うちの国の王子はB専かもしれない。
「婚約を取りやめましょう」王子は悲しそうな顔で絶世の美姫へそう告げた──まさかうちの王子はB専なのか!?B専(疑惑)王子と世界一の美姫のお話。
初投稿です。よろしくお願いします。
──これは醜女好きと言われた王子と、世界一の美女と言われた姫のお話。
「婚約を取りやめましょう」
王子は悲しそうな顔でそう告げた。
──どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
姫は目の前の男、この国の王子を見つめ返す。後ろに撫でつけた黒髪は艶やかで、肌には何一つ翳りがない。父王に似た大きくて切長の二重に、母妃譲りの形のいい唇が、少し悔しそうに歪んでいる。
「殿下、私なにか、粗相を致しましたでしょうか」
王子が王都の学校を卒業した夜のこと。成婚に向けて大々的に発表されるだったはずの王子と隣国の姫との婚約は、王城のとある一室にて人知れず破棄されようとしていた。
「君が好きでした」
王子は静かにそう言った。
小国の王族同士、幼馴染のようにして育った二人は、物心ついた頃には二人は将来家族になるのだと言われていた。目の前の姫と婚約し、結婚し、子を成し、王となる。そしてそのとき隣には、国母となった姫がいる。
それは王子にとって、王族に生まれた自分の使命であり、王となる自分の意志だった。
であるから、婚約の破棄を申し出たのは王子にとっても苦渋の決断だった。
「なぜ、変わってしまったのです?」
王子の真摯な目線に耐えられないと、姫は大きな瞳を伏せ目がちにした。柳眉を八の字にして、桜色の唇を一文字に引き結ぶ。
「……私は弱かったのでございます、殿下」
沈黙に耐えかねたように、姫はそう言った。
「いくら勉強して知識を得ても、いくら良き行いをして善くあろうとしても。……醜い私は、あなたの隣に並ぶ自信がございませんでした」
そう、姫は果ての国にいる魔法使いに頼んで、容姿を変えたのだ。
絹のように美しい金糸の髪も、職人があつらえたような大きく美しい紺碧の瞳に、それを縁取るまつげも、通った鼻筋に、ぷっくりとして可愛らしい唇も、抱きしめれば折れそうなほどに華奢な体格も、スラリとした白魚の指先も。
生来の姫のものではなかった。
王子は姫の様子に胸を痛めた。
何故ならば、王子は姫のことが好きだった。
生まれた環境によって決まった婚姻だったけれど、幼い頃からともに過ごすうちに、姫の存在は当たり前に大切になっていった。
だから、先日、姫が突然容姿を変えて現れたときには、腰が抜けるかと思うほどに驚いた。
「……僕が好きだったのは、そのままの君です。微笑んだ時に弧を描く瞳も、薄く小さな唇も、顔中のソバカスも、僕は君の全てが愛おしかった。君がどんな姿だろうと、僕が好きなのは優しい心を持った君なのですから」
「……」
姫は、口を開きかけて何か言おうとしたが、言葉は出てこなかった。
「姿を変えるまで君が思い悩んでいたことを、一緒に苦しむことの出来なかったことを僕は悔しく思います」
「……いいえ、いいえ!殿下は幼い頃より私のことを気遣っていただきましたわ。お茶会や舞踏会なども、人は最低限の数でしたし、醜さを誤魔化せるように、沢山の贈り物もいただきましたわ」
だから、この国で姫の姿は限られた人しか知らなかった。けれどそれでも、姫自身はずっと容姿に悩んでいたのだと思うと、王子は心が傷んだ。
そして、自分が姫のために出来る最大限のことをしたいと思った。
「僕は決して、君が醜いなどと思ったことはありません。けど、僕が隣にいることで、君を傷つけるくらいなら。僕は身を引きましょう」
「……さよう、ですか」
「ええ、僕たちの婚約は一度白紙に戻しましょう。このまま容姿を変えて結婚しても、きっと君は後悔します。優しい君のことです、僕や、民を騙しているのではないかと良心に苛まれるでしょう」
それとも、今すぐ魔術を解除するというなら僕は婚約の取りやめを撤回します。
王子は、その言葉にきっと姫が頷いてくれるだろうと思っていた。だから、隣の部屋に魔法使いを待機させていたし、婚約を発表をする準備もしていた。
何故ならば自分は姫を愛していたし、それは容姿が変わろうと不変であると断言できたから。
しかし、
「いえ、白紙に戻しましょう殿下」
姫はそう言って顔を上げた。
これには王子も驚いた。
「え?僕は、そのままの君を愛しますと、そう言っているのですが」
