時を超える響き
常磐郵便局の地下倉庫で、ヒロトは窓から差し込む朝日を浴びながら古い木箱を開けていた。埃っぽい空気の中、**昭和十年**の消印が押された封筒が現れた。
「サミュエル・グリーン様 樫の木通り42番地」
縁が破れかけた封筒を懐中電灯で照らすと、裏面に小さな音符の落書きが浮かび上がった。
(音楽に関係する手紙か…)
前回のエミとの出会いを思い出しながら、ヒロトは早速配達に向かった。
樫の木通りの家並みは大正ロマンを感じさせる洋風建築が続く。42番地の庭先では、白髪交じりの男性がバラの手入れをしていた。軍手を外した手が封筒を受け取ると、突然
「これは…エミリーの字だ!」
叫んだ男性の目頭に、深い皺が震えた。「あの娘が肺炎で亡くなる半年前の…」
応接間のグランドピアノの上には、若き日のエミリーと肩を並べるサミュエルの写真が飾られていた。手紙の文面を読み上げる声に、ヒロトは倉庫で見た**大正時代の楽譜**を思い出した。
『音楽の道で苦しい時は、私たちが聴いたあの浪曲の調べを思い出してください』
サミュエルが硯箱を開けると、中から色あせた寄席のチラシが現れた。「彼女が最後の見舞いに持って来た浪花節のチケット。結局行けなかったんじゃが…」
その夜、ヒロトはサミュエルと共に町の寄席を訪れた。三味線の音色に包まれながら、浪曲師が歌う「無法松の一生」に、かつての二人の思い出が重なった。
一週間後。今度は**松葉通り12番地 の洋館で、クララ・ジョンソンという女性が昭和二十年の手紙を受け取った。
「リリーから…? でもこの人は戦時中に疎開して」
顫える指先で開封すると、便箋から乾燥した桜の花びらが舞い落ちた。
『クララへ
疎開先の青森で見た弘前城の桜、いつか二人で見に行こうね』
女性の頬を涙が伝った。「あの子は空襲で亡くなったと聞いていましたが…この手紙は疎開先から戻る途中のもの?」
ヒロトは局に保管されていた 戦時中の配達記録**を調べ始めた。防空頭巾を被った配達員の日誌に「青森県弘前市より転送」の印を見つけた瞬間、背筋が震えた。
(この手紙は戦火を越えてきたんだ)
夕暮れ時の石畳通り。ヒロトはクララと共に、手紙に添えられた古い桜の押し花を**常磐町の鎮守の森 に埋めた。
「時代に翻弄された想いが、ようやく安らげますように」
クララが唱える般若心経に、ヒロトは郵便局の地下室で見た**未配達の軍事郵便 の山を思い出していた。
エミの言葉が蘇る。
『あなたは過去と現在を繋ぐ架け橋』
その夜、ヒロトは新たに発見した**1945年4月1日付の軍事郵便**を手に、灯火管制下の町を描いた古地図を広げていた。次の配達先は、どうやら町の**廃墟同然の紡績工場跡 らしい──
常磐町の夜明けは伽羅色に染まり、石畳の道に下駄の音が響き始めた。ヒロトは郵便局の戸棚から**昭和三十七年**の消印が押された封筒を取り出すと、表書きに目を凝らした。
「ウォルター・ラングレー様 樫の木通り17番地」
封筒の裏には桜の花弁が押し花として貼られており、戦前の女学校で流行った「フレーム封筒」の手法だ。
(この桜は…前回のクララさん宅の手紙と同じ弘前のもの?)
思考を巡らせながら自転車を走らせるヒロト。樫の木通りの古びた洋館には、昭和モダン を思わせるステンドグラスが残っていた。
ドアを開けた初老の男性は、軍服姿の古写真と瓜二つだ。「エレノアからの…だと?」震える手で開封すると、中から戦時中用の薄墨便箋 が現れた。
『ウォルターへ
家族の疎開先が青森だと知ったのは昨夜です。あなたが音楽隊に居たあの春、防空壕で交わした約束を——』
男性の目尻に涙が光った。「あの日、空襲で崩落した壕から彼女を助け出せなかった。生きていたのか…」
ヒロトは地下室で見た 音楽隊の名簿 を思い出す。「もしかすると、エレノアさんは終戦後…」
その瞬間、老紳士が箪笥から 焼け焦げたフルートケース を取り出した。「音楽隊の仲間たちの形見よ。毎年8月15日に演奏会を」
ヒロトの提案で二人は町の 戦災資料館 へ向かった。焼夷弾で変形した楽器の展示棚に、エレノアの名前を記した**女子学徒隊の名札が——
「彼女は疎開先で看護婦として生き延び、平成まで…」
資料館の学芸員が差し出した卒業アルバムには、桜の樹の下で笑うエレノアの姿。ウォルターが箪笥から取り出した 焼け焦げたフルート と、アルバムに写る 学生服の少女が持つ楽器 が同じシリアルナンバーだと判明した夜。
町外れの廃教会で、ヒロトはウォルターと共に 焼け跡から回収された聖歌隊のレコードをかけた。スチールギターの音色に乗せ、ウォルターが初めてフルートを吹く姿に、窓辺の風鈴が哀しい共鳴をした。
「広人君、これが『時の配達人』の仕事かね」
夕暮れの郵便局で差出人不明の手紙を整理するヒロトは、次に配るべき 封蝋に三つ葉の家紋 が押された手紙を手にした。消印は 大正九年——あの「ベネット・エミ」の手紙が書かれたまさにその年だ。
(今度は…あの軍服姿の青年自身からの手紙?)
お疲れ様でした!最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
実は、僕は執筆中に必ず「カレーライス」を食べるという変な癖があります。カレーのスパイスが頭を刺激して、物語のアイデアがどんどん浮かんでくるんです。たまに辛すぎて涙を流しながら書いていることもありますが……それもまた楽しい思い出です(笑)。