにして……


「そんな!?」


 凍り付く空気。それは魔法による影響だろうし、彼女の感情によるものでもあったに違いない。巨大な質量の砕け散る音とともに聞こえた、一匹の魔物の断末魔。もう一人は――

 レナは瞬きすら忘れて、視線をただ一方向に向けていた。砂煙なのか冷え切った空気の生み出した霧なのかも分からない、視線を遮るものがじれったかった。



 そして待ちわびたものは彼女の想像とは幾らも異なるものだった。


 どうか無事であってほしいと願ったあの従者の女。彼女の姿はほとんど変わりがないように見えた。魔物に傷つけられた様子もなく、それどころか魔法に巻き込まれたとは思えないほどに……傷一つない。

 彼女の周囲にはレナの放った氷柱、その残骸が転がっていた。しかし、それらは必ず彼女と一定の距離を保っており、彼女の体には水滴の一つも見えない。

 その代わりに……彼女の足元には体を大きく切り裂かれた魔狼(ルー)の死体が転がっていた。それが自分の魔法によるものでないことは、レナにも十分理解できた。


「大丈夫か、レナ」


 後ろからすぐさま駆けつけてきたディーンの心配そうな声が聞こえる。と同時に、この異様な状況にたちまち困惑の顔色に変わった。


 シャナクの様子は体を見れば何の変化もないようだった。しかし、その形相は憎悪ともいえるほど歪んでいた。


「……あなた、どういうつもりですか?」


「あ、あの……」


「私が止めなければどうなっていたか……」


 普段の冷淡な語調に対し、怒気の含まれた言葉。その多くはレナに注がれていたが、隣にいるディーンも例外ではない。非がこちらにあることは明らか、レナとディーンは一言も発することができなくなった。


 そんな時――助け舟を出すかのように、トムの濁りのない声が響いた。


「どうした、ディーン!」


「あ……あぁ、今……」


「っと……それより、聞きたいことがあるんだ」


 トムはすぐ近くにいるレナにも聞こえないほどの声でディーンにささやいた。ディーンは少し驚いたような顔を見せた。


 ほんの数秒――数回のやり取りの後、トムはシャナクの方に視線を向けた。相変わらずの冷たい視線はトム一人に注がれる……


「あなた……何者ですか?」


 トムの一言にレナは驚きの顔を浮かべた。シャナクの表情はより険しいものになった。


「ただものではありませんね? レナの魔法を素手で受け止めたうえ……」


 そしてトムは息絶えた魔狼(ルー)に視線を移す。


魔狼(ルー)がこの有様ですか……」


 トムは確かほかの冒険者たちの加勢に向かっていたはず。レナの事情を知っているだけに注意は払っていただろうが……魔狼(ルー)が一匹、冒険者たちの包囲網を抜けたことに気づき、さらにあの距離でレナの魔法ではなくシャナクがとどめを刺したことを、トムは理解していた。確かにこの状況には違和感は多いが……


「言う必要はありませんね」


 トムの質問にシャナクは淡々と答えた。怒りこそ多少抜けていたが、嫌悪感は残る。だからこそ、シャナクは挑発するように言った。


「それよりも、そちらの能無しをどうにかしたら如何(いかが)でしょうか?」


 シャナク蔑むような視線がレナに突き刺さる。その視線に耐え切れなくなったレナは思わず顔をそむけた。


「……言葉が過ぎませんか?」


 言葉こそらしくない丁寧さだったが、内心は怒りが募っているのだろう。トムが今日一険しい表情を見せた。


「いいえ、過ぎたことなどありません。私が一秒でも遅れていれば、私たちの馬車をあの氷柱は貫いていたでしょう」


 シャナクは歯を食いしばりながらトムを睨みつけた。


「……お嬢様がどうなっていたか……」


 この瞬間、トムがたじろいだ。それは、初めて見せたシャナクの他人の介在する怒りによるものに他ならない。大切なものを脅かされたことに対する憤怒、それはトムにも理解できることだった。


