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―I weave with you―【第四回・文章×絵企画作品集】  作者: 些稚 絃羽
檸檬絵郎さまイラスト『ケンタウロスのブレイクダンスショウ』より
16/28

雨宿り

イラスト:檸檬絵郎さま (http://22105.mitemin.net/)

指定ジャンル・必須要素:なし


→→ ジャンル:ホラー(になってたらいいな)

  この作品は6,041字となっております。

※やや残酷な表現があります。

挿絵(By みてみん)



「なんだあ、この絵は。さっぱり分かりゃんなあ。あれだな、金を持つと絵を買いたくなるってのあ、おかしな話らよなあ」

「ち、ちゃんと歩けって」


 あの真面目で朴訥とした父親の変貌ぶりに、顔の筋肉が引きつる。担いだ体にぎゅっと力を込めてみても気付くはずもない、階段を無事に上りきれたことが奇跡みたいなものだ。慌てて前を行く背中に困り顔を向けてみても、憤慨も同情も返されることなく、初めて生で見た燕尾服の裾が揺れるだけだった。


 ここ、人気の別荘地から少し外れたこの屋敷に足を踏み入れたのには理由があった。

 僕と父は、さっきまで「人気の別荘地」の中心にいた。父の小学校の同級生がそこに別荘を持っており、その別荘で開かれるパーティーに父が招待されたからだ。

 そのパーティーのことは、思い出したくない。ただ、あんなに人を憎んだことは、生まれて初めてだ。


 拳を真っ白にして黙々と酒を呑み続けていた父を強引に引っ張って別荘を出た後、酔い醒ましがてら二人で歩いていたのだが、突然雨に降られてしまった。遠いが雷の音も聞こえた。星や夜景が綺麗に見えるようにと街灯もない道でどうしようかと辺りを見回して、灯りのついている屋敷を見つけた。それがここだ。

 雨宿りだけでもと思ってインターホンを鳴らすと、しゃがれた声の男性が応対してくれた。早口で事情を説明する。


「不躾で申し訳ないんですが、突然雨に降られてしまって。連れは酔っていてまともに歩けないし、雷の音もしたんで、できたら少し雨宿りさせていただけないかと思いまして」


 そう言うと、「天気予報ではこの雨はしばらく続くようですよ」と泊まっていくことを提案してくれた。ずぶ濡れの状態ではタクシーを呼ぶのも気が引けるし、僕はともかく父が風邪を引きかねないため、思い切って厚意に甘えることにした。


 インターホンで応対してくれたのは執事らしき人物で、この屋敷の主人はすでに就寝中だと言う。初めて間近で見る執事然とした装いに目を奪われながらも本当に泊まって良いのか尋ねると、


「坊っちゃんはぐっすりとお眠りですので、お気になさらず。一切のことはわたくしめに一任されておりますゆえ」


と返ってきた。それならいいかと二階の部屋に案内されたところだが、ここの主人はまだ子どもなのだろうか。父親に仕える執事がその息子をいつまでも「坊っちゃん」と呼ぶことはあるかもしれないが、夜九時過ぎにぐっすり眠っているなら子どもの可能性の方がありそうだ。


「こちらでございます。ツインのお部屋ですので、お父様とご一緒にお使いいただけます」

「あ、ありがとうございます、助かります」


 鍵を開け恭しく開かれたドアから部屋に足を踏み入れる。床がふかふかだ。かなりお高い絨毯なのだろう。高級感を閉じ込めたような香りに襲われるが、決して嫌な匂いではない。照明がつけられると、父親と泊まる部屋としては何とも微妙な気分になる「寝室」という雰囲気だった。

 父を下ろせる場所を探すと、小さな丸テーブルとセットらしい華奢な椅子が座ってもらうのを待つように引かれていたため、そこに座らせる。


「お父様のご入浴は明日にした方がいいでしょう。湯とタオルと着替えをお持ちしますので、ひとまずお着替えいただくとしましょう」

「何から何まですみません」


 静かにドアが閉められると、濡れて肌に張り付いたカッターシャツを剥がす音さえ鮮明に聞こえる。父はいつの間にか寝息を立てていて、余程気を張っていたのだろうと推察する。


