ジャスティス
「……どう思う、蘭?」
流晶はゆっくりと顔を上げた。
「何がでしょう?」
「露祇お兄さまのことだよ。どう思う?」
もう一度問われて、蘭は困ったように眉を寄せた。
「おっしゃる意味が、よくわかりません」
流晶は、ため息を洩らす。
「あの人は、本当に露祇お兄さまかな」
「わたくしは、そうお見受けいたしましたが。中身までは、わたくしには見ることができません」
「うん……見た目は、そっくりだったけれど。どうだろうね、気配がおかしいんだ」
彼は瞳をふせ、それから何かを考えているようだったが、やがて、声をあげた。
「……ああ、そうか」
突然笑いだした流晶に、蘭は気遣うような視線を送る。一体、どうしたというのか。
しかし彼は、楽しそうに、その笑顔を蘭に向けた。
「どうして、お兄さまたちが大魔道師ヴィランツのところへ行ったのか、考えたこともなかったけど……おもしろいことになっているみたいだね。ああ、どうして気が付かなかったんだろう」
まだ笑いやまない。
「……どういうことですか?」
「いや……あの調子じゃあ、時間の問題だよ。すぐにわかるさ。こういうことを思いつくのは、きっと紫雷お兄さまだね。変わってないなあ」
事態が飲み込めなかったが、主人に忠実な彼女は、それ以上追求することもなく、そのまま引き下がった。
尚も笑い続けていた流晶は、紅茶をひとくち口に含み、なんとか落ち着く。それから、蘭の方を見もせず、ことのついでのようにいった。
「お兄さまたちは、レクリアのジャスティス支部にいるよ。ちょっと、行ってきてみようか? どっちにしろ、露祇お兄さまに会っておきたいしね」
「かしこまりました」
深々と一礼する蘭にうなずきを返し、彼はもう一度小さく笑った。
「……心配しないでね、お母さん」
*
エイスは、ひとりで、施設内をぼんやりと歩いていた。
特に目的があるわけでもなかったが、何となく興味を持ったのだ。昨晩はここで宿を借り、起きてみるとキールは熟睡していたので、ヒマをもてあましていたということもある。
レオンの方は、まだ会わせてもらえないが、心配ないだろう。
しばらく歩いていると、やがて、広場のような場所に出た。裏口から出てしまったのかと思ったが、そういうわけではないらしい。ちゃんと、屋根がある。
そこでは、十歳に満たないような子供たちから、自分ぐらいの年齢の者までが、一緒になって遊んでいた。
「お兄ちゃん、だあれ?」
不意に、声をかけられた。
「ぼく? ぼくはね、ええと、昨日からここにお世話になってて、エイスっていうんだ。君たちは、ここに住んでるの?」
「うん! みーんな、ここに住んでるの。きょーだいなの、ここの子みーんな!」
嬉しそうに両手を広げ、少年は笑う。
そうか兄弟なのかと、何も考えずにエイスは思った。それにしても大人数の兄弟だ。
「ねえね、エイスお兄ちゃんも、一緒に追い駆けっこ!」
「え、うん……」
「ちょーっと待った!」
頷こうとしたところ、自分と同い年ぐらいの少年が、間に割り込んできた。茶色の、長さがばらばらの髪をした、目つきの鋭い少年だ。
彼は、いかにも喧嘩腰に、エイスを睨みつけた。
「勝手に入ってくんなよ、おぼっちゃん」
エイスは、一歩、後退った。
「ご、ごめん、入っちゃいけなかった?」
どうも微妙に、ずれている気がする。
「場所にってはなしじゃねえんだよ。おまえみたいなおぼっちゃんとはな、住む世界が違うんだよ、オレたちは。近づいたらママに怒られるぜ、さっさと帰りな」
少年は、エイスを人目見ておぼっちゃんだと思ったようだった。エイスは、そういわれてもどうすればいいのかわからず、頭を悩ませる。
「ええっと、よくわかんないんだけど、住む世界が違うって、どういうこと? あと、お母さんは、ちょっと、いないんだけど……にいちゃんにも怒られるの?」
今度は、少年の方が混乱する番だった。
「……なんだお前? 仲間か?」
どうしようもない空気が流れる。
「仲間……、っていうのも、よくわかんないけど。でも、入っちゃいけなかったんなら、ごめんなさい。すぐ、帰るから」
「ちょーっと待った、ってば」
ぐいっと、少年はエイスの頭に巻かれたバンダナをつかんだ。
「わけありって顔だな、新入り。この広場の向こうに酒場がある。まあ、一杯やろうぜ」「う、うん……」
誰かに似てると思ったら、お師匠さまに似てるんだ。そう思いながら、エイスは、いわれるままについていった。
少年は、名をレットといった。