「ですが……レナはお二人を助けようとしました。非戦闘員を助ける……レナの行動は当然のことです」


「しかし……余計であったのは事実でしょう?」


 トムの言葉には勢いがなくなり始めていた。それゆえに、言い返す言葉が思いつかない。トムは悔し気に歯を食いしばることしかできなかった。


「助けなければ魔物に襲われていた。助ければ氷に貫かれていた。結果として私がいればよかったのですから」


 そういい捨てるとシャナクは馬車のほうへと戻っていった。おそらくは彼女の主人の無事を確かめにでも行くのだろう。トムは以前のように彼女を見ることはできなくなっていた。単に冒険者を見下しているだけではない……彼女の言葉に一理あると感じてしまったために……


 やがて残りの魔物の処理を行っていた冒険者たちが戻ってきた。数人は馬車のすぐ近くに倒れる魔狼(ルー)に対して驚きを見せ、そしてそれがこの場にいるただ一人の魔法使いによるものだとすぐさま確信した。

 何しろ、これほどの深手をたった一撃で食らわせることができる者などこの場にはいない。魔法をよく知らない彼らは、過度に魔法を評価する傾向にある。


 ティムを筆頭とした集団はレナを褒め称え、レナはそれに対してどうも居心地が悪そうにしていた。ディーンは哀れなものでも見るようにレナを見つめていた。

 気の緩んだ一行の中ただ一人、トムだけは険しい表情を浮かべ……その視線は睨みつけるように一台の馬車に注がれていた。











「ア……いえ、お嬢様。入ります」


「いいわ、二人きりの時はいつも通りで」


 日の一切通らない閉鎖空間の中、どこか儚げな表情を浮かべた少女が座っていた。みすぼらしいこの木製の馬車の中でも色あせることのない銀色の髪。しかし少女に愛らしさなどは感じられない。ただ、凍てつくような空気がその場には流れていた。


「あなたはどこかの家に仕えている従者。私はそこの当主の娘……そう見えるでしょう?」


 アクセリアは小さな笑みを口元に浮かべた。


「女子供たった二人で旅に出るなんて、()()にとっては普通じゃないわ 」


 笑いという感情を張り付けながらも、目には生気が灯っていない。気味の悪いほどに白い肌も相まり……もしこの場に他の者がいたならば、人形のようだと感想を零すに違いなかった。


「それで……どうしたの、シャナク。またあの人間たちと何かあったの?」


 アクセリアは優しくシャナクに問いかけた。シャナクは若干気の張った声で答えた。


「取るに足りない些末(さまつ)なことです」


「そう……それならもう聞かないわ」


 それだけでアクセリアは会話を止めてしまった。微妙な沈黙が小さな木箱の中を満たす。彼女は全く気に留める様子もなく、ただぼんやりと木の壁を見つめていた。

 それから少しもたたないうち、アクセリアはどこか不安そうな表情で自分を見つめる視線に気づいた。


「……なんでもない」


「……? それは、どういう……」


「何でもないわ、シャナク。気にしないで……」


 アクセリアは視線を僅かに逸らして言った。シャナクにはそんな彼女を放っておくことができなかった。


「「アクセリア様……余計なお世話かもしれませんが、()()()()()()()はもう二度と……アクセリア様のためになりません」


 懇願するようなシャナクの声にアクセリアは眉を(ひそ)めた。


「分かってるわ、忘れて」


 淡々とした彼女の返答に対し、なおシャナクは続けた。


「……何か、私に非があるのであればおっしゃってください……」


「何もないわ、あなたのせいじゃない。ただ……」


「……ただ?」


 しかし、アクセリアはその先を話すことはなかった――






「(ただ、最悪な夢を見ただけ……)」











 すでに日が傾き始めていた。一向は適当な水場を見つけると野営の準備を始めた。すでに集団のリーダー的存在となっていたティムは、昼間に手に入れた魔感鳥(マジックバード)の骨を使用してスープを作ることを提案した。すでに昼間のことで信頼を得ていた彼の提案を断る者はなかった。


「ねえ……」


「……またか」


 レナの問いかけにトムは険しい表情で答えた。


「昼間のことなら、俺はこれ以上触れるつもりはない」


「……でも」


 すっかり黙り込んでしまったレナに、トムは彼女が言わんとしていることをなんとなく察した。


「そっちか……まったく、迷惑な奴らだ」


 吐き捨てるようにトムは言うと、勢いよく立ち上がった。自然と握るこぶしにも力が入る。普段とはまるで違ったトムの態度に、レナは自然と一歩引いていた。






「昼にも言いましたが……」


「この馬車には食料らしきものは置いていないでしょう? 一晩何も口に入れないつもりですか?」


 昼間の出来事を経て、トムのシャナクに対する考えは僅かに揺らいだ。しかし、彼女の態度が変わることはなかった。そのことがよりトムを苛立たせた。


「余計なお世話です……なぜあなたがそのようなことを……」


「あぁ……こっちもお前らのくだらない考えのもと 、体調を崩されるのは困るんだよ!」


 トムの感情はいよいよ爆発した。幸い周囲に彼ら以外の者はおらず、この異常を聞きつけられることはなかった。トムの荒々しい声は、宴会の喧噪によってかき消された。ただし、夜気にトムの声は、周囲に嫌というほど響き伝わった。


