恋の種の小さな話
ヘタクソなりに恋愛ものを書いてみようなんて思ってしまいました。
お目汚しでなければ幸いです。
友達が色気づいている。
学校の席、二列隣の三列前。教室の机と椅子を起点にして、数人の女子が輪を作って話をしている。会話の内容はイケメンだとかイケボだとかドラマだとか音楽だとか、散々遠回しにしてはいるだけで、詰まるところは男の話、詰まるところはエロスの話。彼女たちは、休み時間に机に化粧道具を広げて、先ほどの体育の時間に汗で崩れた化粧を整えながら、そんな話をセミオートの機銃みたいに忙しなく、飽きもせず尽きもせず、よくもまあ続けられると感心するほどに教室に響かせている。
言い訳するわけじゃあないが別に聞き耳立てているわけではない。明け透けにデカイ声で話すから嫌でも耳に入るのだ。
そんな女子の一群れの中に僕の友達がいる。いや、友達だったと言うべきなのか。改めて確認する機会ももうずいぶん無かったので、僕にはそこははっきりしなくなっていた。
そいつは、髪の毛をやや明るい栗色に染めて、光沢のあるピンクのマニュキアで伸びた爪を固め、ちょっと過剰気味のファンデーションが艶のある肌の色から浮いている。着崩された制服やスカートの丈は、体を包み守ると言うよりも、体の見せる事をはばかるべきエロい部分にギリギリで覆いをかける役割ばかりに費やされている。少なくとも高校に入ってから始めはしたが、でもいつ頃からか始めたのかははっきりしない、ファッションと銘打った学校の先生に呼び出しを食らうラインとの綱渡りをする遊びに、今日も夢中になっている。
そいつは、クロサワは、昔はそんな垢抜けた奴ではなかった。近所の男の子に混ざって遊ぶような奴だった。ドブ川を腹を上に向けて流れてくる三十センチほどはある鯉の死体を見つけて、友達と総出でタモですくって捕まえようとするような奴だった。その後で、川の主を見つけに行こうと言い出して、友達みんなを引き連れて、リュックを背負ってドブ川を遡上して水源のある山のふもと近くにある沢まで探検に行くような奴だった。今思えば、クロサワは生きている鯉を捕まえて家で飼いたかったのかもしれない。
まあ、何というか、僕にとって、クロサワという奴はそういう奴であったので、ボサボサの髪の毛でサワガニやイモリを捕まえて、獲ったぞと誇らしげに笑うような奴であったので、今のクロサワにはどこか冗談めいたものを感じるのだ。唇を淡いリップで彩って、デオドラントで甘いような香りをまとわせていても、僕の記憶の中では女の子になる前のクロサワが今もあの日のままに大股で先頭切って草むらを歩いているから、その食い違いはうまく消化されないままにしこりのような形を残す。
オトコノコとオンナノコ。性染色体の作用によって緩やかに分かたれる僕たちは、でも、その前は一つだった。子どもという一つだった。
だから僕もクロサワも一つだった。友達という一つだった。でも、クロサワは子どもではなくなって女の子になった。そして、僕も男の子になった。ただ、記憶という過去から続く罫線だけがその変化にこんがらがって、うまく適応できないでいる。
そして、そのこんがらがりが作用するように、僕とクロサワは疎遠になっていた。今でも同じ学校に通って、廊下ですれ違い、顔を合わせれば挨拶ぐらいはするけれど、だけど遠い。
やっぱり、僕たちはもう友達ではないのかもしれない。僕のいう友達は、子どもという未分化の存在同士に自然と生まれる結束のようなものなのだ。だから、男の子と女の子に分かたれた僕たちにはもう成り立たないものなのだろう。
クロサワが僕の方を見ていた。視線の意図を汲み取れない僕がぼんやりと眺め返していると、クロサワはムッとしたような顔をしてそっぽを向いた。取り巻きの女の子たちは何だか意地の悪そうな顔でニヤニヤとしていた。
くもり空の通学路を帰る。天気予報では昼過ぎから夕方にかけて雨との事だ。つまり、お天道様は晴れこそしないがずいぶんと保ってくれているわけだ。僕はその僥倖をありがたくも頂戴できるうちに家にたどり着こうとしていた。
だが、あるものを目にして足が止まる。経年の雨跡で黒ずんだ赤いビニールの軒に、のれんにお好みの文字。僕たち近隣の子どもが駄菓子屋と呼ぶ場所だった。正確には、そこは駄菓子屋が本職というわけではなくて、鉄板でお好み焼きや焼きそばなどの軽食を出す軽喫茶なのだけれど、小学校の近くという立地上、子ども向けに駄菓子も置いているため、僕たち子どもにとっては駄菓子屋の方で認知されているというわけである。そして、学校の校庭や近くの公園で日が暮れるまで遊ぶ僕たち子どもにとっては、空腹の際の補給が受けられる補給基地のような場所だった。
