クリスマス前編
クリスマス後編は明日の夜に投稿します
もうすぐやってくるクリスマスの準備のため、クリスの屋敷の使用人たちは慌ただしかった。
シェフたちはキッチンで料理の仕込みに余念がなく、庭師たちが庭をクリスマス仕様に仕立てている。メイドたちは子どもたちと屋敷や庭を装飾することに余念がない。
その様子を、クリスは書庫の窓から、ぼんやりと眺めていた。
この時期は寒さにつられるのか気分が沈みやすい。それは周囲が賑やかになればなるほど顕著に自覚する。
クリスは軽くため息を吐いて前を見ると、ルドが山積みの本に囲まれて勉強をしていた。いつもと変わらない光景に安堵しつつ、再び窓の外を眺める。
そこでクリスの表情がふと動いた。そのことを敏感に感じ取ったルドが顔を上げる。
「どうかしましたか?」
「少し休憩だ」
そう言うと、クリスは足早に書庫から出ていった。そして、廊下を歩きながら、おもむろに胸から服の中に手を突っ込むと、そのまま引き抜いた。その手には、赤い魔宝石が付いたネックレスがあるのだが、鎖の部分が切れている。
「魔宝石から溢れている魔力に耐えきれなくなって切れたか」
魔宝石を囲んでいる金属は溢れる魔力に耐えられるように特注した金属で作ったが、ネックレスは普通だった。そのため、魔宝石に近い部分のネックレスの一部が疲弊して切れたのだ。
とりあえずネックレスをポケットにいれたクリスは、中庭に出たところで思わず見上げた。
「今年のツリーはでかいな」
庭の真ん中に立派なツリーが立っている。庭師の一人が胸を張って説明をした。
「山で見つけてきた、至極の一本です!」
「よく、ここまで運べたな」
「こんなの楽勝ですよ」
得意げな顔をする庭師の背後から端麗な声が響く。
「そうですね。無理やり私の影に押し込んだんですから」
この国では珍しい黒髪、黒瞳を持つ美麗な執事が片眉を上げている。
庭師は一瞬で顔を青くした。
「あ、そ、そういえば、ポインセチアを運ばねぇと!」
慌てて走って逃げた庭師の背中に、カリストがため息を吐く。
「まったく。立派なもみの木を見つけるのはいいのですが、運搬方法を考えてから切り倒してほしいものです」
「よく影の中に入ったな」
クリスがカリストの影と、もみの木を見比べる。
もみの木はカリストの背を軽く越えており、枝もしっかり伸びているため、どう見ても影の中には入らない。
カリストが肩をすくめて説明をした。
「呼び出されたのが夕方でして、影がかなり伸びていたんです。あとは無理やり押し込まれました」
「力技だな」
「はい。ところで、どうかされましたか?」
「あぁ、紐を持っていないか?」
「どのような紐ですか?」
クリスがポケットから切れたネックレスを取り出す。
「これが切れてな。とりあえず代わりになればいい」
「それなら、これはどうですか?」
カリストが影から細めの皮紐を取り出してクリスに渡した。
「十分だ」
クリスは受けとると、切れたネックレスを外して細い革紐を魔宝石に通した。
そこにカルラが小走りでやってくる。
「クリス様。飾りが足りませんので、買ってきていただけませんか?」
「は?」
予想外の言葉にクリスの深緑の目が丸くなる。
「もみの木が大きすぎて、飾りが不足しております。なんでもいいので、買ってきてください」
「いや、私ではなくても他の者は……」
カルラがにっこりと微笑む。
「みな、クリスマスの準備で忙しいので」
「でも一人ぐらい……」
「その一人がクリス様ぐらいしかおりません」
暗に暇人と言われたようでクリスの顔が曇る。
「あと、クリス様一人では心配ですので、犬も一緒に行ってもらいます」
「なら、犬だけに行かせればいいだろ!」
吠えるクリスの元に、ラミラからメモと財布を預かったルドが駆け足でやって来た。まるでこれから散歩に行く犬のようだ。ないはずの犬耳と尻尾が見える。
「師匠、行きましょう。早くしないと暗くなりますから」
「いや、私は行くとは……」
「実はクリスマスの飾りを買いに行くは初めてなんです。いつもは騎士団の仕事で、この時期は城の警備をしていることが多かったので」
尻尾があれば盛大に振っているだろう。そんなルドの姿にクリスは負けだ。
「わかった。だが、私が行くと街の者に囲まれて、買い物どころではなくなるぞ」
優秀な治療師として顔が知られているクリスは、街に出ると人が集まり、治療のお礼として色々な物を貢がれる。
「それは大丈夫ですわ」
カルラが毛糸の帽子とマフラーを取り出す。そして、クリスの茶色の髪を素早くまとめると、毛糸の帽子の中に収めた。それからマフラーをぐるぐると巻いて顔を半分隠した。
「これで、クリス様とは分かりませんわ」
深緑の目だけが出ている格好は、普段なら不審者だ。しかし今日は寒いため、これぐらい着込んでいても違和感はない。
「いきましょう」
クリスはルドに連れられて街へと歩き出した。
しばらく無言で歩いていると、ルドが懐かしそうに語りだした。
