胸のざわつき
境界島の向こう側——異界アルセリア。
人間界とはまるで異なる、魔力が満ちた世界。
その辺境にある森林地帯で、激しい戦闘が繰り広げられていた。
「左から来る!」
鋭い声が響く。
前衛の剣士が身を捻り、樹木の陰から飛び出してきた緑色の影を切り払った。鈍い手応え。ゴブリンの一体が悲鳴を上げて倒れ込む。
「数が多すぎる……!」
弓使いが焦りを隠せない声で叫んだ。矢は確実に敵を捉えているが、倒しても倒しても新たな影が茂みから湧き出てくる。
「落ち着け! 陣形を崩すな!」
盾役の男が力強く叫ぶ。大盾を構え、前衛として仲間を守り続けている。
A級適応者である彼の防御魔法は強固だが、それでもゴブリンたちの執拗な攻撃に徐々に削られていた。
「盾の魔力が……!」
「わかってる!」
ゴブリン。
異界において低級モンスターとして知られる存在だが、それは“単体”での話。
群れを成したゴブリンは狡猾で、連携しながら人間を追い詰める。
しかも——
「なんでこんな場所にゴブリンの群れが……!」
剣士が唇を噛む。
この森林地帯は、本来なら比較的安全な調査ルートだった。
A級適応者一名とB級適応者数名で構成された調査パーティであれば、十分に踏破可能な難易度のはず……だった。
だが現実には、三十体を超えるゴブリンの群れに囲まれていた。
「魔力反応が乱れてる……!」
後方で魔力測定器を確認していた術師が声を上げる。
「この一帯の魔力濃度が急激に上昇してる!」
「今はそれどころじゃない!」
弓使いが矢を放つ。一本の矢がゴブリンの額を貫き、一体を沈めた。
だが、その影の向こうから新たな二体が飛び出す。
「ッ!」
剣士が剣を振るい、一閃で二体を吹き飛ばした。
しかしその呼吸は荒く、額には汗がにじむ。
「神宮寺、回復を!」
「はい!」
パーティ後方で、ヒーラーの神宮寺が光の魔法陣を展開し、前衛の二名を柔らかな光が包む。
だが——
「神宮寺、魔力は大丈夫か!?」
「まだ……なんとか……」
その声には明らかな疲労が滲んでいた。
ヒーラーの魔力枯渇は、パーティ全体の崩壊を意味する。
「畜生……!」
盾役が舌打ちする。
このままでは全滅する。
そう判断した瞬間——
「皆、伏せろ!」
術師が叫ぶ。両手に魔力が渦を巻き、眩い光が収束していく。
「《烈炎弾》!」
巨大な火球が前方へ飛び、ゴブリンの群れを飲み込んだ。
爆発。悲鳴。焦げた匂い。五体、六体が一度に倒れ伏す。
「よし……!」
だが、喜ぶ間もなく。
「まだいる! 右翼から回り込んでくる!」
弓使いが警告する。
ゴブリンたちは怯まない。むしろ仲間が倒されたことで凶暴性を増していた。
「このまま消耗戦はまずい……! 撤退する!」
盾役が判断を下した瞬間——
——ゴゴゴゴ……
地面が揺れた。
「え……?」
全員が動きを止める。
ゴブリンたちも同じように動きを止めた。
まるで何かを察したかのように。
「な、何……?」
そして——空間が、歪んだ。
「何だこれ……!?」
術師が測定器を見て顔色を失う。
「魔力濃度が……異常値を超えてる……こんなの初めてだぞ……!」
森の奥。
何もない空間に、微かな亀裂が走る。
ガラスにヒビが入ったかのように。
そしてその亀裂から——
——黒い霧が、溢れ出した。
「……撤退だ。今すぐ!」
盾役が叫ぶ。
その声には、隠しようのない“恐怖”が混じっていた。
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その異変を、誰も知らない。
地球側の人間たちは、まだ何も知らない。
ただ一人——
遠く離れた日本で、平凡な日常を送る大学生が、
ふと、胸の奥に妙な違和感を覚えた。
まるで何かが、自分を呼んでいるような。
藤堂陽斗は、その感覚の意味を、まだ理解していなかった。




