1話 ~倍返しだ~
ルーナは王族でありながら魔法を使うことが出来ない。
「………」
今日もまた部屋の向こうから声が聞こえる。魔法を使えない「無能」を嗤う声。
なにさ、無能の癖にこんなにいい部屋に住んじゃってさ。無能のくせにあんなに綺麗なドレスなんて着ちゃってさ。無能のくせにあんなに美味しそうな料理を食べちゃってさ。
あれここれも元は全部私たちの税金じゃないの。なんで無能の王子に贅沢させるために私達が頑張って働かなきゃならないのさ。ほんっと頭にくるったらないよね。
無能のくせに、無能のくせに、無能のくせに………。
「やめて、もうやめて………」
両手で耳を塞いでうずくまる。我慢しよう、もう少しだけ我慢しよう。そうすればその内いなくなって………。
ルーナは弱い。
本当ならば立ち向かわなければならない。扉を開けて出ていって怒鳴りつけるべきだ。王子とメイド。ヒエラルキーのあるこの世界では圧倒的にそれをする権利がある。
けれどルーナにはできない。
だから声の主は調子に乗っている。昨日よりも声が大きく、言葉が鋭利になっている。昨日もそう、一昨日もそう、けれど今日は違う。
上品な家具が並ぶヨーロッパ調の豪奢な部屋の少女の隣には、一匹のスライムがいた。
「………」
この世界において無害なペットと思われている魔物。
しかしながら見るものが見ればそのスライムの異常性にはすぐに気が付いただろう。巨大な滝から立ち昇る水しぶきのように、その小さな体からは魔力の証である「魔靄」が立ち昇っていたから。
「セト?」
少女は昨日付けたばかりの名前を小さな声で呼んだ。
気分転換のピクニックで出会い、物欲しそうにしていたのでサンドウィッチを分けてあげた。その時に少しだけ指を齧られてびっくりして泣いてしまったけれど、ごめんなさいと言うように指を舐められた。なんだか可愛くてかわいそうで無理を言って連れて帰ってきた。
唸るスライム。
「………」
まるで獰猛な番犬。
「あっ、」
スライムが跳んだ。
思わず伸ばした少女の手は何も掴むことが出来なかった。あっという間に去っていくその後ろ姿を、見送ることしかできない。
スライムは猛然と突進し、ぶち壊す勢いで扉に体当たりを喰らわせた。小さい頃のルーナには重すぎて、ひとりでは開けることの出来なかったほどの頑丈な扉。
「セト!」
死んでしまったのではないかと思って心臓がギュッとなったけど、障害なんてなにも無かったみたいに部屋の向こうへ勢いよく跳んでいった。
大きな窓から差し込む強い光。広い廊下には美しい模様の入った赤い絨毯が敷かれていて、窓の向こうには美しい薔薇園が広がっている。
「ま、魔物!?」
「なに?!」
そこにいたのは二人のメイド。
その声は今の今まで嗤っていた声と同じ声。このふたりはルーナがたったひとりでいる時に、わざと聞こえるように悪口を言っていた。
自分よりも身分が高くて、特別扱いされていて、何の苦労も無く、ただただ煌びやかに生きている無抵抗な玩具を虐めるという快感に酔いしれる悪人。
「どうして王城のなかに魔物が!?」
「誰か!誰か来て!」
におい。
そのスライムからは底知れぬ暴力のにおいが立ち昇り広い廊下を満たした。メイドたちはそれに圧倒され、体が硬直したように動かなくなっていた。
「………」
歯を剥き出しにして唸る姿は獲物を見つけた獣。恐れず、ただ一心に獲物へと向き合う狂暴な獣。
「ひぃ!」
「だ、誰か!」
哀れで醜い獲物目掛けてスライムが跳んだ。
速い。
その跳躍が凄まじいのも、水風船のようにプニプニしたその体が硬球のように硬いのも、その体内を強い魔力が満たしているから。
速度+硬度。
怒りの方向をあげるスライムの体当たりは、女の柔らかで無防備な鼻に命中し、「めきょっ」というどこか滑稽な音を響かせた。
それは骨が砕ける音。
ほんの少し遅れて声がした。叫び声、うめき声、泣き声………。様々なものが混じった声。
ぶっ倒れた鼻からは大量の血が噴き出て、真っ赤な絨毯を濡らしていく。
「あ、あ、あ………」
しかし獣の唸り声は止まらない。獲物は一匹ではないのだ。
「や、やめて、こないで………」
恐怖のあまり顔が歪み、痙攣している。しかしながらスライムの狂暴性が衰えることは無かった。
跳んだ。
音。
声。
廊下にうずくまり血を吹き出し、声をあげる女はふたりになった。
「セト!」
ルーナがようやく現場へやってきた時、スライムはメイドの脇腹に体当たりを喰らわせていた。この獣のいかりはまだ収まっていなかったのだ。
「セト!」
少女はスライムの体を抱きしめた。本当は怖かった。けれどこのスライムを止めることが出来るのは自分だけだと思った。
「………」
抱きしめた途端にスライムは大人しくなってくれて安心した。よかった、私の事をちゃんと覚えてくれていた。
目が合った。
そうしたらスライムの口の両端がウニっと持ち上がった。まるでいたずらを成功させた男子小学生のような笑い。
「セト………」
スライムがやったことは駄目なこと。だけど少女はどうしてもこのスライムを叱る気持ちにはなれなかった。自分のために怒ってくれたのだと分かっているから。
「ふぇ?」
頬を舐められた感触。
流れていた涙を舐めてくれたのだと分かった。
「せと………」
ルーナは笑っていた。
駄目で、やりすぎなこのスライムが、可愛くて仕方がなかった。
昨日出会ったばかりのふたりだけど、その心は確かにしっかりと結ばれていた。
ちなみにこのあと、悲鳴を聞きつけた大人たちが集結してルーナとスライムはあっけなく確保された。そしてルーナの母親からとんでもなく叱られて、もう少しで引き離されそうになったのだが、ルーナの必死の抵抗により、これからもなんとか一緒にいれることになった。
そして怪我をしたメイドたちには十分な治療費が支払われることとなった。
つづく。
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