第23話 スパイダーマン
二〇〇二年に公開された『スパイダーマン』は、全世界で八億ドルの興行収入を叩き出すヒット作となった。その年には他にも『ハリー・ポッターと賢者の石』、『ロード・オブ・ザ・リング』、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』など、後世に渡って語り継がれる超ヒット作がいくつも公開された年だったが、スパイダーマンもそれらに比肩しうる名作だった。スーパーヒーロー映画としては、間違いなくナンバーワンの映画だったそうだ。
スパイダーマンを実写化する――そのプロジェクト自体は、幾度か立ち上がったことがあったらしい。もちろん、ニューヨークを飛び回る彼の姿を実写化するのは容易ではなかった。一時期は、『絶対に不可能』とされていたことすらあったそうだ。無理もない、壁に張り付き、ニューヨークのビル街を飛び回る彼の姿なんて、到底人間が実演できるものではないだろうから。
けれど、技術の進歩が見事にその『不可能』という壁を打ち破ってみせた。
二十一世紀を迎え、飛躍的な発展を遂げていたCG、その他特撮技術が映画化を可能とさせたのだ。
サム・ライミ監督がメガホンを取り、主演・ピーター・パーカー役にトビー・マグワイアを据えて、初の実写映画化スパイダーマンは世に送り出された。
本作の成功によって、以降『サム・ライミ版スパイダーマン』として三作品が制作・公開されることとなるのだが、原点にあたる本作ではスパイダーマンの誕生、そしてグリーンゴブリンとの死闘が描かれる。
特殊なクモに噛まれたことで超人的な力を得たピーター、彼は当初、それを自らの欲のためにしか使っていなかった。しかし叔父との死別を機に力を持つ者としての責任を実感し、以降正義の道に進むことを決意した彼は、『親愛なる隣人』スパイダーマンとして犯罪者を成敗する活動を始める。
時を同じくして、軍事企業・『オズコープ』の実験施設にて不穏な動きがあった。
ピーターの友人であるハリー・オズボーンの父、オズコープの社長であるノーマン・オズボーンがリスクを顧みずに身体能力増強薬……実験段階で、安全の保証がないそれを独断で吸引してしまったのだ。彼は超人的な力と引き換えに、副作用によって誕生した凶悪な別人格、つまりグリーンゴブリンとしての『もうひとりのノーマンオズボーン』に精神を乗っ取られてしまう。
重役からの圧力によって焦りを感じていたノーマンは、まず初めに実験の中断・見直しを進言していた研究員を手にかけた。それを皮切りに彼は、自身を解任・失脚させた役員達や、さらには一般市民にまでその矛先を向けていき……。
スパイダーマンとグリーンゴブリン、善と悪を掲げるふたりの超人。映画のクライマックスにて、彼らはついに激突することとなる。
そこでひとつ、俺がこの映画でもっとも印象深いと感じた場面がある。
グリーンゴブリンは、スパイダーマン……つまりピーターの幼馴染にして想い人であるメリー・ジェーン・ワトソン、それにゴンドラに乗った大勢の子供達を同時に海へと突き落とし、スパイダーマンにどちらを救うかの二者択一を迫る。
しかし、もちろんスパイダーマンはどちらかを選ぶことなどしなかった。
メリー・ジェーンと子供達、双方を救うという選択を瞬時に決したスパイダーマンは、身を挺してそれを成し遂げた。片手でメリー・ジェーンを抱き留め、もう片手でゴンドラに繋がるケーブルを受け止めることに成功したのだ。
だが安心したのも束の間、そこにグリーンゴブリンが襲い掛かる。
グライダーから刃を突き出し、スパイダーマンを串刺しにしようと追い迫るグリーンゴブリン。メリー・ジェーンと子供達が乗るゴンドラを一手に支えている最中のスパイダーマンにはそれを避けることも、防ぐ術もなかった。
絶体絶命と思われたその時、思わぬ助けが入る。不意に投げつけられたバケツとも一斗缶とも分からない何かが、グリーンゴブリンの頭を直撃したのだ。そのお陰でバランスを崩したグリーンゴブリン、スパイダーマンを突き刺さんとしていたグライダーの刃は標的を失った。
思わぬ妨害によってスパイダーマンを仕留め損ねたグリーンゴブリンに、浴びるような罵声が放たれる。
“こっちに上がってこい、俺が相手になってやる!”
