回顧
イラスト:檸檬絵郎さま ( http://22105.mitemin.net/ )
指定ジャンル・必須要素:なし
→→ ジャンル:ヒューマンドラマ
この作品は6,896字となっております。
吸い込まれるようにそこに入ったのは、本当に何かに吸い寄せられたからかもしれない。
街の小さなギャラリーを使った絵画展。普段なら目の前を歩いていても素通りしてしまう、縁遠い催しもの。
多分本当は、見つける度に入るべきだったのだと思う。けれど私は臆病で、そうすることで築き上げてきたものを壊してしまうような気がして、見て見ぬふりを繰り返してきた。
築き上げてきたもの。それが夫と息子との平凡でも穏やかな毎日のことか、時間が経つごとに美しく書き換えられていく過去のことかは分からない。
そのどちらかか、それともその両方を、大切に誰にも触れられないところへ隠しておきたかった。
それなのに一歩踏み出してそこに立ったのは、やはり吸い寄せられてしまったからとしか言いようがない。
ガラス張りの壁に反射した光に目を細めながら、流れるように開いた自動ドアを抜ける。
大きな箱のようだと思った。室内は吹き抜けで、高い天井までの空間を囲うように通路が重なっている。どうやら四階までは優にあるらしい。その全てのフロアがたった一人の画家の作品で埋め尽くされていると、額縁に仰々しく収められたポスターで知った。
大々的に記されている名は、一度も聞いたことがなかった。それはわたしが絵画に通じていないからなのだろう、現に転々と配置された額縁の前では多くの人が群がっている。街灯に群がる虫たちのように。
もう一度、ポスターに目を落とす。全く知らない名前なのに、頭の中で反芻すると雨上がりの匂いがした。
それならあの人たちは雨を喜ぶ蛙だろうか。そしてわたしも、その内の一匹になるのかもしれない。
奥へ進もうと一歩踏み出したところで、無機質な着信音が響く。それは穏やかな池に投げ込まれた小石のように、周囲の人たちの機嫌を明らかに損ねた。そしてわたしは、それが自身のハンドバッグの中で鳴っていることに、数秒遅れで気が付いた。
気まずい思いで誰にともなく会釈を繰り返しながら、壁際で通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「あ、かあちゃん。ぼくだけど」
小学二年生の息子からだった。電話番号が息子の入っている児童会の集会所のものだったため、息子に何かあったのかと思ったものの、杞憂だったらしい。
「どうしたの、わざわざ電話なんて」
「うん、今どこにいるの?」
「えっとここは……たかしくんの家の近くまで来てるけど」
「かあちゃん、すげー!」
たかしくんのお母さんがすでにお迎えに到着していて、送ってくれるという話になったと息子は話す。
息子の迎えの途中だったことをそれで思い出し、それを隠すために「面倒かけたら悪いわよ」などと言ってはみたものの、わたしの心はすでにここから動かないことを決めていた。息子からのお願いを渋々受け入れるという体を装って、わたしは頷く。
「車の中では良い子にしてるのよ?」
「分かってるよ」
「じゃ、たかしくんのお家の前で待ってるから」
「うん」
通話を切って、ふっと息を吐く。
嘘や隠し事はいけない、いつも正直でいなさいと教えながら、子どもの前で一切何も誤魔化さずにいられる親はどのくらいいるだろう。大人とはつくづくずるい生き物だと今も変わらず思う。
今度はきちんと携帯電話の音を切って、邪魔をされないようハンドバックの奥底に仕舞い込んだ。
どの絵を見たいわけでもないのに、足はどこかに向けてわたしの身体と心を連れて行こうと床を鳴らす。
一歩、また一歩と進む度に、初めから拾うべき要素の少ない周囲の音は遠く離れて行って、その代わりにわたしの鼓動が強まっていくのを胸と耳の奥で感じた。
一枚の大きな絵画の前で、わたしの足は止まった。古びたつま先を見つめていた目を上げることを、一瞬ためらう。何かが、きっとわたしの中の何かが少しだけ壊れてしまうのだと感じて、それもどこか美しいかもしれないと思う前に身体は動いた。
大きな絵画。雲が浮かぶ鮮やかな春の空に、荒々しく風にたなびくスゲの葉。そして、蛙。北東方向へと身体を向けながらもっと遠くのどこかを見つめるような、蛙の視線。何かを慈しむような、蛙の表情。
