英雄の凱旋
アツィエンがシェラに手を差し出す。
今までにも握って欲しいと頼まれた事が何度もあったので、シェラはその手を握ってやる。
いつもなら怯えが手にも伝わってくるアツィエンなのに、今日は安心したように息を吐いたのが不思議だった。
「戻れるんだって。俺たち、戻れるんだ」
「どこに?」
折角、天国に来たのに、とシェラは首を傾げた。
『ピ。秒読み開始。十、九、八、七』
「急いで! 走ろう、シェラ!」
「え。あ」
アツィエンにグィと手を引かれてシェラも走り出す、あの剣の元へ。
『六、五』
『急げ。皆も、帰還だ!』
『おぉー!』
光の玉と水の膜の集まっているところに走り込む。
「剣、抜かなきゃ!」
『三、二』
アツィエンが焦ったように、シェラの手を握ったまま、地面に刺さっているままの剣に手をかけた。
ポン、と、あっけなく抜ける。
「やった!」
アツィエンが笑う。
『一』
剣が光を放つ。
『展開:英雄の凱旋』
剣から、真っ白い光が溢れて世界を塗り替えた。
***
真っ白くて、ふわふわした、でも、やはり格子の線の模様が見える場所に、立っていた。
隣には、手を握ったままのアツィエンがいる。
シェラは周囲を見回して、やはり首を傾げた。
天国なのは変わらないのだろうか?
アツィエンが、左手で握っている剣を二人の前に差し出すようにする。
剣からの光は納まっている。
美しい剣だとシェラは思った。宝石も嵌っている。
その宝石を見て、シェラは自分が、魔王の玉座の宝石の装飾を直して殺されたのだと思い出した。
でも、アツィエンと一緒にここにいるなら、まぁ仕方ない。天国に来たのだから良かった。
「少し、歩いて行かないといけないみたいだ。魔界と人間界って、距離があるんだな」
とアツィエンが言った。
意味が分からなくて、シェラは無言で首を傾げてみせた。
アツィエンは剣をどう持てば一番楽か探し出した。
「あ。見て、持ち運び用に紐が出てきた。便利だな。さすが聖剣だ」
アツィエンは、一瞬だけシェラと手を離して、自分の背中に剣を括りつける。
それから、またシェラの手を握った。
ニコリと嬉しそうに笑う。
「行こう」
「・・・どこに?」
アツィエンはおかしそうに笑う。
「だから、人間界だよ。見てただろ、魔王は死んだ。戻れるんだ」
「・・・どうして?」
シェラにはやっぱり意味が分からない。
そんなシェラに、アツィエンは見た事も無いゆるんだ笑みを浮かべて言った。
「帰り道さ、結構時間あるから、俺の話、してもいい?」
「えぇ。良いわよ」
「怖くて、言えなかったんだ」
「私が、怖かった?」
「違うよ。シェラだけが支えだったのに。話を魔族の誰かに聞かれるかも、知られてしまうかもと思うと、怖くて、絶対に口が裂けても話せなかった」
「そう・・・。じゃあ、お話して」
「うん。歩きながらな」
「えぇ」
***
アツィエンは、魔族の襲撃の多い村の一員だった。
幼いころから、男女と問わず、周辺の村にはこう指示が出ていた。
「魔族領に行き命を懸け、勇者キッタ一行が持ち出した聖剣をはじめとした勇者の一式を持ち帰ってこい」
30年ほど前、勇者キッタが魔王に倒されたと能力者が透視した時に、人間の王様から出された命令だ。
勇者キッタ一行が『人類最後の希望』と言われたのは、物質的な理由もかなり大きい。
本人たちが心身ともに優れていたのは勿論だが、それを見込んで世界中から伝説の武器や防具が彼らに授けられた。勇者キッタ一行は人類が隠し持っていた最終手段を全て託され、魔王討伐に赴いた。
そして、失敗してしまったのだ。伝説の武器や防具、その他全ての手段は魔族領、つまり人間が手を出せない領域に残されてしまった。
だからこそ、人間の王を始め様々な者が、魔王討伐の手段として、
「なんとか武器などを取り戻したい」
と思うのは仕方ない。
現実問題として、勇者でさえ無理だったものを、他の人が取り戻しに行けるはずはない。
だが、王たちはそれでも命じたのだ。
しばしば魔族が人間を浚いに来る村の、ただの村人たちに。
アツィエンも、小さなころから、大人たちに暗い顔でそれを教えられた一人だった。
万が一にも浚われたら、むざむざ死んではならない。
来るべき新しい勇者様たちのために、少しでも武器を持ち出せるように努めないといけないんだ、と。
アツィエンが魔族に浚われたのは、単に不運だったからだ。浚われたくなどなかった。
それでも、魔族領に来てしまったからには、と使命感は持っていた。・・・魔族からの命令で生け垣の有様を見るまでは。
人間の死体、酷いのはまだ生きたままの瀕死の状態の人間を、魔生生物の肥料にしている。
発狂しそうになったのを、直前にあった普通の人間、しかも自分と同じ年頃の少女のアドバイスを受けて必死にこらえる。堪えられたのは、使命感も一役買っていたのかもしれない。
小さな小さな頃から、浚われた場合には、無駄死にしてはいけないと言われて育ったのだから。
「きみがいたから、俺は生きていられたよ。シェラ。ありがとう」
とアツィエンは言った。
こんな世界で、少女が普通に生きている事にどれほど勇気づけられたか。
あの子が生き延びているのだから、自分にだって生き延びるチャンスはある。
与えられている仕事は違うけれど。
考えてみれば、シェラには肉体的苦痛を、アツィエンには精神的苦痛を与えているのかもしれない。
最も、魔族にとって必要な箇所に配置しただけに過ぎないのだろうけれど。