第28話 Vindicated
バンド練習を終えた私達は、いつものように帰路についていた。
私達……そう、帰り道はいつも私ひとりじゃない。隣にはリアムがいる。途中までではあるけれど、練習のあとには彼と一緒に帰るのがルーティンになっていた。
時刻は午後六時を回っていて、夕焼けで街はオレンジ色に染まっていた。練習に向かった時は暑くてたまらなかったけれど、今はもう大丈夫。緩やかに風が吹いていることもあって、ちょうどいいくらいの気温になっていた。
「あそこのギターソロは、お互いにもっと練習が必要そうだな」
「そうだね……私も危うくミスするところだったし、もっと上手く弾けるように頑張る」
学校のこととか、勉強のこととか……とりとめのない会話をすることもあった。けれど、リアムと一緒に帰る時は八割くらいはこんなふうに、バンドでの演奏のことを話題にしていた。
小学校の頃から、私達のバンドにはギタリストがふたりいる。そう、私とリアム。
入念な打ち合わせは欠かせなかった。ツインギター編成だとしっかりしたパート区分が重要だし、お互いの息を合わせなければならない。基本的に、私はメロディーでリアムはリズムを担当することが多いのだけれど、ギターという目立つサウンドの楽器だからこそ、しっかりと役割を決めておかないとぐちゃぐちゃになってしまう。
それでも、ツインギターじゃないと表現できない迫力や厚みがあることは確かだった。
「僕も、ギターも歌ももっと上達できるように努力するよ」
リアムの言葉に、私は頷いた。
彼はギターと同時に、ボーカルも担当している。曲によっては私がマイクを持つこともあるけれど、ほとんどは彼が歌っていた。言わば、メインボーカリストなのだ。
時に私もキーボードを弾いたり、バッキングボーカルで歌ったりもするけれど……やっぱり負担はリアムのほうが断然上だと思う。ギターを弾きながら歌う、とても集中力が要ることだし、何曲も続けるとなれば、相当難しいはずだった。
それをこなしているリアムって、本当にすごい。
彼とバンドを組み始めた頃から、私はそう思っていた。
「でも、もうリアムは十分に……」
十分に上手いじゃない、そう言おうとした時だった。
ポケットに入れているスマホが着信音を放ったので、私は「ちょっとごめん」と告げて会話を一旦保留させてもらう。
画面には、『お姉ちゃん』という文字が表示されていた。
「もしもし、お姉ちゃん?」
『あ、奈々? 悪いんだけどさ、帰りにコンビニでいつものポテチ買ってきてくんない? お金はあとで払うから』
呑気な声で用件を伝えてくるお姉ちゃん。
たぶん……というか間違いなく、お酒のつまみにするのだろう。以前からお姉ちゃんは、ポテチを肴にビールを飲むのが好きだった。未成年の私にはわからないけど、ブラックペッパーの刺激がアルコールと相性抜群なんだって。
私はため息をついた。
「またお姉ちゃん晩酌するの? ポテチとビールばかりじゃ体に悪いし、太るよ。せっかくスタイルいいのに」
ビールはカロリーが高いイメージがあるし、ポテチは塩分と添加物まみれ。
以前から『ほどほどにしたほうがいい』とは言っているのだけれど、お姉ちゃんはまったくもって聞き入れる様子がない。
『まあまあそう言わずに、今度またあんたの好きなバニラアイス買ってくるからさ』
私はまた、ため息をついた。
まあ、たまにバニラアイスをごちそうしてもらってる借りがあるし……いいかと思った。
「分かった、でもお酒はほどほどにね」
『うんうん分かってるって、それじゃよろしくねー!』
その言葉を最後に、電話が切れた。
お姉ちゃんのお酒好きは本当に筋金入りだ。まあ、タバコよりはいいだろう。
「着信音、『Vindicated』にしてるのか」
「あ……」
通話を終えて、スマホをポケットにしまおうとしたところで、リアムに問われた。
そういえば、彼の前で電話に出るのは初めてだった。
「う、うん。そうだよ」
否定の余地もなかったから、私は頷きつつ答えた。
「埜上の好きだった曲……だな」
私から視線を外して、どこか遠くを見つめながらリアムが言った。
かつては彼も埜上を下の名前で呼んでいたけど……疎遠になった今では、私と同じように苗字で呼んでいた。
