彼らの過去
僕のあの子はどこ行った
君のあの子は森の中
暗くてこわい森の中
エイスは夢を見ていた。気がつくと、夢のなかにいた。
どこからか、子供たちの歌う声が、聞こえてくる。しかしそれは、ひどく微弱な声で、まるで遠くを吹く風の音のようだ。
セピア色の夢の中には、四人の少年と、一人の少女がいた。五人ともずいぶんと幼かったが、エイスには、その中の一人が自分であるとわかった。五人には、いま夢を見ているエイスの存在が、見えていないようだった。
五人の中で、いちばん年上と思われる少年が、何か本のようなものを懸命に見ながら、地面に大きな絵を描いている。そして、その少年の後をついて歩く二人は、一体何をしているのかとその行動を熱心に見ており、もう一人の目つきの悪い少年は、いたずらっぽく笑いながら、描かれていく線に色々と手を加えていた。少女は、両手を腰に当て、いたずらをしている少年を諌めているようだったが、声までは聞こえてこない。
エイスは、ゆっくりと少年たちに歩み寄った。それが本当に、自分の失われた記憶なのか、知りたかったからだ。
もう少しで、少年の肩に手が届く……そう思った瞬間、唐突に、映像はかき消えた。
もしもあいつが出てきたら
きっとあの子は帰らない
暗やみのなか、かすかな歌が聞こえてくる。聞いたことのある、なつかしい旋律だ。ひどく哀しい響きの歌。
目を閉じ、再び開いたときには、そこにはまた別の光景が広がっていた。
どこかの、薄暗い建物の影。三人の、笑顔をなくした少年が、その影に佇んでいる。
一瞬の映像。
迎えに行こう森の中
あいつがやってくる前に
けものがやってくる前に
目の前に広がるセピア色の光景はそのままに、声だけが、鮮明に耳に流れこんできた。 邪気のない子供の笑い声。
しかし、エイスは知っている。
けものとは、自分たちのことだ。
映像が消え、もう一度、最初に見た少年たちが目の前に現われた。
聞こえてきていた歌も、不自然なほど唐突に聞こえなくなり、静寂が辺りを支配する。 変わらない様子で戯れていた少年たちのうち、突然、一人だけが振り返り、エイスを見た。
幼い頃の、エイス自身だ。
何かを話し掛けようと、エイスが夢の中で一歩足を踏み出そうとする。しかし幼い頃のエイスは、敵意のこもった目でエイスを見つめ、いった。
「返せ」
風が吹く。
風と一緒に夢のなかは暗やみの世界に変わり、一人とり残されたエイスのまわりで、また歌が聞こえてくる。
けもの けもの
けものがくるぞ
けもの けもの
けものがくるぞ
すみかをうばったにんげんを
よつざき やつざき ひきちぎる
子供たちの声は複数になり、音が重なり、エイスは頭を抱えて座り込んだ。
「やめて……」
歌は止まらない。
けもの けもの
けものがくるぞ
けもの けもの
けものがくるぞ
目の前に、幼い頃のエイスが現われた。
彼は、エイスを見て、ゆっくりと告げた。
「これが、露祇の悪夢」
エイスには、この少年が何をいっているのかわからなかった。
露祇の悪夢。
露祇とは一体、誰のことだろう。
「お前は、露祇じゃない」
少年は続ける。そんなことはわかっている。
「露祇が露祇だから」
エイスは顔をあげた。
少年は自分を見つめていた。
では、この少年が。
「ロギ……?」
少年が、エイスの身体に溶け込んで、そしてエイスは、全てを『知った』。
*
「落ち着いて、ゆっくりと話してくれ。何があったんだ?」
エイスがさらわれた、と、そればかりをわめきちらすレットを必死になだめて、レオンはもう一度問い掛けた。
「エイスは、誰に、さらわれたんだ?」
「変な、ガキにだよ……そうだ、ちょうどあんたみたいに、真っ黒の髪のガキだ。いきなり現われて、まだ寝てたエイスを抱えて、笑いやがった……! あんたたちに伝えろっていわれたよ、協力してほしいから羅那国にきてくれって……早くこないと、エイスとはもう逢えないって。あいつ、そういったんだ!なんなんだよっ! あのガキ、すっげぇ目してたぜ! こ、殺されるかと……」
「……わかった」
レオンは、頷くと、キールに目で合図をした。キールは無言でしゃがみこみ、レットの目を見る。
そして彼は、心術により、レットの脳に命令を送った。
「……っ!」
ふっと、レットがその場に倒れこむ。身体をキャッチして、しかしキールは、そのままへたりこんだ。
