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68話

 

 真ん丸の月が煌々と輝く深夜。


 先ほど一時的に降った雨のせいで濡れている石畳の歩道を走るネズミの足音が響く。


 看板に「オカノ奴隷商」と記されたなかなかに大きな石造りの建物の隅に空いた穴の前で一度立ち止まり、周りを確認した後でそこにネズミが入っていった。


「よぉ、リアム元気か?」


 酷く空気の悪い地下室の階段を下りながらネズミが言った。


「帰って………」


 ほんの微かな掠れたがした。もし黴が生きているとしたらこんな声を出すかもしれないと思うような生気のない女の声だ。


「どうしたんだ?」


 でこぼこしている土の地面を歩いて行って、女のいる一番奥の牢屋の前に立つ。


「今日は誰とも話したくない。ひとりでいたい、だからもう帰って!」


 光りの無い牢屋の隅で前髪を垂らして顔を隠す女がヒステリックに叫んだ。


「おいおいおい、この前は機嫌よく話してくれたじゃないかよリアム。何か嫌なことがあったのなら俺に話してみろよ」


 ネズミはへらへらと笑いながら言った。


「来ないで!」


 鉄格子の隙間をあっさりとぬけてきたネズミに向かって女が叫ぶ。


「そうなの?だって俺にとってこんなもんは進入禁止でも何でもないから知らなかったんだ」


「どうして?」


「そんなに怒るなよ、ちょっとだけでいいんだ、話をしようぜ。そうしたら帰るよ」


 叫び声が響いたにもかかわらず、上から誰かが来るような気配はない。声が上の階までは届いていないのか、それとも誰も彼女には興味が無いのか、ネズミにはわからなかった。


「思い出しちゃったの………」


「何をだ?」


「前にあった悲しいこと」


「ああ、そういうことか、俺にもそういう時あるぜ。なんだかわかんないんだけど、嫌な記憶が蘇ってきてそれの事ばっかり考えちまうんだよな。そんなこと考えたって嫌な思いをするだけで意味ないって分かってんのにさ………」


「ダグラスにもそんなことあるの?」


「お!俺の名前覚えててくれたんだな、嬉しいぜ」


「なにそれ………」


 恥ずかしかったのか、リアムは顔を背けた。


「それじゃあ今日は俺の話を聞いてくれよ」


「話?」


「そうさ。嫌な思いっていうのはな、他のことに集中したりすると案外簡単に忘れることが出来るもんなんだよ。だから俺の愚痴を聞いてくれよ、ただそれだけでいいからさ………」


「わかった………」


 リアムは頬を掻きながら返事をした。


「いやいや、実は最近とんでもなく酷いやつに目を付けられちまってさ。そいつが上から目線でいろいろ言ってくんだよな、やれ俺の役に立ちそうな奴隷を探してこいだの、この街にお前のほかに悪魔がいないか探せだの、酷いったらないぜ………」






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