パナマの閘門
「萩谷参謀長、後は任せたぞ、」
全ての航空機、艦上機が飛行甲板から消えた後、
貝塚が『萩谷 邦昭』参謀の肩を叩き
艦橋を後にする、
設計上ではゆとりある通路の筈だが、
結局は狭い通路になっている艦内の蟻の巣のように入り組んだ真っ暗な通路を進む貝塚、
通路が狭くなったのは航空機格納庫を拡張したためである、
艦体後部の舷側に20.3サンチの単装砲が三基ずつ新しく設置されたためである、
「確かここの筈だ、」
紙に書かれた部屋の位置と自分が今居る場所の位置を再確認する、
「よし、まちがっとらんな、」
そう言って、
ドアノブに手をかけた、
「よぉ!元気かい?」
その白髪交じりの頭を撫でながらその部屋、
『中央会議室』に堂々と入り込む、
凡人なら見えない存在が確かにそこにはいた、
「おぉ、これはこれは貝塚長官」
部屋に居た複数の存在が一気に起立する、
「お、『山城』か、他の皆は?」
近くに有った開いてる席に腰を下ろす
「食べ物取りに戻ってる、皆このラジオの第一報に期待してるさ」
そう言って、
テーブルの中央に置かれた通信機を軽く叩きそのしなやかな指で撫で上げた、
「...全面戦争やむなしか、俺たちのような機動部隊は正式な機動部隊には到底勝てんだろうな」
改装空母三隻に対し、
護衛の艦艇もたったの三隻であるこの弱小の機動部隊の現状を思い出す
「今は給油艦も一隻居るだろ?」
そう言って窓の外を指差す
「『隠戸』かぁ、まぁ、仕方ないと言ったら仕方ないな、一番近くの泊地でもトラックとラバウルのどっちかだからな」
背もたれに背骨を任せ、
まるで腕を組むかのように自分の髭を撫でる
「そろそろだな、」
間もなくして部屋は複数の光に包まれる、
「なぁ、山城、今朝の新聞読んだか?」
「読んだ、」
「...ドイツのちょび髭は、天才なのか?馬鹿なのか?」
「天才と馬鹿は紙一重ですよ、」
暫くの沈黙が続く、
部屋に表れた複数の存在も気まずそうにこちらを見ている、
「陸上巡洋艦艦隊なぁ...到底うちの国では無理だと思うがな」
そう言って、
複数の存在に向かって新聞を投げる
「28cm3連装主砲に12.8cm PaK44副砲、機銃多数...超巨大戦車『ラーテ』、12.8cm PaK44主砲、超重戦車『マウス』、」
新聞を見て呟くのは軽巡洋艦の艦魂『八十島』
その目はキラキラ輝いていた
「...無しだろ。」
そう呟いたのは俊足駆逐艦の島風の艦魂『島風』
「ソ連に同情しかねないわ」
写真を凝視するのは対空駆逐艦の秋月の艦魂『秋月』
「永久凍土の泥濘無視してるでしょ」
呆れる様に言うのは改装空母扶桑の艦魂、『扶桑』
「......。だな」
扶桑の意見を聞いた貝塚が呟く
ラーテ一両、マウス三両、Ⅵ号戦車多数で編成されるこの陸上艦隊、
実はこのドイツの陸上巡洋艦艦隊は終戦まで無双すると言う事をこの場の誰もが思っていなかったであろう、
ソ連戦車を片っ端から撃破し、踏み潰すその行進は、
ソ連から『悪魔の行進』として終戦まで恐れられることとなった
しかもこの艦隊、あのルーデルまでも属しているためまさに無敵である、
話を戻します
「☝、って、作者が言ってますが、」
八十島、余計なことまで覚えなくてよろしい、
「よし!覚えておけ、無視だ無視!!」
「了解しました!!」
ひどいなぁ、
「送れてごめ~ん」
ここで登場、
われらが空母の雷龍の艦魂、『雷龍』
「全員そろったな、話を戻そう、」
そう言うと貝塚はかぶっていた帽子を机の上に置く
「たった一年の猛特訓だけでここまで来れた、懐かしいもんだ」
語りはじめた老兵の口は止まらなかった、
1940年、昭和15年、8月10日、
この部隊の全ての始まりはこの日からだ、
青く澄み切った空と海、
まさに蒼と言う一文字が似合うほど綺麗だった、
ここは、トラック諸島、
日本の真珠湾、またの名を太平洋のジブラルタル、
この日、一隻の正規空母と二隻の改装空母が環礁に進出してきた
その奇妙な姿は、