見える限り、この絵画以上に大きなものはない。入口からすぐの、一番目につく場所に飾られる絵画にしてはあまりに稚拙で、参観日にでも行ったような気分にさせられる、小学二年生の子どもの絵だ。
その全てを覚えていたとは言えない。記憶にあったのは絵の左側に鎮座する蛙のインパクトだけだったし、記憶の中の四つ切り画用紙とこの絵画では大きさが違い過ぎる。
それでも、わたしは知っている。
青い空も、流れる風も、揺れるスゲも、春の匂いも。ここに描かれたものも描かれていないものも全て、実景として知っている。
この絵を手にわたしを見つめた、左右で目の大きさの違う少年のことも。
絵画のタイトルを見て、首を傾げた。わたしの記憶では、この絵は『家族』だったのに。
誰も認めようとはしなかった『家族』の絵だったのに。
**********
初めに思い出すのは、いつもは綺麗で優しい担任の先生の重いため息。それから、何か面白いものを見つけたように唇を引くクラスの男子たちと、井戸端会議を仕事にする近所のおばさんを真似たように囁き合う女子たち。その視線の先にいるのは、教室の真ん中の席に座る「しゅんくん」と、その隣の席のわたしだった。
「どうして普通の絵が描けないの!」
苛立つ先生の声は、鉄琴みたいだった。綺麗な音だけれど、いつまでもは聞いていたくない音だった。
自身の声の大きさに驚いたようで、先生は小さく咳払いすると努めて優しそうな声を出した。
「みんなはちゃんと、お父さんやお母さんとの『家族』の絵を描いているでしょう。なのにどうしてあなただけこんな、こんな蛙の絵なの?」
その時のしゅんくんは朝のおはようを返してくれた時と同じ顔をしていた。色の白い肌はあの歳の子どもの中でも一際美しかったように思う。
しゅんくんは答えた。
「『かぞく』の絵は、かぞくで見たけしきの絵じゃだめなんですか?」
この時、わたしはなるほどと思った記憶がある。なぜ『家族』の絵なのに人が誰も描かれていないのか不思議だったけれど、しゅんくんの答えで合点がいった。お父さんとお母さんと並んで見た景色には、家族のうちの誰の姿も映らない。
でも先生には、その答えの意味が伝わらなかった。
「『家族』の絵には家族を描くものでしょう?」
「そうしないとだめなんですか? しゅくだいにはそんなこと書いてなかったのに」
ゴールデンウィークの家族との思い出を絵にしてきましょう。それがこの宿題の趣旨だった。
「でも思い出なんだから、お父さんやお母さんと何かしている時の絵を描くのが普通なの。それなのに自分のことも描いてないなんて」
「ふつうじゃなかったら、だめなんですか?」
気が付いた時には、しゅんくんの言葉をわたしが奪っていた。だって、先生の言い分はおかしいと思ったから。だってしゅんくんはみんなと違う、もっと素直な視点で描いただけだから。
わたしはわたしの絵に疑問を持った。かなこちゃんの絵も、ひとみちゃんの絵も、こうきくんの絵も、みんなおかしい。わたしが見ているものの中に、他のみんなはいてもわたしはいたらいけないのに、わたしはわたしを描いている。みんな自分を描いている。一体誰の目が見た景色を、わたしたちは描いているのだろう。
あの頃はもっと漠然とした「おかしい」という気持ちだけで、先生に質問を投げかけた。
「だめ、ではないけど……でも普通は」
「ふつうじゃなくてもいいなら、しゅんくんの絵でもいいと思います。しゅんくんの絵、とっても上手だもん」
疑問を持った子どもは強い。しつこいと言い換えた方がいいほど、大人の意見に手放しで頷こうとはしてくれない。わたしもそうだったと思うとどこかくすぐったい。
返す言葉を失った先生はもううんざりだと言いたげに離れて行った。その後先生が黒板の前でどんな話をしたかを覚えてはいない。ただ、どうしてしゅんくんの絵が普通じゃないと言われるのか、そればかり考えていた。
その日から三日後、参観日の日に教室にはみんなが描いた『家族』の絵が貼られた。もちろん、しゅんくんの絵も貼られたけれど、それを見たみんなのお母さんたちは絵としゅんくんを交互に見ながら、ひそひそと話をしていた。「かえる」「かぞく」「ぎゃくたい」といった単語がいくつか聞こえてきたけれど、話の意味が分かるほどわたしは大きくなかった。しゅんくんはただ真っ直ぐ黒板を見つめていた。
