アツィエンの招いた青空
『英霊召喚!』
突然高い声が聞こえた。人間、アツィエンの声、と遅れてから気がついた。
シェラの目の前、白く濁ってよく見えなくなっているはずの視界に、サンダルを履いた裸足が見えた。
急な光景にシェラは瞬きをして顔を上げようとしたが、身体が動かしづらくて、うまくいかない。
『解毒。それから、異変解除。それから、変異停止。それから、異質改善。それから』
誰か分からない、穏やかな女性の声が上から降ってきた。
言葉はまだ続いている。
『異物除去。それから、混乱解除。それから』
それから、それから、と言葉が続く。
身体がほわりと暖かくなり、痺れが取れ、視界の白濁が薄まり焦点も合っていくのが分かった。
シェラは軽くなった身体を起こした。
見あげると、青空が広がっていた。
シェラは自分がいる場所が分からずに瞬きをした。
青空と自分の間に、透明な水の膜があった。顔がついていた。
ギョッとしたが、その顔は優しく笑った。
『ふふ。治療、完了』
笑顔と共に水の膜が泡になって空間に散る。
死んだのか、と、シェラは思った。
自分は殺されてしまったのだ。
ここは、天国だ。
ズン、と世界が震えた。
一体なんだろう。
「シェラ! シェラ! シェラ!」
真横から、駈け込んで抱き付かれた。
驚いてみれば、アツィエンだ。
「・・・アツィエンも死んでしまったのね」
シェラは呟いたが、アツィエンはシェラを抱きしめて、ワァアア、と泣き出した。
今や自分より随分背の高くなったアツィエンをそのままに、シェラは改めてこの天国を見回した。
全てが青空だ。青空の中に、自分たちが浮いているような気分がする。
そんな中、天と地に、細い細い線の格子のような模様が広がっていた。
だから自分たちは空から落ちないですんでいるんだろう、とシェラは勝手に納得した。
『これで終わりだ! 塵と化せ、魔王フィギエスタ!』
聞こえるようになった耳に、妙な宣言が飛び込んできた。
「ゥオォオオオオオ、オォオオオオオオオオ・・・!」
魔王の唸り声が響いた。
シェラはギョッとした。天国に魔王がいるはずがないのに!
アツィエンが抱き付いてきている方向から聞こえる。シェラはとっさに目を背けた。不必要に王を見てはいけないと身に染みている。
オォオオオオオ・・・!
ッ・・・!
魔王の震える声。
おぉおおおおお・・・!
空から聞こえる、大勢の歓声。
『塵・・・! やったぞ皆!』
『長かったわね、私たち、ついに倒したのよ!』
『キッタ、倒した! 魔王フィギエスタを! 倒したぞ!』
まだ自分を抱きしめて泣いているアツィエンの方向から聞こえてくる声に、シェラはいつの間にか硬く閉じていた目をそっと開けた。
様子が変だ。
それに・・・。
キッタ?
珍しい名前だから、『人類の最後の希望』と言われた勇者キッタ一行の事が思い出された。
ただし、シェラが生まれた頃にはすでに勇者キッタが死んだと言われてから30年以上も経っていた。
彼らは魔王討伐に赴き、帰還しなかった。能力者がキッタたちの生死を透視して、魔王に殺されたと断言した。
彼らが死んでしまった事で、人間は魔族への対抗手段も希望も失った。
シェラが彼らの名前を知っているのは、シェラが魔族に浚われる前に、『潰えた希望』として大人から語られていたからに過ぎない。
どうして、でもこんな会話が聞こえるのだろうか。
天国、だからだろうか? そうだ、天国だから、キッタたちもいるのだろう。
でも、魔王の声もしたのは・・・?
戸惑いながら、まだしがみついているアツィエンが邪魔でそちらの奥が見れないので、シェラはアツィエンに呼びかけた。
「アツィエン。ねぇ、ここは、天国、なのよね? 私たち、死んでしまったのね」
その言葉に、アツィエンは泣いていた途中だったのに、思わずと言ったように笑った。
「っ、生きていた、良かった、シェラ。俺は、もう、きみが死んだと思って、だから」
「・・・でも、死んでしまったのでしょう?」
「・・・は、はは、シェラ」
アツィエンは、やっとシェラの肩にうずめていた顔を上げて、シェラの顔を覗き込んだ。
アツィエンは、涙と鼻水を流していた。見慣れた表情だ。
「生きてて、良かった。良かったよ。良かった。・・・きっと、間に合ったんだ」
良かったとしか言わないので、シェラには話が分からない。
シェラが身じろぎして、アツィエンの方向を見ようと動くと、アツィエンも動いた。二人で、声が聞こえてきた方を見た。
青空の中、細かな何かがチラチラと光りながら風に吹かれるように散っているところだった。
そして、その傍に、光の玉と水の膜がいくつも浮いている。
良く見れば、光の玉などでは無く、人の形をしていた。光り輝いているからすぐにハッキリとした形が分からなかったのだ。
水の膜の方も、人の形をしている。こちらは腕から水がしたたっているため、すぐに分からなかった。
そして、その中央、青空の地面に突き刺さるのは、妙に存在感のある剣。
「・・・勇者キッタの、聖剣?」
実物など見た事も無い。けれど、シェラはこの状況にそう呟いていた。
一つの水の膜がこちらに意識を向けたように、姿勢を変えた。
『よくやった、坊主。さぁ、聖剣をお前が抜くが良い。この剣はもうお前のものだ』
「アツィエン・・・?」
戸惑うシェラの傍、アツィエンが涙をまだ流しながら、笑った。
「早く行こう。奇跡が消えちゃう前に」