生きることはひどく冷たい
短めです。
季節は移ろい明日からいよいよ夏休みとなっている。
汗が肌と服を密着させて不快感を覚えるが、時折教室を吹き抜ける風が夏の香りを運びとても心地よい。
人は普段は気づかないようなことでも、何かストレスを感じているときには敏感に感じ取ることができるのではないか。
そして、そういうときの喜びや快感はそうでないときとは比べるまでもない。
つまり、人間は生まれながらに皆ドエムなのでは?などというくだらないことを考えているのは、僕、河崎翔である。
あれからクラスで友達などできるはずもなく、どちらかといえば邪魔な存在として認識されている。
そんなつらい日常も一時的ではあるが離脱することができる。
きっと夏休みに入ることに対する喜びで翔に勝っているものは、少なくともこのクラスにはいないだろう。
少し残念なことは喜びの理由が極めて受動的で、かつマイナスしか含んでいないことだ。
最後のホームルームも終わり、皆がこれから始まる夏休みについて話し出した。
すぐに帰ろうとしているのは僕くらいのものである。
まあ、話す人がいないからなのだが…
邪魔者は早々に退散するかなどと卑屈なことを考えながら席を立った。
「なんだ!?」
唐突に上げられたその声はクラスメイトの注目を集めるには十分すぎる効果があった。
そしてそれは僕も例外ではない。
「うぅぅぅぅ・・・。」
「おい!大丈夫かっ・・っあああ!!」
声の方向に視線を送ると一人が胸を押さえて苦しんでいた。
いや、一人だけではない。心配して声をかけたやつもその周りにいたやつも、次々に苦しみ始めた。
中には吐血している奴や、血涙を流しているものまで見て取れた。
「あっ!河崎君!夏休みのことについて・・・へ?なにこれ。」
扉の方向に目を向けると河村さんだった。
「河村さん!早く教室から出て!」
僕はとっさに叫んだ。けれどどうやら遅かったようだ。
河村さんもみんなと同じように苦しみだし、床に伏せてしまった。
すぐに河村さんに駆け寄ろうとしたが、僕だけが例外であるはずなどなかった。
突如として激しい頭痛とのどをつたって込み上げてくる熱い何かを感じて手で口を押える。
そして、自分の手を見るとやはり赤く染まっていた。
『あぁ、このまま死ぬのか。』
もともとこの人生では死にたいと思うことなど幾度となくあった。
しかし、それでも学校に通い続けることができたのは、河村さんがいたからであった。
『結局河村さんに何も返せなかった…。』
それだけが何よりも心残りであった。
そして重い瞼を閉じた・・・
頬に感じる冷たさで目を覚ました。
どうやら生きているようだ。
しかし、ここが病院でないことはすぐに理解できた。
なぜなら寝ていたのが石が敷き詰められた床の上であり、周りにローブを着ている大人が何人も僕らを囲んでいたからだ。
さらに床には魔法陣のような模様が描かれており、男たちの手には杖のようなものが握られていた。
体を起こすと、すでに何人かは目が覚めているようだった。
首と手足に妙な冷たさをおぼえて目をやると金属でできた錠が着けられていた。
あまりのことに驚きの声をあげ―――られなかった。
声が出ない。
そういえば、妙に静かではあった。
普通ならほかの人も何かしらのリアクションをとるだろう。
しかし、誰一人として声を発していない。
いや、発することができないのだろう。
さらに、手足に錠があってうまく身動きも取れない。
怖い。
あまりの状況の変化についていけていなかった思考が追い付くと、突如として恐怖が込み上げてくる。
それは他の人も同じようで、体を震わせている。
「どうやら全員目が覚めたようなのでお前たちの状況について説明を始める。まず初めに・・・」
一人の男が一歩でて説明を始めた。
その人が言うにはどうやらこういうことらしい。
まず、僕たちは異世界に召喚されたのだそうだ。
その際に、世界を渡るために邪魔なものとなる肉体をすてるために、全員一度殺されたそうだ。
