Q.69 記憶の欠片
久々の彼の登場。
突き出す剣。その切っ先は、俺が見て触ってもきっと微塵も理解できないであろう機械に囲まれ、不敵に笑う天使へと。光を発し目まぐるしく地上の様子を映し出す、長方形の機械群に照らされて、全く噛み合わないもの同士ながらも妖しく、綺羅びやかに煌めく白翼が揺れる。
「ああ、勘違いしないで欲しい。何も僕は君と斬り合い、殺し合うつもりはないんだ」
ふわりと鉄張りの床へ降り立つ天使。
「今更何を言ってんだよ……っ! 散々……っ、お前たちは散々多くの命を奪ってきただろうが……!!」
「勝負を決めるのに殺し合う必要はないだろうって話さ。今からちょっとしたゲームを行う。君が勝ったら、僕はここで賢者達が魂を開放するのを大人しく見ていよう。そして僕が勝ったら君達の塔攻略はここで終わり。けれど、仲間に別れを告げる位の時間はまだ残されているだろう。そして外の兄達を止めに行くのくらいは許すよ。そうすれば姉さんくらいは死の袋小路から救い出せるかもしれないからね。どうだい? 悪くはない話だと思うんだけどな」
「ええ、とっても良い提案。もし、貴方が天使じゃなければ信用してましたけどね」
セトラはほぼノータイムで、天使の言葉を手厳しく突き放した。
「ありゃりゃ、これは手痛い。余程他の兄姉達が迷惑をお掛けしたのかな」
「私達は負けたときどうしようかなんて話をしに此処へ来たんじゃないんです。ただ、勝負ならシロが受けます。そして必ず勝つので、わたし達の心配はしなくても大丈夫ですよ」
笑顔でそこまで言い終えると、俺の背中を前へ押し出した。
『必ず勝って。ここで負けたら本当に終わり。……私は託すことしかできない。だから勝って!』
突き飛ばされるように前へよろける最中、頭に響いた魔力通信の声。
一歩メタトロンへと近づく。
……セトラは今この瞬間大きな賭けに出た。
セトラの選択は、ゲームを受けるという選択。相手の力量を予測してのことだろう。俺とメタトロンの魔力量の絶対的な格差を見抜き、勝ちの目が多い方へと全てをベットした。半ばヤケクソかも知れない。けど俺がきっと勝つと疑っているわけじゃない。
託してくれたんだ。自分の使命、未来、命その全てを。
「だってさ。ま、シロなら心配ないけどねー」
ぽん、と肩に手を置こうとしたものギリギリ届かず、妥協して腰を叩くミラ。……格好つけようとしてもいつも締まらないな。ノルンだったら届いただろうに。妹よりも背の小さいお姉さんは苦労が絶えなそうだ。
「な、なによぅ!」
「はぁ……なんでもない。てかせめてお前くらいは他人事であって欲しくないぞ……」
もしそのゲームというのが、体を使うものなら一緒に行動しなければいけないことに変わりはないんだからな。
「で? そのゲームってのは何だよ?」
「今から君の前に三つの欠片を用意する。君がすることはその三つの欠片に触れるだけ」
「ん? 触れるだけじゃ勝者は決まらないだろ。もっと、こう、駆け引きとかゲームらしい要素はないのか?」
それだと俺が勝つのは、ほぼ必然でゲームとしての体裁を成してない。ゲームという以上は、その土台として基本的にお互いに公平なルールが敷かれているはずで。
「いいや、ルールはそれだけだ。三つ目の欠片に触れることができたら君の勝ち。魂の解放と神への挑戦権を許すよ」
「いや、それじゃダメだ。ルールを付け加えさせてもらう。『俺が勝利する、もしくは欠片に触れることを拒否し敗北するまで俺の仲間に手を出すことを禁止する』。つまりはゲーム中は仲間の安全を保証させてもらう」
「ああ、もちろんそのつもりさ。僕がここに来た意味がなくなってしまうからね」
随分と余裕の表情だ。こんな誰が見ても俺の勝ちを疑わないようなゲーム内容なのに。
紡ぎ、生み出される欠片。その形は手のひらに収まってしまうくらいの大きさの結晶体。内部で光が乱反射して、虹の七色とは少し異なる不思議な色彩が渦巻いている。