「エイスが……」
その目は、見る力を失ったかのように、あらぬ方向を見ていた。その続きを口にすることもできず、キールは身を震わせる。
さらわれた、などと、考えたくもない。
「……冗談じゃないわ、部外者が侵入して、おまけにエイスくんをさらったなんて……!このジャスティスの施設は、そんなに甘くできてないはずよ。警備の人間だって何人もいるのに……」
「無駄だよ」
硬い表情で、レオンはいった。
「相手が悪い。羅那国の次期皇と、それに従うペルティスだ……普通の人間で、太刀打ちできるはずがない」
「……すめらぎ……? 皇っていったの、いま? じゃあ、エイスくんをさらったのは、羅那のルショウ皇子ってこと……?」
「流晶は、俺たちの弟だ」
「……兄貴!」
「いまさら隠したって仕方ないだろう。セリエには協力を頼みたい……だから、全部話すよ」
キールは押し黙り、レオンから視線をそらす。
驚きを隠せない様子で、セリエは、震えた声を発した。
「……わからないわ、もう、頭がパンクしそう。でも、あたしにできることなら何でもいって。協力は、惜しまない」
レオンは寂しげに微笑んだ。
そして、ゆっくりと、話し始めた。
東の海に浮かぶ島国、羅那国。東国とも呼ばれるその国では、大陸とはまったく違った文化が発展し、繁栄していた。
人々の生活の基本となるのは、唯一神大天海神への信仰であり、羅那国を治める皇もまた、大天海神に認められたものだけがなれるとされていた。
「羅那の皇、玲圭ってきいたことあるだろ?大陸との国交を初めてまともに開いた、有名な皇。そのひとが、俺たちの父親なんだ」
セリエは頷く。若干十五歳にして羅那国の大改革を行なった、歴史にも名が残るであろう人物だ。
「そのひとと、恭蓮が結婚して、五人の子供が生まれた。長男紫雷、次男焔俐、長女恵芳、
三男露祇、四男流晶。で、この五人がまだ小さいうちに、その時の皇だった玲圭が死んじゃったわけだ。その時、女子である恵芳はまず皇候補から除外されたけど、俺たち四人とも皇の資格がなかった。大天海神様に認められるほどの力をもってなかったからだ。だからとりあえずの形で、玲圭の妃の恭蓮が女皇として頂点に立った……そうだな、その頃はもうすでに、あの女はどこか壊れてたな」
「……? どういうこと?」
「力への異常な執着」
ひどく低い声で、キールが口を挟んだ。
「あの女は、母親らしいことは何一つしないで、剣術、武術、魔法、あらゆるものを専門家を雇っておれたちにたたき込んだんだ」
「そう。けど、俺たちは必死でそれをこなした。母親に愛されたい一心でね。そんなある時、四男の流晶が、六歳にしてとんでもないことをやったんだ。ペルティスを呼び出して、
それを服従させちまった」
セリエは、目を見張った。
「六歳で、ペルティスを召喚ですって?」
ペルティスとは、高い魔力を誇る伝説にうたわれる存在だ。その気になれば、一人で国一つを服従させることもできるほどの魔の生き物を、六歳の子供が呼び出し、しかも服従させるなど、考えられない。
「見ただろう、あの蘭がそうだ。そのばかでかい魔力は、皇の資質に十分だったんだ。だから次期皇は、流晶だろうってことになった。……問題は、そのあとだ」
レオンは目を閉じた。
嫌な記憶は、今も寸分の狂いもなく、まぶたの裏に焼き付いていた。
ごめんなさいね、と、微笑む母親の笑顔。
あなたたちは、母さんが、殺してあげるからね──
「恭蓮は、どういうわけか、残りの皇候補者を……つまり、俺とキールと、露祇を、海に落として殺そうとしたんだ。皇になる資格のないものは必要ないってわけだな。でもおれたちは死なずに、大陸に流れ着いた。……そこからは、セリエの知ってるとおりだよ。俺たちは生き延びるために、孤児集団ビーストに入ったのさ」
「…………」
セリエは、慰めの言葉はいうべきではないとわかってはいたが、うつむいて唇を噛み締めた。実の親に捨てられたり、売られたり、殺されかかった孤児というのは、決して少なくはない。だからといって、それは許される行為ではないが、もう起こってしまったことだ。セリエもまた、自分の幼少時代を思い出し、顔を歪めた。
胸のあたりが、重くなる。
「それからしばらくは、セリエたちと過ごして……」
感情は一切入れず、淡々と、レオンは話を続けた。
