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―I weave with you―【第四回・文章×絵企画作品集】  作者: 些稚 絃羽
麦原矜帆さまイラスト『鳥居越えたその向こうに』より
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ブレイクアウト

イラスト:麦原 矜帆さま(http://20706.mitemin.net/)

指定ジャンル・必須要素:ホラーかダークファンタジー


→→ ジャンル:ホラー

  この作品は4,752字となっております。

※やや残酷な表現があります。

「はぁ、っはぁ、は」


 意識が引き戻され、今の今まで止まっていたのではないかと思うほど、心臓が激しく脈打つ。肺が締め付けられるようで上手く息も吸えず、喘ぐ半端な呼吸が参道の静寂の中に浮かぶ。


「これで分かったろう、(うぬ)の持つ苦しみが誰の所為か?」


 いかにも心配した風な声がかけられ、額から流れる汗で霞む目を上げた。



挿絵(By みてみん)




 鳥居の前に男が立っている、いや、男と呼んでいいのか。顔や上半身は人間の男性そのものだが、腰から下は百足のようだ。びっしりと生えた小さな足が、湿った土を捏ねて気色の悪い音がする。顔はあちらを向いているが、背中には天狗の面が掛けられており、時折意思を持つように瞬きをした。

 明らかに魔物の類いだった。そして、これが私に過去を見せた張本人だ。


「こんな自分勝手な先祖をもって可哀想に。つらかったろう?」


 男はそう言いながら、手の内の青く光る火の玉を弄んでいる。そこにはまだ忌々しい私の先祖の姿が映っているのだろうか、妖怪と契りを交わすなど 想像しただけで吐き気がする。

 男は何度も私の境遇に同情の言葉を贈るが、その顔はいつも厭らしくにやついている。長い髪の隙間から妖しく光る赤い目がいかにも魔物らしかった。何が可笑しいのか、人を操ると聞く魔物に人と同じ感覚を求めても仕方がないが、それでもせめて表情からも憐れみを示してほしい。別に憐れまれたいわけではないが。


 この魔物は私以外の人間には見えないらしい。突然表れ、 私の名前や素性を言い当てた時、私はどんな顔をしていたのだろう。周囲を歩いていた人たちは様子のおかしい私を避けるように、狭い道の隅の方を走り去った。

 己の苦しみの元凶を知りたいと思わぬか。そう言ってここまで連れてこられた。本当に知りたいと思ったわけでも魔物の言うことを信じたわけでもなかった。どうでも良かったというのが正直なところで、何もかもどうでも良かったから何となく付いてきた。

 辺りはすっかり暗くなっている。ここに来たのはまだ夕日が落ち始めた頃だったというのに、どのくらいここにいるのか。時を越えた意識の中で、私は何を見たのか。改めて反芻しているうちに鼓動と息苦しさと汗が落ち着き、喉を迫り上がる苦く酸い味だけが残った。


「今みたいな心臓な動きがこの頃頻度を増しておろう。奴が空狐となるまであと少し、己の寿命を削るのに必死になっておる。妖力を溜めても所詮は狐よのう」

「……母も苦しんでいたが、あれは病気のせいではなかった?」

「奇病の元は奴が寿命を削るからよ。死に近付くと更なる力で残りを吸い取るものでの、苦しみが増すのも仕様がない」


 母の土気色の痩せ細った顔。薄い皮で辛うじて守られている手足。命を吸い取られたと言われれば、確かにそのようにも見えた。人生を折り返すにもまだ早い年齢で、母は老婆のようになって死んでいった。妖怪の力、「呪い」との言葉が覗き見た心の中にはあった。大きく鋭い破壊の呪いが、私の遺伝子にも深く根付いている。


「とて、今まで長く見てきたが、己の負担はいっとう重い。己で最後かも知れぬ」


 妻も子供もない。初めから引き継ぐ者もいないのだから、その情報はただ私を苦しめる。

 どうして私が、私はどうして普通に生きられないのか。これまで生きてきて何度となく繰り返してきた問いの答えは、あまりに人智を超えたものだった。これを知ったからといって何が変わるだろう。

 そしてふと、単純な結論に至る。


「そうか、死ねばいいのか」

「はて?」

「私の寿命が欲しいならくれてやる。妖怪だか何だか知らないが、人間の短い命にすがるようなみみっちい奴にこの先も苦しめられるくらいなら、さっさとけりをつけたい」


 私の言葉に、男の横顔は少しだけ表情を変える。笑い出すのを堪えるような、それでいて憐れむような。男がこちらを振り返り、その拍子にかさかさ、ぬちゃりと長い身体が蠢く。