「へぇ。てことはこれは只の欠片じゃないんだな。俺が絶対に三番目の欠片に触れることを躊躇い、拒絶するような何かがこの欠片には秘められている。それを見ることがお前の目的ってわけだ」
高純度の魔力を封じ込めた身体的なダメージか、いいや。それならばわざわざこんなゲーム形式にする必要がない。ただ斬りかかって来た俺へ魔法を叩き込めばいいだけ。その後距離を取って一人ひとり殺していく。さらに言えば階段での威嚇をせずに不意を打って殺せばいいだけ。こいつにはそれができるのだから。
……だとしたら、心を蝕む精神的な苦痛。
はは、勘弁してくれよ。仲間を守るために力は蓄えたが、心までその成長を共にしたかと問われると答えに困る。
「ご名答。一度触れれば分かるよ。これは間違いなく、君にとっての地獄だ」
「いいぜ。受けて立つ。世界を救うために地獄を覗くだけでいいのならば、安いもんだ」
まず、一つ目。
知らず知らずのうちにごくりと喉が鳴る。
ああ、怖いんだ。地獄と言い換えたこの先に待つものの正体が。
……だから何だ。死んだ後、ミラやセトラ、皆に言い寄られ、責められた方が余程怖いじゃないか。
そんなことはしないだろうけど。
小刻みな震えを押し殺して欠片へ、手を伸ばした。
・
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「ごめんなさい……っ! どうか……みんなをころしてしまったわたしを、ゆるして……っ」
これは……!?
いつか見た風景。今なお耳に残る醜い天使の高笑い。
嗚咽混じりの少女の懺悔は紅蓮の街、エルメリアに虚しく木霊する。
俺はこの光景を知っている。
初めて会った賢者であるフレイヤの故郷エルメリア。俺達は偶然訪れたこの街で、フレイヤ・リヒトムートと名乗る少女に出会う。彼女を追った先にいたのは、今目の前にいる天使ラグエル。ボロボロになりながらもミラと彼女の力を借りて撃退した。
これは終わった記憶のはずだ。
そう、確かこの後、ミラがラグエルに魔法の槍を打ち込んで――。
「そんなに赦しが欲しいならば、救ってあげよう。この世の柵から」
ミラが、隣にいない!? 少し離れたところにセトラが怯えて立ち尽くしているだけ。あいつはどこへ行った? そもそも離れられないはずなのに!
それに気がついたのと、ラグエルがフレイヤへ手を伸ばしたのはほぼ同時。
「あ……ぐぅ……っ!!」
――突然、瓦礫に鮮血が飛び散った。
頭が真っ白になる。
彼女の、フレイヤの胸をラグエルの手が貫く。
血が。 致命的。
炎よりも真っ赤で、熱そうな。
あの傷じゃ助からない。
あんなにも、心臓を抉られて。 フレイヤが。
――死。
「――――――!!」
気がついていたら魔法を行使していた。
鎖状の魔法をラグエルの後ろの建物へと突き刺し、それを巻き取って接近する。それと同時に魔法剣の錬成。いつもだったらどうってことのない魔法行使のはずが、緊張と焦りで暴発したか、体内の魔力が一気に吹っ飛んでいく感覚を覚える。
いや、この際自分の体なんてどうでも良い。例え内側からマナの業火に炙られようと知ったことじゃない。
あの子は、フレイヤは。
かけがえのない仲間で。(たった一人、汚さも弱さも受け入れてくれた大切な人で)絶対に死なせるわけにはいかないのだから。
「うぅぁあぁあぁあああああ!!」
持ちうる最大の火力と推進力で、ラグエルへと斬りかかり――。
「――第七の笛は世界に終止符を打つ」
現れたラッパはまだ見たことのないものだった。かつて魔界で殺し合った時には見せなかった、ラグエルの七つの力のうちの一つ。
目の前のこいつを斬り殺してやろうと飛び込んでいたはずなのに、何時まで経っても奴に近づけない。俺の周りだけ時間が切り離されたみたいに、空中で停止して身動きが取れない。力を入れても、抜いてみても、現状は何も変わらない。目から入る情報を認識できているのに、為す術がない。
そうしている間にも、フレイヤの小さな体からはとぷとぷと赤色が流れていく。まだ意識があるのか、苦しそうに気管支を震わせ、こちらへと助けを請いている。
くそ、どうして!