僕はふっと駄菓子が食べたくなった。そういえば、もうずいぶんとあの駄菓子屋ののれんをくぐっていない。何しろ僕も高校生にもなっていたから、小学生の溜まり場に足しげく通うことなんてない。だから、まだ営業を続けている事にちょっとした驚きを感じて、そうしたら急に焦がしたウスターソースの香りの漂うあの場所をちょっとのぞいて見たくなったのだ。
のれんをくぐったその先は、くもり空の分少しだけ照明の弱い薄暗がりで、でも、入り口近くの土間に置かれた陳列棚には昔見ていたままの駄菓子たちが所狭しと押し込められている。すぐそばの冷蔵庫には細長い棒状のプラスチック容器に入っていたり、ボトルの形を模したプラスチック容器に入ったジュースが冷やされていて、年中置かれた冷凍庫には安い棒アイスがたくさんの霜をまとって白くなっている。
まるで時間の流れの外側にあるように、その場所はあの時の姿を残していた。ただ変化は何もないわけでなく、店主のおばあちゃんが、娘か孫かのおばさんに変わっていて、店の内装も改修されたのか少しきれいになってはいた。
「あっ」
小学生たちに変なものを見るような視線を向けられながら、何となしに駄菓子を選んでいた僕はのれんをくぐって現れた顔を見て思わず声に出していた。
クロサワだった。意外だったのは相手も同じようだったようで、クロサワも同じようにあっと声を出していた。
赤いビニールの軒の下、買い込んだ駄菓子を食べながら、僕とクロサワは肩を並べている。子どもだった僕たちがその時当たり前のようにそうしていたのと同じようにだ。ただ違いがあるとすれば、交わす言葉は少ない。子どもだった僕たちには自分が気の向くままに話した事がきっと相手にも面白がってもらえると当たり前のように思えていた。でも、今は違う。僕にはどんな話題を持ち出せばクロサワと、女の子と、気を置かずに話しが出来るのかわからなくなっている。僕もまたもう男の子に変わってしまっている。
「あのさ」
先に切り出したのはクロサワだった。
「私、なんか悪いことしたか」
僕は思い当たる事が無くて不思議そうな顔をする。
「何でさ、そんなに避けんの?なんか怒らせるような事したの」
「別に何にもしてないだろ」
「じゃ、何で避けんの」
「避けてない」
「避けてんじゃん」
「避けてないって」
「避けてんの」
クロサワが軽く詰め寄るようにすると、頭一つ高い僕の視点から、着崩した制服の胸元からのぞいてはいけない膨らみがのぞきこめそうになって、思わず一歩離れてしまう。
「ほら、避けた」
クロサワの少し理不尽な論破の仕方に僕は少しだけムッとする。
「みんな冷たい」
クロサワは引き下がった一歩分僕に身を寄せる。
「イトーもそうだけどさ、ヤッチも、ハッタも、フータもそうだ。みんな私を避ける。何で?何でよ?私何か悪い事でもしたの、みんなを怒らせるような事をしたか。みんな、みんな冷たいよ」
クロサワが出した名前は子どもだった僕とその友達たちだった。
僕はクロサワの言葉にハッとする。同じだったからだ。僕が、男の子が、クロサワが女の子らしくなっていく中で感じ始めていた疎外感、どこか住む世界が変わっていくような感覚を、クロサワも、女の子もまた感じていた事が分かったからだ。
「私、まだみんな友達と思ってるのにさ。嫌いなら嫌いって言えばいいじゃん。そしたらさ、そしたら・・・、もう、いいから。言いたかったのそれだけだし」
そう言い終えるとクロサワは軒下から一歩踏み出してスタスタと歩いて行く。少し意気高く肩を怒らせて、あの日僕らを従えて山へと続く川の流れを辿った時のままのような背中を見せて。
思わず僕は、その背中に釣られて歩き出していた。
国道沿いで風に吹かれ、高架下で上を通る車の地響き感じて、橋を渡って川を超えて、あぜ道通ると青草が香って。家に帰るでもなく、あてがあるようでもなく、でも、歩くために歩いているような僕たちには道は絶えないから。
その内に、クロサワがくるりときびすを返し、後ろを歩いていた僕に向き直る。
「何でついて来んの!」
「何でって・・・」
なぜだろう?
