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その価値

 とうとう来た、と、門番は思った。

 あっという間に城中で噂になった、七年前に死んだはずの皇子とみえる者たちが、門に向かって真っすぐに、厳かに歩いてきていた。

 まわりには、数人に及ぶ黒装束の従者を従えている。

 やがて一行は、門の前まで辿り着いた。

「そこをお退きなさい」

 りんとした声がかけられ、門番は飛び上がらんばかりに驚いた。自分の目の前に、恵芳が立っていたのだ。

 皇女じきじきに声をかけられるなど、なんという光栄だろう。

「は、ただいま!」

 威勢よく返事をして、後ろの門番に合図をする。かたく閉ざされた門を、男たちが数人がかりで開けていくのを見ているふりをして、門番はちらりと皇女の後ろにいる二人に目をやった。それらしい豪華な服を、身にまとっている。

 生きていたのだ。

 病死というのは間違いだったのかと、彼は首を傾げる。

 やがて門が開くと、一行は、ゆっくりと城へ入っていった。


 しかしそのころ、レオンとキールは、とっくに城内に入っていた。それぞれ使用人のふりをして、平気な顔をしてずんずんと歩いていく。

 さすがに城の構造までは記憶がおぼろげだったが、歩いているうちに思い出す自信はあった。

「……どう考えても、正直じゃないんじゃないか?」

 やがてぽつりと、非難するようにキールがいった。

「馬鹿正直に生きる人間ってのは大成しないよ」

 先程とはまったく正反対のことを、さらりと兄は口にする。

「それよりちゃんと心術振りまいてるか?」

「振りまく、という表現はやめろ。これでも結構疲れるんだ。俺は、心術のエキスパートというわけじゃない」

 それほど疲れてもなさそうに、キールはぼやいた。門番をはじめとして、先程からすれ違う人間全員に、『恵芳の後ろにいる派手な格好をした二人は確かに皇子である』という情報を埋め込んでいるのだ。