「お待たせ致しました」


 父の濡れて重くなったジャケットを脱がし、カッターシャツも脱がしていると、すぐ隣で声を掛けられた。よく叫ばなかったものだ、それにしても普通もう少し音が立つものだと思うが。


「……ありがとうございます」

「お着替えのお手伝いが必要でしょうか?」

「いえ、大丈夫です」

「お召し物はこちらの籠に入れていただければ、お洗濯させていただきます。浴室と洗面所はそちらの扉に御座います」

「洗濯までお願いしていいんですか?」

「そのお召し物でお帰りになるのはお嫌でしょう」

「そう、ですね。すみません、よろしくお願いします」


 大きなポットから桶のようなものに湯が移され、冷めたら足すよう言われる。タオルごと腕を浸けると爪がぎゅっと傷んだ。父が驚かないよう優しく背中を拭く。拭いたところから徐々に血色を取り戻していく。


「食事はなされましたか?」

「あ、はい。それは大丈夫で」


 ぐぅ、と絶妙で最も気まずいタイミングで腹の虫が鳴る。父のことが気が気でなく、あんな連中と同じものを食べるのも癪で、何にも手をつけなかった。食事まで厄介になるのは申し訳なく断ろうとした瞬間。身体はとても正直だ。


「簡単なもので宜しければご用意致します。ご入浴がお済みになりましたら、一階右手の食堂にお越し下さい」


 また音もなく執事が去っていく。

 父の老いた身体を拭きながら、不躾にも部屋を見回す。このベッドは、あのランプは、このテーブルは幾らくらいするのだろう。……自分がこんなに貧乏性だとは知らなかった。


 父の着替えを済ませて何とかベッドに寝かせると、僕も風呂を頂くことにする。こんな高級ホテルのような所に泊まらせてもらうんだ、折角だから満喫させてもらおう。

 浴室は広く、僕の安アパートよりもありそうな気がする。やってはみないが、寝転んでもまだ余りがあるだろう浴槽が湯気をもくもくと立ち上らせている。シャワーや、手桶さえ見当たらないのだが、もしや金持ちは本当に執事などに身体を洗わせているのだろうか。壁から浴槽へ伸びる蛇口にハンドルがないのはまだ、どこかに制御システムがあるのかくらいで受け入れられるが。

 と、よく見るとタイルの壁に同化させた小さな棚に気付く。こっそり開けてみると、中には手触りが滑らかなバスタオルサイズの布が入っている。極上と言えるものだったが身体を洗いたいとは畏れ多くて思えない。しかしその奥に、高級そうなパッケージのシャンプーとボディーソープが押しやられていた。なんだ、ちゃんとあるじゃないか。

 手桶は父さんに使った桶を使うことにして、しっかり全身洗わせてもらった。仕方なく手にボディーソープを付けて全身に塗りたくることで良しとしたが、何とも言えない優しい香りに包まれて、今日触れた汚いものが削げ落ちていく感じがした。




「……浴室の棚を開けられましたね?」


 食堂に入った途端、執事がそう言う。洗濯物を入れた篭をわざわざどうもと言いながら受け取ってくれたが、眉間に皺が寄るのを見逃さなかった。


「あ、もしかして駄目でした? ……えと、そうですよね、こんな厚かましいこと」

「いえ、構いません。こちらもご用意致しませんでしたから。とはいえ、あの棚に入っているのは奥様が使っていたものですので、少々香りが女性的ではありますが」


 気まずい。恋人の家で風呂に入った後に彼女の父親に遭遇した時くらい気まずい。その経験はないけど。

 気にしないことにして、促された席につく。テーブルに置かれたのはサンドイッチだ。ミネストローネもある。


「わあ、ありがとうございます。頂きます」

「ごゆっくりどうぞ」


 しばらく夢中で食べたが、ふと思い出して話しかける。


「あの、奥様のものをお借りしたみたいですけど、あの部屋ってもしかして奥様の寝室だったりします?」

「ええ、旦那様と奥様の寝室です」


 であればあの、人の寝室を覗き見しているみたいな独特な空気感も頷ける。というより、そんな部屋を普通他人に貸すか?


