兎は月で眠らない
イラスト:halさま ( http://5892.mitemin.net/ )
指定ジャンル・必須要素:なし
→→ ジャンル:ファンタジー(スチームパンクの成りそこない)
この作品は5,359字となっております。
「はい、おつりね。まいどありー!」
「いつもありがとよ!」
「こちらこそー!」
威勢のいい少女の声が露店から響く。
一人の客が去り、また次の客が近付いて品物を眺めている。どこかの民族を思わせるアクセサリーから、低めの年齢層を狙った可愛らしい服を扱う露店だ。しかし、美しい装飾が施された魔道具や多少魔力が強められた魔石なども、当たり前のように並べられていた。
この辺りの露店では珍しい光景ではなく、むしろ魔石の一つでも扱っていなければ見向きもされない時代となっている。露店を始めるなら、何よりもまず魔道具職人との繋がりを作ることが優先されるほどだ。
多くの露店が軒を連ねる街道の中で、客として捕まらないことを固く決意していたはずの人間でさえ上客に転じさせてしまう露店があった。それがあの、少女の店だ。
特別な逸品が売られているとか、高価な珍品が並んでいるというわけではない。もちろん見る人が見れば、扱われている品物の多くが少女の手に負えるようなものではないことは分かる。魔道具の装飾は始めて十数年の職人でも唸る複雑さであり、魔石の持つ魔力は手練れの魔導師が扱うにふさわしいところまで高められている。少女のバックにいるのが並大抵の存在でないことは明らかだったが、決してそうした専門的な要素が客を引き付けていたのではなかった。
「わあ、また来てくれたの! その後、脚の調子はどう?」
「あんたが用意してくれた義足のお蔭でこの通り。治癒の魔法にかかったみたいさ!」
「どれどれ、念のために点検するね」
大きな赤い目に小さな鼻。艶やかに光る赤茶の髪が、剥き出しの肩の上で踊るように揺れる。
淡いピンクのブラウスにボルドーの蝶ネクタイを締め、エプロン姿で老婆の義足に触れる少女。ブラウンのスカートから伸びる白い脚を平然と湿った地面につけて。
スカートと揃いの色のハットには、兎の耳のようなアクセサリーが付いている。少女の噂を聞き付けてこの中央市場にやって来る者たちは、皆そのハットを目印に露店を巡り、辿り着くまでに大いなる客として他の露店に吸い尽くされるのだ。
「問題ないみたい。おじいちゃ……いやいや、熟練の魔導師に強化してもらった魔石が埋め込んであるから身体との一体感バツグンでしょ。困ったことがあったらいつでも言って!」
「さすがだね。頼りにしてるよ」
自慢げに蝶ネクタイを両手で張ってみせ、小さな鼻を器用にひくつかせる。そうして老婆を見送ると、今度は肉付きのいい男が碧く光る魔石を手にするのに声をかけた。
少女の存在。人柄と言い換えてもいい。そんなものがこの露店を、大盛況とは言わないまでも途切れることのない客を掴む露店へと押し上げていた。
愛らしい少女の本当の名を知る者はいない。
ただ少女の名乗る通り、それに一層の親しみを込めて、可愛い子兎ちゃんと呼ぶのだった。
**********
時間よ止まれ、と人生で何度願ったか。
それでも今日は、今日こそは、本当に止まってほしかった。
ティムは、大した青年ではない。街のどこにでもいるような、平凡で、それなりの男だ。
迷信を鵜呑みにするほど信心深くもないが、「時間よ止まれ」と念じる相手は、まさに迷信の類だった。
「満月の夜には、時が止まる」。
数分か、数時間かは分からず、眠りこけて見た夢の戯言とも言われる湧いて出た迷信。しかも、それを体感したと言い張る者は、共通して皆こう言うのだ。
「兎が時間を盗んでくれた」と。
ティムはそれを信じているわけではなかった。ただ、小さな頃からそう願うことが多かっただけ。そしていつからか、空気に消える願いを少しだけ具体的な存在に向けただけ。
これまでしてきた願いは自身で思い出しても子供じみている。おやつを兄より一つ多く貰えた日の優越感、学校で一番いい点を取った時の達成感……。そんなものを少しでも長く感じていたくて、その度「時間よ止まれ」と胸の中で唱えた。
しかし、今日は違う。今日だけは本当に時間を盗んでほしいと心から祈った。
愛する人と居られる時間を、一秒だって長くしたい。それが理由だった。
「時計台に上るの初めて」
「僕もだよ、結構高いね」
「ふふ、怖いの?」
「違うよ、アリスが怖くないかと思っただけ!」
蒸気によって上昇するエレベーターの中で、みるみる遠ざかる景色から守るように恋人の手を取るティム。