そう言い返した王子の瞳を、姫は真っ直ぐに見つめる。未だかつて、こんなにまっすぐ姫から見つめられたことはなかった。
その紺碧に王子は少し、戸惑った。
「良いのです、私こうして姿を変えて、今まで部屋に閉じこもっていたことを後悔しましたの。昨日だってそう。舞踏会があんなに楽しいこと、人の目が怖くないことを初めて知りましたわ」
姫ははっきりとした口調でそう言った。
昨日は王子の学校の卒業パーティで、姫は初めて王子と大人数の前でダンスを披露した。
美男美女だ、世界一の美女姫だ、と将来の国王夫妻、将来の妃を称える声は数あれど、醜い、不釣り合いだ、と謗り、王子との婚姻を嘆く人間は一人としていなかった。
姿を変えて初めて、姫は心から笑うことができたのだ。
「元の姿でもいいではありませんか!僕は、僕は君だけを愛するのですから!」
王子の言葉に、姫は小さく首を振った。
「殿下が、決して容姿に囚われることのない、素晴らしいお方だというのは重々承知していますわ。けれども、私は、私自身を愛したいのです、殿下。この姿で、私は生きていきたく存じます」
お許しください、と姫は腰を折った。
これが我儘だと分かっていた。
当世の王子は醜女好きだと、自分の容姿を知る人間の間で囁かれながら、それでも隣に立つ強さを自分は持ち合わせていないのだ。
姫だって苦渋の決断だった。
王子は一度眉間に皺を寄せたが、一瞬ののちに凛々しい顔に戻った。それは姫の好きな、凛々しくも優しい顔だった。
「……わかりました。けれど、これだけは覚えておいてください。婚約者でなくたって君は僕の大切な人で、僕はずっとずっと、君の味方だ」
「ええ、私の大切なお方。また会う日までご機嫌よう」
そうして、隣国の姫は王子の元を去った。
周囲の人々にしてみれば、すぐにでも婚約が発表されるだろうと思っていた矢先の別れ。先日のパーティで、王子は世界一の美女姫と仲睦まじく踊っていたはずなのに。
きっと王子は醜女好きなのだ、いやいや酷い性癖があったのだと、民草の間ではそうまことしやかに囁かれたが、当の王子は穏やかに笑うだけだった。
一方、すぐに隣国に戻った姫君。
婚約取りやめのショックで、容姿に悩んでいた幼い頃のように部屋に引きこもってしまわれるんじゃないか、と事情を知る近しい人々の予想を裏切り、姫は留学という名目で大陸で一番大きな帝国に向かった。
大陸を牽引する大国であるこの帝国には、魔力を持って迷宮になった古代遺跡が沢山あるし、土地も豊かで、商工業も発展している。
「……私、自由だわ」
長年悩んでいた容姿が見違えって、姫は翼が生えたようだった。
もちろん、果ての国に何度も通い詰めてやっと容姿を変化させる魔法を掛けてもらったのは、王子に相応しい女になりたかったからなのだが。
「なんて生きやすいのかしら」
一国の姫の容姿が優れていない、そうずっとがっかりされてきた。大きな愛情を受けて育ったが、聡い姫は人の表情の裏側にある感情を読むのに長けていた。
どこかで周囲が自分に気を遣っていると、それが自分の容姿に由来するモノだということには早々に気づいた。
「王子にはとても悪いことをしてしまったわ。醜い私でも愛すると、王族の責務を全うしてくださると、そう言ってくださったのに」
お気に病まずに、と国から共にやってきた側仕えの侍女がそう姫を慰めた。
「ええ、わかってるわ。私、王子には悪いけれど、それどころじゃないのよ。死なない程度になら好きにして良いと父上も言ってくださったし、誰も私のことを知らないこの国で、どこまで出来るかやってみるわ!」
そうして意気揚々と、姫は道を歩み出した。
旅をするのが私の夢だったの!と一国の姫が数人の護衛とともに帝国で身分を隠して冒険者をすることになるとは、この時は当人も誰も予想をしていなかったが。
───そして、突然の婚約破棄から数年の月日が経った。
とある冒険者の一行が、帝国で一番大きいダンジョンを攻略し、膨大な魔力と金銀財宝を手にした。
帝国に安寧と富をもたらした一行には、攻略の褒章が与えられるということで、一行は皇帝のいる帝都にある立派な城にやってきていた。
「それぞれ屋敷と報奨金のほかに、剣士には騎士団の特別顧問の職を、賢者には国の名誉職を、治癒師には国宝の宝玉を与えよう。そして魔法使いには、俺の妃の座を」
「…………は?」
その言葉に固まったのは冒険者一行である。歳若くして皇帝の座についた今代の皇帝は、噂に違わず優秀であるし、見目も麗しく国民からの人気も高い。
しかし、妃の座に冒険者一行の魔法使いを、だって?