「そんなプライベートなお部屋をお借りして良かったんですか? 客間だとばっかり……」

「お気になさることは御座いません。旦那様と奥様は本日ここを発たれましたし、当面あのお部屋を使われることは御座いませんので」

「は、はぁ……」


 子どもだけが残されたということか。執事がいるとはいえ、金持ちの子どもも羨ましがるような家庭環境ではないらしい。何だか可哀想になって急いで残りを頬張った。


「ご馳走様でした、とても美味しかったです」

「お粗末様で御座いました。この後はもうお休みになられますか?」

「そうさせていただきます」


 立ち上がり食堂から出ようとすると、執事に呼び止められた。


「夜の間はくれぐれも部屋から出ないようお願い致します」

「そのつもりですが……何かあるんですか?」


 人様の家を夜中に闊歩する趣味はないが、わざわざ念押しするからには特別な理由でもあるのだろうか。聞くと執事は神妙な面持ちで答えた。


「坊っちゃんは眠りが浅いので、物音があるとすぐに起きてしまうのです」

「え、あぁ、そうですか。気を付けます」


 「坊っちゃんはぐっすりとお眠り」だったんじゃないのか。そもそも、それなら何故、僕たちを招き入れた? 親切にしてもらっておいて言うことでもないが、矛盾しているような気がする。

 部屋に戻ると、その考えは深まった。

 居ないとはいえ家主の寝室に他人を泊まらせるなんてやはりおかしな話だ。それに最初に部屋に入った時、父を座らせた椅子はテーブルから引かれて扉の方を向いていた。ついさっきまで誰かが座っていて中座したみたいに。慌てて出掛けたらそういうこともあるが、執事がいるような金持ちの潔癖すぎるほど綺麗な家で、そのままにしておくことがあるだろうか。

 この屋敷は、人の気配がほとんどしない。執事はあの調子で気配はまるでないし、他にメイドのような人物がいる風でもない。確かに誰かがいたような形跡はあるのに、いるという確証が危ういのだ。

 何故だろう、胸の辺りがざわついて気分が悪い。そう思うと急に睡魔が襲ってくる。疲れているのかもしれない、朝になれば父もまともになっているし、出ればこの屋敷と関わることがあるはずもないのだから。そこまでを虚ろに考えて、ぷつんと意識が途切れた。



**********



 物音で意識が浮上する。雷とは違うが地に響く音だ。

 ぼんやりとしたまま、二度、三度とその音を聞き流すと、ずるずると引き摺るような音も聞こえてくる。

 嵐、にしては音の種類が変だと思い、目を開ける。見慣れない天井では、凝った模様が月明かりで陰影を濃くする。サイドテーブルに置かれていた時計は、まだ深夜2時になったばかりだ。質の良いベッドに身を収めたまま、不思議な音の続きを待ってみる。

 何かがぶつかるようなくぐもった音。ぴちゃぴちゃと水溜まりを歩くような音も聞こえる。外の音だろうと考えたが、やけに近く感じた。


 こんな大きな物音がして、ここの「坊っちゃん」は大丈夫なのだろうか。人並みの眠りの深さの僕でさえ起きるくらいだ、眠りが浅いなら煩くて仕方ないだろう。

 ……そうだ。あんな風に吸い込まれるように眠ったことは今までほとんどなかったと思う。前に一度、不眠に悩まされて睡眠薬に頼った時には、疲れもあってそんな眠りに引き込まれた。それほど精神的に疲れていたんだろうか。


 ベッドから起きて、鈍く痛む頭を押さえながらドアに近付く。水っぽい足音はまだ不規則に続いていた。家主が帰って来た? 当分戻ってこないようなことを言っていたな。執事はどうしているだろう?