「……勿体ない」

「勿体ない? 生まれてからずっと、死んでるような人生だった。今更それから解放されても、得られなかった時間はそのままだ。むしろ何も考えなくて済む、そっちの方が余程良い」


 納得したように何度か頷いて、また得意そうな笑みを浮かべる。


「終わらせる命なら、最期に大暴れしてみたいとは思わぬか?」


 男の尾先がこちらに伸びてくる。無数の足がバラバラに動きながら、私の右足にそっと絡み付いた。尖った先がジーンズの上からでも鋭利さを伝えてくるが、ふくらはぎを撫でる感触はまさに虫が這うようなものだ。


「ケケッ、そう怯えずとも良い。取って喰うわけでもなし。こうすると己の心の奥の感情までが伝わり易くなるでの」


 そう言いながら身体全体に巻き付こうとしているのか、嫌な感触が徐々に腹の方まで上がってくる。暗がりの中でもぬめぬめした表面が光るようで、一層気持ち悪い。

 なす術もなく成り行きを眺めていると、頭の中がかっと熱くなった。一瞬だったが脳が焼かれるように熱くなり、ヒリヒリと火傷のような小さな痛みが残った。


「理不尽な命。とて、根源は最早神の域。先祖を恨んでも時の隔たりの厚さよ。

 どうせ散らすならその命、憂さ晴らしに使って見るのはどうかの?」

「憂さ晴らし……?」


 晴らしたい憂さなんてと考えて、この人生自体がそのようなものだったと思う。

 体裁を気にして、出来るだけ迷惑をかけないように生きてきた。それでも疎まれ、突然訳も分からぬ発作に苦しむ姿を誰もが魔物と呼んだ。人間ですらない、だからこうして仲間(・・)が寄ってきたのか。


「己の苦しみを嗤う者、己の柔らかな心を踏みにじる者、己が苦しむ隣で幸せを享受する者。世は己の苦しみの上に立っておる。ならば、壊したくならぬか?」


 私の上に。私の苦しみがあればこそ。そう思うと、誰の笑顔も悲しみも滑稽な茶番に思えた。

 それでも、と力なく頭を振る。


「私に何ができる? あと幾らあるか分からない時間と、繰り返す発作。人間のちっぽけな力で何ができるって言うんだ」

「この力があれば、何の問題もなかろう」


 男の手が、火の玉をボールのように扱う。青い炎がゆらゆらと、手招きするように揺らめいている。


「儂には狐の力を取り去ることはできぬ。とて、暫し己の苦しみを感じなくすることはできる。人の力とは何もかもが違うでの、己が思い描いたようにできる。たとえ望みが地球の破滅でも」


 青い炎がこちらに差し出される。

 胸の隅がざわめく。しかしそれ以上の鮮明さで脳の奥が熱を帯びた。憎しみか、と正常な部分で考える。脳の中で熱く燃え盛るのは、私の中に大きく育った憎しみ。それを強く意識させたのはこの男だが、ただ少し背中を押したにすぎない。微かに火の灯った火種にふっと息を吹き掛けただけだ。

 私はずっと望んでいた。何かの破滅を。自分以外のすべての破滅を。壊す度胸と力がなかっただけで、いつでも機会を窺っていた。


 自由な手を強い意思を持って伸ばす。


「望みを言葉にするだけで良い、言霊は魔力をも操る。魔力が己の脳となり、腕となり、足となる。何も考えず、ただ望め」

「来い」


 青い炎は強く燃え、吸い寄せられるように私の手に収まった。瞬間、すうっと掌に沈み込み、魔力が身体中を染み渡るのを感じた。


「さぁ、愉しめ!」



*****




「逝け」

 

 言葉を出す度、面白いように血が飛ぶ。


「逝け」


 人も、人でなくなった塊も、そこら中に転がって。


「逝け」


 数多の悲鳴と恐れに歪んだ表情が逃げ惑う。


「逝けぇっ!」


 最後には私だけが地に足を付けている。残るのは地面に散らばった肉と、血と、昂る快感だけだ。


「ふ、ふふははははは!」


 魔物の話は本当だった。言葉にするだけで、望むだけで身体から力が飛び出しては、周囲のものを何もかも滅茶苦茶にしていく。

 次はどうするか。一気に壊すのは容易だが面白くない。だから少しずつ少しずつ、抗いようもなく踏み潰していく。


「あぁ……」


 圧巻の光景に舌なめずりする。誰のものかも分からない、幾人もの愚者の血が体内に入る。のうのうと生きている人間たちが、下敷きにしているはずの私に味わわれる。そう考えるだけで、得も言われぬ快感が身体を駆け巡る。何度か子供の肉を食んでみることもした。旨いとは思わなかったが、歯で裂いた皮から血が噴く光景は美しかった。


