プレゼント
その頃、研究員たちの間では互いに人工知能を贈り合うのが流行していた。宇宙船が長期の航行中故障やトラブルに遭ったとき、地球から離れすぎていることで地球からのバックアップを受ける事が難しくなる。それを解決できるほど有能な人工知能を開発するために、人工知能の研究が飛躍的に進んでいて、研究に携わる人間なら割と誰でも自分のコピーの人工知能を作れる状況にあった。3か月も自分の行動をモニターすれば本人とほとんど変わらないレベルで受け答えができる。私はそうした「遊び」には興味はなかったが、カレンは充分な時間があったようで、ある日、唐突にカレンのAIが送られてきた。受け取った私は、しばらく未開封のままそれを放置していたが、あまりに「開けろ」と催促されたので自分の端末にインストールせざるを得なくなった。私は自分のAIを作ることに興味が無かった。生来のハンパ者の自分の人格が何らかの形で未来に残るかもしれないと考えるとうんざりしたし、それを使って離れて研究に勤しむカレンを引き留めておくつもりも毛頭なかった。私にとってはカレンとの恋愛が過去のことになりつつあっても、カレンが私をパートナーだと信じている状況が長く続いた。驚くことに周囲の人間は私とカレンは恋愛関係を継続しているのだと信じて疑わなかった。自分の認識と世間の認識にズレを感じながらも、それはそれで都合の良いことが多かった。私は生まれてからそれまで「生きる事」以外に目的の無い人間で、ではなぜ「生きるのか」と訊かれれば「違和感なく死ぬため」としか言いようがない人間だったので、目の前に学問や仕事を与えられたら「それも生きる一環」だと考えて淡々とそれに取り組むような生き方が好きだった。そのため、趣味も興味も極めて薄く、唯一の趣味と言えば快適な温水便座を見つけることぐらいだった。それも自分で開発しようと思ったことは無く、ただ何となく「手前から2つ目のトイレの個室はなかなかいいな」と言った程度のもので、付き合いの長いカレンはその志向ですら「エースにしては人間らしい」と褒めてくれた。そう考えると、私のAIを作ったところで、その辺のナビゲーターに内蔵されている無機質なAIと大差ないのかもしれない。孤独やストレスによる脱落者の多い超長期宇宙滞在の訓練を受ける私が「訓練に耐えすぎたことで逆に」病院に放り込まれないで済んだのは、一重に「カレンという恋人」という設定が周囲の目をごまかしたからに過ぎない。「端末に恋人のAIを入れて訓練に臨むことでストレスに耐えることが可能である」というロマンティックな仮説を、チームリーダーが論文にまとめるのを横目で見ながら、時報にカレンの音声を設定していた事実は、むしろ研究を行う私以外のスタッフの心の支えになっていたのだなと感心した。女性の神秘性を訴える人間の気持ちが少しわかったが、実のところ超長期宇宙滞在訓練と子供の頃の私の夏休みの間には、あまり大きな差はなかったというだけのことだ。自分の為に誰かの時間を浪費させたりするのがとにかく苦手だった。自室に閉じこもって学校の課題をやったり、時計の針を眺めて時間を過ごす。考え事を始めるといつしか自分の境遇について考えてしまうので、そうなる前に頭を真っ白にするクセが役に立ったのかもしれない。カレンは一緒にいてもそうした私の時間の使い方を過度に邪魔しようとはしなかった。カレンは私が「自分の事を誰かが好きでいてくれるとはどういうことか」を私が理解できるまで十分に時間を使ったのだと思う。賢い。