「小さい頃、クリスマスだけは鍛練が休みで、忙しい父も必ず家に帰ってきていたんですよね」
「クリスマスは家族で過ごすものだからな」
「翌日の朝、枕元に置いてあるプレゼントを開けるのも楽しみでした。ですが、ある日それを自分がぶち壊してしまったんですよ」
「壊した?」
クリスが顔を上げると、ルドが思い出したように苦笑いをしていた。
「はい。毎年、父がこっそり枕元に置いていたのですが、七歳の時、その気配に反応して寝ぼけたまま攻撃してしまったんです。自分は寝ぼけていたので、あまり覚えていなかったのですが、翌朝頭にコブができた父がいまして……次の年からは母が枕元に置くようになったのですが、それが気配をまったく隠す気がないため、必ず目が覚めてしまうようになったのです」
「それは残念だったな」
軽く笑うクリスにルドが訊ねる。
「師匠は? どのようなクリスマスを過ごしていたのですか?」
クリスが目を細める。
「私は可愛げがなかったな。毎年プレゼントを準備してくれるのだが、そのプレゼントを置く場所に炭を置いていた」
「炭?」
「あぁ。その一年、良い子にしていたら甘い菓子を、悪い子には炭を置くという伝統があってな。私は自分で毎年炭を準備して置いていた。だが、ある年。炭の形をした、食べられる菓子に代わっていてな。それからは、毎年炭がその菓子と交換されていた」
「なぜ自分で炭を置いていたのですか?」
「良い子ではないからだ」
「そんなこと……」
ルドは否定しようとして言葉に詰まった。遠く前を見つめる深緑の瞳がどこか悲しげで、後悔しているようにも感じる。
ここで否定をしたら、クリスの気持ちも否定することになる。
ルドは静かに訊ねた。
「なぜ、そう思ったのですか?」
「……あの頃の私は、なかなか拗らせていてな。人の好意を素直に受け取れなかったんだ」
沈むクリスに明るい声が降ってくる。
「それなら、今は受け取れるってことですよね?」
「は?」
「きっと、今年は甘いお菓子が枕元にありますよ」
ルドが満面の笑顔で断言する。そのあまりの自信にクリスが吹き出すように笑った。
「私の屋敷の警備は厳重だからな。あの警備をかいくぐって枕元にプレゼントを置くことが出来るヤツがいるとは思えん」
「案外いるかもしれませんよ? そういえば、その炭のお菓子は、どのような味なのですか?」
「甘いぞ」
「少し食べてみたいです」
「……気が向いたら作ってやる」
思わぬ答えにルドの顔が綻ぶ。
「はい!」
素直に喜ばれ、クリスは困った。そんな顔をされたら作るしかない。
クリスは顔を隠すようにマフラーの中に顔を埋めた。
風は冷たいがマフラーと帽子のおかげで顔と頭は温かい。だが……
クリスはむき出しの手を風から隠すように腕を組んだ。そのことにルドが気づく。
「師匠、手袋は?」
「出かける予定ではなかったからな。してない」
「では、自分のをしてください」
ルドがつけていた手袋を外してクリスに渡す。
「それだと、お前の手が冷えるだろ。私は寒さに慣れているからいい」
「ですが……そうだ!」
ルドはクリスの左手を掴むと手袋をはめた。
「だから……」
抗議しようとするクリスを、ルドが笑顔で止める。
「片手ずつ分けましょう」
そう言いながら、ルドは自分の右手に手袋をはめた。
「手袋をしているほうが温かいでしょ?」
ルドがどや顔で訊ねてくる。クリスは顔を背けながら言った。
「大きいがな」
気を付けないとずり落ちてしまいそうなほど大きい。でも温かい。
クリスが早足になったところで、ルドが右手を掴んだ。
「なに……?」
「指先が赤くなって……って、かなり冷えてるじゃないですか!」
ルドがクリスの手の冷たさに驚く。
クリスがマフラーの中に顔を隠しながら言った。
「こんなもんだろ」
「ダメですよ。やはり手袋を……」
クリスが拒否するように無言のまま上目遣いでルドを睨む。
「……わかりました」
ルドはクリスの右手を握ったまま自分のポケットに入れた。ルドの左手とポケットの相乗効果で温かい。
「えっ!? ちょっ!?」
慌てるクリスにルドが満足そうに笑った。
「これなら二人とも温かいと思うのですが?」
見事なアイデアとばかりに、ルドが満足そうな表情をしている。嫌な気持ちはないクリスは恥ずかしさを隠して俯いた。
「……好きにしろ」
「はい」
こうして二人は手を繋いだまま街の中へと入っていった。
普段は簡素な街並みだが、今はクリスマスの装飾で煌びやかになっている。その中でも広場の雰囲気はまったく変わっていた。
いつもは閑散としているのだが、今は様々な屋台が出そろい、クリスマスマーケットとなって賑わっている。
ルドはそのまま広場に入ろうとしたが、クリスの足が止まった。やはり、この雰囲気は苦手だ。
クリスが躊躇っているとルドが覗きこんできた。
「師匠?」
「いや、なんでもない」
クリスが一歩踏み出そうとしたところで、右手を強く握られた。クリスが顔を上げると、ルドの笑顔がある。
「行きましょう」
「……あぁ」
クリスの全身から力が抜け、自然と一歩が出ていた。