「俺たちの知らないところでお前らが死のうと知らないが、現状こっちも仕事でね……あんたらを守らなくちゃならない。わざわざ死ぬ確率を上げるようなことをされちゃあ、迷惑なんだ 」


 トムにはもはや、言葉遣いなどを気にするつもりはない。トムの言葉がすべて終わった後、ふっ、とシャナクの嘲笑が聞こえた。


「何がおかしい?」


「いえ……あなた、言葉でそれを言いながらも……結局自分が馬鹿にされたのが気に食わないだけでしょう? 」


「お前……!!」


 トムが思わずシャナクに向かって一歩踏み出そうとする。その瞬間、固く閉ざされた馬車の扉が開いた。


「!? ア……お嬢様」


 この場の誰よりも幼いように見える少女は、黙ってシャナクの前を通り過ぎると、トムの前にやってくる。慌てた様子でシャナクはすぐさま傘を取り出した。


「いいわ、もう日も落ちきるところでしょう」


「……」


 二人の前に現れた少女はフードのついた黒いローブを身にまとっており、一回り背の高いトムにはかろうじて顔が見える程度であった。


「……すこし、お節介が過ぎませんか? はたして……依頼を受けただけの冒険者が踏み込める範囲でしょうか?」


「所詮、冒険者なんてそんなもんですよ。貴族様が関わっていいような人種じゃないですから」


 乱暴な言葉遣いでトムは言う。トムはこの自分の中に湧き上がる怒りをシャナクにぶつけるつもりでいた。少女相手に本気になるほどトムは子供でもない。しかし……子ども相手だからだと緩む気持ちをトムは引き締めた。


「そうですね……確かに、依頼をする側にも責任があるでしょう。それに……今に関してはシャナクが過ぎた事を口にしたのが原因でしょうし……」


 少女は至極落ち着いた様子で答え、年齢を考えれば冷たすぎる視線をシャナクに向けた。


「っ! 申し訳ありません……」


「あの……」


 その時、ずっと黙り込んでいたレナが口を開いた。三人の目線がレナに集中する。


「どうして……昼間は馬車にずっと閉じこもっていたんでしょうか?」


 少し自信なさげな声でレナは言う。その問いに代わりに答えたシャナクはどこか悄然とした様子だった。


「お嬢様は肌が弱いのです。日の光ですら、あまり浴びるべきではありませんから……」


「ふん、最近の嫌なことを思い出しちまうな……」


 その時、トムがなぜかいやそうな顔をした理由がレナには分からなかった。すでにトムは会話の主導権をレナに譲っていた。今の自分では冷静なやり取りができないと判断したのかもしれない。


「それじゃあ、食事は……さすがに一日何も食べないというのは……」


 レナが言い切るよりも先にシャナクが苦々しげな表情を浮かべた。その圧力に押され、残った最後の勇気も失い黙り込んでしまった。

 しかしそんなレナの勇気も意味がなかったわけではなく、静かなため息をつくと少女は言った。


「……分かりました。そこまで言うのであれば、そういたしましょう。これ以上もめるよりかは、そのほうが得策でしょう」


「お嬢様……!」


 シャナクの言葉に対して、少女は素早く視線をシャナクに移した。 それだけでシャナクは何かを理解したのか……それ以上は何も言わなかった。


「……本当ですか?」


「止むをえません。これ以上こちらの都合を押し付けるわけにもいきませんから」


 そういって少女は深く被ったフードをとった 。若干乱れていながらも自然の光をそのまま映しだす銀色の髪に、レナは思わず惹かれた。


「先ほどは失礼を……シャナクも悪気があったわけではありません 」


「あんたに謝られる筋合いはない 」


 いまだいらだった様子でいるトムの言葉は、レナにはどこか嘘くさく聞こえた。






「はい……どうぞ」


 湯気の立ち上る、どこか心もとない器をレナは差し出した。


「少し冷えてしまっているかもしれませんが、ティムさんに用意してもらいました」


 レナから受け取った魔感鳥(マジックバード)のスープを見てシャナクは複雑そうな表情を浮かべていた。対して彼女の主であろう少女は表情一つ変えずに受け取ると、レナに小さく頭を下げた。

