事件の夜 その1
神代の頃に遡る。
天地初めて発くる後、別天つ神を経て、神世七代の最後に姿を現したイザナキとイザナミの二神が力を合わせて、大倭豊秋津嶋を始めとして八つの島を生んだ。
この事は、後世では、『国生み(くにうみ)』として知られている。
その後、イザナキとイザナミは、他の島々や神々を生んだ後、最後にイザナキの禊により、三柱の貴き神を生んだ。
アマテラスとツクヨミとスサノオである。
イザナキにより、アマテラスは天上界を、ツクヨミは夜の世界を、スサノオは海の世界を治めるように命じられたのであるが、スサノオだけ納得がいかず言いつけに従わなかった。
命令を聞かなかったスサノオは、天上界の高天原を混乱に陥れてしまった為に、罰として地上界である葦原中国に追放される事になる。
地上に落とされたスサノオは、その後、出雲の国で人々を困らせていた八岐大蛇を退治し、その縁でクシナダ姫と結ばれ出雲に住み着いた。
やがて、このスサノオの子孫にオオクニヌシという実力者が出現し、出雲を中心に島々を支配していく事になる。
このオオクニヌシと同じく地上界で生まれた神々を『国つ神』と言う。
対して、高天原を支配する神々を『天つ神』と言った。
後に高天原の神々は、地上界を支配しようと考える。
アマテラスの孫であるニニギノミコトを地上界に降臨させて、オオクニヌシに葦原中国を差し出すように伝える。
世に言う『国譲り』の段が始まる。
オオクニヌシは、戦う事を避けて高天原の意向に従う事にしたが、息子のタケミナカタは、それに納得せずに最後まで抵抗する。
しかし、高天原が送ったタケミカヅチに負けて、各地を転々とし、シナノのスワの海まで追い詰められた。
奮戦空しく、タケミナカタはスワの地で服従を誓う。
こうして、高天原の天つ神は、地上界葦原中国を治め、国譲りが完成する。
以後、この国はアマテラスの子孫が代々支配する事になった。
これが『天孫降臨神話』である。
◇
真木村。古京家。
数日前、孫娘が夜中に帰って来た時、松は、長老会の定例会に出ていた。
なかなか意見がまとまらない話し合いで疲れた体を引きずって帰ると、玄関前にひとりの若い女性が立っていた。
薄暗がりで顔がよく見えなかったが、霊気の感じから、天香だという事はすぐに分かった。
松が家の門をくぐると、顔色の優れない天香が力無く頭を下げた。
近付いてみると、荷物はショルダーバッグひとつだけの軽装だった。
家の鍵は持っている筈なのに、どうして中に入らないのだろう。
それにしても、天香の霊気は、極端に動きが低下している。
すっかり縮こまってしまい、まるで、怯えた猫のようだった。
「どうしたんだい」
松は、優しく声をかけた。
天香は、ただ黙っていた。
◇
あれから、天香は沈み込んだままだ。
食事の時以外は部屋に閉じ籠っている。
その食事にしても、寝間着を着たまま下りて来て、ご飯にほとんど手を付ける事無く、落ち込んだ表情で押し黙ったままだった。
そんな天香を、松は、特に問い質す事も無く好きにさせていた。
この家に帰って来たという事は、どこよりもここが居心地が良いという証なのだろう。
そのうち気持ちが落ち着けば、自分から言いたくなって来る。
真木村の山々や森が、次第に天香の心を和ましてくれるだろう。
昨日、天香は朝早くから出掛けていた。
松は、天香の好きなようにさせていたが、夕方に敷雄が訪ねて来て、天香を見かけた事を話した。
「天香ちゃんが日見野の家の前でじっと立っていたんですよ……」
それを聞いて、松は深い溜め息をついた。
いつか、この日は来るだろうと予想していたが……。
いつまでも気付かないで欲しいとも思っていた。
天香の為には、どっちが良かったのだろう。
松は、朝からひとりで庭の手入れをしていた。
もう村では秋も深まり、山々が紅葉で鮮やかに彩られ始めている。
落ち葉を集め、庭木の手入れをして、家の周囲の道も箒で掃いていく。
散歩をしている知り合いや出勤途中の人と挨拶を交わして、少し話をする。
松が箒を持って戻って来ると、縁側に天香が座っていた。
朝から姿を現すのは初めてだ。
天香は、朝日を浴びながら、焦点の合わない目をしている。
松は箒を片付けるために天香の前を通り過ぎた。
庭の片隅にある物置から戻って来ると、天香が松をじっと見ているのに気付いた。
深く澄んだ瞳だが、寂しげな雰囲気をたたえている。
松は、ゆっくりと天香に近付くと、おもむろに隣に腰かけた。
青い空に白い雲が点々と浮かび、雀が屋根の上でさえずっている。
冷たい風が肌を通り過ぎ、座っているだけでも気持ちのいい朝だった。
天香がようやく身じろぎして口を開けた。
「……お婆ちゃん。聞きたい事があるの」