でも、僕には不思議と予感だけはあった。別れていったものが少しづつ癒着するような奇妙な予感だった。治りかけのかさぶたのような、痛いような、かゆいような、くすぐったいような、奇妙な感覚。
「ついて来んな!」
ふいに振り返ったクロサワが僕に言う。
「分かったよ」
そう口だけで言って、僕は先を歩き出したクロサワの背中を同じ距離で眺めて歩く。僕にとって、その距離は分かたれた僕たちが子どもでなくなる内に作ってしまった距離そのもののようにも思えた。それがふさがったその時に、こんがらがった何かが解けてほぐれるようにも思えた。でも、何をそのきっかけにすればいいのか僕には分からなかった。
「だからさぁ!」
相変わらず後ろについてくる僕にしびれを切らしたようにクロサワが振り返る。だが、そこへ、ぽつり。雨粒が落ちてくる。ぽつり、ぽつり。やがて、しとしとと小さな雨粒がもやのように風に舞い始め、ざっと堰を切ったように落ちてくる。
「傘持ってる?」
「持ってない!」
怒ったようなクロサワの声を合図にして、僕たちは二人そろって駆け出していた。雨粒は容赦もなく僕らに降り注いで、制服をじっとりと重くなるまで濡らしていく。
走っているとクロサワの足並みが遅れてくる。息を切らして、足元も少しよたついて、危なっかしい。クロサワのやつ、脚遅くなったなあとふと思ったが、それは間違いである事にすぐに気がつく。僕が速くなったのだ、男の子の体になる事で。変化なんてものは比べる相手がいなければ自覚されるものでもない。
僕はクロサワに足並みをそろえて、腕を組むように肘のあたりから体を支えてやる。クロサワは少し驚いたような顔をしたがすぐに吹きかかる雨粒を避けるように軽くうつむく。そして、僕たちは雨粒に追われて走る。
「降り出す前に帰るつもりだったのに」
高架から滴り落ちる雨粒をいまいましげに眺めながらクロサワはつぶやくが、そうは言うものの、さっきまでの道のりが家路とはあさっての方向に足が向いていた事は僕にも分かっていた。
雨に追われた僕たちは川を横断する鉄橋の高架下に逃げ込んでいた。元々この天気では人通りもろくにないが、濡れた制服の上着を脱いで乾かすために、僕たちはさらに人目のない所を探して引っ込んでいた。
河川敷に座って休んでいると、いつの間にか増水した川が泥の混じったような黄土色になりながら逆巻いていて、そんな流れにびくともしない大きな橋脚がずっしりと川面から伸びている。公園や運動場として使えるように河川敷は整備されていたが、見渡せるのは濡れた遊具やジョギングコースの植え込みばかりで、屋根伝いに行けそうな所もない。雨が収まるまで待つ以外はないようだった。
「寒い」
手慰みにスマホをいじっていたクロサワがつぶやく。
ワイシャツだけになっていた僕たちだったが、しこたま浴びた雨水に上着の下まですっかり忍び込まれていた。
「食べる?」
僕が学生鞄から駄菓子屋で無駄にたくさん買い込んでいた駄菓子を差し出すと、クロサワはうんとだけ言って受け取る。それから、横に並んで座ってがじがじとスナック菓子などをかじりながら、二人で空き袋を増やしていく。
先ほどまで激しかった雨音が、少しだけ和らぐ。日は雨雲に隠れたまま暮れ始めていて、高架下は表よりも暗闇の訪れも早い。
どんよりとした沈黙に耐えかねて僕はクロサワが勝手に切り上げた話の続きをする。
「みんなさ、クロサワの事が嫌いなわけじゃないと思うんだ。その、むしろ・・・」
むしろ・・・、のその先は恥ずかしくって言えたもんじゃない。
「じゃあ、何で避けんの。ねえ、何で?」
クロサワは僕ににじり寄る。謎の答えを追う物語の探偵のようにだ。スマホの明かりはあるけれど、クロサワの表情を僕はまっすぐに見つめられない。
「露骨に避けられてね、どんな気持ちになるか分かる?変に他人みたいに気を使った態度取られたりさ。ひどいよね、ねえ、ひどいでしょ。さびしくってね、悲しくなるんだよ、そんな事されるとね」
「あのさ、うん、何と言うかね」
恐る恐る斜めに見る僕の目にクロサワの姿がクローズアップされる。クロサワの濡れた髪の先端から雨のしずくが滴っている。唇はリップに塗り残された部分が冷気に白くなりながらきゅっと結ばれている。そこから漏れ出した吐息の淡い温もりが僕の肌にくすぐるように触れる。濡れたワイシャツはクロサワの肌に張り付いて内にある色を透過している。クロサワは僕の目をじっと見て、僕は目を反らして別の所に視線を向けてしまう。
