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スサノオの剣  作者: はかはか
第1夜 闇の住人
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闇の住人 その1

 ビル壁に切り取られた青空には、見上げる人々を奮い立たせる神通力さえも残っていない。

 元々、見上げる余裕も無いのだが……。


 コンクリートの谷底では、早朝から深夜まで、力無い足音を響かせながら愚鈍な人間達が休み無くうごめいている。

 『ポジティブ』という言葉に踊らされて、無理に気力を吐き出す事を良しとする悲しい生き物。

 人生のほとんどを見えないレールに縛られながら、進路という定められたレールに乗る人生に嫌悪感を示し、そのレールを外れる人生に憧れながらも、実際はレールを外れてしまう事に恐懼する有機体。


 ここは、他者を追い落とし、己の生き甲斐に目の色を変える者達が住む背徳と汚濁の街。

 この島を支配する暗黒の巨大都市。


 かつては、広大な葦の湿原に覆われていた無人の沃野も、今では無機質の分厚い殻に覆われ、樹々と生き物達の死臭を漂わせていた。



 その死色のもやの中、甲高い音を響かせて、緑色の車体が右に左によろめきながら、とある駅のプラットホームに吸い込まれていった。

 車内では、無表情の皮をかぶり、この世を生き延びる事だけを考え、他者への思いやりをとっくの昔に手放した大人達が漂わせる鈍重な雰囲気が毒ガスのように沈殿している。

 そんな人間達の心にし掛かる重みに耐えながら、電車は重々しくブレーキ音を響かせてゆっくりと止まった。

 ドアが開け放たれると、まるで吐き出すかのように、乗客が一斉にこぼれ出た。


 ここは、乗客数の多さでは有名な路線沿いにある駅。

 特に名所も無く、話題も無い街に建てられたこの駅。

 仮にとうみや駅としておこう。


 駅舎が数十年建て替えられていない為、所々壁面にヒビが入ったり、塗装がはげ落ちたりしている。

 プラットホームでは、エレベーターの改修工事が行われていて、いつも混雑する階段がさらに暑苦しい。


 駅の南側には、都バスが二台停まるのがやっとという程度のロータリーがあり、その周辺には最高五、六階程度の商業ビルが立ち並ぶ。

 オフィス街といった感じでは無く、飲食店やサービス店も入っている言わば雑居ビルが大半を占めている。


 駅前を通る幹線道路は、片側一車線でお世辞にも広い道とは言えない。

 夕方になると、会社に戻る車や帰宅する車でそれなりの渋滞を引き起こしている。


 一転して、駅の北側は、小高い丘に向かってなだらかな斜面を形成している。

 南側とは違って住宅開発が進んだ一帯である。

 高級住宅地という程では無く、中間所得層のサラリーマン家庭がほとんどを占め、防犯対策に不安を感じさせる昭和の家よりも最新の気密性の高い家が多い。


 その住宅街に吸い込まれるように、駅前の噴水広場から真北に向かって、アーケードを乗せた清潔感のある商店街が延びている。

 この商店街は、近くに大型スーパーといったものが無い為に、それなりに活況を呈していた。

 住宅街には若い世代も多く、その住人が商店街に吸い寄せられている為、子連れの買い物客も頻繁に通りを行き交っている。



 古京天香ふるきょう てんかは、この町に住んでいた。

 都内の大学に通って今年で二年目になる。


 困り顔で引っ込み思案な女の子。

 内向的な性格で、いつも内に籠っている。

 人付き合いは良い方では無いが、気を許した相手は全面的に信頼する。

 背中まで伸ばした黒髪と細身の体型で男性受けは良いが、控えめな性格の為、大学では目立たずに過ごしている。


 まだ残暑が続き、歩いているだけでも汗が吹き出てくる九月初旬の夕方。

 今日は、授業が四時に終わって、五時過ぎには駅に戻って来た。

 ただ、アルバイトに行かなければならない為、早めに晩御飯を食べ、すぐに準備をしないといけない。


 天香が住んでいるアパートは、住宅街の中にある。

 駅を出て商店街を通り、途中のパン屋で道を左に曲がった先にある築十年の三階建て。


 表向きは端正な雰囲気があるが、入口がオートロックで無いのが気になる所だった。

 しかも、外廊下で、部屋の出入りが外から見えてしまう為、多少安全面に不安を感じてしまう。

 何よりも怖いのは生身の人間だ。

 現代社会は、人に囲まれて生活をするというリスクに目を逸らし過ぎている。

 下手したら、野生の密林でテントを張る以上に危険かもしれないのだ。

 それだけ、女性に対する男の視線は、ねっとりと絡み付いて離れ難い。

 それを肌で感じる天香としては、最近増えている女性用マンションか、せめてオートロック付きのマンションが良かったのだが、家賃が高くて手が出せなかったのだ。

 アパートの前には、車が五台置ける駐車場がある。

 五台全てが軽自動車というのも、今を象徴している。

 その横の駐輪場には、許容量以上の自転車が乱雑に置かれていた。

 はみ出した自転車が入口を塞ぎがちになっている為、いつもハンドルに引っかからないように注意しないといけない。