みんながお母さんたちと帰って行く中、わたしはひとりで帰り道を歩いた。その日はお父さんもお母さんも仕事だったから。それにあの頃のわたしはアガリ症でできれば来てほしくなかったから、小学生時代の参観日に誰かと帰ること自体ほとんどなかった。この日を除いては。
「まいちゃん」
名前を呼ばれて振り返ると、左右で大きさの違う目がすぐ近くにあった。しゅんくんだった。
「しゅんくん、ひとり?」
「うん、まいちゃんも?」
「うん、おしごとだから」
「いっしょだね」
そんな言葉を交わしてから、必然的に隣を並んで歩いた。それまで知らなかったけれど、しゅんくんの家とわたしの家はそう遠くない距離にあった。
しゅんくんの手には、筒状にした画用紙があった。返されたばかりの、教室に貼られていた『家族』の絵だ。わたしもわたしの絵を手に持っていた。
「まいちゃん、ありがとう」
突然そう言われて何のことか分からなかったわたしは、何も言わずしゅんくんの横顔を見つめた。
「この絵のこと。上手って言ってくれた」
わたしは首を振った。上手と褒めることがお礼を言われることだとは思わなかったから。恥ずかしくて、首を振った。
「みんなヘンだって、『かぞく』なのにヘンだって言ったけど、まいちゃんだけは上手って言ってくれた」
「だって、とっても上手だもん。わたしかえるなんてかけないよ」
あまり表情を変えないしゅんくんが、その時少し笑ったと思う。多分笑っていたから、見てはいけないような気がして目を逸らしたのだと思う。
「ぼく、絵かきになるのがゆめなんだ。かえるはおじさんが教えてくれた」
「絵をかく人?」
「うん、おじさんみたいになりたいんだ」
しゅんくんは絵描きの叔父さんのお蔭で絵の感性を磨いたらしい。その頃はまだ絵を描くことが仕事になるとは知らなかったから、単に絵を描くのが好きな人なのだろうとわたしは考えていたけれど。
しゅんくんはそれから少し、叔父さんの話をしてくれた。その時の顔はなんだか眩しくてよく覚えていない。
「それで、おじさんが見たままかきなさいって言うんだ。だからあそこでみんなで見たのをそのままかいたんだ」
小さな橋の上から指差したのは、細い川べりの草が沢山生えている場所だった。
しゅんくんが下りて行くのにわたしも倣った。そこに生えている細長い草をスゲと呼ぶのだと知ったのは、その後のことだ。葉先に触れてできた傷をお母さんに見せた時に教えてくれた。
群生するスゲの葉を前にしゅんくんがしゃがみ込んで、わたしも真似をした。
「ここにこうしているとね、かえるが来たんだ。ぜんぜん動かないから、お父さんとお母さんに教えてあげて、三人でかえるがとんでいくまで見てたんだよ」
そう言って、丸めていた画用紙を開いて見せてくれた。生憎、蛙が出てくることはなかったけれど、この景色をしゅんくんが目に焼き付けた時、隣にはお父さんとお母さんがいて、一緒に蛙を見ていて。それならやっぱり、これは『家族』の絵だとわたしはもう一度納得した。
「しゅんくんはきっと、すごい絵かきになるね」
「そうかな?」
「みんなと同じにかけるより、自分だけの絵がかける人の方がすごいってお父さん言ってたよ」
しゅんくんは表情を変えなかったけれど、指先で白い頬を掻いたから、あれは照れていたのかもしれないと今になって思う。
「まいちゃん」
「なに?」
顔を向けると、しゅんくんは真っ直ぐに私の目を見つめていた。左右で大きさの違うあの目に見つめられていると思うと、幼心に緊張感と安堵感がないまぜになった不思議な気持ちがした。
「ぼく、絵かきになったら新しい名前を付けるんだ。おじさんもそうだから」
「うん?」
「そうしたら多分、ぼくとまいちゃんが会ってもまいちゃんはぼくのことが分からないと思う。でもまいちゃんにだけはちゃんと絵かきになったって知ってほしいから、みんなに絵を見てもらえるようになったら一番目立つところにこの絵をかざるね」
しゅんくんの頭の中に描いていることを、その時はわたしが理解するのはとても難しかった。しゅんくんは言葉足らずで、わたしは理解力不足で。どちらも幼すぎたけれど、分かった気になっていた。歳を重ね、その言葉を反芻するうちにやっと、あの時のしゅんくんの伝えたかったことに気付くことができた。
でもその時のわたしは曖昧に頷いて、もっと気になることを解決したくて口を開いた。
「しゅんくんはわたしに気付くかな?」
