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かつて、戦争があった。
魔王ギュスタヴと名乗る、闇の偉業を従える邪悪な魔術師との戦争である。彼は暗黒の神より力を授かり、彼の神とともに忘却の彼方、世界の果てに追われていた魔族を従え、世界に宣戦布告した。
世界の南部をほぼ手中に収めたギュスタヴだったが、彼の野望を阻むため、人間・エルフ・ドワーフ・獣人らが手を結び、連合軍を作り上げた。連合軍が敵を食い止める中、南部の奥深く、魔王のいる魔境を目指し、進む勇者たちがいた。
勇者たちは犠牲を出しながらもついに魔王を倒した。闇の神の力を得たギュスタヴの死により、魔族もまた弱体化し、滅ぼされ、追放された。
それから、二十年の月日が流れた。
人間族の国家の中でも栄えているエウテシュリス王国。かつての戦争において活躍した英雄の中でも傑出したものをこの国は輩出している。
まず一人は、魔王を倒し生還した英雄の一人、クラックス・ヴォルテーク。ヴォルテーク公爵家の長子であり、現ヴォルテーク公爵である。魔術に優れ、武芸にも優れた英傑であり、国王の娘の一人アトカーシアを妻としている。時機に宰相となるであろう男である。
そして、彼の親友であり、魔王との戦いの果て、命を散らした剣聖アインハルト・ジグムント。「輝く紅き髪」と呼ばれた、歴代最強の剣聖。剣聖の証たる炎剣バルムンカーを手に戦場を駆けたといわれている。
アインハルトの妻にして、聖女メルヒオーネ・アイウィットもまた、生還しなかった英雄の一人である。聖女の証である氷剣ヒルデブリーグを手にし、夫とともに絶対的な勝利をもたらした。
生涯不敗であった二人は、しかし魔王の前にはかなわなかった。死の間際、ヴォルテークに二人は生まれて間もない息子の後見を頼んだ。
その息子の名を、アルフレート・コンラという。
英雄の息子たるアルフレートは武勇に優れたが、両親とは異なり、槍を極めた。当代の剣聖は空席であったため、それを無念に思う者もいたが、アルフレートの実力は英雄に劣らぬものであった。
エウテシュリスの未来は、ヴォルテーク・アルフレートの二人がいれば安泰だ、と国王は言ったという。
後見人であるヴォルテークはアルフレートを実の息子のように育てた。そんなヴォルテークを、アルフレートは父として尊敬していた。
そんなアルフレートは王城に呼び出されていた。養父ヴォルテークより急ぎ参内せよ、と言付かったからだ。
アルフレートは母譲りの透き通った水色の長髪を揺らしながら、王城への道を急ぐ。
直前までヴォルテークの娘であり、婚約者であるアルメアとの食事をしていたのだが、至急と言われては仕方がない。アルメアもそれをわかって送り出してくれた。
アルフレートが玉座の間に向かうと、そこではすでに国の重鎮たちが揃っていた。王と宰相以外は、主だったものはいる。そこには、ヴォルテークもいた。
「ヴォルテーク公」
公の場であるため、アルフレートはそう呼んだ。ヴォルテークは深刻な顔で青年を迎えた。
「よくきてくれた、アルフレート」
「いかがいたしたのですか、公。私に呼び出しがかかるなど・・・・・・」
アルフレートは若いとはいえ、英雄の域に達するもの。そう言ったものは、滅多なことでは呼び出されることはない。それが意味するのは、つまり、何か大きなことがあった、ということ。
「うむ。陛下にはまだ申し上げていないのだが」
そう前置きをしてから、声をわずかに潜めた。
「レクトラ帝国の皇帝アンリが殺害された」
「なんと・・・・・・」
衝撃を受けるアルフレートだが、それも無理はない。
王国と並ぶ大国、レクトラの皇帝アンリ七世はまたの名をアンリ・スローレという。ヴォルテークらと同じ、ギュスタヴを倒した『英雄』である。
魔王なき今、そのアンリを殺せるものが果たしているのか。
「アンリは城の自室で死んでいたという」
死んでいたのはアンリのみ。すぐ隣の部屋にいた妃や護衛の兵士に死者はいないという。
アンリの死因は刃物による斬撃であったという。
「寝込みを襲われた、とは言え、アンリは剣を手にして応戦したようだ。だが、相手はそれを上回る剣の使い手のようだ」