何のための力だ。何を救うために磨いた力なんだ。
今、目の前にある少女の生命一つさえも救えない。
「そこで見ていると良い。君の大事なものの最期を」
容赦など介入する余地がなかった。
天使の手には白銀の鎌。その色にそぐわず、命を刈る形としては十分なほど禍々しい。
まるで演舞を披露するように、一歩下がりつつ振り上げた弧を描く大鎌。切っ先はしゃがみ込み意識も朦朧としたフレイヤのお腹を捉え、裂き、貫いた。
「ぁ…………」
フレイヤの目から完全に光が消失する。掬い上げられた鎌に持ち上げられ、軽い体は宙へと浮いた。だらしなく垂れる四肢に生気を感じることは、もう、できない。
「鳥葬って知ってるかい? 地域によっては天葬とも呼ぶらしいね。僕らの神の信仰とは縁が遠いけれど、君の罪を雪ぐには適しているかもね」
「てめえ、何するつもりだ……!!」
「おや、喋れるのかい? ハハハッ、やっぱり変わった人間だね。僕におkせず立ち向かってくるなんて。でももう少し黙っててくれ、そのせいで少し気が変わったからね」
蹴り飛ばされることで空間の固定が解除され、かつて家だった瓦礫の山へと叩きつけられる。
瞬間的に肩に異様な熱さを感じた。よく見ると左肩から手とは別にもう一本何かが生えていた。あまりの赤さに悪魔の手かと誤認しそうになるそれは、木材の破片。見事に方の肉を貫通して血に染まっている。少し体を動かしただけで激痛が奔る。抜くな、そのままにしておかないと危険だと、脳が警告を発しているのがよくわかった。
けど、今なら動ける……!
いっそ思いきって一気に体を起こし、自らの一部と化した木片に別れを告げる。
痛え。涙が出そうだ。現状も投げ出したくなるほどだってのに。
せめて、せめてフレイヤを……!
纏まらない思考で魔力を練る。
「……その傷で、なおも向かってくるのか。やはり君は恐ろしい奴だ。死というものを始めから天秤にかけていないんだな。もし、ここじゃない場所で殺し合ったら、僕も全力を出さざるを得なかったかもしれない。僕は今、そんな君に尊敬の念すら覚えている。だからこの少女くらいは救ってやってもいいかな、とそう思ってさえいるんだよ」
そう言うと、あのラッパを取り出し緩やかに吹き始めるラグエル。
再び空間に縫い付けられ、時間を奪われる。左肩の出血は傷が塞がったわけでもないのに止まり、立ち上がろうとした姿勢のまま停止させられた。
「よく見てろ。例え君が彼女を救えたとしても、洗い流しきれない罪の穢れを。彼女を救ってやる、この僕が。……さぁ。この世に迷いし幼き子羊よ。天界序列第七位ラグエル=エンデュミオンが今、楽にしよう」
ぱちんとラグエルが指を鳴らすと、虚空から無数の鷹が現れた。
ラグエルがフレイヤの体を下ろすと、鷹達は地に足を着け、じりじりとフレイヤの遺体へと近づいていく。今か今かと待ちわびている。その姿を見てこの後何が起こるのか、容易に想像がついてしまった。
やめろ。フレイヤに近づくな。
待ちきれなかったか、一羽がフレイヤの体へと飛びついた。それに続いて一羽、また一羽と。
腹わたを引きずり出し、しきりに肉を啄む鷹の群れ。毛並みは真っ赤に染まり、それでもなおフレイヤを食い尽くすことをやめようとしない。
群がる鷹の群れに蹂躙され、フレイヤの姿すら見えなくなる。それを彼女と呼んでも良いのか、間違いなく彼女一部だっただろうものが辺りへと飛び散っていく。
赤、赤、一面の赤。燃えた街を塗りつぶすような鮮やかな色に感覚が麻痺していく。
大切なものが、目の前で解体されていくと同時に、俺の中の何か大事な部分も決壊したようで。
