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バレンタイン後編

 空を見上げれば白い雲が気持ちよさそうに浮いている。太陽の光は穏やかで気候も良いのに口からは、ため息しか出てこない。


 側に来たカリストを横目で見る。こいつなら知っているはずだ。


「見守るようなことでもないだろ。それとも何かが起きるというのか?」


「さて、どうでしょうね?」


 カリストがいつもの微笑みを浮かべる。知っているが教える気がない、むしろ楽しんでいる顔だ。

 聞きだすことを諦めて、さらに大きくため息をついた。


「ため息を吐くと幸せが逃げると言いますよ」


「そのため息を吐かせているのは誰だ?」


 カリストを睨むが軽く笑われた。これは、あれだ。完全に遊ばれている。何をしても楽しませるだけだ。こういう時は何もしないに限る。


 (だんま)りを決め込もうとしたところでカルラの明るい声が響いた。


「クリス様!お客様です!」


 その声で全員の視線が集まる。だから何なんだ!その意味あり気な含み笑いとか、ほくそ笑んだような顔は!絶対、主に対する態度じゃないぞ!


 どうやって再教育してやるか考えていると、大きな声が響いた。


「師匠!」


 カルラに先導され、犬がないはずの尻尾を振りながら歩いてきた。赤い髪の隙間からは、ないはずの犬耳がピクピクと前後に動き周囲を警戒している幻覚まで見える。


 一応、何事かあったのかもしれないから訊ねてみた。


「どうした?」


「師匠が治療院研究所を休まれたので、体調が悪いのかと思い見舞いに来ました」


「あいにく体調はどこも悪くない」


「そのようですね。良かったです」


 ニコニコと裏表のない笑顔。使用人たち(おまえら)この笑顔を見習え!と思ってしまった自分に落ち込む。


「師匠?」


「とりあえず座れ」


「はい」


 何も疑うことなく椅子に座る。こいつは私がやることや言うことに対しては、まるで疑問を持たない。これが他のヤツが相手だと、どこか警戒心を持って一定の距離を取るくせに。だから忠犬とか言われるんだ。

 心の中で(くだ)を巻いていると犬が花束を出してきた。


「お見舞いにと思って買ってきたのですが」


 見事なまでに赤く染まった大輪のバラの花束。見舞いではなく違う場合で贈るべきなぐらい立派な花束だ。


「見舞いに真っ赤なバラを贈るのが流行っているのか?」


「いえ、花屋に行ったら沢山の人がいて流れ作業のように買わされたのです」


「なんだ、その状況は?」


「よく分からないんですよね。花屋は真っ赤なバラの花束だらけでした」


「そうか。そういえば、ちょうど良かった。これをやる」


 エマが置いていった可愛らしい箱を犬の前に差し出す。


「今日は世話になっている人に花や菓子をやる日らしくてな。世話にはなってないが、ついでだからやる」


 かなり素っ気なく言ったのだが、犬は琥珀の瞳を輝かせて箱を見つめた。


「もらっていいんですか!?」


 予想していたとはいえ、そこまで素直に喜ばれると、こちらが恥ずかしくなる。

 思わず顔を背けて言った。


「バラを貰ったしな。交換だ、交換」


「ありがとうございます!開けていいですか?」


「好きにしろ」


「はい!」


 犬が蓋を開けて喜びの声を上げる。

 箱の中では淡い茶色から黒に近い茶色まで、色が違うだけの飾り気がない小さな四角いチョコが並んでいる。それだけなのに、何がそんなに嬉しいのか理解できない。


 顔を背けたまま呆れていると、犬がお伺いを立ててきた。


「食べていいですか?」


「だから好きにしろと言っているだろ」


「はい!」


 犬は嬉しそうに返事をすると、箱からチョコを一個摘まんで口に入れた。


「ん!美味しいです!」


 そう言って次々と口の中にチョコを入れていく。


「…………良かったな」


 たぶん犬は盛大に喜んでいるのだろうが、とてもじゃないが顔を直視できない。よくよく考えれば手作りの物を誰かに食べてもらうなど初めてのことだ。

 こんな時どういう顔をすればいいのか分からない。顔を背けたまま返事をするだけで精一杯だ。むしろ、この場から即刻立ち去りたい。いや、逃亡させてくれ。


 ここを離れるきっかけを探すように周囲を見ていると、何故か全員が生温かい目でこちらを見ていた。言いたいことがあるなら、はっきり言え!

