表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
原子の虚像  作者: 菅原やくも
2/2

後編

 迂闊だった、と言えばそれまでだけど、避けるのが難しかった。というか避けられなかった。

 電車から降りた瞬間。駅のホームに出て、足元に二メートル四方くらいの黒いやつ——ええと、病的なんとかギャップ——が現れた。

 気づいたときは、一歩踏み出していた。でも、これまでも他の人たちは平気でその上を歩いている。モトコは気を付けろと言っていたけど、自分だけそこへ落ちるなんて、馬鹿げていると思っていた。


「あ!? え……」


 目の前が真っ暗になり、ひたすら、落下する感覚だけだった。

「うそだぁ」

 単純に、落ちた、ということは理解できた。

 見上げても真っ暗、周囲も真っ暗闇。だけど不思議なことに、自分の身体はちゃんと見えていた。変な感じで、自分自身が光っているわけでもなかった。次第に、落下しているのか真っ暗な空間に浮かんでいるだけなのか、わけが分からなくなった。

 それから、いつのまにか横にモトコが立っていた。

「気を付けなさい、って言ったでしょう」

 モトコは地面があるかのように、その場にしっかりと構えて立っていた。

「ここなんなの? どうなってるの?」

「分かるでしょ。位相ギャップの内側よ。ねえ、いつまで浮かんでいるつもりなの?」

「え、だって、これどうなってるの」

「気合を入れなさい。シャキッと構えるの」

 それで言われたように、集中してみたら自然と体が直立して、普段みたいに地面に立っている状態になった。

「それで、ヒカリは落ちたわけね」

「いや、だって、いきなり目の前に現れたら避けられないって。他の人は平気なのに」

「見えてない人は平気に決まっているわ」

「なにそれ」

「そのままの意味よ。見えていない人たちにとっては存在しないの。でも、私たちには見えているのだから存在するのよ」

「なにそれ、哲学みたいな、見えていない物は存在しないみたいなの」

「物理の話は苦手なのに、妙なことは知ってるのね」

 モトコはあきれたようすだった。「それと、それが話題になったのは古典量子力学のときよ。まあ哲学じみてるとは思うけど」

 それで僕の手をとると「とりあえず、ここから出ましょう」と言って、引きずるようにして進みだし、語るように続けた。

「病的な空間位相ギャップの中は、この世界のオカルト的表現を用いれば、次元の裂け目とか、異空間とか、そんな感じ。より厳密には……いえ、この世界の言葉だとなんとも言えないわね。表現するための単語が存在しないから。重なっている空間同士の隙間、みたいな感じなんだけど」

「重なってる?」

「宇宙は三次元よりも高次元で構成されているから、空間は重ねることができるのよ」

「それが、よく分かんないんだけど……」

「簡単な話よ。例えば、三次元空間において、二次元平面は交差させることも、ぴったり重ねることもできるでしょ? つまり四次元空間なら、三次元立体を重ねることが可能ということよ。といっても、観測しようとすれば、とても大変なんだけど」

 やっぱり、言ってることが理解できない。僕の感覚では、控えめにも、頭がおかしいんじゃないかと思える。でも、わけの分からない空間にいるのは確かだし……なんか、どうにでもなれという感じだ。

「さっきも言ったけど、空間を重ねるといっても、より厳密にはズレや隙間が生じるのよ。普通は見えたりしないけど。とにかく、ここがそうなの」

 もう一度、周囲をちゃんと見渡した。それで、思わず息を飲んだ。

 真っ暗闇だと思っていたのに、そうじゃなかった。なんというか、たぶん、なんとも形容しがたい、という表現をするべきなんだろうなという光景が広がっていた。

 なんとなく、写真のネガみたいに世界の陰影が反転していて、それが上下左右に、合わせ鏡のような景色が、無限に連なっているような感じだった。そして、それは全部が動いていた。

 唐突に気分が悪くなった。これは、たぶん、見てはいけないモノなんだ……そんな感じがして、目眩が——


 気が付くと、かすかに木々と土の匂いを感じた。起き上がると、見知らぬ神社の境内にいるのが分かった。

「やっと気が付いたわね」

 振り返って見ると、モトコは建物の柱に寄りかかって立っていた。

「ヒカリったら、いきなり失神してしまうから、ちょっと慌てたわ。それで、ここはどこなの?」

 その質問、するのは僕のほうじゃないのかと思ったけど、言い返さずに、あらためて周囲を見渡した。

 木々に囲まれている小さい神社。

 「この世界は面白いわね。」モトコはつぶやくように言った。「例えば神社とかなんだけど、病的な空間ギャップの分布と一致してることが多いのよね」

「ふーん」

 それから僕はあらためて周囲を見渡した。

 小高い場所で、石階段の下るほうには町が見えた。田舎というより郊外という感じだ。そして、既視感があった。子どものころの記憶が湧いてきた。

「ここ、知ってる。子どもの頃によく遊んでたところだよ」

「それは良かったわ。じゃあ、帰り道は案内してちょうだい」

「モトコは、スマホとか持ってないの?」

「ご生憎様ね。私にはあんなもの必要ないわ」

「なんで?」

「スマホは人間の精神を腐食させるからよ」

「は?」

「たんなる言葉のアヤ。使い方次第ってことね」

 モトコの発言は、やっぱり突飛なものばかりで、僕の頭のなかには?が浮かぶばかりだ。

 とりあえず神社を出て、駅へ向かい、帰りの方面の電車に乗り込んだ。

 電車が出発するとともに、モトコはまた話しだした。

「ここの地球は、私が見てきた中でも最も酷いところよ。常に失敗の連続、まるで間違った歴史の総集編ね。はっきり言って無目的な社会体制。世間は乱雑でとりとめがないし、論理的思考と利他的行動の欠如がみられる。バカみたいに振舞う、現実を直視しない楽観主義の呑気な集団ばかり。この調子だと問題を片付ける前に文明が滅びそうだわ。でも……でも、なんとなく居心地よく感じるときもあるわね。ぬるま湯みたいな世界って、このことよ」

