第18話 バイスタンダー
俺が駆け寄った時、男性は胸を押さえて地面に膝を崩し、苦しそうな声を発していた。
声をかけようとした時にはもう、男性は地面に仰向けの体勢で倒れて、まったく動かなくなった。
「パパ、パパ!」
男の子が叫ぶが、男性は反応しない。
俺は「ちょっとごめんね……!」と男の子に脇にどいてもらって、地面に膝を付いて男性の顔を見つめた。
男性の顔には変な汗が浮かんでいて、すでに意識を失っているようだった。
「もしもし、聞こえますか、もしもし!」
俺はまず、男性の両肩を叩きながら大声で呼び掛けた。
だが、応答はない。男性の目は閉じられたままで、俺を見ることすらなかった。
間違いない、胸を押さえて苦しんでいたことから考えても、この人は心臓病で意識を失ったんだ。
とにかく、何よりもまずは救急車を……! そう思ってポケットに手を突っ込んで、俺は携帯電話を持ってきていないことを思い出した。少し散歩するくらいだし、別に持って行かなくてもいいだろう。そう判断した数分前の自分が恨めしくなる。
しかし、今は後悔しているような状況ではなかった。とにかく、一刻を争う状況なのだ。
「すみません、誰か来てください、助けてください!」
高々と手を振りながら、俺は周囲を歩く通行人に呼び掛けた。
人々の視線がこちらに向けられる――すると後ろから、誰かが駆け寄ってくるのが分かった。
「どうかしましたか?」
振り返った俺と、声の主の少女の視線が重なる。
彼女の顔を見た俺は、思わず息をのんだ。
「っ……!」
彼女のほうも、俺と同じように息をのんだ。
俺の呼び掛けに、真っ先に駆けつけて来てくれた彼女は……なんと暮橋だった。バンド練習に向かおうとしていたのか、彼女は私服姿で、ギターケースを背負っていた。
バイスタンダー(怪我人や急病人が発生した際、その現場に居合わせた人)になってしまっただけでなく、かつての知り合いと遭遇するなんて。
偶然の連鎖に驚きはしたが、逆に好都合だとも思った。今でこそ疎遠な間柄とはいえ、暮橋は昔の友達だった。顔見知りの相手のほうが、助けを求めやすい。
「この人、急に苦しみ出して倒れたんだ。多分心臓だと思う……助けるのに力を貸してくれないか?」
逡巡するような面持ちを浮かべると、暮橋は頷いた。
「う、うん!」
もう何年振りかも分からない、暮橋との会話だった。
こんな形で彼女とまた話すことになるなんて、思ってもいなかった。
「救急車を頼む。俺、携帯を持ってきてないんだ」
「分かった……!」
暮橋がポケットからスマホを取り出し、操作し始めたのを確認して、俺は続いて駆け寄ってきた別の人を向いた。
その男性が何かを言ってくるより先に、
「すみません、AEDを持ってきてくれませんか? コンビニかドラッグストアあたりに設置されてるはずですから……!」
切迫感からか、どうしても早口にはなっちまう。でもできるだけ淀みのないように、相手にちゃんと伝わるように、俺は言った。
「ああ、探してくる!」
俺の指示を聞き届けてくれた男性が、コンビニに向かって走っていく。
それを確認した俺は、倒れた男性に向き直った。
救急車とAEDの手配は済んだ。次は……!
「救急車を呼んだよ。状況も説明したら、すぐに来てくれるって……!」
暮橋が、俺の近くに駆け寄ってくる。彼女は背負っていたギターケースを道端に手放した。
俺は彼女に頷き、男性の胸と腹部を確認した。
数秒間見つめたが、普通の呼吸をしていないのが分かった。
「心肺停止か……!」
CPA(Cardiopulmonary arrest)とも言われ、危篤に相当する状態だった。
ためらいはあった。だけど、迷っている暇はなかった。
心肺停止はまだ、救命措置を行えば助けられる可能性がある。だが、一分一秒を争う状況であることに間違いはない。時が経つにつれ、救命率はどんどん低下していくのだ。
今やることはひとつ、心臓マッサージだ。俺は両手のかかとをを重ね、男性の胸の中央に当てた。
「や、やり方分かるの……!?」
俺が何をしようとしているかを察したのだろう、暮橋が訊いてくる。
そう思うのも無理はないだろう。間違ったことをやって、余計に状況を悪くしてしまったら……普通の人なら大体、そう考えるはずだから。
「ああ、心臓マッサージは胸の真ん中が五センチほど沈み込むくらいの強さで、一分間に百回から百二十回くらいのテンポで行う……背筋を伸ばして、腕を曲げずに、傷病者に対して垂直に体重をかけるようにするんだ」
ある理由があって、俺は救命措置に関する知識を持ち合わせていた。
まさか、こんな形で役立つとは思ってもいなかった。
「ふっ、ふっ、ふっ……!」
心臓マッサージを開始した俺の横で、男の子が男性の顔を涙ながらに見つめていた。
「パパ……!」
お父さんが心配なのだろう、気持ちはよく分かった。
少しでも不安を拭ってあげられればと思い、俺は心臓マッサージを続けつつ男の子を向く。
「大丈夫だ、もう少しで救急車が来るから……!」