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スサノオの剣  作者: はかはか
第3夜 道しるべ
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道しるべ その2

 長野の実家までは、時間がかかる。


 その時間は、自分が故郷を捨てた覚悟に相当する。

 いや、捨てようとしていると言う方が合っているだろう。


 新幹線に乗り、二時間弱。

 長野に入ったのが昼過ぎ。

 電車を乗り換え、単線を走る二両編成の古い車両に辿り着く。


 数える程しか客が乗っていない中、天香は、向かい合わせの座席にひとり座った。


 故郷は、いわゆるドのつく田舎町。


 古代の和人が、やまと人に追い立てられて逃げ隠れた場所の為、人里離れた山奥に辿り着くのは当然の事だ。


 天香は、浄御原高校に入学して、初めて都会を見た。


 常に、多数の人間が無防備に霊気を発しながら周囲を蠢いている。

 その無分別に発散される感情に掻き乱され、外にいても、家にいてもなかなか安心して休めず、精神的に疲れる日々……。


 天香にとって驚きの連続だった。


 やまと人とは、こんな人達だったのか。

 村で教えられた話では、和人を滅ぼす恐ろしい存在として聞かされていた。


 しかし、実感する所、彼らには活力が無い。

 霊の存在を知らない為、いつも無防備に身をさらけ出しているような状態でいる。


 天香は、こんな人々のどこが恐ろしいのかと思ったし、こんな未熟な人々がこの島を支配していいのかと疑問に感じる事もあった。


 険しい谷にかかる鉄橋を何本か渡る。

 次第に人家が少なくなっていき、田畑も深い樹々に取って代わる。

 やがて、空気が冷たくなる頃には、鬱蒼うっそうとした緑が増えていた。


 車内でも、段々と霊気が濃くなってくるのが分かる。

 その霊気は、大都市の人工森林では生み出せない精力に満ちている。


 やっぱり、心地良い。

 天香は、目を閉じて感じた。

 体内を流れる霊気が、外の霊気と作用し合って、弱った霊力を補ってくれる。


 谷川を渡る鉄橋に差し掛かると、遠くにもうひとつ鉄橋が見えた。

 その鉄橋の向こうにそびえる山を越えると、故郷の村がある。


 天香は、胸が少し締め付けられる懐かしさを覚えた。

 大学に進学して、二度目の里帰りである。


 だが、懐かしさと同時に、不安も頭をもたげて来る。

 いつかは、和人の人々と進む道を分かつつもりでいる。

 そんな自分が、一体どういう顔で戻ったらいいのか分からない。


 電車が進み、見慣れた風景が近付くに従って、その不安が胸に増してくる……。



 電車が山の中の小さな駅に止まった。


 木造の古い駅舎。


 駅前にタクシーが停まることは滅多に無い。


 バスは一時間に数本だけ。

 コンビニもカラオケ屋も無い。

 寂れた商店がちらほら見えるだけ。


 バス停の椅子に座っていると、ひとりふたり老人が歩いているのが目に入って来る。


 駅前の集落は、天香の先祖が移住を転々としていた頃に住み着いていた場所のひとつだと言う。

 今では、後に侵入して来たやまと人の住処になっている。


 十分程待つと、ギシギシと車体を揺らしながら、バスがやって来た。

 昭和を強く感じさせる古臭い車体。

 到着したバスから降りたのは四人だけ。

 しかも、老人しかいない。

 入れ替わりにバスに乗ったのは、天香と老婆のふたりだけだった。


 出発までさらに二十分待った。

 窓枠を激しく震わせながらエンジンが動くと、黒煙を吐き出しながらバスが走り出した。


 廃墟寸前の商店街を横目に進む。

 道路の側溝からは、丈高い雑草が顔を出し、潰れたガソリンスタンドのガラスには、ひと昔前のアイドルのポスターが日に焼けた姿を晒している。


 やがて、バスは、小さな食料品店の角を曲がり、ひび割れが目立つアスファルトの山道に入って行った。


 右に左にと急な坂道を上がる。

 途中には捨て去られた感じのトタン屋根の家と、ちょっとした畑が所々見られるだけ。

