第17話 俺は泣かない
まもなく、夕方四時に差し掛かる時刻。
俺はコンビニに向かうために、夕焼けでオレンジ色に照らし出された道を歩いていた。近くの公園からは、楽しそうにはしゃぐ子供達の歓声が聞こえてきた。
じいちゃんとばあちゃんには、お菓子が欲しくなったから買ってくる、と説明した。
だけど、実際の理由はそうじゃない。
今日の出来事を思い返すと、どうしても部屋でじっとしてなんかいられなかった。散歩でも何でもいいから、とにかく体を動かして気分を変えたかったのだ。
特に用事もなくコンビニに行って、そこで雑誌でも立ち読みして、帰りにお菓子やジュースでも買ってくる。はっきり言って、不要な外出ではあった。でも、それで少しでも気が紛れれば万々歳だと思った。
公園に視線を向けると、四人の幼い子供達が遊んでいた。きっと、小学校低学年くらいだろう。
「次はケイスケ、お前が鬼だからな!」
「よし、さあ皆逃げろー!」
鬼ごっこをして遊ぶあの子達を見て、微笑ましくて……思わず俺は笑みを浮かべた。
だけど、俺は思い返してしまった。
彼らの姿に、昔の自分自身が重なって見えたんだ。
小学校低学年の頃、俺もあんなふうに奈々やリアムや光彦と遊んだもんだった。
スタジオの予約が取れず、バンド練習が休みになった日も、放課後にはしょっちゅう四人で集まって、陽が落ちるまで公園で駆け回って、ブランコ遊びとか、ボール遊びもして、時には携帯ゲーム機を持ち寄ったりもして……ちょうど今くらいの時期には林に行ってクワガタを探したり、夏休みには皆で祭りに行ったりもしたな。その時の奈々の浴衣姿は、もう今でも記憶に残ってる。
どんなに遊んでも遊び切れない、友達と過ごす虹色の時間。帰宅を促す夕方五時のチャイムが、それはそれは恨めしく感じたのを今でも鮮明に覚えていた。
「っ……」
そこで俺は、我に戻った。
こんなことを思い出してどうすんだ、もう昔の話だろうが。
奈々に、リアムに、光彦。
あいつらとバンドをやったり、遊んだりした日々はもう、どんなことをしても取り戻せない……遥か彼方に消え去ったことだ。ドラムスティックと一緒に、もう俺はドラマーだった自分自身も手放したんだ。
もう俺は、輪の外の人間なのだ。ドラムを叩けなくなった以上、これからもずっとそうだ。
子供達の歓声を振り切るように、俺は足早にその場を去った。
まもなく目的地であるコンビニに到着しようとしたところで、一組の親子とすれ違った。
「よく頑張ったなユウタ、今日はレストランに行こう、お前の好きなハンバーグを食べに行こうな!」
「やった、パパ大好き!」
三十代後半くらいの男性と、彼の息子らしい幼い男の子だった。
どこにでもいるような普通の親子だったのだが、俺は思わず彼らの姿を目で追った。
「そら!」
息子を抱き上げる男性――その腕の中で無邪気にはしゃぐ男の子。
その男の子が、遠い昔の俺自身に見えたんだ。
もうずっと昔、奈々やリアムや光彦とも出会う前のことだ。
幼稚園児だった俺は、あんなふうに父さんに抱き上げられて喜んでいたものだ。母さんが作ってくれたハンバーグを、口の周りをソースまみれにしながら食べたもんだったな。
だけどもう、父さんと母さんとは二度と会えない。父さんに抱き上げてもらうことも、母さんの作ってくれたハンバーグも、二度と食べられない。
俺の両親は、もうこの世にいないんだ。
血相を変えたじいちゃんが部屋に駆けこんできて、『治、父さんと母さんが……!』と告げたあの日のことが、未だに頭に残ってる。
外せない用事があって、じいちゃんに俺の面倒を任せて出掛けていた父さんと母さんが、自動車事故に遭ったと聞かされたのは、そのすぐ後のことだった。
ガキだった俺は、当初は理解が追いつかなかった。
父さんと母さんが亡くなった――それはあまりにも突然すぎて、現実感がなさすぎる出来事だったのだ。
でも、物事が頭の中で形を得るまで、そう時間は要しなかった。
――大好きだった父さんと母さんと、もう二度と会えない。
それを実感したとき、悲しみやら辛さやらが綯い交ぜになった感情が突き上げてきて……泣きたくなった。
だけど、俺は泣かなかった。泣けなかったんだ。
親を亡くした俺は、じいちゃんのところに身を寄せることになったんだけど……じいちゃんがボロボロ泣いてるのを見たら、俺はもう泣くに泣けなくなっちまったんだ。
じいちゃんが泣いてるのを見たあの日から、俺の中でひとつのルールが生まれた。
それは、『じいちゃんとばあちゃんに泣き顔を見せないこと』。それは、じいちゃんとばあちゃんを心配させないために、俺が唯一できることだった。
もちろん、簡単なことじゃなかった。
悲しみを隠して笑う――それは思っていた以上に辛くて、苦しかった。父さんと母さんを思い出して胸が張り裂けそうになったことなんて、数え切れないほどある。
そんな時は、部屋の隅っこで泣いた。父さんと母さんが映った写真を抱えながら、できるだけ声を出さないようにして……涙を拭いたティッシュペーパーはもう山盛りになっちまって、それをじいちゃんとばあちゃんに見られたくないから、空になったティッシュ箱に無理やり押し込んで捨てた。
俺は泣かない。そう決めてからもう十年くらいの歳月が過ぎた。精神的に成長したからなのか、昔みたいに父さんと母さんを思い出して泣きたくなることは減った。だが、もちろん両親を忘れたわけじゃない。
父さんと母さんが生きていたら、今の俺を見てどう思うんだろう。
あの親子を見ていると、ふとそんなことを考えてしまった。
トップのレベルの高校に進学した俺を、褒めてくれるのだろうか。それとも、もうドラムを叩けなくなった俺を見てガッカリするのだろうか。父さんと母さんがいない以上、答えは永遠に分からない。
……やめだ、こんなことを考えていても、何にもならない。
そう結論付けた俺が、親子を振り切るように視線を逸らし、立ち去ろうとした時だった。
「うぐっ……!」
突然発せられた苦し気な声に、俺は振り返った。
さっきまで俺が見ていた親子……男性のほうが地面に崩れ落ちていた。男の子が即座に駆け寄る。
「パパ、どうしたの!? パパ!」
その光景を見ていた俺の脳裏に、ある予感が浮かんで……いても立ってもいられなくなった俺は、男性の元へと駆け寄った。