第20話 あの夏の思い出
“ドラムは……もう叩かない。もう二度と……絶対にな”
そっけなく言って去っていく埜上の後ろ姿が、未だに頭から離れなかった。
お風呂に入って、パジャマに着替えて、私は自室で机に向かっていた。時刻はもう夜八時を回っていて、扇風機が回る音と、窓の外からは虫が鳴く声だけが聞こえてくる。
学校の課題を終えたあとで、私は趣味の曲作りに没頭していた。専用の創作ノートにシャーペンを走らせて、オリジナル曲の歌詞を書き出していた。
その最中、ふと昨日の出来事を思い出す。
バンド練習に向かおうとしていた時、突然誰かが助けを求める声が聞こえた。
しかも、大いに聞き覚えがある声……それもそのはず、声の主は埜上だったのだから。
驚いたけれど、彼の目の前に誰かが倒れていたことにはもっと驚いた。
それから、流れでその人を助けるのを手伝うことになって、しかも埜上と何年かぶりに会話をすることになって……本当に予期できないことが続いた。
子供の頃と比べたら、やっぱり埜上の声、低くなってたな。
そんなの当然のことなのに、私はそう思った。どんな形であれ、彼とまた話せたのは嬉しかったから……思わずにはいられなかった。
「ふう……」
一度シャープペンシルを置いて、私は部屋の中を見渡してみた。
昔買ってもらったぬいぐるみやお人形もあるけれど、数本のギターやアンプも置かれている自室。見る人が見れば、なんとなくアンバランスに映るかもしれない。
椅子から立った私は、ギターの中の一本……小学校の頃に使っていた、この中で一番古いギターを両手に持った。
そのギターは色が白くて、ボディには猫の足跡ステッカーが貼ってあって……まだ、埜上がバンドに在籍していた頃に使っていたストラトギターだった。今みたいに髪を伸ばしていなくて、スカートじゃなくてジーンズをはいていて……女の子らしさなんてこれっぽっちも気にしていなかった私が抱えていた、初めて手にしたギターだったのだ。
全体的に傷が目立ち、ペグはくすんでコントロールノブはひとつ外れて紛失してしまっている。年季が入っていて、言ってしまえばもうボロボロのギターなんだけど……私には大事な宝物だった。
今はもう使っていないけれど、このギターはかつて埜上とバンドを組んでいた時に使っていたギター。私にとっては、彼との繋がりそのものだったから。
「懐かしいなあ……」
そのギターを両手に抱えて、私はふとタンスの上に飾られた一枚の写真に視線を向けた。
そこに映っているのは、髪に花飾りを付けて浴衣に身を包み、この猫の足跡ステッカー付きストラトギターを抱え、ステージの上で演奏する小学校五年生の私。奥には、ドラムを叩く埜上も映っていた。
今から四年前……小学校五年の夏の定期ライヴの時、やっちさんが撮ってくれた写真だった。
この写真が撮影された日にちも、はっきり覚えてる。
――八月七日。
その日は私の十一歳の誕生日で、それが偶然ライヴの日と重なって……だから、私を主役にしようって、バンドメイトの皆が提案してくれたのだ。当時の埜上も、リアムも、光彦も。完全に余談だけど、私の『奈々』という名前は、『七日』が誕生日だということに由来しているらしい。
例年通り、セットリストには主に『夏』を想起させる曲が選ばれた。
例えばWhiteberryの『夏祭り』、ヨルシカの『ただ君に晴れ』、フジファブリックの『若者のすべて』……女性ボーカルの曲の時は、リアムに代わって私がマイクに向かった。私が主役ということで、いつもより女性ボーカルの曲の比率が高かった。
ボーカルをやるのは珍しくなかった。でも浴衣姿でステージに立つなんて初めてで、ましてや主役としてステージの真ん中に立ち続けるなんて恥ずかしかったけど……ライヴが始まってすぐ、爽快感と楽しさに包まれて、たちまちそんな感情はどこかへ行ってしまった。
――忘れようにも、忘れられない一日だったな。
この写真を見るたびに、私は思う。
でも、そう思うのはこの日にライヴがあったから、それがすべての理由ってわけじゃない。
ライヴのあとの出来事が、小学校五年の八月七日を私にとっての特別な一日たらしめていた。
浴衣に身を包んだかつての私を見つめながら、私は甘くてほろ苦い……あの夏の思い出を思い返した。




