第十六話 お泊まり会と信頼
湯気の立ち込める部屋の中、シャワーで体を流すフレアさん。体を洗った後は湯船に入り、溢れ出るお湯が流れ落ちる音と共に、フレアさんの声が漏れ出す。
「ふえええええぇ……なにこれ~気持ちいいいいぃ……」
その声を聴きながらキッチンに立つ僕。
「はぁ……なんか落ち着かないなぁ……」
不穏と雑念を料理にぶつけてなんとか理性を取り戻す。少し経ってフレアさんが風呂場から脱衣所に出てきた。
「いやぁ気持ちよかったぁ!ありがとうね!」
「い、いえ!そんな……」
壁一枚向こうに風呂上がりの女性が居る。前世でも経験のない事象にまたも心臓が警報を鳴らし始める。
「だけどすごいねウルカくん。家にお風呂があるなんてまるで貴族みたいだよ!」
「えっ?お風呂ってそんなに高級品なんですか?」
「知らないの?……って街に来たのが今日が初めてだもんね。お風呂は安くても月に金貨50枚ってところだから、私たちみたいな庶民にはとてもとても……」
「月に?」
「お風呂の水を出して沸かして温め続ける魔法師さんを呼ばないとだめだから」
空調の時にも現れた魔法師がこんなところでも働いているとは。
「でもフレアさんのお家も元は名家なんじゃ…」
「だけど貴族では無いからね、家の大きさ、豪華さじゃ男爵様の足元にも及ばないよ」
バルティシオ家は腕一本で上り詰めたタイプなのか。
「それにしてもお風呂ってそんなに大変なものなのか?……火と水の魔石と粘土くらいがあれば、誰でも作れると思うんだけどなぁ……」
空調と同じく、うちの風呂は魔石を利用した魔石家電の一種だ。湯沸かし、保温も魔石の力で調節可能である。
「う~ん…やっぱりすごいよねぇウルカくんって。そんなこと誰も考えないよ?」
「考えない?」
「魔法師さんの要らないお風呂とか、シャ…ワァ?みたいな新しい物を考えてそれを自分で作ろうなんて誰も考えないと思う」
また違和感だ。なぜこの世界の住人は『発明』や『物作り』という発想が希薄なのだろう。無いものは魔法でカバー、有るものは購入するかレシピ通りに作るしか発想がない。魔法と既存の技術に依存しすぎている節がある……そう考えたとき、カミスワさんの言葉がよぎった。
(それが、そちらの世界に巣食う闇と、貴方にお任せしたい問題点なのです)
「ねぇウルカくん?どうかした?」
「……あっ!いえ、何でも…たまたま思いついて作っているだけですから」
「ふ~ん…でっ!今は何を作ってるの!」
服を着終えたフレアさんがキッチンに飛び込んできた。
「今は夕食を作っているところです。ちょうどパンが焼けました」
釜戸から焼きたてのパンを取り出す。街に行った時に冒険者ギルドで素材を買い取ってもらい、そのお金で小麦粉とバターを手に入れた。昼のサンドイッチもそうだけど、今僕はパン作りにハマりかけている。
「うわ~!美味しそう!でもパンってすっごい時間がかかるんじゃ無かったっけ?ウルカくん帰ってから作り始めたのに出来るものなの?」
「多分、時間がかかるのは発酵の行程だと思いますが、僕は魔石で温度を上げて発酵を速めているんです」
おそらくこの世界のパン作りには、温度を利用した一次発酵、二次発酵の概念は無いだろうから、こっちのパン作りはだいぶ速く感じるだろうな。
「はっこう?」
説明が大変そうなので、取り敢えず料理を続けよう。
「そっちのお鍋は何?それ…鉄で出来てるの?蓋も分厚いし、なんか付いてるし…」
フレアさんが指をさした時、蓋の真ん中の突起からシューシューと蒸気が噴出した。
「ひぃいいい!!!?!何!!?」