 足元に転がる肉を蹴り、千切れた内臓を地面に擦り付ける。踏みつけた顔には赤黒い靴跡が下愚の印として標された。


「呆気ないものだよなぁ……。しかし、くくっ、生きているうちにこんなに愉しいことがあるなんて、こんなことならもっと早く出て来てほしかったよ」


 なぁ、とあの時青い炎を受け取った掌を撫でつける。この手で受けた力が、血潮に混じって身体の隅から隅まで脈々と流れている。

 もう、自らを魔物と名乗ることさえ何とも思わない。それどころか、恐怖に慄く唇がそう零すのを聞くと、思わず顔が綻んだ。

 私は魔物。すべての人間を統べる力を持った、大いなる魔物。


 カン、カカン、と微かだが甲高く透き通るような音が聞こえた。音の方を探して視線を動かすと、折り重なる肉塊の先に頭が揺れる。

 口角が上がる。気分が更に高揚していくのを感じた。これで終わりとはあまりに味気ないからな。嬉々として足を進めながら、頬を親指で拭う。舌で舐め上げた赤い蜜は、私を満ち足りた気分にしてくれた。

 弾力のある地面を蹴って飛び跳ねる。タン、と足を揃えて着地すると、若い女が零れそうに眼を見開いて私を見ていた。


「……あ、ひぁ……」

「この状況でも生きてる奴がいるとはな」


 なかなかしぶとい、と呟いた声が跳ねているのが自分でも分かる。どうすればこの女の恐怖を最上級まで高められるだろうか。人の中身が恐怖だけになった時、それを壊したらどれほどの喜びが私の身体を突き抜けるのだろう。


「や、やめ……来ないで……」


 拒絶されるのには慣れている。かつてとその種類は違うが。

 女は負傷した腕を抑えながら、脚をもがくように動かして私から距離を取ろうとする。首をゆるゆると振りながらやめてと何度も繰り返す。

 恐れきった顔が情欲を掻き立てる。愛しいとさえ思えた。初めての感情なのに、どこか懐かしい。……そうか、私もやはり求めているのか。どれだけ憎んでも、愛に取り憑かれた"魔物"の血を継いでいるようだ。短く笑いが飛び出た。それに反応して女が喉を引き攣らせる。


「ひっ……なん、で、こんな、こと……」


 間近に終わりが迫っているというのに、知りたいという人間の欲求は腐らないものなのだな。


「何で? 思い知らせるためだ、お前たちの命が誰に掛かっているのかってことを」


 女の前にしゃがんで、気まぐれにそう答える。疑問の答えを知らないままでいるのは夢見が悪いからな。

 女の唇が絶え間なく震えている。歯がカチカチ鳴っていつもなら腹を立てただろうが、今は気分が良い。もっと私を愉しませてくれるのではと期待して、顔を掴んで上を向かせる。


「言いたいことはそれだけか?」

「た、助け……」

「あぁ、あぁ、そういうこと言われると萎えるんだよなぁ」


 期待していただけにがっかりだ。目線を合わせてやる価値もない。立ち上がると足先に潰れた鉄パイプが当たって転がる。近くの建設現場を破壊した時に転がってきたものだろう。持ち上げると、女が小さく声を上げた。そのつもりはなかったが、お望みならこれで終わらせてやろう。


「恨むならせいぜい自分の馬鹿さと、狂った世界を恨むんだな」


 そして、私を愉しませろ。


「はい、さよなら」


 鉄パイプを思い切り振りかぶり、落とす。硬く重い音と何かが砕ける小気味いい音。鉄パイプの振動が腕にビリビリと電気のように伝わる。女はただの塊になって、耳から流れ出した血だけがひたすら地面へ還ろうとしていた。

 初めて自らの手で壊した感触は、これまでで最も強く、甘美な快楽をもたらしてくれた。


  

麦原 矜帆さま、ありがとうございました。


ホラー、になっていたでしょうか……?

溢れそうなほど高まった感情は、ほんの少し蓋がズレるだけで勢いよく飛び出してしまう。

こちら側とあちら側、細い細い線引きなのだと思います。


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