溝 その2
その日の夜。
鈴は、いつも通り元気に喋っている。
今夜も仕事が終わり、天香は、鈴とふたりで帰りの電車に座り、研究所に戻っていた。
鈴は、相変わらず元気だ。
毎日学校が楽しくてたまらないらしい。
それに比べて自分が高校生の時は、学校に行くのさえも嫌だった。
寮生活も苦痛だった。
というか、生きている事が辛かった。
自分がここにいてはいけない、みんなと一緒に楽しんではいけない、存在してはならないような感覚に囚われ続けていた。
天香は、そんな気分から逃避するように勉強や訓練に励んだ。
自分自身が、何故こんな思いをするのか。
それは霊師の子だからなのか。
霊の気持ちに接し過ぎているせいか。
もっと実力を身に付ければこんな思いから抜け出せるのか。
毎日、頭の中を勉強や訓練で一杯にすれば、少しは辛い気持ちを和らげる事が出来た。
気が滅入るのをなるべく遠ざけていた。
……だが、どんな時でも、天香の体から、あの感覚が消え去る事は無かった。
「……それで、先輩に警察官を目指している人がいるんですよ。公務員なら安心だろって」
「今は、どこも厳しいからね」
「勉強が難しいんじゃないですかって聞いたら、特事課に入るから大丈夫だって……」
警察にも霊対策の部署がある。
それは、特殊事象対策課と言い、公にされていない極秘部署だ。
霊師の何人かが特別枠で公務員試験を受けずに雇用されている。
「そして、霊師の能力を生かして、スパイとして活躍するんだって言ってるんですよ。みんなで完全にテレビの見過ぎだって言ってるんです」
鈴は、天香を見て笑った。
「それじゃあ、その人、外国の霊能力者と対決するのかしら」
天香も一緒になって笑った。
鈴は、そんな天香を見て呟いた。
「……良かった。天香さんが一緒に笑ってくれる人で……」
「え、どういう事」
鈴の言葉に天香が首を傾げた。
「……この話を実家でしたことがあるんです。私としては、ただの話題作りのつもりだったんです。みんなで下らないお喋りをしようと思ったんですけど……。でも、この話をしたら、大体の人があまり良い顔しなかったんです」
「どうして……」
天香が鈴の表情を見ながら聞く。
「私の実家では、私達和人が政府の犬になるのは許されないっていう人が多いんです。ほら、私の実家って、古い家柄の一族が周りに多いので頭が固いと言うか……。憎き政府の為に、つまり、やまと人の為に力を使うなんて考えられないって人ばっかりなんです」
天香は黙っていた。
「私、この力を世間の人々の為に使いたいんです。誰にでも分け隔て無く……。だから、別に警察に入ってもいいんじゃないかって思うんです。人を救うのに、和人もやまと人も無いですよね。例え、政府が私達和人を敵視しても、やまと人全員がそういう訳じゃないですよね。私はそう思うんです」
鈴は、天香の顔を見詰めた。
「……私、間違っているでしょうか」
「……」
天香は、寂し気に鈴の顔を見た。
和人は、やまと人を敵視している。
その歴史は、深く長い。
◇
太古の人間は、誰しもが大地の鼓動を感じ、樹々と語り、霊と交流を持っていた。
彼らは皆、現代人とは比較にならない程、豊富な霊気を持ち、霊の存在を身近に感じていた。
大陸の外れにある、この小さな島々に移り住んだ人々も、その力を代々伝えながら、緑豊かな自然に囲まれて穏やかに生きて来た。
そんな彼らは、『わ人』と呼ばれていた。
その和人の安穏な生活もやがて終わりを迎える。
風にそよぐ草花や野を駆け回る生き物達を、同じ命と見做していた古代人から数えて数十世代後、新しくこの島に移り住んで来たのが、後にやまと人と呼ばれる人々である。
大地を削り、木々を切り倒し、欺瞞に満ちた教えの下に生きる人々は、和人の生活圏をあっという間に奪い取っていった。
最先端の技術である青銅器や鉄器を武器にし、大陸の兵法を駆使して攻めて来るやまと人の前に、和人は背中を見せる事しか出来無かった。
後に和人のほとんどは、生活圏を重ねたり、婚姻で結ばれたりしたやまと人に取り込まれていったが、それでもなお抵抗を続ける一部の和人達は、やまと人との接触を避ける為に、奥深い山々に隠れ住む事になった。
しかし、やまと人が支配する国家権力は、そのわずかな和人の住処さえも蹂躙しようとして来る。
やまと人は、不思議な技を使う霊師の力を利用しようとした。
これまで数々の権力者が恐喝し、誘惑し、それでも駄目なら怪しげな技を使う和人達を排除しようとして来た。
現在、全国に点在している和人達は、そんな権力を前に苦難の歴史を背負って来た人々の末裔なのである。
◇
天香は、鈴をじっと見詰めた。
確かにそれは仕方無い事なのかもしれない。
これまでの和人が置かれて来た厳しい状況は、やまと人の圧力によってもたらされている事は確かだ。
その歴史が深く沈殿してしまっている為、やまと人に対する拒否反応は強い。
和人なら、やまと人に利する行為をしてはならないと公言する者は多いのだ。
霊師の仕事中に得たやまと人の秘密を和人に流したり、除霊の依頼で、和人の得にならないような依頼者は断ったり、中には、やまと人の権力者に対して、悪霊を送り込むような事をする霊師までいると耳にする。
天香にとっては、信じられない事だが。
霊師は、ひとりでは活動出来無い。
霊師の仕事に必要な道具類や様々な情報は、全国の和人のネットワークから得ている。
もし、和人の仲間から見放されてしまったら、霊師としてだけじゃなく和人として生きていくのさえ難しい。
だから、鈴と同じような考えを持っている者でも、あからさまに和人の意向に反する事をする者はほとんどいない。
しかし、天香は、鈴がその思いに傾いてくれている事を嬉しく思っている。
分け隔て無く、人助けをする事に間違いは無い。
鈴は、純粋に霊師の力に憧れを持ち、誰でも平等に救いたいという思いでいる。
その思いが強過ぎる為に、和人の人々の考えと自分の考えの間で深く悩んでしまっているのだ。
「いがみ合ってばかりじゃ、私達和人は数も少ないから、どうやったってその内に滅んでいくと私は思うんです。それより、和人とやまと人がお互いをパートナーとして共存する関係を作っていけないかなって思うんです」
鈴は鈴で、和人の世界とやまと人の世界を真剣に考えている。
「そうね。鈴ちゃんみたいな人達がこれから中心になっていけば、自ずから変わっていくと思うわ。私は、鈴ちゃんが求めている道は間違って無いと思ってる。だから、諦めずに頑張っていけばいいんじゃない」
天香がそう言うと、鈴が少し笑顔に戻った。
「そうですよね、そうですよね。これから変えていけばいいんですよね」
天香も笑顔を返した。
鈴には信じる道を進んで欲しい。
自分だってそうなのだから。
全てを捨ててここにいるから。
それが、本人が出した答えなら、悔いは無い筈だ。
誰にも、後悔だけはして欲しくない。
長野の実家から思いがけない知らせ。
天香は居ても立っても居られず、駅に足を向ける。
次回。『道しるべ』
どうぞご期待下さい。