あたりの大人たちがざわざわしているところに、あっけらかんとした声が響いた。
「ちょっとちょっと、皇帝陛下。約束とちがうじゃない」
やってきたのは、
「お、王子殿下!」
冒険者一行の魔法使いこと姫の幼馴染であり、かつては婚約の約束まで交わした王子であった。
「やぁ」
王子は、姫に向かって小さく手を振った。久しぶりの再会に、少し照れたらしい。
「なんだ、魔法使いよ。俺の妃にはならないのか?長閑だけが取り柄の田舎の小国よりも、自由と力を愛するこの土地の方がお前にとって都合がいいんじゃないのか」
「皇帝陛下、僕の国は長閑なだけじゃないよ。この国は本当に魅力的なんだから惑わすこと言わないで」
少し不満げな王子を、皇帝は片眉を大袈裟に上げて挑戦的に見やった。
「なんだお前、好いた女に不自由を強いるのか」
「……僕は王子だ。僕は一生生活に困らせないことを誓うけれど、一生をくれと妻に言う」
陛下もおんなじようなもんでしょ、と王子が皇帝に親しげに軽口を叩くものだから、姫は空いた口が塞がらない。
大陸最大の大国にして経済福祉軍事魔術、全てにおいて頂点に君臨する帝国。その首長と、小国の王子がなぜこんなに親しげに会話をしているのか。
「王子は、姫がこの帝国に旅立った後、ご自身も留学と銘打って帝都の学校に入学されたのですよ。皇帝陛下とはご学友だとか。留学とは名ばかりの姫さまと違って本当に学校に行かれていたのです」
一行の治癒師、もとい側仕えの侍女は淡々とそう言った。
「えぇ?!あなた何故それを知っていたの」
「何故って、姫さま一人だけで帝国に留学など、姫さまを溺愛する国王が許すはずないでしょう。王子も同じ国にいると言うから、渋々お認めになられたのです」
姫は開いた口が塞がらなかった。
そこに王子がやってくる。
「誤解しないでくださいね、姫。僕は時々君の護衛と連絡を取っていただけで、君の旅路の手助けはしておりません。君が手にしたものは、君の力で手に入れたものです」
ご立派になられましたね。
そう言うと王子は、姫の前に跪いた。
「姫、僕の求婚を受けてくれますか?」
数年越しに王子は、そう言って姫に求婚した。
それに驚いたのは、もちろん姫だ。
「お、王子!私にはもう美しい容姿はございませぬ!」
そう、少し前から徐々に変身の魔法の効果が切れて、現在の姫の容姿はすっかり元の通りだ。
王子は、戸惑う姫の様子に優しく微笑んだ。
「知っております。だから僕は、そのままの君に問います。僕の妻になってくれませんか?」
柔らかく微笑む王子の様子に姫は心臓を高鳴らせながらも、それをどうにか押さえつける。
「な、なぜですっ、私は、私はもう美しい姿じゃないというのに。まさか本当に王子は醜女好き……」
なにやら不名誉なことを言わせてしまう前に、王子が被せるように言った。
「君が好きだからですよ、姫。容姿なんて、気にしやしません。けど君が、君自身を愛せないのが僕は嫌だった。自己愛は自分で手にしないと意味がない、僕に与えられるだけの愛では満たさなれないものですから。だから、僕は一度君の手を離しました。きっと自分自身を好きになった君は、もっともっと素敵な人になるんだと、絶対の確信がありましたから」
そしてそれはあっていました、と王子は姫の手の甲に口付けた。
「姫、どうか僕の隣で生きてくれますか?」
先程まで勝ち誇ったような顔の王子が、少し不安げにそう尋ねたのを、姫は少し可愛らしいと思ってしまった。
あなた私を嵌めたのね、とか、知っていたけどあなたってば腹黒よね、とか。言いたいことは沢山あった。
けれど、口から出てきたのは素直な言葉だった。
姫は勝ち気に笑う、
「あなたも、私の隣で生きるというなら」
その言葉に、王子はもちろん、と言うと姫を抱きしめた。後ろで冒険の仲間たちが祝福し、皇帝が残念だと笑っているのが見える。
姫にはもう、
絹のように美しい金糸の髪も、職人があつらえたような大きく美しい紺碧の瞳に、それを縁取るまつげも、通った鼻筋に、ぷっくりとして可愛らしい唇も、抱きしめれば折れそうなほどに華奢な体格も、スラリとした白魚の指先も、もう無かったけれど。
「愛しています。これまでも、そしてこれからも」
そう隣の人が言ってくれるから、そして自分も自分自身を愛せるから、これでいいのだ。
───こうして醜女好きと言われた王子と、世界一の美女と言われた姫は再び結ばれましたとさ。
───めでたし、めでたし
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最後までお読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたら幸いです。
※誤字脱字レポートありがとうございます。