第13話 ヒーローなんかいない
彼女の顔を見るのは四年ぶり……小六の時以来だった。
お嬢様っぽくて、気品があって、言い表せないほど綺麗になっていた。でも、俺が知る彼女の面影が残されているように感じられた。
長く伸ばした黒髪に、左目の下のほくろ、淑やかで優しげな雰囲気……どれも、小学校の時のままだ。
クラスの男子達が沸き立つ。
「すっごい可愛い子じゃん……!」
「暮橋さんと並ぶ美女じゃねえか?」
そんな中で、俺はただ驚くのみだった。
こんなことが、あるのだろうか。まさか彼女がこの高校に、それも俺と同じクラスに転校してくるだなんて……! いくらなんでも、偶然という言葉では片付かない巡り合わせだった。
予期せぬ再会だった。しかし、嬉しいとは思わなかった。
むしろ、俺は困惑していた。
当たり前だ、小学校の頃の出来事を忘れてなどいない。彼女に言われたことも、彼女とどんな別れ方をしたのかも……忘れられるはずなどない。
◇ ◇ ◇
その日、俺は自転車を押して歩いて帰った。考え事が多すぎて、今自転車をこいだら事故っちまいそうだったからだ。
今日一日、授業がまるで手につかなかった。理由は明白、美玲(彼女を名前で呼ぶのははばかられた)のことで頭が一杯になってしまっていたのだ。
先生に呼ばれていることに二度も気づかなかったし、英語の単語小テストでは凡ミスを四か所もやらかし、満点継続記録をブチる羽目になってしまった。体育のバレーでは集中力が湧かなくて、顔面にボールを喰らって皆に大笑いされちまった。
美玲が転校してきたことに、放課後になっても困惑していた。今日一日、とりあえず彼女とは一切関わり合いを持つことはなかった。俺は顔を見てすぐに気づいたが、彼女のほうが俺に気づいたかは分からない。俺がそうしたように、向こうも俺を避けたか……あるいはもう、俺のことなんてすっかり忘れてしまったのかも知れない。
一片も悲しいと思わなかった、と言えば嘘になる。でも、それならそれで好都合だとも思った。
“あなたとなんて話したくもない、もう私に関わらないで!”
小学校の頃、美玲が俺に放ったあの言葉が脳裏をよぎる。同時に、俺を糾弾する彼女の顔も、俺を疎んじて蔑む眼差しも、鮮明に蘇った。
――あんなことを言われた。あんな最悪な別れ方をした。
だったらもう、覚えておいてもらう必要なんてないじゃないか。忘れてもらって、そして俺からも一切関わり合いを持とうとしなきゃいい。それが俺と美玲、双方の最善策だ。
そもそも小学校の時、俺が余計な親切心を起こして彼女に近づいたのが間違いだったんだ。彼女を助けたい一心で歩み寄ったけれど、結果あんなことになっちまったんだから。
あんな気持ちは、不要だった。冷たく見捨てりゃよかったんだ。彼女がひどいことを言われようが、嫌がらせをされようが……他人事だと見て見ぬふりをしてりゃよかったんだ。そうしていれば、あんな結果を招くこともなかった。
助けた女の子に、そっぽを向かれた。
その出来事を通じて、俺はもう二度と誰かを助けようとしないと決めた。『情けは人の為ならず』……そんな言葉は嘘っぱちで、きれいごとでしかないんだ。
俺がバカだったんだ。所詮、ヒーローなんていないんだ。
「っ……!」
その時ふと、俺は身内から何かの感情が沸き立つのを感じた。
悲しみ? 悔しさ? 分からない。俺は足を止めてポケットを探った。
――小学校の頃から持ち続けて、ボロボロになったスパイダーマンのキーホルダー。手の平に乗ったそれに視線を落として、考え込んでいた時だった。
「ねえ、君可愛いね」
「ちょっとさ、俺らと遊びに行かない?」
「楽しませてあげるからさ」
どこからともなく聞こえてきた声に、俺は思わず振り向いた。スパイダーマンのキーホルダーをポケットにしまって、声が聞こえたほうに向かっていく。
――三人の男子高校生が、ひとりの女の子に言い寄っていた。
その女の子が誰なのかに気づいた瞬間、俺は驚愕した。
横顔しか見えなかったけれど、それでも分かった。
言い寄られていたのは……なんと、美玲だったのだ。思わず声を上げそうになったが、どうにか堪えることに成功した。
「こ、困ります……!」
美玲はそう返すが、男子高校生達は聞く耳など持たない。
着ている制服から見て、美玲に絡んでるのは……景南工業高校の生徒達だ。柄の悪い連中の巣窟と言える高校で、校則などあってないような無法地帯だと聞いている。髪を茶色く染め、ピアスまでしているあいつらを見れば、どれほど生徒指導が行き届いていない学校かは一目瞭然だった。
「おいおい、つれないこと言うなって」
きっと、美人で大人しそうな外見のせいなのだろう。運悪く、美玲があいつらの目に留まってしまったのだ。
物陰から伺うようにして、俺は動向を見守っていた。
美玲は拒否し続けるが、三人の景南生もしつこく言い寄り続けた。
「ちょっとくらいいいじゃんか……ね?」
しびれを切らしたのか、ひとりの景南生が美玲の腕を乱暴に掴んだ。
俺は思わず物陰から飛び出しそうになったが、我に返った。さっきまで考えていたことを、思い出したのだ。
何をしようとしてんだ、俺は。
誰かを助けたい、救いたい。そんな気持ちは不要だって、小学校の頃に思い知っただろうが。くだらない情け心を起こして、結局バカを見たじゃないか。
「やめて、放してください!」
美玲が叫ぶ声が、俺の耳に届いてくる。
でも、俺は今度こそ、『見捨てる』という選択をしようと決めていた。
景南生は三人もいるんだ。俺が出てっても何もできやしない。それに、美玲が俺に助けられたところで喜ぶわけがない。小学校の頃のようにまた糾弾されるか、もっと罵られるかも知れなかった。
利口になろう、賢くなろう……昔のように、みすみす傷つく道を選ぶ必要なんかないんだ。
「放して、助けてっ……!」
涙が混じり始める美玲の声、俺はそれを耳を塞がずに遮断した。美玲が何をされようが、俺には関係ない。所詮、他人事なんだ。
これでいい。これで正しい。自分に言い聞かせながら、美玲を振り切るように踵を返し、その場から立ち去ろうと、俺は歩を進め始めた――。