ティムの願いは恋人にも伝わっていた。手を繋いだからではなく、時計台を上っているから。
時計台にいることが、満月の夜の奇跡に出会う条件なのだ。
蒸気の抜ける音と共に、エレベーターが止まる。ドアがスライドして、二人を時計台の最上部――展望室に招き入れた。足下に埋まるシンボルが鼓動のように音を立てて震えていた。
地面から吹き上がる風が、立ち込める蒸気を割くように走る。思わず握る力を強めた手に、二人は顔を見合わせて笑った。
いつも通りでいたい、とティムは思っていた。そして恐らく恋人も。いつも通りでいなくてはならない、と思っていた。
今日が終われば、しばらくの間会えなくなる。それはティムが決めたことであり、恋人が決めたことでもある。確かに会えなくはなるが、決して後ろ向きな理由ではなく、むしろ前向きに二人の将来へ向かうための選択だった。そのために離れることが必要で、それ以上の説明は不要だろう。
そのような固い決意があるとはいえ、離れることが平気なわけではもちろんない。だからこそ、この満月の夜、時計台に立つことを決めたのだ。
「寒くない?」
「大丈夫よ、むしろ気持ちいいくらい」
「それなら良かった」
「ねえ見て。満月がとっても近くに見える」
促されて顔を上げる。いつも見る満月より数倍大きく見えた。黄金色の光を纏い世界を見下ろす満月の、その細部まで明確なほどで、手に取れそうとさえ思う。
「月には兎が住んでるなんて言うけど、こうして見ると似てやしないね」
月を見つめながら、期待外れだとでも言うようにティムが溜息を吐く。だが、恋人は違った。
「そうかしら? わたしはいつあそこから飛び出して来てくれるのかってわくわくしてるけど」
「アリス……」
こちらを向いた恋人は、言葉に反して寂しそうな目をしていた。まるで言葉だけでも希望を持っていないと時間が倍速で進むことを知っているように、瞳を揺らしている。
願いを叶えたい、そう強く願った。時間よ止まれ、と。強く。
その時だった。
先程とは比べようもないほど強い風が、時計台の下から上へ一気に駆け抜けた。その風を先導するような大きな影が、二人を時計台もろとも包み込んで消えた。
何だったのかと考える間もなく、とん、と軽い音がして二人の視線は奪われた。
展望室の柵の上。そこに少女が立っていて、二人に向けて自慢げに蝶ネクタイを張って見せた。
個性豊かな住民が集まる中央市場では珍しくないが、それでも露出度の高いコスチュームは自然と目を引く。しかし艶めかしさよりも、無邪気さに比例しているように感じられる潔さがあった。随所にピンクのレースがあしらわれ、発展途中の身体を彩っている。
大きな赤い目に小さな鼻。そして彼女のトレードマークは、兎の耳のようなアクセサリーが付いたハットだった。
唖然として、でもティムは確実にその正体を捉える言葉を知っていた。
「時間を盗む、兎……?」
「ごめーいとーう!!」
展望室までの高さを一切忘れさせるほど陽気に、少女は言った。
「世界の時間を奪う大怪盗、バニーとはあたしのことよ!」
目と同じ色をした魔石が二つ埋め込まれた魔杖を得意げに振り、柵の上でポーズを決める。時計台の最上部での光景とは思えないショーに、二人はただ口を開けて見つめるだけだった。
その様子に気付いたらしい少女――バニーは、こほんと咳払いを一つ落として、愛おしげに魔杖を撫でた。
「あなたたちの声、しっかり聞こえた。お互いを想う気持ちの強さも」
そうして静かに微笑む。
「願いを叶えてあげる。わたしから、時間のプレゼント」
バニーは魔杖を両手で持ち、瞼を閉じる。これから起こることを想像して、二人は肩を寄せた。
「“変化”」
囁きに呼応して魔杖の形が変わっていく。何の変哲もない、魔石が埋められただけの杖が、大きな鍵へと形を整えた。愛の形をかたどった持ち手の向こうから二人の様子を窺う赤い目が、三日月のように弧を描く。
柵の上からこちらへ、とん、と軽やかに下りたバニーは二人と並ぶと小柄さが際立つ。今度は見上げる形になったのに眉が不満げに動いて、明らかな愛想笑いとなった。そのまま、展望室の中央へ歩み出た。
右へ左へとステップを踏むバニーに合わせて、ピンクのレースがそこここで波打つ。鍵に変化した魔杖から月の粉をまぶしたような光が散る。
最後に両足をたん、と合わせてから、鍵を真下へ押し込んだ。
ただの板張りだった床に、鍵がすうっと差し込まれていく。大切な宝箱を前にした時の、はやる気持ちを抑えながら慎重に鍵を差し込む瞬間のように、たっぷりと時間をかけて。
