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赤眼の吸血鬼  作者: カエルオオカミ
人ならざる者
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目覚め

「……なんじゃ?」

 一人の老人が歩み寄ってくる。その歩みは遅く……と思うと、何かを見つけたのか急に小走りでそれ(・・)に向かって歩きだした。驚きに目を見開き……まるでそれがここにいることがおかしいかのように……

「……!? 人間の赤ん坊とは……なぜこんなところに」

 それを抱き寄せた老人の表情は優しく……そして希望に満ちたものだった。失くしたものを見つけ出したような、そんな感情が浮かんでいた。

「……老い先短いこんな老人に……生き甲斐を与えてくれるのか?」

 再びどこかを目指して歩きだした老人。その腕の中には不器用に抱かれたそれがあった。老人の歩に合わせて上下に揺れる。ゆっくりと目を開けた少女は、老人の顔を見つめ――小さく微笑んだ。




 眼を開けて最初に感じた感覚は、猛烈な喉の渇きだった。あまりに強すぎる渇きは、喉の辺りを火であぶるように、常に痛みを生じさせた。体は何かに縛られたように動かず、自分がどのような状況にいるのかすらも分からない。私はそんな状態だった。それから間もなく、私は自分が宙に浮かんでいることに気が付いた。手足は貼り付けにされたように動かない。

 目覚めた直後としては強烈すぎる、この不思議な感覚に、私の頭はしばらくの間、混乱していた。しかし、すぐにその感情は、目の前に現れたもう一つの興味に塗りつぶされてしまった。


 私の目の前には、全身に毛の生えたボールような「何か」がいた。もぞもぞと小刻みに震えている様子から、生き物であることだけは分かった。混濁した意識の中、ぼやけた視界を通して見ても、あの生き物が私に抱いている感情は理解できる。それは恐怖だ。ぶるぶると体を縮ませて震える姿は、とても弱弱しいものだった。

 初め、私は何とかこちらに敵意がないことを示そうと思っていた。とわいえ、自分の体はピクリとも動かない。唯一、自由を許されている目だけが、私が意思表示をできる手段だった。

 じっと、目の前の生き物を見つめ……こちらに敵意がないことを示すために、優しく視線を向ける……


 その瞬間――私の視界は赤く染まった。


 ドロドロとした思考が、私の頭の中を無理やりに押しのけて、入り込んでくる。やがて、私はその感情を抑えきれなくなり……溢れだした。

 頭が考えるより先に体が動き、足が宙を蹴る。ピクリとも動かなかった手足は、驚くほどすんなりと束縛から解放される。ただ震えるだけだった、その生き物が視界の先に迫った刹那――私の視界は閉ざされた。


 思考が動きを再開し、閉ざされた視界が徐々に戻ってくる。私の視線の先から、先ほどの生き物は姿を消していた。代わりに真の前に広がっていたのは、飛び散った赤い液体と固形物。私は自分の行った行動のすべてを理解した。行動の理由は単純だった。この飛び散った赤い液体に、得も言われぬ魅力を感じたのだ。私の体はをそれを手にするために、考えるよりも先に動いたのだ。どう行動すべきか……それは私の体が知っていたのだろう。私の腕はひとりでに動き、赤い液体に指を触れさせた。そして、赤い液体のついた指を自分の口まで持っていき……舐めた。


 不味い……


 それは吐き気を催すほどの味だった。なぜこんなものに魅力を感じていたのだろうか。先ほどまでの自分は何を考えていたのか……全く分からない。そう感じてしまうほどに、この液体は不味かった。このことを、もしも少し前の私が知っていたのならば、こんなものに興味を示すこともなかっただろう。しかし、その不味い液体を口にしたおかげか、猛烈な喉の渇きが若干和らいだ気がした。

 混乱していた私の頭も、徐々に冷静さを取り戻し始めた。そうすると、今まで見えていなかった周囲の景色が意識に入り込んでくる。ひんやりと生きた気配を感じない岩肌。外界からは完全に遮断された空間。見た限り洞窟か、それに近いものと思えた。視界全体に広がる淡い青色に輝く冷たい岩肌は、ところどころ半透明のクリスタルが生えている。球場に広がる空間は、私の背丈の三十倍以上はあるだろう。岩肌にはいくつか横穴が開いており、それぞれどこかに通じているのが分かる。

 ふと視線に入ったのは、先ほどまで自分がいた場所だった。私が先ほどまでそこにいたことを証明するかのように、巨大な魔法陣がいくつも浮かんでいる。周囲の岩肌に、まるで蜘蛛の巣のように伸びているのは、青白く光る筋。巨大な魔法陣は決してこの空間の広さに劣らず、圧倒的な存在感を放っていた。

 曖昧な思考も、ぼやけた視界も、今では幾分ましになった。突然放り出されたこの状況には、いまだ頭の混乱を隠せない。しかし、少なくともこの場所から出る方法を考えるべきだろう。ここにいてもいい気分はしない……この閉ざされた空間に、体は抵抗を覚えるのか、あるいは光を求めているのか。私の頭は自然にここから抜け出すことを考えていた。ここから外に出るのであれば、道らしい道はあの横穴以外にはない。周囲を見渡した結果そう結論付けた私は、現在位置から一番近い横穴を目指して歩き始めた。今考えてみれば、私は周囲を見るのに夢中で、自分の今の状況を確認することを忘れていた……