「こんな子供騙しは、それほどもたないぞ。ばれたらどうするつもりだ?」

「ばれたらばれたで、俺たちがちゃんと名乗るさ。あんまりしたくないけど、そうすればいくらでもチャンスはある」

 自然と足早になりながらも、レオンは不敵に笑った。

「ばれる前に、エイスを取り戻してみせるけどな。それにはまず、流晶を探さないと。流晶の部屋、そのままだといいけど」

 と、突然誰かにぶつかりそうになり、二人はあわてて止まった。右側にあった扉から、人がでてきたのだ。

「すいません」

 使用人らしく、おとなしく謝る。しかし、顔をあげ、二人は思わず声をあげそうになった。

「じ……」

 じい、といいそうになるのを、なんとか堪える。

 忘れるはずもない。そこにいたのは、彼らの教育係であった老人だったのだ。

「ぼ、ぼっちゃん──っ?」

「わわ、ちょっとストップ、大きな声ださないで……!」

 さすがにしらをきるのは無理だと悟ったのか、レオンは老人の腕をつかみ、素早く右の扉をくぐる。幸い、そこには誰もいないようだった。

「……最悪だな」

 キールが毒づく。

 老人は、まじまじと二人を見つめ、瞳を潤ませた。

「よくぞ……よくぞご無事で……! ご兄弟だけで、よくぞ生き抜いて……! ああ、じいは、感動でございます……!」

 心術を使ってさっさと立ち去ろうとしたキールだったが、その言葉に、術を中止した。

 生き抜いて、と、そういったのだ。

「……俺たちのことは、病死ということになっていると思ったが?」

「知っています、知っておりますとも。恭蓮さまがとんでもないことをなさるとき、私めもその場におりました。必死にお止めしたのですが、一足遅く、ぼっちゃまがたは……」

「じい、悪いけど、俺たちのことは内緒にしといて。ちょっといま、急いでるんだ」

 しかしレオンの声に、頷いているのか左右に首を振っているのか、とにかく複雑に、老人は首を動かす。

「本当に、本当に、大きくなられて……。玲圭レイケイさまが生きておられたら、どれほどお喜びになったことか」

 玲圭。最高の皇として語りつがれる、彼らの父親だ。

 病をおしてまで政治を続け、死んでしまった皇。

「恭蓮さまは、未だ行方不明ですが……」

「……?」

 二人は、顔を見合わせた。

「流晶は、この城にいないのか?」

「は? ああ、流晶ぼっちゃんは、お戻りになられましたが……てっきり、恭蓮さまも一緒だと思っていたんですがどうも……」

 それはどういうことだろう。

 レクリアの町で流晶に逢ったとき、彼は母親も一緒だというようなことをほのめかしていたのに。

「……じい。とにかくいまは、急ぐんだ。悪いけど、またな」

 そういって、さっさとレオンは部屋をでていく。キールもまた、素早く心術を施すと、そのあとを追った。

 二人は、流晶の部屋をめざしながら、同じことを考えていた。

 行方不明の恭蓮。

 ならばどうやって、恵芳に転移の術を使ったのだろう──?


