狼の夢
走っていた車の速度がゆっくりと落ちていく。男たちを警戒しながら窓の外を見ると、見たこともない風景が広がっていた。車に乗っていた時間を時計の文字盤から計算するとおよそ一時間ほど走っていたことになる。旅館から遠い所のようだ。
「さて、降りてもらおうかな。その気絶している兄ちゃんをこっちへ」
車が止まり男が西森に話しかけてきた。杉崎は体格がいい。気を失っている男の体を持ち上げるにはそれなりの腕力がいる。西森には到底無理だが、杉崎から離れたくない。必死に首を左右に振った。どうしたものかと男たちは話している。速水からもらった携帯は男たちに取られてしまっていた。杉崎を揺らしてみるが、目を覚ます気配はない。
どうしよう。。速水さん。。
こんな時にどうすれば一番いいのか西森には思い付かなかった。速水のことを何度も心の中で呼ぶ。ふと、速水から貰っていた小さな機械がポケットの中に入っていたのを思い出した。携帯ばかりを使っていてその存在を忘れていたが、速水がいつもポケットにあるのを確認していた。癖でいつも入れている。
そうだ!これを引っ張れば!!
男たちが話に気を取られている隙をついて、西森は小さな機械の出っ張りを引っ張った。けたたましい音が西森から鳴り響く。杉崎の目がピクリと動いた。
「!!この野郎!!」
男が西森に殴りかかってくる。避けると杉崎に当たってしまうため、西森は動かずに身を庇った。こら!!止めろ!!もう一人の男が腕を掴んで叫んでいる。くると思った衝撃はやってこない。怖かったが瞑っていた目をそっと西森は開けた。
「なんて元気な兄ちゃんだ。傷でもつけたらボスに俺たちが潰される。さあ、大人しく来てくれ。手荒な真似はしたくないんだ」
鳴り響く音に動揺していない。ここには人が訪れないのだろうか。怯んでいない男たちを見つめながら、自分は本当に連れ去られたのだと実感する。
「す、杉崎くんを大切に扱ってくれるなら。。お、大人しくします。。でないと、俺、暴れますよ。。!!」
恐怖を押し込んで精一杯口を開く。声が枯れていたが、普段通りの声を心がけた。怖い。でも、杉崎を守りたい。震える体を男たちに向けて杉崎を庇った。男たちがため息をついてゆっくりと近づいてくる。
「はあ。。なんて強気な。。ボスは気の強い奴が好きだからなぁ。。おまけにこんなに別嬪さんだ。欲しがる訳だぜ」
呆れたように笑って軽く頷いた。明らかに西森が弱いことを知っている。小さな動物が震えながら必死に仲間を庇っているのだ。丁重に扱ってやろう。ボスのお気に入りだから。そんな男たちの心が伝わってきた。
やっぱり。。俺も何か習っておけばよかった。。今度空手を絶対教えてもらうんだ。。!!