 自分の体に違和感を覚えたのは、それからすぐだった。主に背中のあたり……何かが触れるような感覚を覚えた。普通に考えれば、肌に服の生地が触れているだけだ。しかし、妙に感覚が出っ張っているように思える。後ろを振り返ってみてみると、何やら黒い何かがぴくぴくと動いていた。それはただ動いているだけではなく、私の意思によって動いていることに気が付くのに、それほど時間はかからなかった。


「(……翼?)」


 私は不思議なほどに自然に、それが()だということを受け入れた。

 その時、横穴に何かの気配を感じた。それは一つや二つではなく、無数の先ほどの生き物が大量に集まってきていた。ただ集まってきたとは思えなかった。その生き物たちは、皆揃って震えていた。それは何かを恐れているようだった。一体何を恐れているのか、理解するのに時間は必要なかった。

 あれは私を恐れているのだ。自分たちの仲間を殺した私を。先ほどの生き物は姿を消したのではなく、絶命したのだった。仲間を殺されれば、当然警戒をする、恐れる。ただ……その事実があるだけだった。それなのに、妙な愉悦感が私の中には湧き上がってくる。生じる理由の分からない感情は気分の悪いものだ。


 そんな異様な感情を搔き消したのは、皮肉なことに、決して無視のできない猛烈な喉の渇き。先ほど若干和らいだように思えたのは、ただの勘違いだったのだろうか、喉の痛みが私の頭から冷静さを奪っていく……

 あの生き物を殺して、先ほどと同じように血を飲めばよいのだろうが……あの不味さは、とてもではないが飲めたものではない。何か、他に喉を潤すものを探さなければならないが、少なくともこの周辺には水らしいものは何もなかった。


 いくつも見える横穴から、私は一つを選んだ。この先に喉を潤せる何かがあるかどうかも、出口があるかどうかも分からない。喉の渇きは激しく私の思考を妨害し、不要なことを考えさせた。冷静になろうとしても、ろくなことが考えつかない。無駄な思考しか巡らないのであれば、動くほかはない。私は目の前に鎮座する、巨大な横穴に向かって歩きだした。




 キシ……キシ……


 不穏な音が響いたのはそれから間もなくだった。硬いものを互いに擦り合わせるようなその鋭い音は、明らかに意思を伴っていた。生物がいる証拠だ。

やがて、無数ある横穴のうち一つから姿を現したのは、巨大な黒い生物だった。

 巨大な八本の足。ちょうど蜘蛛のような外見で、全身には黒い毛が生えている。足の一本一本の大きさが私の体を超える大きさ。巨大な足の隙間から覗く、八つの瞳がこちらを不気味に見つめていた。横穴の縁に集まっていた小さな生き物たちは、その巨大な存在に恐れをなしたのか、一目散に逃げ散らばっていった。巨大な蜘蛛の表情からは、まるで感情を読み取れない。どこか空虚な……意思のない瞳で私のことを見つめていた。

 次の瞬間――蜘蛛は動いた。巨大な足を地面に食い込ませると、それと反対側の足を高く振り上げた。私からすれば、見上げるほどの高さだ。そして振り上げられた足は、私に向かって振り下ろされた。明確な殺意を持って……


 刹那――私の頭は急激に冷やされたように冷静になった。頭上から振り下ろされる足は妙に遅く感じられ、考えるよりも先に動いた私の体は、ギリギリで蜘蛛の足を回避した。体勢を低くし、素早く地面を蹴ると、蜘蛛の多脚をすり抜けて懐に潜り込む。私は足の一本を掴むと、そのまま勢いに任せて思い切り引きちぎった。蜘蛛の体は思ったよりもずっと柔らかかった。バランスを崩した蜘蛛に蹴りを叩きこむと、それだけで蜘蛛の体の一部が吹き飛んでしまった。体に大穴を開けた蜘蛛はそれから間もなく地面に倒れこんだ。蜘蛛の瞳からは、既に光が失われていた。

「……」

 思ったよりもあっけない幕切れだった。見た目とは裏腹に、そこまで強い生き物ではなかったのか、弱っていたのか。そう感じてしまうほどあの蜘蛛の体は脆く、心なしか見た目も貧相なものだった。何故かその姿に――どこか懐かしさ(・・・・)を感じたのはただの気のせいだろう。


 巨大蜘蛛から流れ出る、鮮やかな青色の血――

「……ッ」

 その血に、私は思わず理性を失いそうになる。先ほど口にした血の味を思い出し、理性は必死に私の体を食い止めようとしていた。しかし、無情にも体は勝手に動いて血を求めてしまう。気づけば私の体は、蜘蛛の血を口に運んでいた。再び吐き気を催すほどの味とともに、若干の渇きの和らぎが訪れる。


 どうやら、私の体はよっぽど血を求めているらしかった。痛みを伴うほどの喉の渇き、背中の翼……私は一体何なのか。私の頭は何も……覚えていないようだった。

 私の頭は、そんなことを考えるほど余裕がなかったのか……あるいは楽観的であったのか。そんなことよりも、早く外に出てまともなものを口にしたいということを考えていた。自分の殺した蜘蛛の亡骸……それが役目を終えた者のように見えたのは、やはり私の気のせいだろうか。


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