“なめんじゃないわよ、この野郎!”
物を投げつけ、スパイダーマンの窮地を救ったのは、なんとニューヨークの一般市民達だった。
橋上に集結した彼らは、卑怯で姑息な手段に物を言わせるグリーンゴブリンに堪忍袋の緒が切れ、ついに黙って見ていられなくなったのだ。
“てめえ、スパイダーマンは子供を助けようとしてんじゃねえか、邪魔すんじゃねえよ!”
“なめやがって! スパイダーマンの敵はニューヨークの敵だ!”
“仲間に手を出すやつは、ただじゃおかねえ!”
このシーンを見た時、思わず拳を握りしめたのを鮮明に覚えている。
超人的な力があるわけでもない人々が、スパイダーマンを救うために立ち上がった。そんな様子を見れば、胸が熱くなるのは当然だろう。
実は当初、このシーンは脚本には存在していなく、ある事件を受けて追加されたものだったそうだ。
その事件とは、『アメリカ同時多発テロ事件』。
説明は不要だと思う。二〇〇一年九月十一日に発生した、史上最悪と称して間違いのないテロ事件だ。犠牲者は日本人二十数名を含めて三千人近くにもなり、その衝撃はアメリカ国内に留まらず、全世界を震撼させる惨劇となった。当時のブッシュ大統領は、この事件を『卑劣かつ邪悪なテロ行為』と非難した。
命を奪われた人々にはそれぞれの人生があったし、未来があった。突如として生の時間を終わらされた人達のことを考えれば、それこそ察するに余るものがある。
そして、残された人々も同じだ。
家族、友達、恋人……犠牲になった人達には大切な人がいただろうし、また犠牲になった人を大切に想っている人もいた。
奪われた尊い人命は三千人近く……さらに大切な人を奪われて悲しみに沈み、失意の底に落とされた人は、それ以上の人数だったはずだ。
スパイダーマンの制作に、アメリカ同時多発テロ事件が深刻な影響を及ぼしたのは有名な話だ。
事件の標的となって崩落した世界貿易センターが、宣伝ポスターや本編映像に映ってしまっていたのだ。犠牲者やその遺族の心情を鑑み、そのままの映像を使用することはどうしても不可能だった。結果として宣伝ポスターは回収され、映像内に映り込んでいた世界貿易センターはCG処理での削除を余儀なくされた。このために没にせざるを得なかったシーンまであったそうだ。
削除されたシーンもあったけれど、追加されたシーンもあった。そう、名もなき一般市民がスパイダーマンの窮地を救うあの場面だ。サム・ライミ監督はきっと、あのシーンやスパイダーマンを救った一般市民達の台詞を通じて、『人々の団結』と『テロに屈しない勇気』を訴えようとしたんだと思う。
打ちひしがれた人々にこそ、心の救いとなるヒーローが必要だった。
スパイダーマンの姿は……アメリカの国旗と同じ、赤と青のスーツに身を包んでテロリストに立ち向かう彼の様子は多くの人々の励ましとなっただろうし、勇気の源にもなった。
そして俺も、彼に励まされたひとりだ。
――スパイダーマンになりたい。
今となっては、それは何も知らなかった頃の俺が見ていた夢。幼くて無邪気で、馬鹿だった昔の俺の戯言だった。
でも、ボロボロになったスパイダーマンのキーホルダーも、棚に並んだスパイダーマンのDVDも、捨てることはできそうになかった。
年月が過ぎて、高校生になって、考え方がどんなに変わっても……スパイダーマンは俺のヒーローのままだったのだ。




