ホワイトデー後編
犬を引きずったまま廊下をしばらく歩いて、とある部屋に入りました。この部屋には様々な布や糸、作りかけの服やあみかけのレースなどがあります。
「ここは?」
「裁縫部屋です。レースを編んだり、服を作ったりしている時間はありませんので、半日で出来る刺繍をして頂きます」
「刺繍 !?」
「贈るハンカチに小さな刺繍をします。ハンカチは必ず使いますので贈り物に最適です」
「はぁ……」
間抜けな相槌を打つ犬の前にラミラが出てきました。
「お久しぶりです」
ラミラが犬に丸い木枠にはまった白い布を渡して説明をします。
「こちらに刺繍をして頂きます。刺繍する絵柄は描いてありますので、あとは見本と同じ色の糸を使って縫っていきます」
犬が椅子に座ると、ラミラは小さなバラの刺繍がされた白いハンカチを置きました。
「こちらが見本です。糸は針に通してこちらに準備してあります。私が隣で縫っていきますので、同じようにして下さい」
「はい」
犬が針山に刺さった針を一本取りました。そしてラミラと同じように塗っていくのですが……
「イッ」
「ツッ」
「アッ」
必ずと言っていいほど指を刺します。しかも結構深く。どうすれば、ここまで毎回刺せるのか……これも一種の才能ですね。
全ての指からじんわりと血が出てきたところで、さすがに止めました。
「刺繍が出来上がる前にハンカチが血で赤くなるので止めましょう。次に行きます」
再び犬を引きずって裁縫部屋を出ました。
こうなれば総当たり戦です。いろいろすれば、何か一つぐらいはまともなものが出来るでしょう。
造花作り。
ベリッ。材料が破けました。
花瓶作り。
グニャ。花が一本も入らない独創的な物体になりました。
グラス作り。
パリン。予想通り割れました。
彫刻。
スパーン。彫刻刀で木が真っ二つに割れました。
指輪作り。
グシャ。指輪が潰れました。
「……………………こうなったら最終手段です!」
私はキッチンに戻ると、とっておきの秘策を出しました。
「紅茶の茶葉をブレンドして、オリジナル紅茶を作りましょう! さあ、お好きな茶葉をこの中に入れて下さい!」
料理台の上にガラス瓶に入った茶葉を並べました。緑色の葉から茶色の葉、果物の皮に花びらが入った瓶など、様々な茶葉が入ったガラス瓶があります。
これなら混ぜるだけですし、どんなに不器用な人でも失敗はありえません!
犬が茶葉の匂いを嗅ぎながら選び、気に入った茶葉をガラスの器の中に入れていきます。
こうして数種類の茶葉がブレンドされたところで私はポットを準備しました。
「では、味見をしましょう」
私は茶葉を混ぜるとガラスの器から少し取ってポットに淹れました。そして、お湯を注いで待ちます。嗅いだことがない独特の臭いが漂ってきました。
嫌な予感がしつつも、私はカップに犬が作ったブレンド茶を注ぎました。強烈な臭いが鼻を刺します。どうすれば紅茶からこのような臭いがするのか不思議でなりません。
臭いは残念ですが、味は奇跡があるかもしれません。
カップを前に私は覚悟を決めて飲みました。そして、すぐに流しに駆け込みました。
これは体内に入れたら駄目なものです。本能と全身が拒否しました。
犬も同じだったようで勝手口から外に出て吐いています。そして、そのまま項垂れるように地面に伏せてしまいました。
「……何も作れない」
犬耳と尻尾が今まで見たことないほどに垂れ下がっています。いえ、幻覚で実際に犬耳と尻尾があるわけではないのですが。
「き、きっと何かあります! まだ諦めるのは早いですよ!」
「ですが、もう時間が……」
太陽が紅くなり、西へ沈もうとしています。クリス様は帰宅していますが、他のメイドたちがここに近づかないようにしてくれていますので、犬の存在には気づいていません。
「まだ! まだ、大丈夫です! 考えましょう! いぬ……いえ、貴方にしか作れない物があるはずです!」
「自分にしか作れないもの……自分にしか出来ないこと……自分に出来ること……」
ブツブツ呟いていた犬がいきなり立ち上がりました。
「明日の昼までには帰ってきます!」
そう叫ぶと、犬は私が止める間もなく魔法でどこかに駆けて行きました。
翌日。
本日はホワイトデーなので、バレンタインデーの時と同様にクリス様には強制的に治療院研究所をお休みしていただき、庭でのお返しお菓子パーティーに出席してもらいました。
前回は女性の使用人たちが中心になってお菓子を作りましたので、華やかで美味しいものが多くありました。
ですが、今回は男性の使用人たちが準備をしましたので、味が濃く重いものが多くなりました。一例をあげると、塩味のチップスにジャーキー、チーズなどです。お菓子ではありませんね、お酒のツマミですね。