二人は、レットが酒場と呼んだ食堂に辿り着き、ジュースをもらって、椅子に座り込んでいた。なんとなく自分の身の上を話しおわり、エイスはレットの表情を見る。こんなことを誰かに話したのは初めてだ。
レットは、ふうんと頷いた。
「小せえころに記憶喪失、両親の存在は謎のまま、か。要するに、オレたちの仲間だな。オレたちみんな、親に捨てられたか、売られたか、そんなところだ。で、ここに拾われて世話になってる。まあ、生活に不自由はしねえし、居心地はいいぜ」
自分と同じ年のこの少年は、妙に大人びたことをいう。
「でも、まだわかんねえんだろ? お前の親が生きてるか死んでるかも、自分が捨てられたのかどうかも。そのへん、にいちゃんに聞けばいいのによ」
「聞けないよ」
エイスは苦笑した。
「何か、触れられたくないことみたい。聞けないよ、そんなこと。そりゃあ、お母さんとか、お父さんとかに、憧れたことがないわけじゃないけど、あんまり考えないし。にいちゃんたちがいるから、淋しいとか、思ったことないもん」
「……まあな、そりゃそうだろうな。オレも一緒の考えだね」
少し考えてから、レットが相槌を打つ。仲間がいれば、淋しくはない。
レットは、気を取り直したように笑うと、エイスの肩をたたいた。
「決まりだ! お前も、今日からオレたちの兄弟だ! 仲良くやってこうぜ!」
その言葉に、エイスは、目を輝かせ、レットの手を握り締める。
「友達ってことだよね?」
「おうよ!」
初めてだ。友達と呼べる相手は。
師匠から話は聞いている。友達とは、他の何にもかえられない、最高のものだと。
「オレだけじゃねーぞ、ジャスティスの子供たち、みんなだ」
たくさんの『友達』を想像して、エイスは少し緊張してきた。ちゃんと、うまくやっていけるだろうか。ああ、でも、いつここを出発するかもわからないのに。
「まあ、でも、あれだよな」
ひとりで赤くなったり青くなったりしていると、その向かい側で、レットが呟いた。
「いい時代だと思うぜ、ほんと。施設が面倒見てくれるんだ。オレが小せえころは、孤児なんてみんな獣扱いだったからな……」
──ビースト。
子供たちが人を襲い、食料を奪い、そうやって生きてきた。見つかれば殺された。殺される前に、殺した。
「……うん、そうだね」
光景が、脳裏に鮮明に浮かび上がる。それが想像なのか、それとも遠い記憶なのか、エイスにはわからなかったが。
「ま、それも、昔の話だな。気にすることじゃねえか!」
レットはそういって笑い、つられて、エイスも微笑んだ。
*
「ちょっとちょっと、どういう風の吹き回しだい?」
厨房の入り口で、食堂の主であるマーサは、両腕を腰に当て、困り果てたようにいった。
ジャスティスに関係する人間全ての食事を任せられているこの食堂で、朝食を作ろうと思ってやってきてみれば、先客がいたのだ。
マーサは、大きくため息をついた。
「まったく、今日は変な日だねぇ。朝っぱらからレットが男の子つれてジュース飲みに来るし、あんたはあんたで、随分とめずらしいことしてるもんだねぇ、セリエ」
セリエは、小麦粉で真っ白になった厨房の真ん中で振り返り、笑った。
「お早よう、マーサ」
「お早ようじゃないでしょうよ、あんた、料理なんてできるのかい? ああ、もう、こんなに散らかして……!」
「ごめん、みんなの朝食は、パン買っておいたから。ちょっと、キッチン貸してよ。お昼時までに、片付けとく! ね?」
あまり長くはない金に近い髪をむりやり結いあげ、エプロンをつけ、格好だけ見れば一人前だ。さながら若奥様といったところか。
しかしその手際は、どうひいき目に見たところで、良いとはいえなかった。
「まあいいけどね、パン買ってあるんなら、それで。それにしても、今日は何か特別な日だったかい?」
「特別な日よ」
鍋のなかに、謎の調味料を大量に注ぎ込みながら、セリエは答えた。
「やっと見つかったんだもの、最高に、特別な日だわ」
ヘラをつっこみ、力任せにかきまぜる。マーサには、もはや彼女が何を作っているのか、
見当もつかなかった。
「見つかったって……ああ、あんたがずっと探してた、例の? やっと見つかったの?」
「見つかったのよ! 七年目にして、やっとね!」
そうして彼女は、できたぁ、と叫ぶ。
どうやら、料理は完成したらしい。
マーサは、その料理について、あえて深く追求しないことにした。
「じゃあ、まあ、ここ、きれいにしといてくれよ。あと、使いきっちまった材料は買っとくようにね。頼んだよ」