「何とか言ってよ、私分かんないよ」
突然、クロサワがぶっと吹き出す。そして、くつくつと笑い声を噛み殺していたかと思うと、やがてこらえきれなくなったのかげらげらと笑い出した。
まあ、無理もないだろう。クロサワは見てしまったのだ、僕が身を固くしているのを。どこがだなんて言わせるな、男の子が女の子を見て固くする所なんてたかがしれている。だいたいにしてクロサワが悪いのである。濡れたワイシャツごしに中の物が見えてしまっているのだから。不可抗力なのだ、しょうがないんだ。
「ああ、そうか。そう言う事だったんだ。なるほど、なるほどね。ぷっ、くくく、お腹痛い」
クロサワはそう勝手に解釈しながら、またこらえきれなくなったのか吹き出して、お腹を抱えて笑う。
ひとしきり僕を笑い者にした後で、クロサワは意地の悪いにやけた顔で武器を手にして僕をからかうようににじり寄ってくる。武器とは何か、ワイシャツごしにうっすらと下着の輪郭が浮かんだ胸の膨らみだ。そいつを露骨に強調するように寄せて上げて、座ったまま肌の密着を避けるように後ずさる僕を追い詰めるように身を寄せてくる。
「ほれほれ、こいつが怖いのか、エロい奴め」
クロサワは勝ち誇ったようにサディスティックな笑みを浮かべて僕を追い詰める。何をかけての戦いかはさっぱり分からないが、とりあえず揺るがぬ勝利を確信している事は見て取れた。追い詰められ、やがて逃場を無くした僕は、上から覆い被さらんばかりに僕を蹂躙しようとするクロサワに反撃の一手を打たねばならぬと確信する。
口で言っても引かないだろう。突き飛ばすのもあんまりだ。だから僕は罠を張る。難しい事ではない、クロサワの肩に手を回すだけの事だ。後は、勝ち誇ってにじり寄ってくるクロサワの動きに合わせて、僕たちは身を寄せて、両手はクロサワの体を周り、やがて錠前がかちりと噛み合うように、僕の両の手はクロサワの背中で再び出会い重なり合う。
「何してんのさ」
抱き寄せた僕の胸元でもごもごとしたクロサワの声がする。表情は見えない。
「体が冷えると思ってさ」
クロサワは抵抗もしなかった。濡れた服と、その下の体をくっつけて、二人の体温が行き来するのを確かめているかのようでもあった。
「うん、そうだね」
雨はもうしとしとと降る程度になっていた。歩いて帰れない事もない。でも、僕たちは少しだけそうする事を先延ばしにした。
友達が色気づいている。
学校の席、二列隣の三列前。そこで女の子の輪を作っている友達はいつものように騒がしい。あんな事があったからといって、何かが大きく変わるわけでもない。ただ、何も変わらないかというとそうでもない。
少なくとも僕の内には変化があった。小さな感情が僕の内に宿ったのだ。それを何と呼ぶべきか、僕自身にもまだ分からない。
その感情は、わざわざ言葉にしてみると、どこか再会の気持ちに似ているように思えてくる。かつて子どもだった僕たちは、男の子と女の子に分かたれた。でも、そこが終点というわけではないのである。分かたれて、異質を含んだ僕たちは、でも、もう一度同じになる。子どもの頃と少し違った心の繋がり方でお互いを結び合うのだ。同質である事をきっかけにした繋がりでなく、異質も変化も行違いもめい一杯に含んだまま同じになる。男の子と女の子のその先にある同じへと辿り着くのだ。
その感情は、その時に芽吹くための小さな種のようなものなのかもしれない。かつて子どもだった僕たちが、かつて男の子と女の子だった僕たちになったその時に、芽吹き育まれた一輪を共に祝い、共に喜ぶための種だ。
けれど、今は種の話。小さな、小さな感情の話。だから、僕の日常に大した変化を起こす事もないただの小さな話。
ふと、女の子の輪の中にいるクロサワと目が合う。クロサワは意味ありげににやりと笑ってからそっぽを向く。
そう、小さな変化をもう一つ。
あれからクロサワは制服のワイシャツごしにでもうっすら見える色の濃いブラジャーを愛用するようになった。いわゆる見せブラというやつである。それを着て露骨に僕に見せびらかし、僕の反応をおもちゃのようにして遊ぶようになったのである。迷惑な話である。少しは嬉しいと思うけれど、迷惑な話と言わせておいて欲しい、お願いしますから。
むろん、一線を超えてしまったのか、後日にはクロサワは生徒指導室と銘打った説教部屋の世話になったのは言うまでもない。