「露祇が、病に侵されたのが、ちょうど七年前だ。あのままほっといたら、あいつが死んでしまうのは目に見えてた。だから俺たちは、露祇を連れ、医者を探した……。でも、見つからなかった」
だんっ、と、力強くキールが壁を殴り付けた。
見つからなかったのではない。
医者は数人見つかったが、誰も治療してくれなかったのだ。
金もなく、薄汚い、しかも人を殺めることを覚えた恐ろしい子供たちなど。
「結局……露祇は死んだ」
セリエは、顔をあげた。
「……ロギが……死んだ?」
「だから俺たちも、死のうと思った。俺たち三人のうちの誰か一人が欠けて、残った二人で生きていく意味もなかったし、死んだ方がましだと思った」
「ちょっと待ってよ、ロギが死んだって、そういったの? どういうことよ、じゃあ、エイスくんは……」
エイスは、露祇ではない──
漠然とそう思ってはいたものの、実際に聞かされると、やはりそれは大きな衝撃だった。
殺しても絶対に死なないと思っていたあの生意気な子供が、よりによって病死などと。「……聞いてくれ。たしかに、露祇は死んだ。でも俺たちは、一つの賭けにでることにしたんだ。大魔道師ヴィランツの秘術を使ってね」
大魔道師ヴィランツ。
伝説の大魔道師の名が、どうしてでてくるのかわからず、セリエは眉をひそめた。
「意味が、よく、わからないわ」
「大魔道師ヴィランツは、実在するんだよ。その秘術、生き返りの秘術も。俺たちは師匠に──ヴィランツに、露祇を生き返らせるように頼んだんだ」
セリエは、思わず立ち上がっていた。
「そんなこと……!」
ありえない。
一度死んだ人間が生き返ることなど、あってはならないことのはずだ。
「不可能だわ……」
「そう、不可能なんだ」
しかしあっさりと、レオンはそれを肯定した。
「生き返りの秘術と呼ばれてはいるけど、実際は魂込の秘術っていうらしい。ヴィランツは、露祇の身体に、まったく別の魂を吹き込んだんだ。俺たちがエイスと名付けた、魂をね。そうすることで、露祇の身体はなくならずに、人として生きるわけだから、ロギは死んでいないってことになるわけだ。イカサマみたいな話だけどな。ただ、身体のあらゆる部分が、露祇のことを『覚えて』るらしくて……よくはわからないけど、身体が残っているかぎり、魂も完全になくなっちゃうわけじゃないらしいんだ。だから、エイスを露祇として扱ったり、露祇にとってショックなことが起きたりすると、ふたつの魂が衝突して、今度こそ死んでしまう恐れがあった。……そういうわけで、俺たちも名前を変え、やり直すことにしたのさ。人生を、最初っからね」
セリエは、身体を小刻みに震わせた。うまく説明はできないが、沸き上がってくるものは、怒りに似た感情だった。
エイスは露祇ではなく、しかしエイスは二人の弟で、身体は露祇であり、露祇としての魂もなくなったわけではない……
頭がどうにかなりそうだった。
騙し絵を見ている気分だ。
「それが、七年前」
レオンは続けた。
「ヴィランツは、七年過ぎたら後はどうなるかわからないといった。魔法の効果が持続するのは、せいぜい七年らしい。エイスを死なせたくなかったから、俺たちは必死にいろんなことを隠してきたけど……もう、七年目だ。だから、身体の方がもたなくなってエイスが死んでしまうか、魂の方が先にダメになってしまうか……どっちにしろ、エイスはもう長くないだろうってことだ」
「兄貴……!」
「本当のことだろう!」
初めてレオンが声を荒くし、キールとセリエは、びくりと身をかたくした。
「恐がってるだけじゃ、どうにもならないんだよ……俺たちは、七年前からずっと、現実から目を背けてきただけだろう? いいか、露祇は死んだんだ。七年たった今、もし身体が死ななかったとしても、また違う魂が生まれるかもしれないし、もう誰にもわからないんだよ……!」
キールは、大きく息を吸い込み、しかし何もいうことができず、沈黙した。
露祇は死んだ。
わかっている。
そんなことは、とうの昔に。
「冗談じゃないわ……」
セリエは声を絞りだした。
「じゃあ、エイスくんは、ロギの代わりってこと……? 冗談じゃないわ! あんなに純粋に笑う子を、あなたたちはずっと……っ」
騙してきたってことでしょう?
最後までいうことができず、なぜか涙があふれだし、セリエは思い切り扉をあけると、部屋から飛び出した。