「わかったわ、マーサ。料理って大変ね、いつもありがとう。でも、楽しいわ」
そうかい、と、彼女は笑う。
楽しいと思うのはいいことだ。
いいことだが、今後できるだけ料理などしてほしくないものだと、厨房の惨状を見て、マーサは深く思った。
ノックもせずに、セリエは、部屋の扉を開けた。
「お早よう、朝ご飯よ」
返事はない。
セリエは、つかつかと歩み寄ると、ベッドの横の椅子に腰掛けた。
「……いつまで寝てる気? どうせもう、怪我は治ってるんでしょ?」
「……おはぉう……」
ベッドの中から、何とも情けない声が聞こえてきた。
問答無用で布団をはがす。眩しそうに目を細め、のっそりと、レオンは上半身を起こした。
「……何? わざわざ起こしに来たの? それはどうもありがとう。……おやすみ」
「……お、は、よ、う」
もう一度寝転がろうとするレオンを、セリエはむりやり制する。
「呆れた低血圧ね。起きないの?」
「うちの兄弟、みんな低血圧だよ……ああ、エイスはそうでもないや。うああ、眠いぃ」 ぐーっとのびをする。
「いいじゃんもうちょっと寝てもって、朝はいつもそう思う。そういうもんだろ?」
いいながら初めてセリエを見て、その手の上にある料理に気づいた。
「怪我人用の料理? 手厚い限りだな」
「まあね。間違いなくおいしいわよ、栄養満点」
緑色のスープという時点で、レオンはかなり食欲を失った。
「じゃあ、いただく。……これ、一人分?」
「あたしは、味見だけでお腹いっぱい」
「……。お前が作ったの?」
「そうよ、光栄?」
光栄ではある。
しかし、何を入れたらこういうどろどろのものが出来上がるのだろう。
でもここは医療師も優秀だし、きっと大丈夫だろうと、レオンは最悪の事態を想定してからスプーンを手に取る。
──その時だった。
「……お早ようございます、紫雷さま」
突然、空間が、固まった。
何かに縛られたかのように、身動きがとれなくなる。
「な、なによ……!」
困惑する二人の前に、ふわりと、黒髪の美女が現われる。彼女は、深く頭を下げた。
「突然のご無礼、どうかお許しください」
そう前置きをしてから、動けなくなっているレオンの手からスプーンを、セリエの手からスープを取り上げ、横のデスクに置く。
そうして、黒髪の美女、蘭は、無表情のまま二人を見下ろした。
「危害を加えるつもりはありません。少しだけ、動けなくなるような術を施しましたが、話をする程度には支障ありません。どうかこのまましばらく、お待ちください」
事務的なことを、淡々と告げる。
レオンは、スープを飲む寸前という奇妙なポーズのままで、苦い顔をした。
「しばらくお待ちくださいって……大体どれぐらい? 何を待てばいいんだよ」
「それほど時間はかかりません」
蘭は、さらりと答えた。
「ただ、流晶さまが、露祇さまとお話する間だけです。私は、その間紫雷さまと焔俐さまを近付けさせないよう、おおせつかりました。ですから、それほど時間はかかりません」「……ご丁寧な説明、どうもありがとう。で、キールも今固まってんの?」
キールというのが誰のことかわからなかったのか、少しだけ考え、彼女は首を振る。
「焔俐さまなら、よくお眠りでした」
「……何やってんのよ、あの子」
セリエが、容赦なくレオンを睨みつける。身体は動かないが、動くものなら肩でもすくめているところだ。
「いったろ? 低血圧なんだよ」
「信じらんない……! 大体何、この人誰? 隠してるんじゃなかったの? 本名呼ばれてるんじゃないわよ、レオンさん!」
「そんなこといわれてもな……」
レオンは、体制がきついと思いながら、嘆息した。
「わけありなんだよ、こっちも」
「では、私はこれで。流晶さまのご用が終わりましたら、術は解きますので、ご心配には及びません。どうぞ、ごゆるりと」
そういって、蘭がその姿を消そうとする。しかし、それを許すレオンではなかった。
「悪いけど、俺ってばちょっと人間不信気味でね」
いっている意味がわからず、蘭がレオンを見る。彼は不敵に笑った。
「寝る前にはかならず陣を描き、血を与えておきましょう……小さいころに学んだ教訓だ。
どういうことか、わかる?」
「……!」
気づき、蘭が身を翻す。しかしそれよりも早く、レオンは叫んだ。
「召喚、風魔!」
言葉に呼応するかのように、床が輝きだす。光は瞬く間に風の陣となり、そこからは風が生きているかのような力を持って、一気に吹き出した。