そこで飛び出した魂を僕らが今いるこの世界『グラン』に引っ張り新たな体に移し替えたらしい。
周りには知らない人ばかりだと思っていたが、どうやらクラスメイトであったようだ。
そんな説明を受けてクラスメイト達が明らかに動揺しているのが、声が出せないこの状況でもわかる。
それもそうだ、僕だって動揺している。
いきなり皆が苦しみだして、自分の視界も暗転したかと思って目が覚めたら、もうあなたたちは死にました。
しかもここは異世界ですと来たのだ。
夢であるといわれたほうがまだ納得できる。
その説明の後、一人のみすぼらしい恰好をした少女が部屋の中に入ってきた。
そして、僕たち一人一人の前に立っては何やら詠唱のようなものを始める。
すると、その儀式が終わったものの手の甲に鎖の刻印が浮き上がってくる。
どう見ても隷属の儀式である。
そんなことは鎖でつながれた今の状況と、刻印から誰もが容易に想像することができた。
そしてそのあとに待ち受けているであろうことも否応なく脳裏によぎるのである。
しかし、身動きのできない僕らにはどうすることもできない。
ただ静かに涙を流す者。必死に抵抗しようと試みるがその甲斐なく崩れ落ちるもの。
しばらくして全員の儀式が終わるとローブの男が説明の続きを話し始めた。
曰く、貴様らは奴隷として戦争に駆り出されるだろう。
曰く、逆らうものならばその刻印が貴様らをむしばむだろう。
その言葉に皆の顔が漂白された。
たった数分の間に何度も心を引き裂かれた。
もはやそこに抵抗の色などなく、残されたのは諦めだった。
そんな中でも男の言葉はメトロノームがごとく続いていた。
きっと、こういったことは過去に何度も行われてきたのだろう。
もはやそのあとの話など右から左に抜けるだけである。
誰もが理解することを放棄している。
いや、むしろ無意識の中で聞くことの無いように塞いでいたのかもしれない。
本当に精神が狂ってしまわないように。
だから、自分たちに示された一縷の希望の言葉がより鮮明に刻まれたのである。
たとえそれが見せかけであったとしても。
曰く、戦争で功績をあげたものはその内容に応じて待遇改善の余地がある。
この一言に皆の顔が上がる。
人間という生き物は、どん底にいるほどに光が大きく見えそれにすがることに必死になるのだ。
どこかもわからない場所で目を覚ましたと思ったら、いきなり奴隷になった、戦争に行けと言われて誰もが自分の人生の終わりを感じたことだろう。
どうせ現状を変えることができないのならば、少しでもいい方向に向けて歩くしかないのだ。
だから誰もが、僕も例にもれず思ってしまった。
すなわち、敵を殺して自分が生き残るのだと。
しかし忘れてはいけない、一度もあったこともなければ間接的にもかかわったことの無い、まったく知らない相手が敵になりうるかといえば否であるということに。
まして、今目の前にいる人間を信用できる要素なんてどこにもないのだ。
そう、人間とは究極的には他人などどうでもいい生き物なのかもしれない。
そういう結論に至ってもおかしくはないような感情が、今のクラスメイト達には確かに存在していたのだった。
しかし、こんなにも簡単に男の言葉を信じてしまったことは明らかに不自然である。
確かに自分たちが生き残っていくためにどこの誰とも知らない人を殺すという結論に至ることはあるいはあるかもしれない。
けれども、それは男たちを信じて、恨むという気持ちがなくなるわけではないのだ。
そう、僕たちの心の中にはすでに男達へのころしてやりたいとまで思っていた感情はなくなっていたのだった。
男の使った洗脳魔法によって。
しかし、そんなことに気が着けるものはいなかった。
それは当然のことである。
そもそも魔法というものをつい先ほど初めて見たばかりで、よほど魔法に慣れていないと気付くことの出来ない精神系の魔法に気づくことなど不可能なのだから。