第14話 ボコられようとも
――なあ、治。
――何? じいちゃん。
――治には、将来の夢はあるか?
――将来の夢?
――そう、治が将来何になりたいのか……じいちゃんに教えてくれないか。
――何になりたいか……じいちゃん、俺……!
俺、スパイダーマンになりたい!
「なあ、やめろよあんたら」
目の前に居並ぶ景南生達に向かって、俺は言い放った。
絡まれている美玲を見捨てて、立ち去ろうとしていたはずだった。だけど、いつの間にか俺の足は逆方向に向かっていたのだ。
「ああ?」
「誰だお前」
あいつらの注目の対象が、美玲から俺に変わる。
見捨てようとしていたはずだった。
助けた女の子にそっぽを向かれて、しかも糾弾までされた。だったらもう、助ける必要なんかない。冷たく見捨てるのが正解――小学校の頃に、身をもって学んだはずなのに。
どうして俺はこんなことをやってる? 自分から傷つく道を突き進もうとしている?
景南生達がゆっくりと歩み寄ってくる中で、俺は考えて……答えは、案外簡単に出た。
俺を糾弾した女の子を助ける……俺がやってんのは、とてつもなくバカげたことなのかもしれない。でも、それでも、泣いている女の子を目の前に知らんぷりなんかできるもんかよ。
とにかく今は、それで十分だったんだ。
「やめろって言ってんだよ、嫌がってるだろその子」
たちまち景南生に取り囲まれて、俺は逃げるに逃げられなくなった。
だけど、これが俺の狙いだったのだ。
こういう輩は大体、挑発すれば歩み寄ってくる。確かに俺はもう袋叩きにされるのは不可避だが、別に殴り合いに勝つのが目的じゃない。
俺の今の最重要事項は、美玲をこいつらから逃がすこと。
挑発に乗ってくれたお陰で、こいつらはもう十分美玲から離れた。それを確認した俺は、美玲に目配せする。
――逃げろよ。
逡巡するような様子を見せると、戸惑うようにしていた美玲がその場から走り去っていった。
俺のことは覚えていたのだろうか。それとも今視線を合わせて、その時点でようやく、彼女は俺をかつて自分が糾弾した相手だと気づいたのだろうか。
いずれにせよ、彼女をここから逃がすという目的は達した。
しかし、問題が残っていた。俺ひとりで、この三人もの景南生を相手にしなければならないということだ。
「なめてんじゃねえぞ!」
まずは胸倉を掴まれて、そして顔面にパンチを喰らわされる。
続いて腹部を蹴られ、俺が地面に倒れ込むと……そこからはもう、蹴られてんのか殴られてんのか、それとも踏み付けられてんのかも分からなかった。ただ、俺はもうひたすら暴行に耐え忍ぶだけだった。
どれくらいの時間が過ぎたのか。三分? 四分? もしかしたら、もっと長かったのかもしれない。
それはもうケンカですらなく、俺はただリンチされているだけだった。
「けっ、ガキが。つまんねえ、もう行こうぜ」
飽きたのか、それとも気が済んだのか。
三人のうちのひとりがそう促し、景南生達は去っていった。
去っていくあいつらを見つめ、その後ろ姿が消えるのを俺は見届けた。立ち上がろうとした直後、全身の痛みに体を強張らせた。
「ぐっ!」
尻餅をつく形で、俺はまた地面に崩れ落ちた。
座り込んだまま、思わず空を見上げた。澄み切った青空を、数羽の鳥が横切っていく。
――何やってんだ、俺は。
ため息交じりに、心の中で呟いた。
無駄な親切心なんか無用だと、小学校の頃に思い知った。だからもう、二度と誰かを助けようとしないって決めたはずだったのに。
見捨てることができなかった。結局、繰り返してしまった。
あーあ、制服もボロボロの泥だらけだ。これ、じいちゃんとばあちゃんにどう言い訳したもんだか。
ズボンの泥を落とそうと手を伸ばした時だった。俺のポケットから、何かが落ちた。
「!」
それは、スパイダーマンのキーホルダーだった。
小学校の頃から持ち続けて、もう傷だらけになった俺の宝物だ。
スパイダーマンになりたい、か……我ながらバカな夢を見ていたもんだと思う。でも、もしスパイダーマンになれたなら、あの不良連中を糸で縛り上げて懲らしめることもできたかもな。スパイダーマンのキーホルダーを拾い上げ、それに視線を落としながら、俺はそんな無意味なことを考えた。
……ま、いいさ。
たとえボコられようとも、泣いている女の子を見捨てて逃げるより百倍マシだろ。
まあ、何事も考えようだ。自分にそう言い聞かせながら、俺はキーホルダーをポケットにしまって立ち上がろうとした。
その時、俺の頬に何かが触れた。
「えっ……?」
柔らかい、布みたいな……それは、ハンカチだった。
その持ち主の顔を見た瞬間、俺は仰天した。
「わ、わっ!?」
何と、美玲だった。
どうやら彼女は立ち去っていなく、どこかの陰から事の成り行きを見守っていたようだ。俺がボコボコにされる様子も、きっと全部。
ハンカチを片手に、俺に戸惑うような表情を見せる美玲。間近で見る彼女の顔はとても綺麗で……でも見ていられなくて、俺は立ち上がって視線を逸らした。
さっきまで立ち上がることもできなかったはずだが、驚きのあまり痛みを忘れたらしい。
「よ、よよよよ良かったな! この辺気を付けろよ。景南のガラの悪い奴らが通ることがあるから……!」
どうにか発した言葉は、思いっきりしどろもどろになっていた。
まさか、また彼女とこんなに近づく時が来るだなんて……予期せず訪れた今の状況に、戸惑いが隠せなかった。
それに、小学校の頃の記憶が……俺が美玲の命を削ることをしてしまったということと、彼女や彼女のお母さんから糾弾された時の記憶、それに罪悪感が蘇りつつあったのだ。
もう、美玲を振り向くことができなかった。
「そ、それじゃ!」
自分の自転車を起こして、俺は逃げるようにその場を去った。
美玲が後ろから何かを言ったような気がしたけれど、振り向きもしなかった。