松は、敢えて天香に顔を向けなかった。
「……いいよ。何でもお聞き」
しかし、天香は、しばらく黙ったまま、なかなか口を開かなかった。
ふと、松が天香の横顔を見ると、天香は顔をしかめていた。
「どうしたんだい。そんな顔して……」
松は、出来るだけ穏やかに言った。
少し目を細めた天香は、一度深呼吸をすると、ようやく消え入りそうな声で松に聞いた。
「……私が小さい時、この部屋で寝込んでいる間、何があったのかな」
それを聞いて、松は視線を落とした。
「……覚えていたんだね。あの時の事」
「いいえ。覚えているのは、布団の中から庭を見ていた事だけなの。小さな池と石灯籠があって……」
天香は、言い終わり、ゆっくりと庭を見渡した。
この家の庭には、池も石灯籠も無い。
松は、おもむろに顔を上げた。
「本当なら、三鳥の役目だったんだけどねえ。もし、何かあったら、自分から話すから、と言っていたんだよ……」
松は天香を見た。
その瞳は、不安と脅えで一杯になっている。
松は、天香の視線をしっかりと受け止めた。
「これはね。私もその場にいたわけではないから、正確とは言えないかもしれないけど……、心して聞いておくれ」
天香は、真剣な面持ちで松の言葉に耳を傾けた。
「雄塚は……、天香のお父さんは、剣の腕では三鳥に敵わなかったけど、霊師の知識では負けてなかったね。全国の古文書を調査して、昔の霊師の技を現代に蘇らせようと夢中になっていたんだよ」
それは、天香も小さい頃から聞いていた。
松には、三人の息子がいた。
長男が雄塚、次男が三鳥、三男が赤猪である。
霊師の実力としては、三鳥が一番だった。
優秀な霊剣術の腕前にしか与えられない一の剣の霊師だった上に、修業も兼ねて全国を回る事で知識、経験も豊富に身に付けていた。
雄塚も優秀な霊師ではあったが、剣は苦手な所があり、それよりも霊師の知識や歴史に興味を持つ男だった。
「もうひとりのお前の伯父の赤猪は、そんな雄塚の手伝いをよくしていたね。赤猪は、大人しい子でね。周囲にあまり心を開かないような子だったんだよ。雄塚と同じように剣術は苦手だったね。そのせいもあってか、雄塚が調べていた昔の霊師の技には興味を持ってね。赤猪も暇さえあれば古文書を読んでばかりだったんだよ」
天香は、赤猪の事を覚えていない。父の雄塚が亡くなった頃から、村からいなくなったと聞いている。
「雄塚と赤猪は、よく霊師の技や歴史について語り合っていてね。特に赤猪の知識は、葛城の専門家も認める程だったんだよ」
「赤猪伯父さんって、そんなにすごい人だったの」
「いやいや、すごく無いよ。余計な知識を蓄えてばかりで、本当に霊師として必要な技術には見向きもしないでね」
そういえば、天香が物心ついた時から、松が赤猪の事を良く言っているのを聞いた事が無かった。
「雄塚もそうさ。結婚しても古文書漁りに飛び回ってね。天香が生まれても、自分の事ばかりだったんだよ」
天香が生まれて、すぐに母が亡くなった時もそうだったと聞いている。
雄塚は、天香の母の葬式が終わるとすぐに東北の神社に向かったそうだ。
さすがに妻を亡くしてすぐのその行動に難色を示した村人からも何度も忠告を受けていたらしい。
でも、雄塚は変わる事が無かった。
「天香は、『十種神宝御法』を知っているね」
天香は、軽く頷いた。
「これは、物部氏から受け継いで、私達に伝わっていた秘法だけど、あのふたりは、その技の復活に熱心でね。私は、そんな事をしているとは知らなくてね……」
「でも、あれは単なる伝説だったんじゃないの」
天香は、松を見た。
松は、呟くように言った。
「……その技が全ての始まりだったんだよ」
「実現させたっていう事なの」
天香は驚いた。まさか。
松が深く頷く。
「そうみたいでね……」
「お婆ちゃんは、見てないの」
「実際に現場にいた訳じゃ無いからね」
「でも、どうしてお父さんと赤猪伯父さんがそんな技を知る事が出来たの」
十種神宝御法は、今や滅びた技だとされているし、実際に存在した技なのか疑問視する者も多い。
霊師の本家本元を自認する葛城はもちろんの事、技を伝えて来た筈のこの村でも途絶えてしまったと言われている伝説の技だ。
「いつかは分からないけど、ある時、村の神社の古文書を調べていた赤猪が秘法についての文書を見つけたんだよ」
「神社に……」
この真木村は、確かに古代出雲の王族の子孫が移り住んだ地だと言われている。
古の大技を守り伝えて来て、その中に十種神宝御法もあったと聞く。
ただ、天香自身は、眉唾ものの話だと思って来た。
古京家自体がその王族の末裔であるのに、そういう技の話を全く聞いて来なかった為だ。
「ほんとにあったなんて……」




