第29話 次の再会
「ううむ……」
電柱の陰に身を隠しつつ、俺は唸っていた。
視線の先に捉えているのはミュージックハウス翼と、その庭で行き交う人達。見知った顔が多く見受けられた。
悩みに悩んだのだが、かつてミュージックハウス翼に通っていた俺にも参加資格はあるし、それにじいちゃんの後押しもあって、結局俺はバーベキュー大会に来てしまった。いや、正確にはまだ来ていない。いざ会場を目の前にして、そこに顔見知りの姿があるのを確認して……行きづらくなってしまったのだ。
時刻はもう夕方で、セミの鳴き声は完全にヒグラシのそれに置き換わり、夕焼けが周囲をオレンジ色に照らし出していた。バーベキューにはもってこいの天気だけど、肝心の心構えができていなかった。
ミュージックハウス翼の庭には、暮橋や阿隝の姿もあった。いつもなら知り合いの姿があれば安心するもんだが、あのふたりがいることが俺の尻込みに拍車を掛けている。特に、阿隝にはこないだ素っ気ない態度を取られたばかりなので、なおのこと会いづらい。
俺は気を紛らわせるように短パンの後ろポケットから財布を取り出し、中身を確認した。そこにはじいちゃんがくれた参加費の数千円が入っていた。金を忘れてきてでもいれば、引き返す理由になっただろう。しかし当然ながら、そんなことはない。
ていうか、こんなふうに電柱の陰から様子を窺い続けてたら、傍から見ると完全に不審者だよな。
通報でもされる前に、早いとこ引き返そう……そう結論付けて、踵を返し、逃げるように駆け出そうとしたその時だった。
いつの間にかそこにいた人と、ぶつかってしまった。
「うおっ!?」
「わっ!?」
俺もその人も、互いに驚きの声を上げた。
完全に俺の不注意だった、引き返すことしか考えていなかった俺は、まともに前を見てすらいなかったのだ。
「すみません、大丈夫ですか……!」
「ああいえ、別に……! ん?」
ぶつかった少年が、何かに気づいたような声を漏らした。
ズレた眼鏡を直したと思うと、俺のことをじっと見つめてくる。どうしたのだろうか、と思った時だった。
「あ、あれ……? もしかして、治さん……!?」
なんと、少年は俺の名を呼んだのだ。
驚いた俺は、思わず彼の顔をじっと見つめた。
眼鏡に、短い髪形……その顔には大いに既視感があった。それに何よりも、俺のことを『治さん』と呼ぶ人物は、これまで出会った人の中でただひとりだけだった。
その少年が誰なのか……気づくには、ほんの一瞬しか要しなかった。
「お、お、お前……光彦か!?」
思わず俺は、彼を指差した。その少年はやはり、守村光彦だったのだ。
かつてのバンドメイトで、ベースを担当していた少年……バンドの中では唯一歳が一緒ではなく、一個下だったので、今は中学三年生のはずだ。
数年の時を経ていても、その様子は変わっていないように感じた。
人当たりの良い感じも、『のび太』と呼ばれたその見た目も……昔のままだ。
「やっぱり治さん! え? ここに来たってことは……治さんもバーベキュー大会に参加するんですか?」
「え? いや、俺は……!」
参加しようと思っていたのは確かだ。
しかしいざこの場に赴き、かつての知り合いの姿を目にすると、行きづらくなってしまって引き返そうとしていた。というのが大筋なのだが、それを説明する猶予は与えられなかった。
光彦が、無理やりに俺の背中を押してミュージックハウス翼へと向かわせたのだ。
「それならさっそく行きましょうよ! さあ早く早く!」
「わ、ちょ、違うって! やめろって光彦!」
抵抗したけれど、抗い切れなかった。
昔と比べると身体が大きくなったように感じていたが、それに比例して力も強くなっているように思えた。
「ほらほら治さん、レッツゴー!」
「だから、話を聞けってこのバカ……!」
嬉々とした様子で俺の背中を押す光彦。ぐんぐん前に押し出されてしまい、まもなくして俺はミュージックハウス翼の庭まで連行されてしまった。
そこでは、幾人もの人達が行き交ってバーベキューの準備をしていた。数台のグリルが据え付けられていて、肉や野菜が準備されていて……そして、
「え、埜上……?」
見覚えのある人も何人か見受けられたけど、まず最初に暮橋と目が合った。
彼女は白いワンピースを着ていて、腹部を茶色いベルトで留めていた。サンダルを履いており、いかにも夏という出で立ちだった。
細い両手で段ボール箱を抱えており、その中にはジュースの入ったペットボトルが何本も覗いていた。たぶん、バーベキューの飲み物だろう。
俺が来たことが予想外だったのか、暮橋は目を丸くしていた。
「来たんだ……」
驚きの裏に、どこか嬉しさが垣間見える表情を浮かべ、暮橋は言った。
いや、それはたぶん思い違いだろう。俺が来て喜ぶ理由なんて、暮橋にあるわけがない。
「奈々さん、治さんが来てくれましたよ!」
嬉々として言う光彦の頭に、俺は軽くゲンコツを喰らわせた。
「お前が無理やり連れて来たんだろうが……!」
そのまま、グリグリと光彦の頭頂部に拳を押し付ける。
「い、痛い痛い! 治さん、背がさらに縮んじゃいますってば!」
光彦と戯れていて、なんとなく懐かしさを覚えた。
昔からこいつは人当たりが良くて、純粋というか、嫌味がなくて……なんだかんだで可愛い後輩だった。数年ぶりに会ったにも関わらず、まるでずっと一緒にいたかのような感覚だった。
気づけば、今もなお俺を下の名前で呼ぶのは光彦だけだった。
段ボール箱をその場に置いて、暮橋が俺に向き直る。
「やっちさん、ミュージックハウス翼の中にいるよ。埜上、会費は持ってきてる?」
「ああ、ある……」
ここまで来てしまったら、さすがに『やっぱ帰る』とは言いづらかった。
夏のにおいを内包した風が吹き、暮橋の茶髪がほのかに揺れた。
「それじゃ、一緒に挨拶しに行こうよ。埜上が知ってる人、他にも何人か来てるからさ」




