執事様の言うとおり!
イラスト:halさま (http://5892.mitemin.net/ )
指定ジャンル・必須要素:なし
→→ ジャンル:ヒューマンドラマ(他にないだけ)
この作品は2,979字となっております。
「お嬢様、朝でございます」
エミリー・コーワンには嫌いなものが三つある。
「おやおや、まだお飲みになっていらっしゃらなかったのですか。子どもでもあるまいし」
一つ、冷めた紅茶。
「仕事も遅ければ食べるのも遅いとは、救いようがありませんね」
二つ、カリカリに焼かれていないベーコン。
「まったく、エミリーという働き者の名前を授かっておきながら自堕落とは、いいご身分ですね」
三つ、減らず口で主人を朝から晩までけなし倒す執事。
「うるさいわね、こっちは疲れてるの! 休日の朝くらいゆっくりさせてよ!」
エミリーの反抗に、執事はいかにも紳士的な顔で微笑んだ。
「お嬢様のお気持ちを配慮して自室でのご朝食とさせて頂いておりますが。ご令嬢という立場を盾にするとは、なんと嘆かわしい……」
「そこまでしてないでしょ! 庶民だって休日くらい休むわ」
言葉を返すと今度はさも悲嘆に暮れた顔で、しかし意を決したように手を伸ばす。しなやかに伸びた手の先には、執事の指示で先程からエミリーの服を用意するメイドたちの姿があった。
「お嬢様、ご覧ください。あれは何でしょうか?」
「なにって、メイド? メイドがわたしの服をいじってる?」
「そうです。お嬢様の食卓を整え、お嬢様の部屋を掃除し、お嬢様の服を洗濯し、お嬢様のその日の衣類を用意し、多くのお嬢様の無理難題我儘放題に柔軟に応えるメイドたちです」
執事の悪意のある言い方が引っかかったものの、概ね正しいことも理解しているエミリーはフォークでカリカリのベーコンを強く刺すだけに留めた。
「世の中にはああいった者が多くいるのをご存じですか?」
「メイドが? そんなわけないでしょ」
「いいえ、メイドではありませんが事実です。世の中には「主婦」という、メイドたちが分担して行なう仕事を大抵一人でこなす誠実な働き者が数多くいるのです」
「……え、何かそれ、ちょっと違うような?」
ティーカップの残りが飲み干されると、流れるような動きで執事が二杯目を注ぐ。朝食時には二杯の紅茶を飲むことがエミリーの決まり事だ。
そして、今度は呆れた顔でかぶりを振る。同情すら透けて見えるような眼差しに、エミリーはまたかと目を伏せた。
「お嬢様、そんなことをのたまうのは主婦業を軽く見ている証拠でしょう。仕えられることしか知らないのは生まれた家系上仕方のないことではありますが、女性として一切の家事ができないというのも問題ですよ」
「知らないようだから言っておくけど、そういうの社会ではセクハラになるのよ」
「私の社会はこの家の中に御座いますので」
「……都合がいいわね」
朝食を終えて立ち上がる。執事とは思えない態度を取っていても、椅子を引いたりドアを開けたりと執事としての仕事はきっちりこなす。こういうところを見続けて、エミリーはこの執事が好きになれない。存在自体が嫌味なのだ。
「本日のご予定は? まさか何もせずだらだらとお過ごしになるなんてことは御座いませんよね?」
「それもいいかもね、大嫌いな執事への嫌がらせとしては」
「そうなると一日中、お嬢様の耳元で旦那様の愛読書を読み聞かせして差し上げなければなりませんね」
「あれはやめて! 頭痛くなるやつ!」
二人が言い合いをするのは日常茶飯事。家にいるのに二人の声が聞こえない時はメイドたちがそわそわしてしまう、いつでも専属医師に連絡する準備が整えられるほどだ。健康のバロメーターである。
エミリーは自室に戻り、ベッドに大きなスーツケースを広げる。
「はしたない……」
「別にいいでしょ、メイドにやらせたらやらせたで色々言うくせに」
「自分でしているから褒めろと?」
「今、鼻で笑ったわね?」
