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スサノオの剣  作者: はかはか
第2夜 溝
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溝 その1

 少し曇り空。

 テレビでは、午前中に雨の可能性が有る、と言っている。

 午後から晴れるようだ。折り畳み傘だけバッグに入れる。


 朝七時。天香は、大学に行く準備をしていた。


 ちょっと体が重い。


 霊気は、互いに影響を与え易い。

 陽気な人間の霊気を感じたら、こっちも気分が高揚するし、怒りや不安を感じたら逆にイライラしてしまう。


 アルバイトに行くと、さすがに悪い霊気の影響で、次の日は大体自分の霊気に乱れが生じてしまう。

 体内に霊気の淀みが出来るのだ。


 霊気の淀みが生じると、淀みに溜まった霊気が汚れて来る。

 霊気は、体内を循環する事で新鮮さを保つ事が出来るが、霊気の汚れは、体調の悪化、精神的疲労に繋がってしまう。


 出掛ける準備を済ませると、天香は、ピンクのカーペットに胡坐をかいて座り込み、目を閉じて両手を組み合わせた。


 腹の下の一点に意識を集中させて全身の霊気を集める。

 頭から手先足先から、徐々に霊気が体の内部に凝縮されていく。


 頭や手足から感覚が無くなっていくくらい、体の中にある霊気を集めて圧縮させていくのだ。

 すると、全身の霊気の流れがほとんど止まり、霊気の淀みからも溜まった霊気が取り除かれる。


 そこで、集めた霊気を解放すると、一気に全身に流れ始め、大きな奔流が体の隅々まで行き渡った。

 体の所々に最後まで残っていたわずかな淀みもその勢いで流れ去り、霊気の循環が復活した。

 こうして天香が再び目を開けた時には、霊気は元の循環を取り戻し、体の調子はしっかりと回復していた。


 天香は、「ふう」と深呼吸をすると、カバンを持って元気良く部屋を出て行った。



 この街に住み始めてから霊気に乱れが生じる事が多くなった。


 高校生の頃は、寮生活で学校の外に出る事が少なかった為、まだマシだった。

 なぜなら、浄御原高校は、霊から生徒を守る為に敷地が厳重に清められていた為だ。


 しかし、卒業してひとり暮らしを始めると、街の中で自分の霊気を保つ事に支障を来たす場面が出て来た。


 この街には霊気に満ち溢れた緑が少ない。

 緑自体は、大都市にしては少なく無いのだが、人工的に作られている為、どれも生気乏しいのだ。


 さらに、そこかしこに欲望剥き出しの霊気を発散させる人々がいて不快な思いをする。


 覚悟を持って住み始めたつもりだったが、今更ながら、自分自身がこの街を受け入れる事が出来無いと痛切に感じる。

 やっぱり、自分は普通に生活できないのか、天香は最近そんな思いに囚われてしまっていた。



 大学前の駅で下車。


 駅前からの真っ直ぐな大学通りは、当たり前だが学生達の姿で一杯だ。


 何を話しているのかテンション上がりまくりの女子大生達。

 よく歩けるものだと感心してしまう程、携帯電話の画面に集中している眼鏡の男性。

 歩行者をスレスレですり抜けて行く自転車。

 少数派の地元住人……。


 通りの店先に目を向ける。

 授業までの時間潰しをする学生で一杯のゲームセンター。

 準備中の看板が出ている和食屋。

 女性限定ワンルームマンション。

 中古CDショップ。

 屋台のクレープ屋。

 コテージ風の人気カフェテリア。

 牛丼屋。

 ラーメン屋。

 本屋……。


 そのありきたりな景色の向こうに、赤レンガ造りの巨大な西門がそびえ立っている。

 そこが、天香が通う大学だ。


 天香は、会話に夢中のカップルを追い抜きながら守衛が立つ西門を潜り抜けた。


 西門を抜けた構内は、芝生で敷き詰められた広い中庭を囲むように、三つの学部棟で構成されている。


 中庭では、いくつかのテーブルとベンチが備えられていて、時間の空いた学生が芝生で楽しむ事が出来るようになっている。


 天香は、中庭を回り込んで本館に向かって歩いた。

 背の高い時計塔を擁し、教室の他、職員室や図書室、学務部が入っている建物である。


 柔らかな芝生から弱い霊気が舞い上がり、天香の鼻をくすぐる。

 少ないながらも植えられている木々から微かに霊気が漂い落ちて来る。


 人間に管理された植物達の乏しく弱々しい呼吸。

 自分の霊気を満たすには不十分過ぎるが、何となく霊気を浴びている『雰囲気』は感じる事が出来る。


 本館に辿り着く前に、自分の名前を呼ぶ声が天香の耳に届いた。


 目を向けると、芝生に設けられた木製のテーブルから手を振る女性がいた。


「天香。おはよう」