   *


「……紫雷と焔俐は、来たか?」

 流晶の部屋を訪れると、露祇は、そう弟に問い掛けた。部屋の真ん中の、ソファに腰掛けていた流晶は、柔和な笑みを浮かべる。

「まだですよ。でもそのうち、来るでしょうね」

 それは、ぞっとするほどやさしい笑顔だった。どこか作りものめいていて、露祇は眉を寄せる。

「……流晶?」

「露祇お兄さま。僕は、何をしてでも、皇になります。協力してくださいますよね?」

「協力……? 露祇の協力なんていらないだろう。皇にでも何でも、勝手になればいい」「ありがとう」

 嬉しそうに、彼はもう一度、笑った。

「お兄さまたちが協力してくれれば、僕は皇になることができるんです」

 瞬時にして、何か見えない壁のようなものが、露祇のまわりをおおった。

「……っ!」

 叫ぼうとしたが、声がでない。

 防御結界に閉じこめられたのだと気づいたときには、遅かった。

「無駄です、露祇さま」

 不意に後ろから、蘭のひどく礼儀正しい声が聞こえてきた。

「防御結界は、外側からも内側からも、あらゆる衝撃を無効にします。動けばそれだけ、無駄な疲労を重ねます。その結界のなかでは、声も封じさせていただきました」

「──!」

 ふざけるな、と叫んだつもりでも、やはり声はでない。

 しばらく抵抗を試みたが、蘭のいうとおり、どうにもならないのだと知って、露祇はそのまま座り込んだ。

「ほら、露祇お兄さま」

 流晶は、扉の方を見つめた。

「お兄さまたちが来たみたいですね。蘭、出迎えてあげて」

「かしこまりました」

 そうして蘭は、部屋の扉を開けた。


   *


 次期皇の部屋だというのに、流晶の部屋のまわりには、警護らしき人物はひとりもいなかった。身構えていただけに、レオンとキールは、拍子抜けした気分で息をつく。

 ひょっとしたらそこはもう、流晶の部屋ではないのかもしれなかった。

「……どうする?」

「中に入るしかないだろ。違ったら、ちょっと面倒臭いけどな」

 いいながら、そっと、レオンは扉を開けようとする。しかしそれよりも早く、扉は開いた。

 その向こうでは、蘭が、相変わらずの無機質な表情で立っていた。

「お待ちしておりました」

 淡々と告げる。

「これはまた……お出迎えどうも」

「いいえ。中で、流晶さまがお待ちです。どうぞお入りください」

 皮肉のつもりだったのだが、あっさりと受け流され、レオンが複雑な顔をする。そして二人は、導かれるままに、部屋の中を進んでいった。

「お久しぶりです、紫雷お兄さま、焔俐お兄さま。ようこそいらっしゃいました」

 部屋の中央では、ソファに座った流晶が、微笑みかけてきていた。何か言葉を返そうとして、二人の目は、その横の防御結界に釘づけになる。

「エイス……!」

 キールが叫んで走りよろうとしたが、立ち上がった流晶にそれは阻まれた。

「焦らないでください」

 微笑む。

 対照的に、レオンはじっと、結界のなかにいる『エイス』を凝視した。

 違う。

 この、鋭い目は、エイスのものじゃない。

「露祇……?」

「察しがいいですね。ここにいるのはエイスくんではありません。露祇お兄さまです」

「露祇っ?」

 やはり駆け寄ろうとするキールをもう一度制し、流晶は大仰に息を吐く。

「露祇! 露祇なのかっ?」

 どうして、と、キールは混乱した。こんなことがあるんだろうか。

「七年たって術の有効期限がきれて、露祇が復活したってことか……? まさかそんなことが、起こるなんて……」

 呆然と呟いたレオンのその表情は、明らかに狼狽していた。そして露祇の身体のなかに、

エイスの存在を感じ、彼は眉を顰める。

 見ると、露祇の表情は、ひどく複雑に歪んでいた。怒りと、憎しみと、ほんの少しの悲しみと、いろいろな感情が入り交じった表情だ。

 キールは露祇に近づこうとしたが、流晶との間に見えない壁があるかのように、どうしても向こう側に行くことができない。

「……くそっ」

「防御結界の応用か。よっぽど嫌われちゃってるみたいだな」

「いいえ」

 微笑む流晶の横には、いつのまにか蘭が控えている。

「僕の協力をしてくれるお兄さまたちには、とても感謝しています。ああ、でも、お姉さまが大げさに入城してきたのには、まんまと騙されましたけど。見にいって、びっくりしましたよ。全然違う人が、迎えられているんですから」

 そういって、くすくすと笑う流晶の姿は、十三歳の少年らしく、可愛らしく見えた。しかしその笑顔に、キールはぞっとしたものを覚える。

 これが本当に、あの流晶なのだろうか。

「露祇は、無事なのか?」

 珍しく静かな声で、レオンはそう問い掛けた。

「もちろん。露祇お兄さまには、防御結界に入ってもらっているだけです」

「エイスは」

「知りません。でも、人の命をもてあそんだお兄さまたちには、そのどちらも、知る権利はないと思います」

 ゆっくりと目を細めながら、なんでもないことをいうように、流晶が告げる。

 その言葉に、キールが何かをいおうとして、そのまま飲み込んだ。

 反論できない。

 もてあそんだといわれても、それには反論できない。

「それで……俺たちの大事な弟を結界に閉じこめてまで、お願いしたい協力ってのは?」 レオンに問われ、流晶は静かに笑うと、小さな球体を取り出した。

「簡単なことです」

 それは、拳よりは大きかったが、流晶の頭よりは小さい、淡い光を放つ球体だった。

「僕は、皇になります。そのためには、もっとたくさんの、たくさんのちからが必要です。

皇になる素質を持つ、ぼくたちの血筋のちからが。だからお兄さま、ちからを全部、僕にください」

 一瞬、意味がわからずに、レオンもキールも、流晶と球体とを見つめた。

「……どういうことだ?」

「お母さんは僕にいいました」

 キールがいいおわらないうちに、流晶は口を開いた。ただその笑顔は、どこまでもたたえたままで。

「お父さんは、優秀な皇だったけれど、ちからが足りなかったんだそうです。だから、大天海神に認められず、死んでしまった。そしてお母さんも、ちからが足りないから、じきに死ぬだろうと。大天海神に認められずに、死んでしまうのは絶対にいやだと、お母さんはいっていました。僕が、大天海神に認められずに、皇になれずに死んでしまうのも、絶対にいやだと、お母さんはいっていました」