 怒鳴りたい衝動を抑えていると、リアンカが小走りにやってきた。一つに編み込んだ長いこげ茶の髪を揺らしている。十歳ぐらいだが、おませで大人びた言動をすることがある女の子だ。


 リアンカが使用人たちの視線を無視して、ラッピングされた小さな袋を差し出してきた。


「クリス様、どうぞ。いつもお世話になっているお礼です」


「あ、ありがとう」


 袋は意外と軽く、擦れる音からして中身はクッキーのようだ。

 そこにリアンカより少し小さい男の子が現れた。明るい茶髪はクセ毛であちこち跳ねている。名前はハロで体力が有り余っているのか走り回っていることが多い。


「あ、チョコだ!」


 ハロが犬の前にあるチョコに手を伸ばすが、すかさず犬が箱を持ち上げた。


「これは師匠が自分にくれたチョコなのであげられません」


「えー!一個ぐらいいいだろ?」


「駄目です!」


「ケチ」


 子ども相手に本気で拒否している姿に呆れて思わず口を挟んだ。


「別にチョコの一個や二個あげればいいだろ?」


 そこに思わぬところから反論が出た。


「ダメよ!今日のチョコは大切な意味があるんだから」


 リアンカが腰に手を当てて咎めるように言った。嫌な予感がするが確認しないわけにはいかない。


「どういう意味があるんだ?」


「クリス様、知らないの?今日は好きな相手に赤いバラの花束か、手作りチョコをあげて自分の想いを告白する日なのよ」


「なっ!?」


 メイドたちを見ると、一斉に目を反らしやがった!おまえら知ってて作らせたな!あとで覚えてやがれ!

 怒りの睨みを向けていると、ハロが面白そうに言った。


「だからリアンカ姉ちゃん、さっきカリスト兄ちゃんにこっそりチョコをあげていたのか」


「ちょっ!?いつ見てたのよ!」


「そんなに怒っていたら嫌われるぞー」


「待ちなさい!」


 ハロが怒るリアンカから逃げていく。いや、待て!ここで犬と二人にしてくれるな!ハロ!チョコをやるから戻ってこい!


 心の声は口から出ることはなく、椅子から上がりかけた腰と、何かを捕まえようとした右手が虚しく宙を漂う。


 変な姿勢で固まり、冷や汗が流れているところに犬が声をかけてきた。


「あ、あの、師匠?これ、師匠の手作りですか?」


 犬の質問に慌てて体を向けて答えた。


「い、いや、これはだな!エマが菓子作りをするから選べと言って本を渡してきてだな!チョコならカカオの粉が薬品棚にあるから作れると思ったんだ!そうしたらカカオの粉からチョコを作るのは一週間かかると言われてな!だから、市販のチョコを使うことにしたのだが、どの甘さが好みか分からなかったから、ミルクと砂糖の分量を変えて、いろんな甘さのチョコを作った…………って、もういいだろ!」


 話せば話すほど墓穴を掘っている気がする。いや、墓穴しか掘っていない。こうなったら誰か埋めてくれ。どこでもいいから埋めてくれ。


 脱力してテーブルに伏せる。もう頼むから何も言ってくれるな。ほっといてくれ。


 そんな願いも虚しく犬は悔しそうに言った。


「それなら、もっと味わって食べれば良かった。この最後の一個をどうするか……食べるか?いや、凍結魔法をかければ永久保存できるのでは……」


 犬が違う方向に悩みだしたので顔をあげる。そこに珈琲セットを持ったカリストが現れた。


「コーヒーか?珍しいな」


 カリストがカップを置いて珈琲を注ぐ。風にのって香ばしい匂いが漂ってきた。


「チョコに合う珈琲豆をブレンドしました」


 そう言いながら自然な動作でカリストが最後の一個のチョコを摘まむ。


「あ!!」


 気づいた犬が叫んだ時にはチョコはカリストの口の中にあった。


「やはりチョコには、この珈琲が合いますね」


 満足そうなカリストとは対照的に犬の絶望した声が響いた。

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