ヴォルテールはもたらされた報告を読み上げる。まだ限られた者にしか知らされていない情報だが、それは皇帝と親しかった友人であるからだろう。
アルフレートは絶句する。彼自身、アンリの強さは身をもって知っている。幼き日、稽古をつけてもらったことが何度かあるからだ。
今でも、彼に勝つことは難しい、とアルフレートは思っていた。
「魔族の残党の復讐か、それとも帝国内の政治的な陰謀か、賊か。判別はつかぬが、油断は出来ぬ」
ヴォルテールはそう言い、アルフレートをまっすぐに見た。
「目的や理由がわからぬ以上、警戒する必要がある」
「・・・・・・」
アルフレートは静かにヴォルテールを見る。
国の指導者の殺害か、『英雄』への復讐か、それともまた別の理由か。国王が狙われるか、ヴォルテールが狙われるか、それすらもわからない。だが、英雄を倒せるだけの力を持つものが、いるのだ。
それは、もしかすると、同じく魔王ギュスタヴと戦った『英雄』かもしれない、とヴォルテールは言っているのだ。
いざとなった時、戦えるか。彼はそう言っているのだ。
「我が槍で、この国を守りましょう。亡き父母の名に誓い」
「心強い限りだ、アルフレート・コンラ」
そう言い、ヴォルテールは青年の肩を叩いた。
国王の御前で行われた会議で決定したことは、警戒の強化であった。
このことを各国で共有し、連携を密とするため、ヴォルテールは各国へと向かった。アルフレートはソレに同行したかったが、国王に万が一のこともあるとして、ヴォルテールに引き留められた。
皇帝の死は瞬く間に広がり、人々は英雄の死を嘆き悲しんだ。
だが、その数日後にはまた一人、『英雄』が死んだ。
次に死んだのは、大陸で力を持つ、正教会の総本山、教都ミトの枢機卿ゲーリングであった。
『英雄』の一人であり、大司祭としてギュスタヴとの戦いに貢献した枢機卿は、自身の屋敷の中で血まみれで死んでいた。護衛の騎士たちは皆、強力な魔法で意識を奪われており、無力化されていた。
この二度の『英雄』の死から、これは復讐なのではないか、と人々は噂した。
魔王ギュスタヴの娘ゲルニカによる復讐だ、などという噂が流布していた。だが、ゲルニカは戦争中に英雄たちによって打倒されているはずであった。
ならば、魔族の残党か、と問われると、それはほぼあり得ない話であった。魔王の死後、魔族の必要とする闇の力は消え失せた。二十年前ならまだしも、今まで力を蓄えて置ける大魔族は戦争中に死んでいる。
ならば、次の魔王が現れたのか。
人々は不安を募らせていた。
アルフレートは急ぎ、ヴォルテールと『英雄』たちが集まっているという聖都ラグナスへと向かっていた。
生存する『英雄』たちは古の大帝国の聖都にて会合を持っていると伝え聞いたからだ。敵の狙いは『英雄』だとアルフレートは信じていた。
父であるヴォルテールを殺させるわけにはいかない。国の未来を引いていくべき英傑を殺させるわけにはいかない。そう、彼は思っていたのだ。
幸い、二人目の『英雄』の死後、死者はいない。そう信じていたアルフレートだが、それは聖都についた際に、覆された。
『英雄』の一人でありカナートエルフ部族の王子ライレイが死んでいると、ヴォルテールの口より知らされたのだ。優れた弓の使い手である王子は、四肢を切り落とされて絶命していたという。
「敵の狙いは我々だ。団結せねばならぬ。そのためには、アルフレート。おぬしの力も必要だ」
ヴォルテールの言葉に、アルフレートは「もちろんです」と答えた。
残る『英雄』は四人。
ヴォルテール公クラックス。
隣国ティロンのメセバ大公ティベリアス。
ヌミディア王マーシニス。
ベロン魔術国の魔術学院長ノトリアス。
彼らに加え、アルフレートと次代の英雄とうたわれる精鋭がこの場にはいた。
四英雄はあえて隙を作り、敵をおびき寄せることを話し合った。危険だという意見はあったが、いつまでもこの危機に振り回されることは許されない。
そうして、各々護衛はつけるものの、目に見えて分かるほど、厳重な警戒はしかなかった。無論、これは飽くまでそう見えるようにしているだけであり、魔術による防御等、対策に対策を重ねた。