「……く……っ」
身体が鋭い風に切り刻まれ、蘭がうめく。やがて彼女の術が解け、二人の動きが自由になると、レオンは素早く起き上がり、セリエはベルトから銃のようなものを引き抜いた。「動くんじゃないわよ……」
「そのようなもの、私には効きません……紫雷さまも、戦うというのならば、容赦はいたしません。戦うのですか?」
「まさか」
セリエに武器をおろさせて、レオンは戦う意志のないことを表すかのように、両手を上にあげてみせた。
「俺はただ、エイスのところに行きたいだけで、蘭と戦いたいわけじゃない。大体、ペルティスとまともに戦って、勝てるとも思わないしな」
セリエが、レオンを睨みつける。
「だからまあ……召喚防御結界ってことで」
さらりといったレオンの言葉に反応して、瞬間的に、見えない壁が蘭をおおった。
「……。油断のならないお方ですね」
「大丈夫大丈夫、そのうち消えるから」
にへらと笑い、セリエを促すと、扉を開ける。
「……反則じゃないの、今の? いくつ陣描いてるのよ、あの部屋に」
セリエの言葉には応えず、レオンは振り返ると、無表情で立ち尽くしている蘭に微笑みかけた。
「どうぞ、ごゆるりと」
広場の真ん中で寝そべっていると、ふっと明かりがさえぎられた。
上着を取りにいったレットがもう戻ってきたのかと、エイスが顔をあげる。
そこには、どこかで見たことのある顔の少年がいた。そんなに昔のことではないはずだ。
もっと、ずっと、最近……
「こんにちは、エイスさん」
その声を聞いて、エイスは思い出した。レオンやキールと一緒にいた、自分のことをロギお兄さまと呼んだ、あの少年だ。
「この間は、ごめんなさい。人違いでした」
もう一度話し掛けられ、エイスは体を起こす。
「人違い?」
「あなたは、露祇お兄さまではないんでしょう? それなのに、混乱させるようなことをいって、どうもすみませんでした。てっきり、紫雷お兄さまや焔俐お兄さまの……ああ、わからないかな……レオンさんやキールさんの、弟さんだと思ったものだから」
エイスは、首を傾げた。
「レオンにいちゃんとキールにいちゃんの弟だよ、ぼく」
「何も知らないんですね」
残酷なまでのやわらかい微笑を、流晶は浮かべた。
「……? どういうこと?」
「いいえ……見たところ、魔力もないようですし。資質があるなら、一緒にきてもらおうかなとも思ったんだけど、またにします。でもきっと、また逢うことがあるとすれば、あなたにではないと思いますが」
流晶は、そういうと、くるりときびすを返した。やがてその姿は、遊んでいる子供たちのなかへとかき消える。
最後に声が、ぼんやりと、エイスの耳に残った。
「考えてごらんよ……自分が一体、何者なのか」
「エイス!」
広場の向こう側の扉を思い切り開け放ち、レオンとセリエが駆けてきた。
「どうしたの、そんなにあわてて?」
きょとんとして、エイスが問い掛ける。
「いや、……誰か、こなかったか?」
「うん、ルショウっていう子がきた。でももう行っちゃったよ?」
「何をいわれたんだ」
いつになく真剣な長男に、エイスは、慎重に言葉を選ぶ。
「よく、わからないこと。一緒にきてもらうつもりだったけど、やめたとかなんとか、いってた」
大きく、レオンは息をついた。
「そっか……ま、あんまり気にすんな」
「? うん」
気が抜けたように、その場に座り込むレオンに、エイスは首を傾げる。一体、どうしたというのだろう。
「あ、レオンにいちゃんは、もう、怪我治ったの?」
「おう、完璧。にいちゃんはパーフェクトだからな」
「そっか、よかったぁ」
セリエもまた、その場に腰をおろした。
「あーあ、なんか疲れちゃったわ……。なんなのよもう、このどたばたは」
「ごめんなー、なんかいろいろ巻き込んで」
あまりすまなそうに思っていない声でレオンがそう謝ると、エイスが不思議そうに兄を見上げた。
「なにかあったの?」
「いーや、べつに、なんでもないさ」
笑顔で、レオンは弟の頭を撫でる。
安心したのか、レオンはそのままごろりと横になり、大きく息をついた。
「もう一眠り、するかなあ」
セリエが呆れたように肩をすくめる。その光景を見て笑いながらも、エイスは、胸のなかに残った妙な違和感に、少しだけ不安を感じた。
なにか別のものが動きだすような違和感。流晶にあったときから、ぼんやりと生まれたものだ。
エイスは、その不安を打ち消すように思い切りよく首を左右に振り、レオンの隣に寝転がった。