ぴたりと鍵が止まった。奥まで差し込まれたのだ。バニーは両手で鍵を掴んだまま、左へ鍵を傾けた。
開いた、と誰もが思った。かちん、と確かな手ごたえが音を立てた。
鍵の向きを戻して軽く引き上げると、後は鍵を差し込んだ周囲がひとりでに円柱状にせり上がった。
ガラスの筒のように見えたが、黄金色の光が守るように包んでいるだけだ。その中央では拳大の時計の文字盤がゆらゆらと上下に踊っている。
「この時計台には、精霊が宿っているの。精霊が世界の時間を司っている」
黄金色の光のベールに手を差し込む。それだけで文字盤の姿をした精霊は、その手に寄り添ってきた。
ベールの一部が精霊を追うようにして分離し、そっとバニーの身体までまるごと包み込んだ。
音が止む。鼓動のような震えがぴたりと消え、世界に静寂が広がった。
「……忘れないで」
バニーが二人にそっと告げる。静寂を壊すことを恐れるように。
「時間には限りがあること。盗まれた時間は、必ず元に戻されなければいけない」
元に戻った魔杖がバニーの空いた手に滑り込む。魔杖を握り締め、今度は笑って、からかうようにして言った。
「大丈夫。二人が愛を語り尽くせるくらいは、この子と遊んでくるから」
ひとっ飛びで柵の上に飛び乗り、バニーは最後の挨拶のために振り返った。大きな満月を背にするその姿は、月で眠る兎と重なった。ティムが慌てて声をかける。
「ありがとう! ……でも、どうして君は、時間を盗むの?」
ティムの素朴な問いにふと驚いたような顔を見せ、それからバニーは空を見上げた。
「だって、満月がこんなに綺麗だし、それに……」
「それに?」
ちらと、頬を上気させる男女の固く結ばれた手を見やって、こう告げる。
「こんな夜は、いつまでも続いてほしいじゃない?」
じゃ、いい夜を。そう残して、バニーはまるでここが小さな段差だとでも言うような気軽さで、飛び降りた。
思わずティムも恋人も身を乗り出して下を見たが、どこにもバニーの姿は見つからなかった。
ほっと息を吐いて、そして互いの顔を見やる。
兎が盗んでくれた時間は、あとどのくらいあるだろう。そんな焦りは頭の端に追いやって、ただ握る手の力を強めた。
大きな満月が注ぐ月明りの下。
時を止めた街を見下ろしながら、二人は互いの笑みを目に焼き付けるのだった。
**********
小さな寝息が聞こえる。街中がいつもと同じ眠りに就く頃、月明りが注ぐ夜に安心しきった深さで。
バニーが開く露店の下、今は沈黙のベールが被せられたそこの足元に、秘密に繋がる扉がある。まるで家の床に誂えられる収納庫の扉のようなものがまさか道の真ん中にあることも、その先に収納庫どころか大人二十人がゆったりと腰を据えてもまだ余裕があるような空間が広がっていることも、誰が知っているだろう。
そんな広々とした空間が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた家具で半分以下の狭さになっている。効率化のみを考えたような、一歩足を踏み出せば何でも手が届く状態が作り出されていた。
小さな寝息は、そんな窮屈な空間の中の、さらに窮屈な戸棚の中から聞えている。半開きの戸の隙間から、長い耳が寝息と共に揺れているのが見えた。
「おや。さては頑張りすぎたね?」
豊かな白髪に髭を蓄え、慈しみを形にしたような笑顔で戸棚の奥を見つめる男が、囁くように呟く。そして戸を大きく開き、中にいる一匹の赤茶の兎の身体に、はだけた小さな毛布をかけ直してやった。
「ベッドにいないと思ったら。ここで寝ている姿を見るのも、久し振りだな」
つん、と太い指で耳を突くと、兎はわずかに耳をぴんと伸ばし、それでもすぐに力を抜いて眠りに身を任せた。
「人の姿が楽しいのも分かるが、たまには本来の姿を私は見たいんだがね」
音を立てないようそっと離れた男が、隅のテーブルへと進む。男以外の誰にも理解できない文字の羅列が犇めき合う紙の束を掻き集め、一枚二枚と捲り、これはいい出来だと言わんばかりの表情を作る。それからちらと兎の眠る戸棚を見やった。
「次は月で眠る魔法でも考えるかな、バニー?」
halさま、ありがとうございました。
ファンタジーやスチームパンク、あまり読まないジャンルだから世界観づくりがなかなか上達しません……。
知識が少なく、調べても思った情報が出てこない。スチームパンクの世界観自体は大好きなんですけど、完全なるにわかを自負してますので、大目に見ていただけたら。
精進はします、頑張ります。