十五夜小話
ある日の夕方。廊下を歩いていたクリスは、テラスにテーブルを出して花瓶や皿を準備しているカリストを見かけた。
「なにをしている? なんだ? この丸いモノは?」
見慣れない白くて丸いモノが皿の上に積み重ねてある。カリストは花瓶にススキを飾りながら説明をした。
「団子という食べ物です。大昔の東方の国では、十五夜という夜に月を見ながら団子を食べるという習慣があったそうです。本日がその十五夜になるのですが、天気も良く月がよく見えそうなので作ってみました」
「そうなのか」
「月が綺麗ですね」
カリストに言われてクリスは周囲を見渡したが月は見えない。そもそも、まだ月が出てくる時間でもない。
「なんだ? まだ月は出ていないぞ」
カリストが悪戯をした子どものように笑みを浮かべた。
「この風習がある国では好意を伝えるのに、そのように言ったそうですよ」
「遠回しすぎるな。そのことを知っていないと相手には伝わらんだろ」
「そうですね」
「……まぁ、たまにはゆっくり月を眺めるのも、いいかもしれないな」
「では、夕食はこちらに準備して、団子はデザートにしましょう」
「それはデザートになるのか?」
「はい。甘味ですから」
「そうは見えないなぁ」
クリスが軽い驚きと共に団子を観察する。
そんな二人の会話をカルラは壁と一体になって盗み聞きをしていた。
「良いことを聞きましたわ」
カルラは足音をたてることなく煙のように姿を消した。
カルラが、クリスが一人でテラスで食事をする姿は寂しい、と訴えたことにより急遽、ルドも一緒に夕食を取ることとなった。
昼間の暑さとはうってかわって涼しく心地よい風が吹く。秋の訪れを肌で感じながらルドが言った。
「この団子という食べ物は美味しいですね。このモチモチとした食感がクセになりそうです」
「そうだな。中に入っている豆を甘く煮たのが意外と良い味をしている」
食後のデザートとして団子を堪能していると、ルドが思い出したように口を開いた。
「そういえば……」
「なんだ?」
「月が綺麗ですね」
クリスの脳裏にカリストから聞いた説明が瞬時に浮かんだ。
「ゴホッ、ゲホッ、ガッ……」
「大丈夫ですか!?」
ルドが差し出したお茶をクリスは奪い取るように掴んで勢いよく飲んだ。
「大丈夫ではな……って、そもそもなんだ! いきなり!」
「カルラにこう言ったら師匠が喜ぶと聞きまして……いけませんでしたか?」
ルドが困惑した顔で弁解する。頭にはないはずの犬耳が寂しそうにペタリと垂れている幻まで見える。
この様子だとルドはカリストが言っていた意味で使ったのではないのであろう。
そのことを察したクリスは勘違いしたことに気づいて顔が真っ赤になる。
「師匠?」
クリスは赤くなった顔を誤魔化すようにテーブルを叩きながら立ち上がった。
「なんでもない!」
「え!? どうしたのですか? あ、散歩ですか? ご一緒します!」
これまたルドにはないはずの尻尾がブンブンと嬉しそうに左右に揺れている幻が見える。
散歩が好きとは、ますます犬だな。
そんなことを考えながらクリスが歩き出す。
「好きにしろ」
「はい!」
ルドはすぐにクリスに追い付くと隣に並んで歩いた。
虫の音と草を踏みしめる音が響く。周囲は薄暗く、月がいつもより明るく大きく見えた。まるで手を伸ばせば届きそうなぐらいに。
クリスがぼんやりと月を眺めていたら、ルドがポツリと呟いた。
「本当に……綺麗ですね」
「……そうだな」
クリスが視線を横にずらすと琥珀の瞳がこちらを見ていた。
……月のようだ。
クリスが手を上げかけたところでルドの表情が緩んだ。
「綺麗です」
クリスの顔が真っ赤になり全身が痺れた。不意討ちすぎて言葉も出ない。
全身が硬直したクリスの耳にヒソヒソ声が入ってきた。
「そこです、犬! 押し倒しなさい!」
「イケ! 男を見せなさい!」
言葉を理解すると同時に金縛りがとける。クリスはゆっくりと声がする方向に振り返った。
「なぁにぃをぉ、しているんだぁ?」
木の影に隠れていたメイドたちが苦笑いを浮かべながら顔を出す。
「あ、いえ。ちょっと、散歩を…………失礼しました!」
「あ! こら、待て! 逃げるな!」
一目散に屋敷へと走り出したメイドたちをクリスが追いかける。
「師匠! 暗い中で走ったら転けますよ!」
何も考えず全てを本能のまま言っていたルドがクリスを止めるために走り出した。
後日。
「あの二人、まだ付き合っていませんの?」
「そうですの。見ているこちらの方がじれったくなりますわ」
「あれだけの雰囲気を出しといて?」
メイド一同。
『ねー』
今日もクリスの屋敷は平和だった。