「多分、すぐに分かると思う」
「だったら、しゅんくんが気付いたら、さっきみたいによんでくれたらいいんじゃない?」
その後、しゅんくんは何と答えただろう。記憶が風に流されるように、そおっと薄らいでいった。
**********
目の前の、大きくなったあの日の絵は、あの日と同じく鮮明にしゅんくんの見た景色を映していた。けれどこの絵画には違う意味が付されている。
『友』。それがこの絵画のタイトルだった。
自意識過剰だと言われても、この『友』はわたしだ。他の誰が見ても分からないが、わたしにだけは分かる。あの日、わたしはこの場所で彼の隣でこの絵を見たのだから。
あの絵に描かれていたはずの名前は、もう読めなくなっていた。わざと潰したのか、そうなってしまったのかは分からない。けれどこれで、わたしは彼の本当の名前を思いだすことはできなくなった。
あの小学二年生の夏、彼は海外へと旅立った。仕事で海外に行くお父さんに家族で付いて行くことにしたらしい、と先生は黒板の前で話していた。
夏休みになる少し前、突然埋まることのなくなった隣の席にわたしは戸惑って、でもみんなと同じようにすぐに忘れたふりをした。先生がほっとしたような顔をしていたのをわたしはきっと忘れない。
こうして彼は宣言通り、新しい名前で絵描きになって、この絵を一番目立つところに飾ってくれた。この絵はわたしへのメッセージだ。あの日のことを忘れてはいないと、彼は教えてくれた。
そしてあの頃の純粋で真っ直ぐな心を思い出させてくれた。
「うわっ」
思わぬ衝撃を脚に受け、小さく声を上げた。慌てて周囲を見回したものの、大した声ではなかったらしい。恨めしく衝撃の主に目をやると、むしろ苛立たしげな目がわたしを見上げていた。
「たかしん家の前でまってるって言ってたじゃん」
「ごめん。でもよく分かったね?」
「外から見えたから。かあちゃん、迷子とかダセェぞ」
「ごめんなさい。けどそんな言葉使いしちゃいけません」
潔白なほど真っ直ぐだった彼のことを思い出した後だからか、彼の絵で埋め尽くされた場所だからか、このいかにも親子のやり取りが恥ずかしくて、顔色を窺うようにもう一度絵の中の蛙を振り返った。その顔は我関せずでそっぽを向いていて、でもどこまでも優しかった。彼の横顔に少し似ていた。
「とうちゃん、家でまってんだから早くかえろ!」
「分かった分かった」
息子に手を引かれて歩き出したその時、視線を感じて足が止まった。
「かあちゃん?」
「ごめん、帰ろうか」
背中が熱い。振り返らなくても、その視線がどこかの蛙の目でないことくらいすぐに分かった。左右で大きさの違うあの目に見つめられた時と同じ、胸の奥が震えるような感覚があったから。
だから、振り返らなかった。そこに彼がいると分かったから。あの日の彼の答えを思い出したから。
『だったら、しゅんくんが気付いたら、さっきみたいによんでくれたらいいんじゃない?』
『……よばない。その時のぼくは今のぼくじゃないから。だからもしまいちゃんが気付いても、気付かなかったふりをしてね』
時の移り変わりを、彼はきっと幼いながらに気付いていた。わたしと、彼と、そのそれぞれにそれぞれの時間があって、それを侵さないことの正しさをもう知っていたのだと思う。本当のことは分からないけれど。
どこからかわたしを見ているなら、わたしも忘れてはいなかったことを伝えることができたはずだ。
彼の目に、あの絵画を見つめていたわたしはどう映っただろう。あの時のわたしたちと同い年の息子に手を引かれる母親となったわたしは、どんな絵になるのだろう。
予想通り少しだけ、今のわたし中の何かが欠けた。でも不思議と満たされたような気もした。こういう心地わたしは知らない。
大人になった今も知らないことだらけだ。でも「知らない」ということを知った。「知りたい」という気持ちを思い出した。今のわたしは息子にどんなことを教えられるのだろう。
周りの誰でもなく、ただ自分の見ているものを信じられるよう、同じ目線で景色を見ていこう。
檸檬絵郎さま、ありがとうございました。
イラストの柔らかいタッチから受けた印象は、「思い出」でした。
タイトルセンスがないものでそのまま『回顧』というタイトルになってしまいました。
過去を振り返ることで未来を見つめる。そんな生き方をしていきたいと考えさせられました。