第41話 奈々の歌
「よく覚えてるな、もう何年も経ってるってのに」
語り終えた光彦に、俺は視線を逸らしながら言った。
まあ、否定はしない。否定はしないが……昔、そんな言葉の数々で光彦を励ましたのがどうにも恥ずかしかった。少なくとも今の俺なら、相棒が泣いてるだとか……そんなことは言わないだろう。
光彦に限らず、バンドに関する出来事はもう全部、俺にとって過去のことだ。というのも、俺はもうすでにバンドを去っている。
「忘れませんよ、治さんがいなかったら……自分、あのままずっと落ちこぼれのダメな奴でしたから。だから、その……」
「ん?」
口ごもる光彦と、視線が重なる。
言いづらそうにしているが、何だってんだ?
「だからその……治さん、戻ってきたくなったら、いつでも戻ってきてくださいね」
「いや、彼に期待しても無駄だろう」
俺が光彦に何かを言う前に、誰かが横から割って入る。
阿嶋だった。どこかでバーベキューを楽しんでいたと思っていたが、不意に俺と光彦の話に加わってきた。小さい頃からイケメンだとは知れ渡っていたが、今もなお『学年の最強色男』と名高く、てっきり奈々と恋人関係なのかと思っていたかつてのバンドメイト。
でも、違った。
奈々の口からきっぱりと『付き合っていない』と否定されたので、どうやら俺の思い違いだったようだ。いや、俺以外にも奈々と阿嶋が恋人関係にあると思っていたであろう者は数多いことと思う。つまるところ、そいつらは全員思い違いをしていたことになる。
「彼はもうバンドを去った人間だ。僕や君、それに奈々を捨ててな。覚えているだろう、あの定期ライヴの日……僕達がどれほど信じて待っていても、彼は来なかった」
「っ……!」
俺は思わず、息をのんだ。
忘れもしない……小学六年の夏の出来事だった。
俺が美玲の母さんから責められて、そのショックでドラムを叩けなくなって……奈々にも阿嶋にも、光彦にも何も告げず、ライヴをすっぽかした。つまり、俺は彼らを裏切ったのだ。バンドリーダーとして……いや、人としてやってはいけない行為だった。
思い出して、罪悪感が込み上がる。
「彼は、もう戻ってこない。少なくとも僕は、戻ってきてほしいとは思わない」
小学校の頃から変わらない、クールな阿嶋の口調。そこには、俺を糾弾する気持ちが滲んでいるように思えた。
無理もない。彼が言ったことは、間違いなく的を射ている。
口調だけでなく、阿嶋が俺に向けるまなざしも冷たいものだった。無理もない、怒っていないほうがおかしい。俺がやったのは、それほどのことなのだ。
「リアムさん、そんな言い方は……!」
「いや、いいんだ光彦……」
反論しようとする光彦を、俺は制した。
庇ってくれるのは嬉しい。だが、俺にはそんなことをしてもらう資格はなかった。
「阿嶋……それに光彦も、あの時は悪かった。黙ってライヴを休んで……」
俺は謝罪とともに、ふたりに頭を下げた。
美玲のことがあったとはいえ、それが免罪符になるはずもない。
顔を上げると、阿嶋は何も言わずに俺の顔をじっと見つめた。そして何も言わず、ミュージックハウス翼のほうへと歩き去っていった。許すとも、許さないとも言わなかったが、答えはもう明らかだろう。
許されるはずがない。
仮に万が一許されたとしても、俺はもうバンドには戻れないだろう。ドラムスティックを持てない俺は、もうドラムを叩くのは不可能なのだ。
「治さん、気にしなくて大丈夫ですよ。リアムさんも、別に治さんを恨んでるわけじゃ……」
「悪い、光彦」
光彦からこんなふうに気遣われるなんて、昔は思いもしてなかったな。
俺はその後、奈々と分け合った焦げ肉を再び食べ始めた。光彦と昔話をしているあいだに、すっかり冷めてしまっていたそれは、気のせいなのか苦みがより強く感じた。
「怒ってて、当然だよな」
箸で掴んだ焦げ肉を見つめて、俺は呟いた。
そもそも、俺はこのバーベキュー大会に来るべきだったのだろうか? 思い返せば、来るかどうかも悩んだもんだが、またそれを考えてしまう。
やっちさんも奈々も光彦も俺を歓迎してくれたが、阿嶋はそうじゃないだろう。たぶん他にも、内心では俺を疎ましく思ってる人もいるかもしれない。
と、不意に拍手の音が鳴り渡った。
「皆さん、ちょっといいですか!」
話し声でにぎやかだった会場が、静けさを帯びる。
拍手とともに人々の注目を集めたのは、やっちさんだった。その隣には、奈々が立っていた。
ただ立っているだけではなく、奈々はアコースティックギターを下げていた。まるで、今からそれを弾くと誇示するかのような立ち姿だった。
彼女がギターを下げている姿を見るのは、小学校の時以来だ。あの頃よりも成長して、身体も大きくなって、女らしくなった彼女だからこそ、より様になっているように感じられた。
「これから余興として、ミュージックハウス翼が誇る敏腕ギタリスト……奈々ちゃんが新曲を披露してくれるそうです。どうぞお楽しみください!」
バーベキューに来ていた人々が、拍手と歓声を湧き上がらせた。
なるほどな、さっきやっちさんが奈々を連れて行ったのはこのためだったのか。
参加者の男性陣が、「奈々ちゃーん!」、「可愛いぞー!」なんて歓声を上げる。学校ではアイドル的な存在だが、奈々はこのミュージックハウス翼でも人気者みたいだ。
ボーイッシュな小学校の頃とは、やはり似ても似つかない。たぶん、奈々自身も数年後にはこんな歓声を浴びるようになるだなんて、予期していなかったんじゃないだろうか。
「ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべながら、奈々は会場に集まった皆に手を振った。
「今から演奏するのは、今日のために考えた私のオリジナル曲です!」
また、周囲から歓声が沸き起こった。まるで、アイドルのライヴ会場みたいだ。
そんな中で、俺はとくにリアクションもせず黙々と焦げ肉を口に運んでいた。それなりの枚数があったけれど、もう少しで全部の焦げ肉を処理できそうだった。
今度焼く時は、焦がさないように気をつけないとな……と思った時だった。
ふと、奈々がこっちを向いてきて……俺と、視線が合わさった気がした。
「ん?」
けれど、彼女はすぐに視線を逸らした。
今、俺のほうを向いたと思ったけど、気のせいだろうか?
奈々の細い指が、ギターの弦に添えられる。
「それでは聞いてください、『もう一度だけ』」