 それも、しばらく走ると生い茂った草木に姿を変えてしまった。


 角度のある坂道に逆らうかのようにバスのエンジンが唸り、鬱蒼とした山を縫うように上がって行く。

 バスが通るアスファルトの道は狭く、落石注意や野生動物注意の看板が点在し、錆だらけの古いガードレールが頼りなげに続いている。


 すると、バスは狭く長いトンネルに入っていった。

 照明が無い為薄暗く、壁は薄汚れ、コンクリートの隙間から地下水が漏れ出て苔が繁茂している。


 トンネルの出口まで時間をかけて進むと、いきなり視界が開けて、なだらかな山裾に囲まれた集落が現れた。


 天香の胸が大きく鳴った。


 道は、一旦盆地の底のような地形を下って行き、集落を過ぎると、また登りながら真っ直ぐ次の山に向かっている。


 盆地の底の部分が集落の中心部になっている。


 集落で唯一の信号を備えた四つ角があり、役場や農協、商店が集まっている。


 四つ角から右側の山に向かっては、集落の間を縫うように一本の道が伸びている。

 その先には、ひと際こんもりと盛り上がった樹木を背後に二本の巨大な柱が高く立っていた。

 そこが、集落の精神の中心、木原きはら神社である。


 山裾は、次第に急になり、やがて背の高い山々に繋がっている。

 山から吹き下ろす風は冷たく、樹々が彩り始めた山肌は、すでに本格的な秋の到来を告げている。


 外部の者の往来を極力遮断した集落は、信濃の山々に囲まれた中に小ぢんまりと納まっていた。


 バスは、よたよたと役場の前にある停留所に停まった。


 天香が、キャリーバッグを抱えながらバスから下りると、濃密な霊気を含んだ爽やかな空気が体を襲う。


 天香は、辺りを見回し、変わらない風景をしばらく眺めた。



 真木村。

 天香の故郷。和人の村。


 村役場の前には数台のタクシーが停まっていた。


 この村でタクシーを見かけることはほとんど無い。

 その周りに喪服姿の男女が数名たむろしているのが見える。

 どうやら、三鳥の葬式のために遠方から駆け付けているらしい。


 三鳥は、全国でもトップクラスの霊師だった。


 それほどの人物が亡くなったのである。

 村の内外から弔問客が集まるのは当然の事だった。


 天香が歩き始めると、そこにいた何人かの視線を感じた。

 今度はどこの人物が来訪してきたのだろうという好奇の目だった。


 幸い、外部の人間ばかりだった為、ここでは天香だと気付く者はいなかったようだ。

 どこかの家の娘が里帰りしたのだとしか思われていないだろう。


 天香は、足早に役場前を去り、実家に続く坂道に入って行った。


 四つ角から道を登る。

 目を上げると緑豊かな山が目に入る。


 天香の実家は、村役場から神社に続く坂道から、少し外れた所にある。

 代々、村の有力霊師を輩出してきた一族だけあって、霊気豊かな鎮守の森がすぐ側で生い茂っている。


 この村は、当然ながら普段は閑散とした姿を見せている。


 ただ、子供の姿も比較的多く見受けられる。

 全国の和人の集落でも同じだが、和人の血を絶やさないように、村全体で協力している為である。


 それでも、村だけでは生活が成り立たない事もあり、親世代の多くはやまと人の社会に入り込み、出稼ぎをして働かざるを得ない。

 今も昔も変わらず、苦労を背負う運命にある。


 この村は、当然ながら普段は閑散とした姿を見せている。


 ただ、今日だけは、喪服姿の人が多い。


 その中を、全く気付かれずに通り過ぎることは難しい。

 家に近付くと、天香を知っている人も増えてくる。


『あれ、天香ちゃんじゃない』

『古京家の娘だよ。今帰って来たんだよ』


 坂道を登るに従って、周囲のささやき声が増えて来た。


 実家へ向かう最後の角を曲がると、やはり家の前に村人が多数たむろしていた。

 あの中を通り過ぎないといけないのか、と天香はげんなりした。


 すると、後ろから声をかけて来る者がいた。


「天香ちゃんじゃないか」

 振り向くと、そこには、松彦まつひこ敷雄しきおがいつもの柔和な表情で立っていた。