島の水兵だけではとどまらず、
島の住民もその目を丸くした、
到着して間もなく、
その空母たちは航空訓練を始めた、
完成、編成されて未だ間もないこの空母たちには時間が無かった、
太平洋の情勢は刻一刻と悪化の一途であり、
何時攻め込まれるのかが分からないのだ、
飛行甲板に並べられたその艦載機の群れを、
艦橋の下の黒板の訓練項目と自分の機体を確認する隊員たち
その中には、野口と久田のペアも勿論居た、
この空母たちの搭乗員、乗員は比較的帝國海軍内では女子の割合が多かった、
それもその筈、
この空母たちには試験的に女子隊員が配属されているのだ、
「結構後ろだな~」
頭もふさふさの航空帽を一度取り、
野口は頭をかきむしる、
何しろ炎天下だからだ
「何言ってんの、私たちの方がよっぽど後ろよ」
背中を叩いてきたのは
久田の先輩、『神崎 裕里子』
未だに固定脚の97艦攻のパイロットだ、
実際は引き込み脚の99艦爆の方が数世代先を行っているだけである、
その機体の大きさと固定脚により、
一度武装すると下手すれば複葉機よりも速度が劣りかねない機体である、
「戦闘機の方が身軽に決まってるでしょ?」
そうやって優しく語り掛けてくる癖で、
艦内では人気があるのも事実だ
「烈風ですよ?零戦よりデカイ重戦ですよ」
この世界の零戦は軽戦の部類に入っている
しかし、
戦闘機は戦闘機だ、
物凄い爆音を響かせ甲板の先頭の烈風がエンジンスタートする
「...ベテランパイロットの梅林さんね」
単眼鏡を覗き、
その機体のエンブレムで神崎は判断する
元々は南京上空で撃墜され、
本土では名誉の戦死扱いだったベテランの『梅林 孝次』
しかし、奇跡的に生還を果たし軍神にも等しい扱いを受けた
しかしその代償に頭蓋骨内には二発の弾丸、三つの金属破片が残された
今もその後遺症の足の麻痺に苦しんでいる、
「ささ!!久田ちゃんが待ってるよ、早く行ってきなさい」
そう言うと神崎も自分の愛機に駆け足で向かう
俺達の99艦爆は久田の改造によりその性能は周りの99艦爆よりもその性能は群を抜いている、
やろうと思えば八十番爆弾(八〇〇㎏爆弾)一発と二五番爆弾(二五〇㎏爆弾)二発を装備できる
打撃力ではこの艦隊随一であろう
「よ!お待たせ、今日の訓練予定だ」
黒板の項目を写し取った紙を油まみれの久田に渡す
「う~わ、未だ仕事残ってるのに~」
カリキュラムを見て悲鳴を上げる久田
「仕事って言ったって、この艦隊の航空機発動機バラして組み立てるだけだろ?」
「チチチ!そんな簡単なことだったらもう終わってる、組み立てる段階で改造してくれって長官に言われてるの!!」
久田は思わず口から愚痴をこぼした、
げんに、
たった今、97艦攻の発動機を機体本体の戻したところだ、
「さて、今回は、八十番の急降下訓練だ、この先の海域の水面に的があるそうだ、行くぞ」
手で合図を送り、
機体に歩み寄る、
一方の扶桑などではその広大な甲板を駆使し、
艦上機を一気に空に羽ばたたせていた
「そろそろ俺達の番だぞ、」
甲板員が旗を振り合図する、
俺達の番だと、
艦首は風に立っている、
この広大なトラック環礁はその中においてさえ空母の全速航行を可能とする、
車輪止めが左右とも外された、
『発艦ようそろ』
合図が出ると、
野口はプロペラピッチを変え、
期待を前進させる、
約二〇〇メートルの滑走の後、
眼下の甲板が途切れる、
機体はその改造された発動機の馬力に物を言わせ、
沈み込んだ機体を浮かせる、
意外とふわりと浮き上がった
高度とその速度が一定の基準に達すると
ぶら下げていた足の引き込み作業にかかる、
コクピットのボタンを押し込み、
その電気信号を作動機器に伝える、
すると、
ぶらりとだらしなく下がっていた二本の足は
九〇度回転し、
車輪を翼下に添えるようにパタリと後ろに引き上げる、
引き込みが終わると、
空気抵抗が減り、すうっと自然に速度が上がる、
機体前方に展開していた川西の零式水偵を簡単に追い抜く