「大丈夫です。これは圧力鍋と言って、料理を煮込んだときに出る蒸気を閉じ込めて、鍋の中に圧力をかけるんです。そうすると水の沸点が上がって高温での調理が出来るんです。今噴き出てる蒸気は、溜まりすぎた蒸気を逃がして調節しているんです」
「じょうき?あつりょく?…ふって?」
困惑するフレアさんを他所に、料理はだいぶいい具合だ。鍋の中身は小麦粉とバターを炒めたものにギガントボアの肉、オニアの根(玉ねぎのような物)、タムトの実(トマトのような物)、香草代わりの薬草とぺパの種、ソイスの果汁、町で購入したワインを入れてある。
「……よし、出来ました!」
テーブルに料理を並べ、フレアさんと対面で腰掛ける。
「すっごおおおい!!!!!これ何!?」
「パンとギガントボアのシチューです。さぁどうぞ、温かいうちに」
フレアさんがスプーンを取り、ギガントボアの肉を掬おうとすると、大きな肉塊がホロっと崩れた。
「えぇっ!?柔らかい!?まるで何日も煮込んだみたい…なんでこんなに柔らかいの!?」
「これが圧力鍋の力です!」
前世の科学と『創造主』のお陰なのだが、なぜか誇らしげな気持ちになってしまう。そんな僕の前で、フレアさんがシチューを口にに入れた。
「こ、これは……短時間煮込んだとは思えない深みとコク!そして噛まずにホロホロと崩れるギガントボアの肉!美味しい……美味しすぎる!こんな美味しい物食べたことないよ!」
勢いよくシチューをかきこみ、追いかけるようにパンをかじる。
「このパン何!?フワフワ!柔らか!こんなパン初めて!」
ガツガツと食べるフレアさんの皿はあっという間に空になった。
「ふわあぁ、美味しかった~!やっぱりウルカくんの料理は最高だよ!」
「ハハッ、ありがとうございます」
「でも、圧力鍋とかかき氷みたいな料理もそうだし、お風呂もエアコンもどうやって思いついたの?どれもこれも見たことがない、まるで別世界の物みたい」
フレアさんの言葉にビクッと震えた。
「は、はははっ……た、たまたま思いついただけですよ……」
自分が転生者である事。更には神様の加護というチート持ちである事は、そうそう周りに漏らすべきでは無い。奇異の目で見られるならまだしも、誰かに利用されて世界の秩序を乱してしまう可能性だってある。それならば極力他者との関係を持たないのが得策。フレアさんとだった今回の件が終われば…そう考えた時、ふとゲオルドさんの言葉がよぎった。
(本当に信頼できる奴が現れた時は包み隠さず自分を曝け出した方がいい。そういう奴が一人も居ない世界ってのはどう足掻いても孤独だ)
信頼か……前世でブラック企業の沼にどっぷり浸かっていた僕にとっては、随分懐かしい言葉だ。信頼された覚えもないし、周りには不信感を抱いて、言わばずっと孤独だった。そんな僕が信頼……信頼ってどうすれば出来るんだっけ?そんな事を考えていると、いつの間にかフレアさんに顔を覗き込まれていた。
「ウルカくん…」
「はっ!あぁ、なんでもないです…」
「おかわりして良い?」
「…………」
結局フレアさんは、パンとシチューを5回ずつおかわりした後、食事を終えて今日は休む事に。
寝室を案内し、ベッドに腰掛けるフレアさん。
「食べ過ぎた…動けない…ていうか本当にいいの?寝室一人で使っちゃって」
「勿論ですよ。僕は下の階で休みますんで」
「なんか申し訳ないなぁ…ごめんね?泊まるなんて言って。なんか久々に友達が出来たみたいで、嬉しくなっちゃって…」
「友達……ですか…」
「…嫌だったかな?」
「そ、そんな事無いですよ!なんと言うか……僕も嬉しいです!」