几帳面に服を畳み、秩序正しく積めていく。慣れた様子で丁寧に服を扱うエミリーを、執事は静かに見つめている。
「何?」
「はい?」
「何か言いたいことがあるから黙って見てるんでしょ。左腕から畳めとか言う?」
「お嬢様は私を何だとお思いで?」
「口煩くて大嫌いな執事様」
少しも表情を変えない執事に、エミリーはイーッと歯を剥き出しにして応戦する。幼い頃から変わらないその表情にいつも通り、はしたないとの声が降った。
*****
翌朝、エミリーと執事の声は玄関ホールで響いていた。
「お嬢様、お忘れ物はないですか?」
「ないわよ、というかこれだけの荷物で忘れるほど馬鹿じゃないし」
スーツケースとボストンバッグを持ったエミリーが、うんざりしながら返事をする。
「本当にそれだけで宜しかったのですか? 明日着るものがないということになるやも」
「わたしのこと何だと思ってるわけ? 残ってる服なんて普段着として使えないようなものばかりじゃない。ドレスなんて着てキッチンに立ったらお義母さんが卒倒するわよ」
そろそろ出ないと、とエミリーが腕時計を確認したと同時に、執事が玄関ドアを開く。足を踏み出す瞬間、それまで少しも感じなかった感慨が胸の奥を掠めて、ヒールが強く床を打った。
数段の階段を降りた先に乗り続けてきたリムジンが止まっている。エミリーがこの車に乗るのは今日で最後、そして明日からは愛する人の運転する軽自動車の助手席に座ることになる。
専属運転手が荷物をトランクに詰め込む様子を見ていたエミリーは、真剣な表情をして背後に控えていた執事に向き直った。
「……ずっと言わなかったし、言えなかったけど、その、今まで」
「お嬢様、貧相なお顔が見るに耐えないものになりそうですが、鏡をお持ちしましょうか?」
「こいつ……」
「おやおや、お口がお悪い。それで何か言いたいことが?」
「もういいわよ、大嫌いな執事の小言を聞かなくて済むと思ったら清々するわ!」
リムジンに乗り込む間、捨て台詞のように吐く。ドアが閉められても小さく声が聞こえるのは、エミリーが何かを叫んでいるからだろう。
運転手も乗り込み、エンジンがかかる。昨日までと何ら変わらず滑るように走り出したリムジンを、執事は最敬礼で送り出した。
「良かったんですか、最後まであんな様子で」
執事の隣にメイド長が並ぶ。執事は口を閉ざしたまま、遠ざかるリムジンを見つめている。
「最後くらい言われてあげれば良かったのに」
「何のことでしょう?」
「強情なんですから、貴方もお嬢様も」
くすくす笑うメイド長の頭には、生まれたばかりから大人になった今までのエミリーと、その傍にいつもいた執事の姿が浮かんでいた。
「お嬢様にとって貴方は父親代わりでしょう?」
「畏れ多いことを言う。貴女こそ母親代わりとしてお仕えしてきたではないですか」
「そうですよ、わたしは貴方と違って素直ですから。奥様にはなれませんがお嬢様に必要なことはすべてしてきたと自負しております。ですから感謝の言葉もきちんと受け取らせて頂きました」
それでいいと言うように、執事は小さく何度か頷く。それでも信じている、自分のやり方はこうであり、これしかないことを。
「お嬢様は自分のことだけ考えていればいいのです。そのために私がいるのですから。未来あるお嬢様に他のことを考えている時間はありませんよ」
「そういうこと、一度くらいお嬢様の前で言って差し上げたらいいのに」
「私はお嬢様の「大嫌いな執事様」ですから」
エミリーを乗せたリムジンはテールランプの残像だけを残してもうすっかり見えなくなったが、執事とメイド長はしばらくの間そこに立っていた。愛しい人への微笑みを浮かべて。
halさま、またまたありがとうございました。
ハンサムなオジサマ執事さんなんて最高ですよね。それで暴言吐くのに実はお嬢様のことを最も考えてるなんて、これ以上愛すべき人種がいるでしょうか。もう、大好き。
そんなわたしの好みだけが詰め込まれました。