リアムの言ったとおり、『Vindicated』は埜上が好きだった曲だ。
埜上がコピーしたいって提案して、当初は英語詩の曲だから難しいんじゃないかと思われた。だけど、ハーフで英語が堪能なリアムがいたお陰でコピーすることができた、爽やかで軽快で、元気をもらえそうな曲だ。『スパイダーマン2』のエンドロールで流れる曲で、あの映画の締めにはピッタリだと思っていた。
埜上がバンドにいた頃は、必ずと言っていいほどセットリストに入っていて、まさに私達の定番曲になっていた。でも、埜上がバンドを抜けてからは一度も演奏していない。
彼失くして、この曲をやることはできない。誰も口に出さなかったけれど、私はそう思っていた。リアムも、光彦もそう思っているように感じられた。
「あいつのこと、まだ忘れていないのか?」
「わ、忘れるって……そんな言い方ないじゃん、昔は仲間だったんだし……」
私は反論したけれど、リアムの冷たげな眼差しは変わらなかった。
「事情があったにせよ、僕達にしっかりとした話もなくバンドを辞めて、逃げた奴だぞ」
「っ……」
歯切れのいい反論が思い浮かばなくて、私は言葉を詰まらせた。
だけどひとつ、前々から気になっていたことがあった。
「でも、そう言うけれど……本当はリアム、埜上がバンドに戻ってくることを望んでるんじゃないの?」
「どうしてそう思う?」
動じる様子も見せず、リアムは問い返してきた。
「だって、埜上が抜けてからもずっと、正式に新しいドラマーをバンドに入れようとしないじゃない。いつもサポートメンバーって名目で……だから、そうなのかなって」
「技量的にしっくりくるドラマーが現れていないだけだ、誤解はしないでほしい。僕はもう埜上に幻滅している、あいつが戻ってくることなんて望んでいないし、期待もしていない」
リアムは即答した。
いつもどおり理性的で、いつも以上に冷たさが内包された言い方だった。でも、どうしてだか私には……彼が本心からそう言っているとは思えなかったのだ。
たびたびソリが合わないこともあったけれど、かつて私がそうだったように、リアムだって昔は埜上とは仲の良い友達同士だった。一見クールに思えるけど、でもリアムは決して『冷たく』はないと私は思っていた。埜上がバンドを抜けると言った時は、一緒に引き留めもしていたし……簡単に埜上を切り捨てたりしないと思っていたのだ。
「そっか、分かった……」
反論の余地があったことには間違いない。でも、今はそう言っておくことにした。
◇ ◇ ◇
リアムが帰宅すると、すぐに居間に通じるドアが開いた。
顔を覗かせたのは彼の母だった。エプロン姿であること、それに現在時刻からして夕食の支度をしていたのだろう。カレーのいい香りが、玄関にまで漂ってきていた。
「Hi, Liam. How was your practice?」
アメリカ人の母が、英語で尋ねてくる。
母もリアムも、英語と日本語を話すことができた。時たま日本語を使うこともあるが、家族同士ではだいたいこうして、英語で会話していた。
「It was funny.」
リアムは靴を脱いで上がり、二階に続く階段に向かいつつ応じた。
自室に入ったリアムはギターケースを下ろし、服も着替える。
そこで、棚に飾られた一枚の写真に目を向けた。それは、昔バンドメンバー全員で撮影した写真だった。今から四年前……夏の定期ライヴの時の写真。この日が誕生日だった奈々が浴衣姿で映っていて、リアムも光彦もいて、そして今は欠けてしまったピースである治も映っていた。
この写真を捨ててしまおうと思ったことは幾度もあった。しかし、できなかった。
“誤解はしないでほしい。僕はもう埜上に幻滅している、あいつが戻ってくることなんて望んでいないし、期待もしていない”
奈々への言葉が頭に浮かんだ。
それを思い出していると、色々な感情が身内に込み上がり……何とも表現しようのない気持ちに、胸が痛くなってしまいそうだった。
「Idiot...」
かつてバンドのリーダーであり、リズムの担い手でもあった彼の顔を見つめ、リアムは絞り出すように呟いた。
意味は、『バカ野郎……』だった。