 先に受け取っていながら、シャナクは一向にスープを口に入れようとしなかった。そしてそれを彼女自身は当然のことだと思っているようだった。トムの不穏な気配を感じたレナは慌てて少女のほうを見た。彼女はレナから受け取ったスープを迷わず口に運んでいた。シャナクが過剰に心配そうな表情を浮かべていた。


「悪くありません」


 その言葉にレナの緊張から解放されたのか、思わず笑みを零した。シャナクは相変わらず不満げな表情を浮かべていたが、少女の言葉を機に口を閉ざした。もちろん、少女の言葉が本心とは限らないが……少なくともこれ以上事が荒立つことはなかった。










 夜が更け始めていた。夜行性や眠りに入った魔物を刺激しないよう、最小限の光のもと野営を行う冒険者たち。今もなお数人の警戒の目が張り巡らされている。

 その頃、二人の人影が川辺にたたずんでいた。一人は地面に跪いて、もう一人はそれを心配そうな様子で見つめていた。


 アクセリアの口から零れ出た液体は、刺激的な香りを漂わせながら水の流れに従っていく。


「アクセリア様……」


「……難儀なものね。この体も……」


 アクセリアは無表情のまま言った。まもなく彼女の汚れた手元には、妙に豪華なハンカチが差し出された 。


「あのようなものを口にするくらいであれば……いくらでも理屈を並べることはできました」


「あのようなもの……ね」


 川の向こう、無限に広がる草原を見つめながらアクセリアはどこか寂しそうな目をしていた。


「確かに、これは……彼らにとっては美味しいものなのでしょうね」


「あくまで人間にとっては……です」


「私たち吸血鬼(ヴァンパイア)にとっても変わらないと思うわ。ただ……吸血鬼(ヴァンパイア)にとっては、()()()()以上に美味なものはないから……」


 アクセリアの声には相変わらず感情が含まれていなかった。しかし先ほどの目、そして彼女の儚げな笑みがシャナクの心を刺激した。


「素材から調理まで、一から苦労して作ったものでも……私たちにとっては、冷たい小瓶に入った赤い液体が最高の食材。彼らの言う、体に染みる温かさも……私は感じることができない。とても公平な代償じゃないかしら? 吸血鬼(ヴァンパイア)の力の強大さと人間の弱小さ、納得のいく振り合いね」


 自虐的なアクセリアの言葉は彼女を弱く見せた。シャナクはそれを重々承知しているつもりだったが、やはり心の中に重みがのしかかるのを感じた。









「すみません」


「……いいですよ」


 枝葉の隙間から月光の降り注ぐ若木の下、二人の間でかすかなやり取りが行われた。先刻、彼女がフードの下から見せた銀髪を見て、レナは思わず息をのんだ。


「……何か?」


 丁寧ではあるが、どこかそっけない返し。そこにレナは、ついシャナクの影を感じてしまっていた。


「さっきから気になっていたんですけど……」


 そう話すレナの視線の先には、少女の纏うローブから漏れ出す赤い光があった。暗闇を朧気(おぼろげ)に照らすその光はどこか幻想的で、また不気味さを感じるものでもあった。


「これですか……譲り受けたものです」


 そして少女は胸元から赤い宝石を取り出した。どうやら首飾りになっており、彼女はそれを首からずっとかけていたようだ。

 外の空気に触れた赤い宝石は心なしか、一層光を放っているように見えた。


「不思議な石ですね……魔石か何かですか?」


「さぁ、名前も知りません 」


「名前も……ですか 」


 そんな少女の返答にどこかレナは違和感を覚えた。しかし、それ以降少女は口を開くことはなく……その態度から察したレナもそれ以上少女と会話を交わすことはなかった。

 やがて、朝開けの橙色の空の下……レナが目を覚ましたころには、すでに隣にいたはずの少女の姿はなかった。

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