 たぶん、モトコはこの世界をバカにしているのだろうけど、話のスケールが大きすぎてピンと来ないし、そもそも、なんというか、それは日常というか当たり前のことで、なにか問題があるのか不思議な感じもした。

「あの、モトコのことも少し聞かせてくれない?」

「え?」

 なんとなく聞いただけだけど、モトコは意外そうな顔を見せた。

「いや、話したくないならいいけど、だって、物理だとかそういうの、難しすぎて理解がつかないからさ。自分で言うのもなんだけど、頭悪いし、留年してるし」

「そうかしら? 頭の良し悪しは意外と簡単には測れないものだと思うけど」

「モトコは、ほんとうに違う地球から来たの?」

「そうよ。この世界の言い方を借りれば、並行世界(パラレルワールド)から来たってわけね」

 彼女は一瞬笑みを浮かべてから続けた。「もともと住んでいた地球では、私は研究者だったのよ。下級研究員だけど」

「研究者? すごいね」

「大したことないわ。下っ端というか末端というか。まあ、この地球の平均レベルからすれば、優秀かもしれないけど」

「でも、研究者なんだよね?」

「私がいた地球では、人類の七割くらいが、なにかしらの研究業に従事していたの。トップクラスの研究者なんか、ここの地球の全英知をかけても、到底敵わないでしょう」

「へえ……研究者ばかりの世界」

「言っとくけど、この地球には真似できないわよ。まず人口過剰で、資源(リソース)の奪い合いをしている時点で、いろいろと詰んでるわ」

「それで、どんな研究をしていたの?」

「空間構成理論に関する基礎研究。まあ、あまり日の目をみない研究ね。もちろん、この地球ではまったく未発達の分野よ」

「ところで、どうしてモトコは違う地球に住んるのに、どうしてこの地球に来たの?」

「別に、ここだけには限らないわ」

「どういうこと?」

「沢山ある、ということ。でも、私の暮らしていた地球には戻れない」

「なんで?」

「もう、たぶん存在しないから」

「え? どういうこと?」

「不完全な理論を用いた実験による副次的結果。つまり、実験失敗で惑星が吹き飛んだ、あるいは消えたということね」

 惑星が消えた? 突飛だ。僕の想像を超える話。

「そんな、でも、だって頭のいい人たちばかりなのに、誰も気がつかなかったの?」

「どこの地球でも、人類の歴史というのはトライアンドエラーの集積よ」

「でも……」

「私のいた地球では、最後のエラーが取り返しのつかないくらい、大きかっただけ」

 なんだか、聞くべきでないことを聞いてしまった気がする。でも、モトコはそんなに気にしていない感じだった。

「そのことに早く気が付いていたから、私は逃げ出したけれど。どうせ戻れるとしても戻る気なんてないわ」

 モトコは大げさに伸びをして続けた。「ヒカリ、あなたはいろいろと素質があるわ。私と一緒に冒険に出ない?」

「え?」

「並行宇宙を渡り歩くの。この世界のドラマで例えるなら……そうね、『ドクター・フー』みたいな感じかしら」

「なにそれ?」

「知らないの? まあいいわ。どうする?」

「でも、そんなの、すぐには決められない。課題提出は残ってるし、もうじき期末試験もあるのに」

「真面目ね」

 モトコはあきれたようにため息をついた。「そんな悠長な時間ないわよ。まあ、少しくらいは考える時間が必要でしょうけど。私は移動しなきゃいけないから」

「移動?」

「とにかく、人生は決断の連続よ。一つ一つに時間をかけていたら、知らないうちに人生が終わっちゃうわ」


***


 正直なところ、僕は自分の中ではっきりと結論が出せなかった。それで、モトコの誘いは断った。


「そうなの」


 モトコは残念そうにつぶやいた。一瞬、とても寂しそうな表情が見えたような気もした。

「明日にでも、この世界が滅ぶとしても?」

「え? それって……どいうこと?」

「冗談よ」

 彼女は笑って答えた。「ここの人類はアホばかりだけど、そんな簡単に滅びはしないわ。でも、ヒカリが冒険に興味がなくて、ここで平凡に暮らしたいなら、それもいいわ。じゃあ、さようならね。永遠に」

「ほんとうに?」

「そうよ。でもヒカリ、自分の人生を過ごしなさい!」

 ほんのわずかの、迷いがなかったわけじゃなかった。でも、「やっぱり行くよ」という言葉は言い出せなかった。

「うん、さようなら」


***


 それからというもの、雑なポリゴンみたいなやつとか、世界の裏面みたいなところへ繋がる、病的な空間位相ギャップとやらも見ることはなくなった。

 なぜか、図書館でモトコが見せてきた、あのタブレットみたいなやつのことを思い出した。どんな仕掛けの機械かしらないけれど、もしかして、それがなにか関係あったのだろうか?

 ほんとうに何者だったんだろう? でも、彼女はもういない。

「僕も、研究者とか目指してみようかな……」

 ぼそりと呟いてみても、なにかが変わるわけでもなかった。

 でもなんだか、小さくてもいいから、人生で輝くものを手にしないといけないような気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