絶対、速水に会う。だから、今は大人しくこの男たちに従おう。西森は悔しさを堪えながら警戒を解いた。力を抜いた西森の腕を掴んで男たちは車から降ろす。気絶している杉崎も抱えられて降ろされている。西森は後ろから連れられてくる杉崎を心配そうに振り返った。
大人しくなった西森は男たちに建物の中へと連れられていく。外観は無機質な工場のようで、中に入ると会社の受付のような素朴な部屋があった。男たちは迷いなく素通りしていく。西森は強張った体で歩きながら辺りを視線だけ動かして見つめた。不意に何の変鉄のない壁の前で男たちは立ち止まる。いきなりだったので、少し前のめりになった。
不思議そうに見ている西森に男たちは笑いかける。次の瞬間西森の首の後ろに軽い衝撃が走った。西森の体が崩れて男の方に倒れ込む。一瞬の出来事に気づく暇もなかった。気を失った西森を男は抱え込む。自動で開いた壁の奥へと足を進めていく。西森と杉崎の顔を確認しながら、奥へと連れていった。
壁の向こう側のもう一つの部屋。そこは世界が違っていた。床には絨毯が引かれ、品のいい装飾品が美しく飾られている。壁も無機質なものではなく、美しい光を放つ大理石だ。奥の方には男が悠然と座っていて、煙草の煙がゆらりと上がっている。
「ボス、連れてきましたぜ。仰る通り元気がよくて。傷をつけやしないかと冷や汗ものでしたよ」
目を瞑って倒れている西森を抱えて奥にいる静かな男に話しかけた。奥の男は部下たちの声に満足そうに笑みを浮かべる。ゆっくりと立ち上がると西森の顔を覗き込み、顔にかかっていた髪をそっと撫でた。顎を持ち上げて目を細め微笑んでいる。その後、気絶している杉崎の方を見た。
「そいつは別の部屋に連れていけ。しっかり躾ろよ。もう俺たちに関わらないようにな」
ボスの言葉に男たちは一斉に頭を下げて返事をする。あどけない顔で眠っている西森を部下の男から抱き上げて、隣の部屋へと連れていく。扉を開け一級品の柔らかなベットの上に静かに寝かせる。眠っている西森の頬を優しく撫でながら、楽しそうに口角を上げた。
コツコツとした足音が聞こえてくる。車から無理矢理降ろされ両肩を担ぎ込まれ引き摺られながら連れてこられた。西森が杉崎を必死に庇い大人しくなったことは、聞こえてくる声から容易に推測できた。目眩ましを受けて油断してしまった。気絶した杉崎を覚醒させたのは、耳元から聞こえたけたたましい音だ。車から降りる時点で杉崎の意識は戻っていたが、気絶したふりをして隙を伺っていた。男たちのボスとの会話もちゃんと記憶している。どうにか外のさつきと連絡を取りたい。近づいてくる足音に耳を澄ませながら杉崎は気絶したふりを続ける。
両手は後ろで縛られていて、足音の数から人数は特定できないほど多い。今暴れるのは危険だ。悔しさを抑えながら杉崎は静かにしていた。不意に髪の毛を掴まれ顔を無理矢理上へと向かせられる。頭からの痛みに顔を少ししかめた。
「起きろ。兄ちゃん。いつまで寝てるんだ」
どうやら話があるらしい。相手はどう出てくるのか、杉崎は今やっと目覚めたかのように瞼をゆっくりと開いた。視界は暗く、昼間なのに光があまり射し込んでいない。男たちが着ている服が黒いこともあって、はっきりとした人数は特定できなかった。
プロだな。
杉崎は直感でそう感じた。こうして人を拐うことに慣れている。拘束して人を心理的に追い詰めることも。杉崎は目に力を宿して鋭く男たちを見据えた。そんな杉崎に男たちは緩く笑っている。泣き言を言わない杉崎を感心しているようだ。
「兄ちゃん。こんなになっても目がギラギラしてるなんてなぁ。今時珍しい奴だぜ。まあ、これからどうなるか、わからないけどな」