 同じ学科の三木英奈みき えいなだ。

 丸みを帯びた顔にショートヘアがよく似合う。


 気が強く、誰にでもはっきりと物を言う性格で、天香とは入学式直後の学部説明会の時に、隣の席になった縁で仲良くなった。

 というか、弱気な天香は、強引な英奈に引き込まれてしまったという所だ。

 かと言って、人を不快にさせるような事は無い。

 性格がさっぱりとしていて、余計な勘繰りをしなくていい為、付き合い易い。

 そこが、繊細な天香とバランスが取れているのかもしれない。

 高校時代には空手を習っていて、大学では合気道部に入るという武道好き。


 テーブルには、木製のベンチがふたつある。

 ひとつには英奈が座って、隣に彼氏である同学年の鶴柴富一つるしば とみかずが当然のように収まっていた。


 その富一が満面の笑みで笑いかけると、天香は一瞬身構えてしまった。


 富一は、サッカー部に所属している。

 高校では全国大会にも出場した事ある実力者だ。

 そのせいか、少々自信過剰気味で、英奈以上に強引な所があり世話好きな性格を持っている。


 特に、大人しい天香には、『もっと友人を増やした方が良い』とか『毎週、英奈とフットサルをしているから一緒にしよう』とか、困惑する程何かにつけて誘って来る。

 さすがに、英奈は天香の性格を知っている為、富一に注意してくれるが、簡単に耳を貸す男でも無い。


 天香は、こんなに圧迫感のある人間がいるのか、と思った。

 その為、あまり人嫌いにならない天香でも、富一にだけは危険なフラグを立てている。

 最近では、いちいち誘いを断るのに疲れてしまい、富一の姿を目にする度に警戒するようになっていた。


 そのふたりの向かいにはもうひとつベンチがある。

 天香がそこに向かおうとすると、そのベンチにも男がひとり座っているのが目に入った。


 天香が思わず英奈を見ると、英奈は訳有りの顔をしていた。

 またか、と思わずにいられない。


「天香、紹介するよ。同じサッカー部の山藤蹴太やまふじ しゅうただ」と、富一が紹介した。

「俺達と同じ二年生なんだ」


 富一が馴れ馴れしく天香と呼び始めたのは、英奈が天香に富一を紹介した次の日からだった事を覚えている。


「おはよう」

 片手を上げて、天香に笑いかけたのは、さわやかな笑顔が似合う面長で細身の男だった。

 服装も髪型も雑誌に出てきそうな流行の格好をしている。

 つまり、モテたい感が前面に押し出されている男だった。


 天香は、一応笑顔で頭を下げたが、少々頬が引きつっていたかもしれない。


「天香、そこに座って」

 もちろん、英奈が指差したのは、その男の隣だった。


 とりあえず、この状況では座らないといけないわね、と思いながら、天香は出来るだけ蹴太から離れてベンチの端に座った。

 


「蹴太はね。入学式の日に、私と天香が芝生にいた所を見て、天香がかわいいって思ったんだって」

 授業が始まる二分前。

 天香と英奈は、教室で並んで座っていた。

 英奈がいかにも楽しそうに話している。


 さっきの蹴太が、サッカー部では有望な選手だという事。

 実家は神奈川にあり、父親が銀行の支店長だという事。

 入学してすぐに付き合った彼女とは、一ヶ月前に別れたという事。

 犬好きだという事。

 これらは、芝生で聞いた。


 会って五分で前カノの事が話題に出て来た事に、目を丸くしたのは天香だけだった。


「でも、私を気に入ったのに、他の人と付き合ったんでしょ」


「そりゃあ、私達とは学部が違って、あまり会う機会が無いから、同じ学部の子と付き合うのは仕方無いじゃない」

 英奈は、全く問題にしていない。


 仕方無い……。

 田舎育ちだからなのか、天香には納得出来無い流れだ。

 遠くの一流店よりも、近くのコンビニが楽だという感覚なのか。

 街の人間の感覚がよく分からない。

 別に自分が一流店だという事では無いが……。


 授業開始一分前。

「どうだった。ハンサムだったでしょ。優しそうだし」

 英奈が畳み掛けるように言う。


「でも、優しい人がそんな短期間で別れるかな」

 天香は、もう一度蒸し返した。


「そりゃあ、相手が悪かったんでしょ」

 英奈の顔がすぐ側まで近付いて来た。

「良い人じゃない。付き合ったらどう」


 英奈も富一も答えを急ぎ過ぎる。

 似た者同士という事か。


「いや。まだ会ったばかりだし……」

 正直、きっぱりと断りたいが、天香にはそれが出来無い。


「私ね。トミと天香と天香の彼氏と四人で旅行したいなあって思っているの。でも、その辺りにいる普通の男じゃ天香と釣り合わないから、トミにも協力してもらって探したのが蹴太なの。私、天香と蹴太ならうまくいくと思う。だから、今度四人で飲みに行こうよ」