「……なにをいっているんだ? 皇としてのちからが足りなかったから死ぬなんて、そんな馬鹿なこと……」

 あるわけないだろう、といおうとしたキールをさえぎって、流晶は話し続ける。

「お母さんは、皇になるのは僕だと、僕が蘭を召喚したときに決めたそうです。そして、その素質のないお兄さまたちは、お母さん自身の手で殺すことも、決めていたそうです。大天海神に殺されるぐらいなら、お母さんが殺すのだと、大天海神から助けるのだと、守るのだと……」

 ぶつりと、声が途切れた。

 流晶は真っすぐ、レオンとキールを見た。

「僕は助けてくれなかった」

 それは、ひどく感情のこもらない声だった。

「僕は犠牲いけにえだった」

 涙を流そうと見開かれた目からは、しかし何も流れでてはこなかった。

「だから今度は、僕がお母さんに助けてもらった……お母さんの力を丸ごと全部、この球体に封じ込めて、授けてもらった……お母さんは死んでしまったけれど、これで良かったんだ。だって大天海神に殺される前に、自分の意志で死を選んだのだから」

 レオンも、キールも、何もいうことができなかった。

 恭蓮が死んだ。

 息子に、自分の力を与えて。

「僕は皇にならなくてはいけないんです……大天海神にも認められる、完璧な皇に」

 流晶は、笑った。

「だからちからをください」

 冗談じゃないと、キールは思った。

 恭蓮が息子を殺そうとした理由が、大天海神から守るためなどと。大天海神に殺されるぐらいなら、いっそ自分の手で殺したなどと。

「……そんな理由で、あの女のやったことが正当化されてたまるか」

 低い、誰にも聞こえないぐらいの声で呟き、キールは唐突に、レオンを振り返った。

「そうだろうっ? どんな理由があっても、あの女がやったことはただの人殺しだ! 俺たちを守るために殺したなんて、狂ってただけじゃないかっ! 兄貴、そうだろうっ?」 どうしようもなく、絶対的な同意がほしかった。このままでは、今まで信じてきたものが根底から覆されそうで、キールは兄にすがった。

「当然」

 つかつかと歩み寄り、レオンは、見えない壁を挟んで、流晶を見下ろす。

「あの女のやったことは、ただの人殺しだ。流晶、いまからおまえがしようとしていることもな」

「そうかもしれません」

 流晶の答えはあいまいなものだったが、彼の目は真っすぐ兄を見返してきた。

「でも、お兄さまたちを殺そうとしているわけじゃありません。それで結局、お兄さまたちを殺してしまうことになっても、お兄さまたちはちからとしてこの球体のなかに残るのですから。お望みなら、残った肉体にまったく別の魂でも入れてさしあげましょうか?」 かわいた音が響きわたった。

 レオンが、流晶の頬を殴っていた。

「流晶さま!」

 咄嗟のことで対応できなかった蘭が叫ぶが、レオンはその彼女さえも一瞥で黙らせた。

「あまったれんなよ流晶。じゃあおまえは、あの女に殺してほしかったのか? おまえ、そこまでして皇になってどうするつもりだ? 皇なんて、ちからがどうこうってもんじゃないんだよ。大天海神に認められる認められないってのも、ただのポーズだ。そんなこと、知ってるんだろ?」

「…………」

 流晶は、沈黙した。

 そんなことはわかっている。

 わかっていた、とうの昔に。

「ついでにいうと、おまえがぺらぺらしゃべってるうちに、こんな防御結界ぐらい俺に簡単に破られることぐらいわかってたはずだ。おまえ本当は、俺たちに、止めてほしいんだろう?」

「…………ったんだ」

 うつむき、球体を握り締め、流晶は声を絞りだした。

「流晶さま……」

 蘭が触れようとする。激しくその手をふりはらい、流晶は叫んだ。

「でもそれしかなかったんだ! 僕は皇になるしかないんだ! そうしないと、お母さんはいつまでも僕を見てくれない、僕という器を、能力だけを愛して、お母さんは僕を一瞬だって愛してはくれなかった! だから僕は、皇になるしかないんだ!」

