NO.2
新学期というものはなぜだか普通の日の何倍ものカロリーを消費していると思う。
今俺は、きっと校庭を3、4周走ったときくらいカロリーを消費しているだろう。その原因にあたる小谷は何くわぬ顔で俺に話し掛けてきている。
「目えつけられたね。佐伯くん。」
最近ではこいつの丸縁眼鏡をとんかちでずたずたに砕いてやりたい衝動にかかれる。
こいつに悪気はないのだろうけど、口だけの笑いに盛り付けることばは、どんなことばでも嫌味に聞こえてしまう。
「うっせぇよ。」
俺は、斜め前に座るヤツのスリッパを脱いだり履いたりする足のしぐさを見ながら言った。
こいつといるとやっかいだ。俺は少なくともここまで気持ち悪くはないと思う。こんなヤツと仲良しというレッテルをはられたら、俺に待っているのは、使え使えと迫ってくるとんかちと、きもい二人組というどうにもかばいようのないユニット名だけだ。
「冷たいよね。僕の事キライでしょ?」
俺はちらっと小谷に目をやった。相変わらず口だけ笑っていて、その顔にいいかげん呆れた俺は無視して次の授業の用意をロッカーに取りに行った。
ロッカーは廊下にある。14番の俺は六人づつ縦ならびの座席では前から二番目だから、教卓の後ろを通って廊下に出る。視線が気になるけど、後ろまでわざわざ回るほうが机に座るヤツらに対して向かい合いになるから、俺は教卓の後ろを選ぶ。
教卓の後ろを通る時、なぜかクラス中のヤツらから痛いくらい視線を感じている気がする。なんというか、しずまりかえったクラスの前で一人スピーチをする時みたいに。俺は廊下に出てロッカーから次の授業の用意を取りにいくってだけの事に手にへんな汗を握る。誰も俺なんか見ていないだろうけど、俺の中に出来上がっている四角の中に並ぶクラスのヤツらが俺をじっと見ているんだ。
廊下に出ると、派手な女子グループがチンパンジーみたいに手を叩きながら大笑いしている。俺はこういう女が一番苦手だった。俺はこういう女達にとって笑いのネタでしかない。俺の話題でこんなふうに手を叩きながら笑う姿を何度を横目で見てきた。
地味グループの男子と話している時に耳に入ってくる佐伯と言えばさあ〜のもろ作りものの声。
自分の名前が聞こえる耳がもう一つあるんじゃないかと思うくらい佐伯という固有名詞は盛り上がる俺たちの声の中でもすんなり入ってくる。
その時俺は片耳で友達の話を聞きながら片耳で自分の事を笑う女達の悲鳴に近い笑いを聞いていた。
ここで元気をなくしたら、本当はうっすら気付いているかもしれない友達と、げらげらうるさい女達にへこんでいる姿を見られたくないと思い、大きな声で友達の話に加わった。自分が何を言っているのか解らなかった。自分を隠すのに必死だったんだ。
こんな思いは二度としたくない。
教室に戻り、席に着いたら、小谷が今度は腰からひねってこっちを向いた。
「ねぇねぇ。一緒に同好会作らない?」
「はあ?」
俺は普通のことばとしてじゃなく、『小谷が言ったことば』に対して
「はあ?」
ということばを選んだ。いや、違うな。ガチャガチャみたいに選ぶ事もできず、このことばがでてきたんだ。
たぶん俺は小谷を差別している。俺もクラスのヤツらと同じように小谷をきもいヤツとして見ている。
ほんと、ごく普通に、当たり前のようにそう見てる。
小谷は少し黙った。口の筋肉もそのままで、口角もうんと下がっていた。だけど俺には謝ろうという司令がでなかった。ここで謝ったら、俺はたぶん小谷が考えている同好会にひきずり込まれる気がしたんだ。正直それは嫌。同じ同好会入ってる。なんて仲良しの代名詞じゃないか。
考えながら目を向けていた物体が机に彫られた、1-1最高!の文字だという事は、やっと考えがおわった時になって気付いた。
「話すら聞いてくれないんだね。」
しばらく黙った後に小谷が言ったことばは、重力に負けて、俺の耳に届く前にほとんどのボリュームを地球にすいとられたのかと思った。馬鹿でかい声で喋るヤツだから。小谷は少し哀しげで俺が知った二つ目の表情だった。
俺が頭の中でことばを拾い集めようとした時、ちょうどチャイムが鳴って、小谷はまた前を向いて、かたそうな髪が巻いたつむじを俺に向けた。新学期なのになぜか制服のブレザーにはたくさんのしわがあって、明らかに小さい制服に詰まっている。
小谷は俺と同じように座った時白い靴下が見える。それがきもいってゆう悪口を耳に挟んだ事もある。
俺はなんだかんだ言いながらやっぱりきもいんだ。解っているけど、小谷とは違うと思っていた。
もしも俺が丸縁眼鏡をくもらせたらどうなるだろうと考えたら、あまりに小谷の隣がしっくりする男が出来上がった。
寒気がした。俺は違う。俺は違う。少しズボンを引っ張った。
今日一日ただ疲れただけ。
俺はまだ友達ができていない。デザイン科だけあってクラスに男子は8人しかいない。その中の三人はよく中学の時にからかわれたような調子乗りタイプ。髪が染め直ししたような茶色がかりな色で、長くてホストみたいな上がボリュームがあってえりあしはストレートというよけある『イケメン』の王道スタイルって感じ。
大体こういうヤツらがなんでデザイン科にいるんだか。俺はどうせださくてきもいヤツのたまり場なんだろうと思っていたから、入学式の時ヤツらを見て、一気に高校が6年間に伸びるような気がした。楽しくない時間は驚くほどながい。
ほかは、仲良し二人で受験して受かりました。オーラむんむんの普通の二人組。髪は短めで眉毛だけ少しいじってあるどこにでもいるヤツ。
あとは、色が白く青ざめたような肌色をした背の低い天然パーマのヤツ。
きもいと呼ばれている中学時代が頭にすぐ浮かぶくらいの見た目。絶対に話しかけたくないタイプだ。
8−3−2−1=2
あまりは俺と小谷。
帰り道、簡単な式を何度も繰り返した。
やばい。
誰もいない。
調子乗りグループに入る勇気なんて一グラムもない。
仲良し二人組に割り込む勇気なんて一パーセントもない。
天然パーマの貧弱野郎と友達になるなんて勇気どころか望みもしない。
小谷なんて論外だ。
不安に穴が開いた心に花粉を運ぶ風が吹き抜けた。