掴んでいた杉崎の髪を離して何かをしている。煙草に火をつけたようでゆっくりと煙を吐き出した。白い煙が薄暗い空間の中に消えていく。杉崎は何も言わず男たちを冷静に観察していた。正確な人数がわかれば。。攻撃を仕掛けやすい。油断させて情報を集めよう。静かに時を待っていた。男がフッと口元を上げる。杉崎の顎を持ち上げて、無理矢理視線を合わせる。杉崎は顔を思いっきりしかめた。
「ははは!!見てみろよ、この顔。反抗的だ。お前のことは調べさせてもらったよ。杉崎さん。警察庁のエリートだったんだってな!」
エリートがこの様かよ!男の問い掛けにここにいる全員が大きく笑う。杉崎は何でもないことのように目を細めた。ここに来たことは恥とは思わない。むしろ感謝している。笑う男たちを冷ややかに見ていた杉崎を男はニヤリと笑う。何かあるのか。杉崎は眉をひそめた。
「杉崎さんって。警官に育てられたんだってな。事件に巻き込まれて死んだ親の親友なんだって?泣ける話じゃねーか。尊敬する養父に憧れて警官になったんだろ?」
杉崎の目が驚きに大きく開かれていく。その情報は警察内部でも極秘の情報だった。身内の不祥事で命を落とした自分の両親。警察は必死に隠したはずだ。なぜこの男たちが知っているのか。杉崎の動揺をニヤニヤと楽しそうに笑っている。杉崎は嫌悪感から大きく顔をしかめた。
「いいのか?俺たちに逆らって。俺たちの後ろにはお偉いさんがたくさんいるんだぜ。お前の情報もすぐに教えてくれたよ。このまま逆らえば、お前は警察には居られなくなる。お前の憧れの養父からも見放されるな」
罪を捏造することなんて簡単なんだぜ。杉崎の目を覗き込んで心を見透かそうとしてくる。わざと煽って心の弱さをあぶり出そうとしてきた。杉崎は動揺して揺るんだ心を瞬時に引き締める。男は楽しそうに、くっと喉の奥を鳴らした。人をいたぶるのが好きなようだ。
「まあ、そうだなぁ。杉崎さんが俺たちの言う通りにしてくれれば。望みを叶えてやってもいいって、ボスは仰ってるんだぜ。危険を犯しても、あの綺麗な兄ちゃんを守ろうとしたお礼だってさ」
杉崎は不信に思い何のことかと考えを巡らせていると不意に男のポケットから聞き慣れた音が聞こえてくる。杉崎は驚いた。自分の携帯に男が出ている。さつきからか。西森と杉崎が戻らないことがわかって、旅館から連絡が届いたのかもしれない。さつきと連絡を取りたいが今は不味い。杉崎は唇を強く噛んだ。男は静かに電話にでて話していたが、口元を楽しげに上げて携帯を持ってきた。驚く杉崎の耳元に携帯を寄せてくる。聞こえてきた声に杉崎は固まった。
「杉崎くんかね!?聞こえるかい!?」
署長。。それは杉崎をこの田舎町に赴任させた上層部の一人だった。耳から聞こえてくる声に呆然とする。なぜ署長が。冷たく杉崎に辞令を渡して、吐き捨てるようにののしった姿が頭を過った。
「杉崎くん!よく聞きなさい。君がこの件から手を引くなら、君が望むことを叶えてあげよう。昇進かい?それとも、憧れのSPへの配属でもいい。言っていたじゃないか。君を育ててくれた養父のように、世界の要人を守ることが夢だと。育ててくれた養父へ恩返しがしたいと。そうだったね?」
杉崎の夢。重要な人物を命懸けで守るSP。憧れていた。養父に育てられながら、それだけを目指していた。勉強も運動も、すべてそのためだった。人々の上に立ち、大きな影響を与える要人を守ることが夢だった。
先輩の不祥事で、無実だと周囲もわかっていながら泥を被せられた。幹部の息子である先輩は何かと自分を敵視していて、嫌がらせもたびたび受けていた。でも上へ登りつめて偉くなればそんなことはどうでもよくなる。少しの辛抱だ。田舎町に飛ばされてもその想いは変わらない。いつか出世してあの先輩を見返してやる。そう思っていた。西森や速水やさつきに会うまでは。杉崎は何も言えずに息を飲み込んだ。
夢は諦めていない。大切な人もたくさんできた。でもここで逆らったら、二度と出世の道は絶たれるだろう。警察とはそういう所だ。権力が物を言う。逆らえばそれまでで次はない。だから、自分は先輩の泥を被ってここに来たのだ。杉崎は目を強く瞑った。