「じゃあ!私達は友達ね!」
そう言うと、フレアさんはニカッとと笑って見せた。
「良かったぁ嫌がられなくて!普段一緒にいるのはセルジアのオジサンやお兄ちゃんばっかりだから、歳の近いウルカくんと仲良くなれるのは嬉しいよ!」
「でも、セルジアの方達と随分仲がいいですよね?」
「あぁ…それもこれもお父さんのおかげなんだよね…」
「お父さん…クラトスさんの?」
「元々セルジアの街は、王都で事情があって職を失った人や、そもそも職に就けなくてゴロツキになったような人達の集まる、ほとんどスラムみたいな街だったの」
「そうだったんですか!?全然イメージ出来ない…」
「そこへ解散した近衛騎士団もやって来たの。入り口にいたロベルトも、街の鍛冶屋さんも元は近衛騎士団の一員だったんだよ」
「そうだったんですか!じゃあギルドに居たオジサン達も…」
「いや、あの人達は元々セルジアに居た人ばっかりだよ。元々冒険者ギルドどころか買い物をするお店さえ無かったセルジアの街を、お父さんと近衛騎士団のみんなや、ゲオルドさんが協力して、街の人達が住みよく働ける街にしていって、元々野盗みたいな事ばっかりしてたみんなを、冒険者として稼げるようにしたんだ」
「なるほど……ゲオルドさんは近衛騎士団の方ですか?」
「あぁ……ゲオルドさんは元々、王都でも有名だった盗賊団の頭をやってたのよ」
「えぇ!?」
驚きはしたものの、少し納得している自分もいる。
「それで、国からの任務で近衛騎士団が討伐する事になったんだけど、腕を見込んだお父さんがゲオルドさんを含めた盗賊団の人達を連れて帰って、無理矢理冒険者に登録させたんだって」
「それはまぁ…なんとも…」
「でも、ゲオルドさん達は『お陰でまっとうな道に進むことが出来た』て言って、お父さんにものすごく感謝してて、騎士団が解散してセルジアに行く時も、盗賊団の人達からすすんでついて来たんだよ!ちなみに受付嬢のキリエさんも元盗賊だからね?」
「えぇ!!?!そうなんですか!?」
ゲオルドさんの件よりも露骨に驚いてしまった。
「そんなこんなで、今のセルジアがあるのはお父さんのお陰って、街のみんなも思ってるんだ」
「クラトスさんは素晴らしい人なんですね」
「うん!お父さんは私の誇り!……だから、今は私が頑張らないと…」
フレアさんの決意に満ちた瞳が静かに燃えて見えた。
「あ、ごめんね!寝る前にこんな長話。明日も頑張らなきゃだし、そろそろ寝ようかな?」
「はい、それじゃあまた明日。おやすみなさい」
そう言って僕は寝室出た。
すっかり夜も深まっていたが、なんだか寝付けずにずっと天井を眺めていた。久々の藁草布団のせいじゃなくて、なんだかドキドキして。
「……友達なんて学生以来だなぁ…」
久しぶりな上、異世界で出来た初めての友達に浮かれつつ、フレアさんに頼まれた修理の事を考えていた。
「…友達の頼みなら……いいかな……なんて……」
禁忌とされる神の呪いの解呪、神話級の修理、それらの理由を『友達の頼み』の一言で片付けて良いものだろうか……なんだかフレアさんに責任を押し付けているような気もして嫌だ。とにかく慎重に考えていこう。なにせ『友達の頼み』なんだからな。
闇深い森の奥、数人の男が傷付いて弱っているギガントボアを取り囲んでいる。
「プギイイィ……」
「こんな都合よく弱った個体に出会うとはな…」
「誰がやったか分からんが、お陰で仕事が楽で助かる。予定通り例の物を仕込んだら経過を見てズラかるぞ」
男の一人が懐から謎の液体が入った瓶を取り出し、ゆっくりとギガントボアに向けて傾けた。




