散った記憶
「どうせ、若槻君も寝たふりなんてするとはね。」
「わかってましたか?」
「付き合い長いんだからそりゃわかるよ。うまい朝飯でもらってさ。休めよ。」
「そうですね。」
益子の母親がお盆にご飯に漬物といった豪華だといってしまえるほどの数だった。カウンターに出されるとすぐに手を付けた。焼き魚があった。丁寧にとっていた。それも親ではないのだと思ったら胸が苦しくなった。手っ取り早く食べて千円を置いて出て行こうとしたので、つき返して若槻は少し顔をしかめたようにしていたが、それも突き返しても手元に置いていた。若槻は素知らぬ顔をして出て行った。空気を感じたのだろう。ドアが静かにしまった。
「あいつは大人に囲まれてその上で空気を読むことが全てだと思っていたんじゃないのか。」
「空気を読むっていったいどういうことですか?」
「あいつは親に育てられず、親戚に育てられたってだけだ。」
淡々と言われたのは驚きしかなかった。孝人はお茶があったのでその場で注いだ。喉が渇くのは避けたかったのだ。下の名前を一切明かさないのは親と同じ苦しみを受けていることもあったからではないのかと。
「とんでもない親に育てられてさ、親は弟に手を焼いてしまって若槻君には振り向くことはなかったんだよ。それも忘れて政界入りをしかけたのを親戚が止めて、町から出て行ったんだって話だ。」
遠藤は知ったことを話しただけだろうが、若槻の親の無責任さには目がついた。それでも会っていないだけましだと思った。弟が亡くなった後にひどいことを言ったことも知った。親戚に引き取られた後に沢山つらい思いしたのだろう。居候をしているだけだといっていたと。
「何度も何度も聞かされたよ。俺も鑑識にいたから若槻君の師匠と仰いでた人がちょうど鑑識だったこともあってよく聞かされた。若槻君は強がって生きているところもわかるような気がしたんだよ。事件に躍起になるのは自分と同じような人間を作りたくなかったんじゃないのかな。引き裂かれる思いなんて割り切れるもんじゃない。」
遠藤は言うだけ言って去って行ったのだ。孝人は静かに座った。居心地の悪いところに来てしまったとも思ったのだ。若槻の過去を知るべきだと遠藤は言っていたのだ。過去とは親に愛されず親戚に育てられたことだったのだ。それは刑事としての基盤を作っているような気がしてならなかった。いくら病人がいたとしても愛情をばらまかなくてはならないのだと。




