道しるべ その1
夢を見た。
時々見る夢だった。
小さな子供なら、走り回れるくらいの広さがある庭。
庭の奥に、小さな池と石灯籠。
大人の胸くらいの高さに剪定された生垣が、家の敷地に沿って並んでいる。
犬と一緒に走り回る自分を見て、祖父と祖母が縁側から笑顔を投げかけてくれる。
ただ、それだけの光景……。
こういう夢を見ると、いつも夜中に目を覚ます。
胸がドキドキして、枕は汗で濡れている。
天香は、数回深呼吸した。
何だか、自分が自分で無いような、自分の意識と自分の感覚がずれているような、そんな錯覚を覚える。
時計の針は、午前三時を指していた。
窓の外は、まだ真っ暗だ。
部屋の電気を点け、ベッドから抜け出して、冷蔵庫の中のお茶を一口飲む。
動悸が落ち着くまで床に座り込む。
頭が混乱している為、気分転換にテレビをつけて深夜番組を観たり、週刊誌を読んだりした。
二、三十分後に再びベッドに潜り込むと、今度は普通に朝まで寝る事が出来た。
ぐっすりと……。
結局、蹴太は、毎日天香に会いに来ている。
芝生と食堂以外で会ってはいないが、正直天香は困っていた。
英奈に話すと「悪い人じゃないでしょ」の一点張り。
確かに悪い人では無いけど、こっちがその気になっていないものをどうしようもない。
蹴太は、まあまあの人気者ではあるらしい。
芝生で天香を待っている時は、よく他の女子学生と話している所を見かける。
それを見て、英奈が「早くしないと取られちゃうよ」なんてけしかける。
でも、正直別の女の子と話してくれているとほっとする。
自分と一緒にいても何ら盛り上がる事は無い。
向こうで楽しげにしているのだからそれでいいじゃないか、と思う。
今までも、天香に興味を持ってくれる男性は何人かいたことはある。
でも、男性と仲良くなりたいと思った事は無い。
普通の友人としても、いつも何を話していいのか分からない。
年齢が近い人程、どう接していいのか分からずにテンパってしまう。
天香は、こんな自分が誰かを好きになる事はあるのかな、と思わざるを得ない。
一時間目の授業の前。
天香は、少し早く大学に着いた為、中庭の芝生でひとり座っていた。
天気の良い日だった。
残暑も過ぎつつあるのか、空気はひんやりとしている。
ただ、雲ひとつ無い快晴だった為、陽の光が頭上に煌めいて暖かく感じられる。
陽が高くなって来ると暖かい一日になりそうだった。
天香は、周囲を見回して考えていた。
どうしようか。ここにいると、また見付かってしまう。
だが、わざわざ場所を移るのも面倒臭くはある。
何と言っても、ポカポカして気持ちいい。
そこへ、携帯電話が鳴った。
着信を見ると、『松おばあちゃん』とあった。
実家の祖母からだ。
「もしもし」
『天香かい』
電話の向こうから久しぶりに耳にする声が聞こえて来る。
思わず懐かしい感じが胸に去来する。
「うん」
話したい事が色々あるが、松には迷惑をかけている。
言葉が出て来ない。
『あのね……』
松が言い淀んだ。珍しい事だ。
天香の胸に嫌な感覚が広がった。
電話の向こうから不安な霊気が漂って来るような……。
『……三鳥が亡くなったんだよ』
「え……」
天香は、携帯電話を耳につけたまま無意識に立ち上がり、足早に西門に向かっていた。
今からだと、何時に長野に戻れるだろう。
叔父さんが亡くなった……。
天香は、その後の松の話を生返事で聞いていた。
天香には、叔父がふたりいた。
天香の父である雄塚が長男で、三鳥は次男になる。
三男に赤猪がいた。
三鳥は、一の剣の資格を持つ一流の霊師だ。
一族だけでなく、全国的にも和人の間では名の知られた霊師で、知識、経験、技術とあらゆる面で秀でていた。
一の剣は、優れた霊師でもなかなか認められない霊剣術の最高の免状である。
三鳥はその一の剣を二十歳で受け取り、天才霊師と騒がれた逸材だった。
幼い頃に、父雄塚と母を亡くした天香にとっては、親代わりになって育ててくれたも同然の身内であり、浄御原高校に進めさせてくれたのも、大学に行かせてくれたのも、三鳥の理解があっての事だった。