 すぐに妄想がかって来るのは英奈の悪い癖だ。

 自分の希望は、何でも上手く行くと思い込みがち。

 それに振り回される方はたまったものではない。


 天香は、どう言って断ろうか考えていた。


 そこで、教師が教室に入って来た為、会話は自然に中断した。


 天香は、もやもやしたものを胸に感じながら教科書を開く。

 ずいぶん簡単に言うけど、英奈はどんな感じで鶴柴君と付き合ったのかしら、と思わざるを得ない。

 付き合う事って、そんなに軽いものだろうか。


 それに、天香自身は、そういう幸せを望んでいる訳では無かった。



 長野県の山あいに小さな集落がある。


 時代の荒波や国家の騒乱や世の中の流行とは無縁の時の流れに生きて来た場所だった。


 そこには、車かバスでしか行けない。

 いくつもの山を越えた先にある、陸の孤島と呼ぶに相応しい所だ。


 そこは、言わば『和人の町』。


 古代より連綿と和人の人々が生活し、時の権力者の横暴も、国家の圧力も頑なに拒み続けてきた。


 天香は、その集落で霊師一族の一員として生まれた。

 幼い頃より、豊かな森で豊潤な霊気を浴び、霊を身近に感じ、何の疑問も無く霊師の教えを身に付けながら成長した。


 周囲からは、その霊力の強さを注目され、将来を嘱望されて来た。

 自分も、行く行くは村を導く霊師になるんだろうな、と信じ切っていた子供時代だった。



 授業が終わると、英奈は早速蹴太の話を再開し始めた。

 しかし、二時間目の授業は英奈とは違う教室だった為、天香は英奈の攻撃を軽くかわして、別々に別れる事が出来た。



 二時間目の授業が終了すると、天香はひとり中庭の芝生の上で座り込んだ。

 この後は、午後からの授業がひとつある。


 芝生のチクチクとした葉を撫でる。

 かすかに流れて来る風に耳を寄せる。


 長野の実家では、風に乗った霊気が何でも教えてくれた。

 気候の変化が霊気の質や量を変え、人間の体にも影響を与えるという事。

 霊達も、霊力や周囲の霊気の濃淡によって行動力や活動範囲が変わる事。

 自然の樹々から降り注ぐ濃い霊気は、体に吸収され易く、通常の霊気よりも疲労回復に優れ、より霊力を活性化させてくれる事。


 それに対して、この街では霊気が余りにも薄過ぎる。

 ここでは、霊気を補充する機会が少ない。

 この街にいると次第に霊力が衰えていき、自分が丸裸にされそうな感じがする。


 このまま住み続けていくと、この状態に体が慣れてくるのだろうか。

 他者の霊気を感じ取る事も無くなっていき、霊の存在を感じなくなってしまうのだろうか。


「やあ、授業は終わったのかい」

 後ろから声をかけられた天香は、体を震わせて驚いた。


 振り返ると蹴太が腰をかがめて天香を見ていた。


 天香は、蹴太の言葉に答えずきょろきょろと周りを見た。

 すると、本館の下で英奈と富一がこっちを見ていた。


「横、座っていいかい」

 言うなり、蹴太は天香のすぐ隣で胡坐をかいた。


「あ、今からお昼に行こうと思って……」

 荷物を両手で抱え込む。

 何とか蹴太から離れたい天香は必死だった。


「あ、丁度いいね。俺も腹減ってるんだ。一緒に食堂行こうか」

 蹴太は、簡単に切り返す。


「授業は、大丈夫なの」

 天香は、離れる理由を探そうと必死で頭を働かせる。


「もう、今日は授業無いんだ。古京さんも、この後授業が無いなら、どっか学校の外で食べようか。おれ、良い店知ってるよ」


 いやいや、それは御免蒙ごめんこうむりたい。

 天香は、努めて目を合わさないようにする。

「私は、午後から授業あるから……」


「そうか。じゃあ、やっぱり食堂行こうよ。早く行かないと、人で一杯になるよ」


 どうやら、逃げ道は無いらしい。

「ちょっとごめんね」

 天香は立ち上がり、携帯電話を手にすると、蹴太から少し離れて電話をかけ始めた。


 二回目の呼び出し音で電話に出た。

『もしもし、どうしたの』

 元気一杯の英奈の声が耳に入る。


「分かるでしょ。これから食堂行くからこっちに来て」


『いいじゃん。ふたりで食べちゃえば。これから私達がそっちに行っても蹴太が気を悪くするんじゃない』


「そんなのいいから、お願い」

 天香は、声を絞り出すように言った。


『天香がね……』

 しばらく、英奈は電話の向こうで富一と話していた。


 お願い、お願い、お願い。

 天香は、必死で祈った。


『分かった。それじゃ、そこで待ってて』

 英奈は、弾むような声で答えた。


 その言葉を待っていた。

 天香は一気に安堵して、深く溜め息をついた。



 電話を切ると、英奈は富一に苦笑した。

「やっぱりって、感じ」

 英奈は、芝生の上で微妙な距離を空けているふたりを見る。


「仕方無いさ。男と付き合った事も無いんだろ」

 富一が笑いながら言う。


「うん。そうみたい」

 英奈は、言いながら本館から中庭に歩き出していた。


「じゃあ、今頃会話も無いかもしれないなあ」

 富一も後から続く。


「そしたら、蹴太も困ってるかもね。早く行かなくちゃ」

 英奈は、楽し気に富一の手を引っ張った。

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