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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

神の娘

とある亡国の王子の話

作者: 彩戸ゆめ

 穏やかな国だったと思う。南にある神に愛されし国のように豊かとはいえないが、それでも国民が飢えて死ぬ事はなかったし、王制も支持されていた。

 父である国王は常に国民の事を考えていたし、世継ぎである兄も未来の王として堅実な治世を収める事だろうと期待されていて、その下の兄も長兄を支える事に誇りを持っていた。

 末の王子である私は、軍部で兄たちを助けようと日々剣の腕を磨いていた。といっても、ここ数年争いのない情勢では、私の剣の腕など子供だましのようなものだったとは思うのだが。


 それが急変したのは、隣国の突然の侵略だ。我が国より北にあるその国はここ数年不作が続き、餓死者も出るほどだと聞いていた。友好国である我が国も支援をしたのだが、それを上回る被害が出たらしく、一部の軍部がクーデターを起こした。

 そしてそれは成功し、隣国の王とその一族は、全てその首を城に晒されてしまった。


 だがそれで事態が打開されるはずもない。既に国庫は空だったのだから。

 そう。隣国の王とて、民を救おうと尽力したのだ。ただ飢餓がそれを上回ってしまっただけで。


 クーデターを起こした奴らは、次にその牙を自分たちの国より少しマシな生活をしている国に向けた。

 そこにあるわずかな富を奪いつくす為に。

 その矛先が向いたのが、わが国だった。


 もちろん我が国とて、むざむざと蹂躙された訳ではない。だが死に物狂いの攻撃に、平穏な生活を送っていた我が国の兵士が対抗できなかったのだ。

 戦況はじりじりと押され、遂には私の剣も折れ、隣国の捕虜となってしまった。そしてその直後に知らされる、王都の陥落。


 王と王妃の屍は晒され、世継ぎとその弟も捕えられて死を待つばかりなのだという。


 それを聞いた時、目の前が怒りで真っ赤になった。


 一体全体、我が国が何をしたというのだ!確かに隣国の情勢は哀れだとは思うが、それはわが国には関係のない事だ。それをただ他から奪えばいいなどとは、畜生にも劣る行為ではないのか!


 だがその怒りすらも凌駕する出来事が続けざまに起こる。

 あろう事か、隣国は生き残った王族のうち、年老いた物は処刑し、見目の良い者は全て奴隷として売り払ってしまったのだ。その多くが悪名高いゾディアに売られたと言う。商業都市アグリアの一角にあるその街は、高級娼館を売り物としていた。

 もちろん多くの民もまたそこへ送られた。

 それをただ聞くしかない私は、自分の無力さを痛感するより他なかった。


 私もまたそこへ送られる運命だったが、戦場で剣を切り結んだ隣国の将軍が、剣の腕があるのだから闘技士として戦わせればいいと言いだした。


 なぜだ。殺したいのであれば、父や兄のように王族として処刑してくれればいいものを!

 そう喚く私に、将軍は黒光りのする瞳で言い放った。


「神のご加護があれば生き延びるだろう」


 それを聞いた私は嘲笑した。

 神だと!?

 ああ、確かに神はいる。気まぐれにしか恩寵を与えぬ神が。

 姿を見た事もない神が。

 だがその神が我々に一体何をしてくれた!

 飢餓に苦しむ民を救うことなく、こうして蹂躙される国を救う事もない。

 何が神だ!

 神など信じて救われるものか!


「そうだ。神など我らには必要ない。それを見たいのかもしれん。せいぜいあがいてみろ。人の力で」


 クーデターの首謀者たる将軍は、そう言って長いマントを翻した。血にまみれた真紅のマントを。


 それからの生活は地獄のようだった。闘技士として売られた私は、そのまま闘技場に放り込まれ、毎日を戦いの中で過ごした。一瞬でも気を抜けば、すぐ死につながる非情な世界。殺さなければ、殺される。戦意を消失して無抵抗の相手を殺す事にも慣れてきた。いや、慣れざるをえなかった。無抵抗なのだからと慈悲をかけて背を向ければ、その背に相手の剣が迫る。優しさなど、そこでは必要のないものだった。


 だが戦って勝ち続けているうちに、希望の光が見えてきた。亡国の王子として戦う私は、観客の姫君たちの人気となっていったのだ。


 人の死に様を見て喜んで、どこが深窓の姫君なのだと思う。だが彼女たちの援助のおかげで良い剣を手に入れ、賞金を手にする事ができる。それならば声援を送る彼女たちに愛想笑いの一つでもしてやろう。甘い言葉もかけてやろう。ただそれだけで私の望みに近づくのなら、この身すらも喜んで捧げようと、今はなき故国へと誓った。


 私はそうして手に入れた賞金でゾディアに売られていった者たちを買い戻していった。全てを救うのは無理かもしれない。だが私の命が消えるまでに、少しでも多くの民を救いたかった。

 父と兄が亡き今、私があの国の王なのだから。


 そして私はあの男に会った。哀れな神の犠牲者に。

 彼は神の娘を警護する役目を放棄して、この闘技場に流れ着いたのだという噂だった。醜聞にまみれた彼を見た時、その瞳は色濃い絶望に染まっていた。


 元は端正だったであろう顔に、治りかけの醜い傷が走っている。それはどこかグロテスクな印象を与えていた。


 剣の腕も素晴らしかった。おそらく彼が腕を痛めていなければ、その剣に貫かれていたのは私の方だっただろう。


「は……束の間の栄華を楽しむがいい。やがてお前も飽きられて死ぬのだ。俺のようにな」


 死にゆく男の呪詛の言葉に、私はうっそりと笑う。


「そんな事はお前に言われずとも知っている。この世に人を救う神などいないからな。だからここから出たら俺は俺だけの神になる。誰にも心を預けたりなどしない」


 そうだ。人を救う神がいないのならば、私自身が神になればいい。死してなお、わが国の民を見守ろう。そしてあの傲慢な神への信仰など、棄て去れば良いのだ。


「人が神になるか……ありえんな。あの力は……」

「力など必要ない。希望という名の信仰があれば、人は諦めずに生きていける」


 この境遇に落とされてもなお、私の心の中に残る、希望という光だけは失われなかった。

 なにを奪われても、それだけでも残ってさえいれば、人はまた前を向いて歩いていける。その望みが潰えても、後に続く光が生まれる。


 そうして人は繋いでいくのだ。神に翻弄されぬ日々を。

 そして信仰を失った神は、神話の彼方に置き去られればいいのだ。永劫に。


「希望、か……」


 男の口元からゴブリと大量の血が溢れ出た。もう限界なのだろう。


「止めをさしてやる。安らかに眠れ」


 心臓をひとつきしてやると、男の体は大きく跳ね、そして動かなくなった。

 歓声の中、闘技場を後にすると、獣の唸り声が聞こえる。男の死体を喰わせているのだろう。そこまでが見世物だ、仕方ない。いずれ我が身に起こることだ。


 それにしても神の娘か。どんな女なのだろう。


 だが私には関係のない女だ。会う事もない。


 剣を一振りしてついた血を吹き飛ばすと、私は喧騒を後にして控えの間へと戻った。

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