 夜の間は部屋を出るなと念を押されていたが、問題の物音を

立てているのは僕ではないし、音の正体が気になってそっとドアを開けてみた。

 少し音が大きく聞こえてくる。やはり屋敷の中に音の元凶があるらしい。


 廊下に出ると、突き当たりの部屋から明かりが漏れていた。ドアが開いているらしく、赤い絨毯に四角く光が当たっている。こんな時間に何をしているのだろう。好奇心に駆られてその部屋に近付いてみる。

 半分ほどまで寄ると、音は止んだが鼻に刺さるような臭いに襲われる。思わず鼻を摘まんだが、口で吸い込んだ空気でもその臭いを感じるほど強烈だ。……血の臭いだろうか。

 キッチンでもあるまいし、どうして屋敷の中でこんな臭いがするんだ? 事故現場に遭遇した時みたいな、胸が詰まるような臭い。目にも染みてくるようで、目の前が霞みそうになる。

 そんな状況でも、人は好奇心には勝てないのかもしれない。もしくはそんな状況だからこそ、事実をこの目で知りたいと思うのかもしれない。極力呼吸を抑えながら、部屋へと歩みを進める。


 あまりの眩しさに一瞬目が眩んだ。次第に慣れてくると、今度は異様な光景に目を見張った。


 理科室のホルマリン漬けを思い出す。

 特大のメスシリンダーのような、円柱型の容器が部屋の中央に鎮座している。黄色味がかった液体が目一杯詰まっていて、その中には。


「……おとこの、こ……?」


 全裸の少年が、その液体の中に浮かんでいた。ゆらゆらと、踊るように。波打つ髪の隙間から覗く線の細い顔は、苦しそうにも穏やかにも見えた。

 どう考えても生きているようには思えない。思考がそこまで行き着くと、あの臭いが強烈にぶり返す。嗚咽しそうになって身体を折った。そうして、部屋の床が赤黒くに染まっているのに気付いた。

 すべて注ぎ出したほどの血で、床が大きな水溜まりになっている。……少年の血、なのか? 血を抜かれて、ホルマリン漬けに?


 誰が……そんなこと決まっている。恐らく、この屋敷にいる人間は僕たち以外にはあの人しかいない。あの、執事しか。


 少年の身体の後ろに大きな何かが動く。粘着質な足音がして、燕尾服の裾が容器の端ではためいた。

 たたらを踏んだが、背中を向けている執事は気付いていない。容器から外れて見える腕が上がる。手先が光を反射して、振り下ろされたと同時に重い音が響く。それが繰り返されて、手に握られているのが鉈だと分かった。

 大きな塊が部屋の隅に飛ぶ。腕だった。成人男性の肘から先が血溜まりの中に転がっている。その近くには、華奢な足先も見えた。


 違う、この血は。この大量の血は。今日ここを発ったという、この少年の両親の。ここを、この世を、発たされた。


 どんなに口を開いても少しの空気も入ってこない。臭いも感じなくなっていた。

 ここを去らなければ。逃げなければ。そう頭の中は急かすのに、身体は動き方を忘れたように硬直している。父さん、父さんも連れて。でも気付かれずに逃げられるのか。けど僕だけ逃げるわけには。

 このまま、何も気付かなかったことにできるだろうか。部屋に戻って、父さんの隣で朝まで待って、いま破壊された人の、ベッドで。

 想像した瞬間、恐ろしさが腹の奥から迫り上がってくる。全身が震えてその場にへたりこんだ。その拍子にどさりと音がする。


 目を逸らすことさえできなかった。

 少年が浮かぶ黄色い液体越しに、執事がゆっくりと振り返る。その目は、遮るものがあっても殺気が弱まることはない。


「あ……あ、う」


 執事が足を進める。その度にぴちゃぴちゃと血が跳ねる。美しく着込まれた燕尾服は、これ以上染まるところがない。細い頬や剥き出しの額にも、血が散っている。

 近付く足音。大きくなる姿。逆光に黒く翳る顔。

 足音が止んで、執事の動きが止まる。一瞬の静寂の間、肩口に少年が見える。

 何故か、階段にあったケンタウロスの絵を思い出していた。


   

引き続き、檸檬絵郎さま、ありがとうございました。


あんまり絵にかかってない気もしますが笑

初めてホラーっぽいものを書きました、やっぱり難しい!

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