犬と一緒に男性陣も教育しなければなりませんでした。反省です。来年のホワイトデーには早々からしつけをしましょう。
と、そんなことを考えているとクリス様が現れました。いつものように庭の隅にある椅子に座ります。私はすかさず紅茶を運びました。
私が紅茶をカップに注いでいると、クリス様が周囲を見回しました。犬を探しているのでしょうが、クリス様は口に出すことはしません。ですので、こちらから情報を差し上げます。
「犬はもう少ししたら来ると思いますよ」
「べ、べつに犬を探していたわけではない」
クリス様が顔を逸らしてカップに口をつけました。こういうところは、わかりやすく可愛らしいです。
微笑ましくクリス様を見ていると、深緑の瞳になぜか睨まれました。
さて、クリス様にはもう少しと言いましたが、本当にそろそろ来て頂きたいです。あれから連絡は一切ないですし、どこで何をしているのか不明のままなのです。
ちゃんとお返しを準備することが出来たのか、今日中に来るのか、心配は尽きません。
どうするか考えていると、馬の足音と荷台を引く音が聞こえてきました。
「師匠!」
馬に乗った犬が庭に入ってきました。馬の後ろには荷台があり、そこには大きな麻の袋が乗っています。庭で談笑していた使用人たちが何事かと注目します。
しかし犬は気にすることなく、そのままクリス様の前までやってきて馬から降りました。よく見れば右頬に獣に引っ掛かれたような傷があります。一体、何をしていたのでしょう?
私の疑問をよそに犬はクリス様に頭を下げました。
「遅くなって、すみません」
「……別に私はおまえを待っていたわけではない」
クリス様が思ってもいないことを言います。照れ隠しですね。ですが、犬は気にすることなく荷台から荷物を下ろしました。
「師匠へのお返しを作ろうとしたのですが、自分にできるのはこれぐらいでしたので……」
そう言って麻の袋の中身を地面の上に並べました。その中身に女性陣から短い悲鳴があがります。私も思わず一歩引いてしまいました。
庭の芝生の上には、熊、立派な角が生えた鹿、狼、この近辺では滅多に見ない虎など、さまざまな動物が転がりました。どう見ても麻袋の許容量を超えています。
全員が顔を青くしている中、クリス様だけは目を輝かせていました。
「いつ狩った? 血抜きはしているか?」
「全部、昨夜に狩りました。血抜きは狩ってすぐにしています」
「よし! すぐに解体して内臓と爪と角を干せ! これだけあれば、しばらくは薬に困らない。薬にならない部分は料理にまわせ」
薬学も勉強していた犬は入手しにくい薬の原材料をお返しに選んだようで、私たちはドン引きでもクリス様は大喜びです。
料理人たちが刃物を持って集まってきました。獲物が大きいので、ここである程度解体してからキッチンに運ぶのでしょう。
解体作業で使用人たちが賑わっている後ろで、クリス様がさりげなく犬に近づきます。
「昨日は治療院研究所を休んで一日狩りをしていたのか?」
「え? あ、まぁ、はい」
昼はここでお返し作りをしていたので、実際に狩りをしていたのは夜だけでしょうけど犬は言葉を濁しました。クリス様が懐から小瓶を取り出し、蓋を開けます。
「まったく」
軽くため息を吐いて小瓶の中の軟膏を指に取りました。
「おまえはまだ魔法で傷が治せないのだから、私がいない時にいらない怪我はするな。洗浄」
そう言うとクリス様は犬の右頬にある切り傷を魔法の水で綺麗に流してから軟膏を塗りました。
「し、師匠?」
呆然としている犬にクリス様が蓋を閉めた小瓶を押し付けました。
「やる」
あ、クリス様のお返しは傷薬なんですね。
「え? あ!? ありがとうございます!」
犬が盛大に尻尾を振っている幻覚が見えます。計画していた展開とはかなり違いますが、お二人らしいので今回は千歩譲って、これで良しとしましょう。
私がお二人の様子を眺めていると、執事のカリストが微笑みながらやってきました。
「お話し中に失礼します。こちらをどうぞ」
そう言ってカリストが犬にスコップを手渡しました。渡された犬は首を傾げます。周囲の使用人たちも同じです。
カリストは馬と荷台の下を指差して微笑みました。
「馬と荷台で庭に乗り入れて下さったおかげで、土が程よく掘り返されました。ですので、是非ここに新しい芝生を植えて下さい」
よく見なくても庭の芝生が馬と荷台によってぐしゃぐしゃになっています。
「私はカルラのように甘くありませんからね。何日かかってでも元通りにしてもらいます」
氷より冷たい声と微笑みにより周囲の気温が下がります。頷く以外の動作を許されなかった犬がカリストから解放されたのは三日後でした。
ホワイトデー編はこれで完結です
またネタが出ましたら書きます
最後までお読みいただき、ありがとうございました