 天香は、アパートの階段を上がり、自分の部屋に向かった。

 周囲に怪しい人間がいないか確認してから、二階の二〇二号室のドアを開けて中に入る。

 ドアは、軽くきしむ音を響かせながら開いて、閉まった。


 ドアのポストを確認して、薄暗い部屋に上がる。

 汗ばむ服を着替えて、昨日の残りで晩ご飯を済ませる。

 食器を片付けると、鏡の前に座り化粧直しをする。


 今日も一日の疲れが溜まり、体内のあちこちで不調を感じる。

 皮膚の下を流れる霊気が逐一教えてくれるのだ。


 ひと通り準備を終えると、天香は姿勢を正し、ゆっくりと目を閉じた。

 呼吸を整え、心の乱れを鎮める。

 これから大事な仕事をするのだ。手抜かりは許されない。


 心の底に、どんよりとした重しが居座っている。

 天香は、ゆっくりと深呼吸をして、ひと息毎に気の汚れを解いていった。

 僅かなほころびがミスを招きかねない。

 慎重にも慎重を重ねて、重しを解きほどいていく。

 天香が再び目を開け鏡を見ると、そこに映る自分の顔付きが幾分変わっているのが見て取れた。

「ふう」

 大きく深呼吸をした天香は、二、三度身震いさせると、両手を握り締めて気合いを入れ直した。


 仕事道具が入ったバッグを肩に下げる。

 バッグは、商店街で買った革製の安物。

 ブランド物には興味を持っていない為、身の回りのものは普段から近くの店の安物で済ませる事が多い。


 アパートを出発して、再び商店街に向かう。

 パン屋の角を曲がり、駅の方向へ。

 このパン屋は、美味しいと評判の店だ。

 特にクロワッサンが有名で、天香もよく利用している。


 ここで、肌にわずかな圧迫感を感じる。

 足元から湧き上がる淀んだ霊気。


 天香の視線がパン屋から、その隣の小さな地蔵にスライドした。


 パン屋と隣の電気店の間には、古い石造りの地蔵がある。

 長年の風雪に耐えて来たのか、角は丸く削られ、地蔵の顔も凹凸がある程度にしか判別出来ない程、痛みが激しい。

 地域の信仰を集めているのか、わざわざ地蔵の為に一角が設けられ、お供えの花が欠いた事が無い。


 天香は、この地蔵の足元に寄りかかっている小さな影を横目で見ながら足早に通り過ぎた。

 こんにちは、おチビさん。

 天香は、目元を緩めて、その影に心で語りかけた。


 地蔵に寄りかかるように、白い影がある事は天香しか知らない。

 その影は、地蔵から離れる事は無く、商店街の通りを過ぎる人々を『眺めている』。


 その影とは、死者がこの世に残した負の感情が、この世に留まり彷徨さまよう姿。

 つまり、『霊』である。


 この霊は、憎悪を帯びている訳では無く、ただ寂しそうな気配を漂わしてうずくまっている。

 負の感情を身にまといながら、その思いを発散出来ずに所在無げに『いる』といった感じだ。

 周囲に対して極度の緊張感を持っている為、生前、好ましく無い扱いをされていたのかもしれない。

 霊としては弱く、誰かを襲うというものでは無かった。


 ただし、だからと言って安心出来るものでも無い。

 霊が放出する負の感情が商店街を通る人々に悪影響を与える事も有り得る。

 健康的な生活を送ったり、心配事の少ない人は、そんなに影響が及ばないだろうが、体力が低下していたり、精神的に弱っている人には大なり小なりダメージを及ぼしかねない。

 だから、天香なりに、ここを通る度に霊の様子を確認する事にしているのだ。

 もし、この霊が人間に影響を与えかねない時には、取り除かなければならない。


 天香は、その霊の様子を感じつつ、魚屋の威勢の良い呼び声を耳にしながら、足を緩めずに駅に向かった。


 さらに足を進めると、商店街の入口にも一体の霊がいるのが見えて来た。

 こちらは、先程の地蔵の霊とは違い、深い憤りに満ち溢れている。


 数年前に飲酒運転の車が暴走した事件があったと聞く。

 その時に犠牲者が出たというから、その霊が道路脇に残っているのだろう。


 今はまだ夕方だが、夜になると活発に駅前をうろつき回っているのを何回か目撃した事がある。

 感情が色濃い霊は、行動範囲が広く、人間の生活圏と重なる部分が出て来る事が多い。

 そうなると、何の防ぐべき手段を持たない人々は、霊の悪意をまともに食らいかねない。

 この霊の場合、下手したら生きている人間に嫉妬して、その人間に取り憑きかねないのだ。

 自分の目の前で、そういう事を起こさせる訳にはいかない。

 天香は、なるべく早い内にこの霊を何とかしようと考えていた。


 周囲の買い物客は、そんな霊がいるとは知らずに、すぐ側を通り抜けて行く。

 もし、この事実を知ってしまったら、みんなどうなるだろうか……。


 この世界には、霊と呼ばれるモノが実際に存在し、そのモノに対して、自分達がいかに無防備であるのかを知ってしまったら……。


 こうして、天香は、街を徘徊している霊達の息吹を感じながら生活をしている。

 誰も知らない世界の住人を感じる毎日。

 これが、天香の日常なのだ。

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