 村中が親戚のようなものであるが、古京家と松彦家は、村の有力一族として姻戚関係を持つ等、とても近い間柄だ。


 この敷雄も、三鳥と同級生で仲が良かった為、何くれとなく天香の事を可愛がってくれていて、天香にとっては、家族以外では一番近い存在になっている。


「あ、松彦おじさん」

 天香は、ほっとした。

 敷雄なら気兼ねする事無く一緒にいる事が出来る。


 もちろん、敷雄の一族も、古い霊師の家系であり、先祖には、古代史に名を残す御真津彦みまつひこを輩出している。


 敷雄も優秀な霊師として、三鳥と共に村を代表して全国の和人と交流を持っていて、三鳥も敷雄もゆくゆくは村長になる人材と見られていた。


 天香は、その敷雄に会えていくらか緊張がほぐれてきた。

「お久しぶりです」と頭を下げる。

 状況が状況だけに笑顔を避けたせいで、少し表情が硬くなってしまう。


「うん、うん」

 敷雄は多くを語らず、ただ頷いた。

「三鳥は、残念なことだったな。さ、松さんが待っているよ。行こう」


「はい」

 天香は、促されるままに敷雄の後をついて行った。


 キャリーバッグを転がす天香を、周囲の人々が見詰める。

 当然のことながら、ほとんどの人は、敷雄の後ろにいるのが天香だと気付いた。


 天香は、その好奇心溢れる人々の視線を感じながら歩いて行く。

 これがひとりだったら、家に近付く事が出来たかどうか。


 敷雄に続いて家の門を潜ると、そこではもっと多くの人の視線を浴びる事になった。


「あら、天香ちゃん。おかえり。今帰ったの」

 手伝いに来てくれている近所のおばさん達の声。


「お久しぶりです。さっき電車に乗って来ました」


「そうなの。疲れたでしょう」


「はい」


 他ならぬ古京家の葬式である。

 大勢が手伝いに来てくれている。

 天香は、ひとりひとりと簡単に言葉を交わして玄関に入った。


 玄関で靴を脱いでいる時、敷雄が天香の耳元に口を近付けた。

「みんな、本当に心配してくれてるんだよ」


 確かにそうだ。

 村の人々は、古京家の跡継ぎである天香に、暖かい感情を与えてくれている。


 真木村の人々は、古くは出雲の王族の流れを汲む。

 その中でも日の巫女を輩出して来た一族の主流とも言える古京家は、高い家格を誇っている。

 古く重々しい家柄を受け継ぐ天香には、大きな期待と深い愛情を抱いているのだ。


 だからこそ、天香は、一層辛い気持ちになっていた。


 村人は、天香がやがて村に戻って来て、村を支えてくれる一員になってくれると信じている。

 三鳥がいなくなった今、村人が天香にかける期待の大きさは、益々膨らんでいる事は想像出来た。


 その事を思い、徐々に表情が曇っている天香を、敷雄は黙って見てくれている。


 家に入り、階段下に来た時、敷雄が天香に振り向いた。

「それじゃ、先に行っているからね」


「はい」と、天香は答えた。


 敷雄は、頷くと家の奥へ向かって行った。


 廊下の少し先に、実家で一番広い部屋がある。

 そこが、人の出入りが一番激しい。

 つまり、そこに三鳥が眠っている。


 天香は、目を逸らすと、重い足取りで階段を上がって行った。


 板張りの廊下をしならせながら自分の部屋に辿り着く。


 天香の部屋は、高校進学でこの家を出て行った時から変わっていない。

 壁に貼られたアイドルのポスター、中学卒業時のままのカレンダー、机の上の卒業写真……。

 今となっては、遠い昔の事のようだ。


 この部屋で、窓から見える鎮守の樹々に守られながら育って来た日々。

 いっそ、このまま全てを受け入れる事が出来たのなら……。


 しかし、感傷に浸っている暇は無い。

 天香は、荷物を床に置くと急いで着替え始めた。


 喪服を取り出す。

 まさか、こんなのを着る機会があろうとは……。


 身支度を整えると、天香はバッグの中から首飾りを取り出した。

 乳白色の丸い小石に細い紐を通してある。


 『霊玉れいぎょく』の首飾りである。

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