そうして数日、襲撃者は現れた。
狙われたのは、ヌミディア王マーシニス。馬の乗馬中に襲われた。優れた騎兵であり、歴戦の戦士であるマーシニスと、彼の息子たちを相手に、襲撃者は終始優勢に立っていたという。そして、マーシニスの首をやすやすと討ち取ったという。
マーシニスの息子たちは、襲撃者の顔は見なかったが思ったよりも華奢であったこと、そして、二振りの剣を使っていたという。
それは剣聖の証、バルムンカーと聖女の証、ヒルデブリーグであったというのだ。
「あり得ぬ」
ノトリアスは報告を聞き、叫んだ。ほかの英雄も同様の気持ちなのだろう。驚愕の表情であった。
バルムンカーとヒルデブリーグはその最期の持ち主とともに運命を共にした。魔王の強力な力の前に砕け散り、戦うすべを喪った二人を殺した。それが、物語として伝わっていた。
そしてなにより。
それを扱えるものは、すでにこの世にはいないのだ。
「剣聖、そして聖女の剣は、それぞれその剣に認められたものしか持てない」
アルフレートは確認するように言う。ヴォルテールは頷いて言う。
「そもそも、バルムンカーは認められた男にしか持てない。それと同様に、ヒルデブリーグもまた選ばれ矢女にしか使えない。それを、刺客が使っていた、だと?」
「どういうことだ、ヴォルテール」
ティベリアスが言う。ノトリアスは顔をしかめ、禿頭に浮かぶ汗を、タオルでふき取った。
「・・・・・・いかに性別を偽ろうとも、魂までも欺くことはできない。神々が作り出した、二振りの夫婦剣を、欺くなど、人間には・・・・・・いや、神々ですらできぬこと」
そもそも、バルムンカーとヒルデブリーグは、神代の時代に作られた神剣である。
伝説にかたられる、夫婦神アトスとメネアが結婚する際、アトスの叔父である鍛冶の神ランクトが贈った剣である。
バルムンカーは燃え盛る紅蓮の炎を模し、この世で最も強いとうたわれた炎龍バルムスの息吹と、彼の息子である竜王ムンカークの鱗を譲り受けて作られた。
一方のヒルデブリーグは澄み渡る海とそびえたつ氷山を模して作られている。氷の女王ヒルデと彼女の妹で海神の妻ブリルの髪の毛で作られた。
夫婦はこの剣に誓った。互いに死すその時まで、伴にあることを。
アトスとメネアはその後、起きた悪神の反乱において多くの敵をその剣で討ち果たした。そして、彼らはその誓い通り、死すまで伴にあったのだ。
時代は下り、神々が地上を後にした後。
夫婦剣はともに分かたれて、継承されていった。バルムンカーは代々、剣聖の証として男に受け継がれていった。一方のヒルデブリーグは神聖教会の聖女の証として女に受け継がれていった。夫婦剣はともに、元の持ち主であるアトスとメネアを忘れなかった。バルムンカーは自身を男性にしか許さず、ヒルデブリーグもまた女性にしか使用を許さなかった。
こうして二つの剣は歴史上の偉人たちのもとで多くの敵を討ち、伝説を作り続けた。
そして、伝説は二人の英雄の死でもって終わったはずなのだ。
「私の父母の死の時、失われたものがなぜ、あるのか。なぜ、扱えるのか」
アルフレートの言葉に、ヴォルテールは顎に手を当てて考える。
「両性具有、男とも女とも判別できないなら、あるいは・・・・・・」
「だが、だとしても、二振りの剣が認めるであろうか。神であろうとも、使用を認めないものにとってはただのなまくら。にもかかわらず、それで太刀打ちし、あまつさえマーシニスを殺したのだぞ!?」
ティベリアスが絶叫する。謎の襲撃者の正体がわからない以上、議論をしても何の解決にもならない。
件の襲撃者が、顔を隠していたことからその正体は判然としない。だが、報告とともに現場に残されていたあるものが、英雄たちを驚愕させた。
それは、一本の紅い髪の毛だった。
それを受け取った時の、ヴォルテール、ノトリアス、ティベリアスの顔を、アルフレートは生涯忘れなかった。絶望の淵にあるような、あの顔を。
「それは、なんなのですか?」
アルフレートの問いに、三人は答えなかった。
そして、時間が経って、アルフレートは気が付いた。
その紅い、紅蓮のような髪の毛は、アルフレートの父である「輝く紅き髪」アインハルト・ジグムントのものなのだ、と。