相手はフロートと言うものをぶらせげて居るからだ、
「航法指示頼んだぞ」
「分かってる、でも今はこれ」
そう言って、
久田は天蓋を開け、
旋回機銃の代わりにこの時代では未だ珍しい写真機を取り出す、
「流石は扶桑型、艦橋がいいねぇ」
その広大な飛行甲板の脇、
扶桑型の唯一の戦艦だった頃の名残が、
その危なっかしい艦橋である、
雷龍とは違い、
司令部丸ごと艦橋に納めてしまうほど空母にとっては広大な艦橋では有るが、
そのシルエットがゆえに、
発艦と着艦は緊張が尋常ではない、
直ぐ脇を今にも倒れそうな艦橋が通り過ぎるのだ、
想像するだけで寒気がし、背中に違和感を覚えた、
近くを爆音が包んだ、
恐らく神崎機であろうその機体のエンブレムを確認し、
確信する、
「神崎先輩だぞ」
伝声管で後部に居る久田に呼びかける、
鈍重な金属固定脚機が金属引き込み脚機と並ぶ、
野口はあえて速度を落していた、
後ろから先輩と言う叫びが聞こえたからだ、
コクピット内の発光銃を抜き、
僚機にモールス信号を送る、
勿論返答が帰ってくるが、
あちらは二番目、つまり中間の座席からの返答である、
此方は複座の二席、あちらは三席もあるのだ、
「偵察任務にもってこい機体なのになぁ」
仕方が無い、
固定脚ゆえに速度が出ないため
現在は99艦爆が哨戒や偵察任務についているのだ、
その下の海面を、
野口は覗いた、
蒼く透き通りまるで硝子の様な美しい海がキラキラと反射光を放つ、
間もなく進むと、海面に竹の枠組みで出来た布の的が現れた
今からあれに急降下するのだ、
八十番を抱いて、
息を落ち着かせると、
操縦桿を一気に倒した、
蒼く透き通った水面がぐんぐんと迫り来る、
「しかし、彼らの今の目の中には、蒼い海ではなく、パナマの固く冷たい閘門が映っているのであろうな」
ここで、
老兵の語り口は止まった、
あの日、
日本で始めて八十番を抱いたまま急降下を敢行し、
見事に命中させた野口の顔を思い出す
「長官、アメリカの無線が、乱れ始めました、」
山城が呟いたと同時に、
無線が入った、
『我、奇襲成功ス』
会議室が一気に沸いた
その中、貝塚は誇らしげに脱いだ帽子をかぶりなおした、
「どうだ、五十六、こっちも成功したぞ」
その目は見える筈の無い海の向こうの日本本土にいる山本を、
自信満々な目で見ていた
俺達の目の前に広がっていたのは爆炎で黒く濁ったかつては蒼かった空だった
「俺たちも行くぞ!!」
操縦桿を振り下ろそうとしたその瞬間、
「待って!!敵の戦闘機よ!!」
真後ろに敵の戦闘機の『F4F』が張り付いてきた
この状態で、
いくら馬力があるとはいえ純粋な戦闘機は振り切れない、
後部の12.7mm機銃が唸りを上げる
しかし、敵も肝っ玉が据わっているようだ、そのまま撃たれてる状態で撃ち返して来たのだ
これにびっくり仰天した久田は後部機銃座の奥に身を引っ込めてしまった
「おい!!くそ!!このまま急降下するぞ!!高度計見ておけ!!」
「り、了解!」
明らかに震えた声だった
パナマの分厚く固い閘門が眼中に飛び込んできた、
目標は決まった
「行くぞ!!」
八十番一発、二五番二発を抱いた99艦爆がその角度を、
下げていく
敵もしつこく追ってきた、
しかし、
「あ、」
味方の高射砲の誤射で見るも無残に吹き飛ばされてしまった、
パナマはそれぐらい混乱していたのだ
「高度六〇〇!!...五〇〇!!...四〇〇!!テェェ!!!」
急降下の感覚に捥ぎ取られた意識が再び脳に舞い戻る、
急いでレバーを引き操縦桿を引き寄せ、ダイブブレーキを展開する
風きり音と共に尋常ではない重力が体を座席に押し付ける、
天蓋に穴が開きひびが入った
機銃の直撃を受けたようだ、
「頼む!!揚がれぇぇ!!!」
その声に応えるかのように、
期待は段々と水平に戻る、
プロペラが一瞬水面をかすり飛沫を上げた、
後ろを振り返ると、
パナマの重厚な閘門が悲鳴と煙を揚げていた、
この日を境に、
日米両陣営は全面戦争に突入した