「杉崎くん。。もう無理はしなくていいんだよ。。君の、人を守りたいという純粋な気持ちはよくわかった。見抜けなかった私たちが間違っていたんだ。さあ、この件から手を引いてくれ。そして、わたしたちの元へと帰ってきてくれないか?すぐに希望通りの所に配属するから」
とても魅力的な話だ。小さな頃から憧れて憧れて、大切に育てていた夢。優しくて強い養父のようになりたいと必死でやってきた。組織にも逆らわないように自分を押し殺してきた。夢のためだ。杉崎は大きく息を吐く。自分は夢を叶える。西森もさつきも速水も笑って許してくれるだろう。穏やかに笑ってゆっくりと口を開いた。
「署長、お話大変有り難く、身に余る光栄です。私の夢は要人を守ること。署長もご存じの通り、育ててくれた養父のように立派な警官になることです」
杉崎の言葉に電話をしている署長も、周りの男たちも満足そうに笑った。煙草の煙を吐き出しながら、杉崎を見守っている。そうか!と嬉しそうな声が聞こえて杉崎はかすかに微笑んだ。西森さん、さつきさん、速水さん、すみません。心の中でそっと叫ぶ。柔らかな笑みを浮かべて、口元を引き締めた。目の前の男たちを見据える。俺の夢は必ず叶える。そう心に決めた。
「ですが、私の夢は大切な要人を守ることですから。意には添えません。申し訳ありませんが、辞退させて頂きます」
電話を杉崎に寄せていた男の腹を思いっきり蹴り上げた。後ろに縛られていた手をするりと外す。こんな縄、ほどくのは簡単だ。杉崎と署長との会話ですっかり油断していた男たちを次々と蹴り上げる。男たちは動揺しているようで、繰り出させる攻撃は簡単に避けられる。舐められたもんだなと杉崎は思った。
署長との会話をしながら、杉崎は男たちの人数を把握していた。いくら薄暗いと言っても目を開けていれば慣れてくる。夜目には自信があった。動かなくなった男のそばで携帯が光り存在を示している。杉崎はゆっくりと拾って耳に当てる。慌てたような署長の声が聞こえた。
「君!!何をしたのか、わかっているのか!!こんなことをして、ただで済むと思うなよ!!もう二度と出世などできんからな!!」
署長に反抗したことはすぐにさつきの耳に入るだろうと杉崎は思う。速水にも西森にも知られるだろう。三人ともなぜこんな馬鹿なことをしたのかと怒るだろうなと杉崎は思った。それでも、きっと許してくれるだろう。杉崎は怒っている三人の顔を想像して可笑しくなって笑った。
「あーあ。俺、無職になっちゃったよ。さつきさんに幻滅されるかなぁ。。とりあえず仕事は速水さんに紹介してもらおう。半分は出張に行った速水さんのせいだし?」
長年温めていた夢が無惨に崩れ去ったが、不思議と後悔はなかった。世界の要人を守るよりも、今の杉崎にはもっと守りたい人たちができてしまった。大切なものがここにある以上、譲れない。自分の気持ちに嘘はつけない。杉崎は大きく背伸びをした。
「さつきさんに連絡しないと。男たちを片付けたのが相手にバレても厄介だし」
出世して偉くなるよりも、ここにいたい。ここで自分の大切な人たちを守りたい。三人からの大目玉を食らうのは西森の無事を確認してからだ。杉崎は携帯でさつきに電話をかけた。
皆様、こんばんは(*^^*)いかがお過ごしでしょうか?
いや~。書きたくて書き直して、書きたくて書き直しての連続でした~!素敵な文章の旅路。。旅は道連れー、世は情け。なんつって。楽しんで頂けたらとても嬉しいです。一話が終わる毎に、火曜サスペンス劇場の、タラララ!タラララ!ターラー!を入れてくださると雰囲気が出ると思います。よろしかったら入れてみてくださいね。
ではでは皆様、これからも素敵な時間をお過ごしくださいね(*^^*)