声も出せない。慟哭さえも許されない。
フレイヤの名を叫ぶことも、涙を流すことも、何もかもが許されぬこの空間から、俺はただただその光景を張り裂ける心のまま、眺めることしかできなかった。
「鳥たちは空へ還り、やがて天へと至る。これで君は罪に塗れた肉の体という檻から開放されるだろう。様式は違えど、懺悔し改めた魂に偽りは無い。主よ、この者の魂を救い給え、אָמֵן――――」
ああ、こんな救いのない世界ならば、もういっそ――――。
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「……一つ目の欠片はどうだったかい?」
「…………うっ……うぅ………っ…………もう……良いだろ……」
目の奥にあの光景は酷く焼き付いていた。涙が止まらなかった。そこにフレイヤがいることに安堵し、自分の選択でフレイヤをあんな目に合わせる可能性があるに恐怖した。
感情がかき混ぜられて上手く制御できていない。嗚咽は止まらず、なおもここが現実だと理解しきれていないくらいに。
「その世界ではバゼッタ・ミラ・エイワーズが既に死亡していた。上手く転送が行われず、魂と肉体の結合が間に合わなかったためこの時代に現界出来なかった。故にフレイヤ・リヒトムートが助かる未来は存在せず、君は兄さんを撃退できず絶望の果てに自殺する」
「うるさい! 黙ってくれ……頼むから……」
「シロ……」
落ち着け。今の俺は確かにここにいる。まだ誰も欠けてはいない。
その世界では。
メタトロンは確かにそう言った
いくつもある未来を手繰り寄せる力。よく知る力だ。
巫女と呼ばれる存在の中でも一際強い力を持った俺の幼馴染。
「……なるほどな。お前が今このタイミングで生まれた原因がわかった」
「うん、そうだね。君の想像している答えは、恐らく正しい」
だとしたら魂の循環が止まった理由にも納得がいくもんな。なんて残酷なやり方だよ……。
「僕ら天使は元々この星にいた生命体の魂を素に作られた。僕はアトラ・アーリエの魂を受け継いだんだ」
「……受け継いだ? 奪い取ったの間違いだろうが!」
「違うよ。元は我が主、神のものだ。一時的に人の体に貸し与えているに過ぎないのだから」
「……私達の魂も、貸し与えているだけということですか」
セトラが痛々しげに呟く。
「くそっ!!」
地面を殴る。やるせない思いは床にぶつけたところで消えることはなかった。
どうしてここに来て邪魔するんだ。アトラ。
お前が相手だと、どうしても敵わない気さえ起きてくる。
「さあ、二つ目の欠片だ。触れてみると良い。それとももう止めるかい?」
自らがアトラの生まれ変わりだと呼称するメタトロンが、またも不敵な笑みで問いかけてくる。
「……来いよ。諦めることだけはするもんか。さっきの欠片と違って、俺は誰も失ってはいないんだから」
「ふふ、なるほど。じゃあ、次の欠片だ」
目の前に現れる記憶の欠片。
手を伸ばし、決意を持って強く握りしめた。
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「さ、起きてシロ。今日も一日頑張ろー!」
ああ、次の世界の記憶は、こんなにも残酷な光景を俺に見せてくれるのか。
今回、内容としてはアレですけど、一つのフレイヤちゃん回かなと。
故意ではないにしろ数千、数万を殺した彼女へのラグエルなりの救いのつもりで。
それをシロがどう捉えるかで意味が大きく変わってくるんですけど。
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