 流晶が手にした球体が激しく輝きを放ち、視界は一瞬にして閃光に包まれた。

「いけません、流晶さま!」

 衝撃波が襲いかかり、レオンは防御結界を張ろうとするが、間に合わない。二人は光の波に捕まり、壁まで吹き飛ばされ、そのまましたたかに身体を打ち付ける。

 があんと、頭を殴り付けられたような衝撃が、彼らを襲った。

「ぐ……っ」

 音にならない音が空気を震わせ、キールがうめく。それはまるで、神経に直接干渉するような異質な波長だった。

 全身の骨がきしみ、視界が霞む。    

 やがてゆっくりと、光は収まっていった。

 光の中心では、流晶がじっとこちらを見ていた。

「……邪魔を、するんですか」

 あらゆる感情を押し殺した声だった。

 倒れているレオンも、キールも、その様子にぞくりと身を震わせる。

「僕は皇になりたいだけなのに、あなたたちはそれを邪魔するんですか」

「違う、そうじゃない……」

 起き上がろうとして、キールは身体についた真っ赤な鮮血に目を見張った。

 べっとりと、生暖かい血が、ついている。

 自分の血ではない。

「…………」

 ゆっくりと、キールは、首を右に回した。

「……兄貴?」

「ああ、悪い、服が汚れたな」

 いつものように笑う。キールは無言で、兄の上着をはぎ取った。

「包帯だと……? 貴様、怪我が治ってないんじゃないか!」

「怒鳴るなよ、これぐらいなんでもない」

 やはり彼は笑ったが、それでも立ち上がる気力はないようだった。

 キールは、レオンを一瞥し、それから流晶を睨みつける。

「……邪魔をするつもりはない。勝手に皇になればいい。だからおまえも、これ以上俺たちに干渉するなっ。もう俺たちは、この国とは関係ないんだ!」

「関係ない? じゃあどうして、この国に来たんです? どうして、自分たちはここの皇子だと、名乗ったんですか? 関係ないなんていくら口でいっても、本当はお兄さまたちは皇になりたいんだ!」

「……っ!」

 一瞬言葉を失い、キールは血がにじむほどに拳を握り締めた。

 いってることがむちゃくちゃだ。

 エイスを預かっている、だから来いといったのは、流晶の方なのに。

「……どうしてわからない……? 流晶、少し落ち着くんだ。落ち着いて、ちゃんと考えろ。どうして俺たちが、皇になりたがっているなんて思うんだ」

 流晶は笑った。

 何かにふっきれた笑いだった。

「関係ないですよね、そんなこと」

「──っ? おい、待て! キール、流晶を止め……」

 刹那、光とも闇とも思えない何かが彼らの空間に訪れた。

 それは本当に一瞬のことで、いい知れぬ不快感に彼らの意識が遠退く。

 むりやりそれをふりはらい、流晶の方を見たときには、防御結界に閉じこめられていたはずの露祇のからだが、床に倒れていた。

「……まずひとり」

 呟いた流晶の手の、一層輝きを帯びた小さな球体を見て、レオンとキールは何が起きたのかを察した。

 次の瞬間には、キールは高く跳躍し、流晶の首を絞めあげていた。

「何をした……?」

 沸き上がる感情が多すぎて、その声には、一切の感情がこもっていなかった。

「その手を離しなさいっ!」

 走り寄ろうとした蘭の手をとっさにレオンがつかむ。

「よく考えて、行動しろよ、蘭」

 息も切れ切れに、彼はささやいた。

「おまえのご主人さまに、どうするのがいちばん正しいのか」

「……っ」

 キールは、じっと流晶を見つめた。今自分の手で弟を殺してしまうとしても、そんなことはどうでも良かった。

「何をしたかと、聞いてるんだ……!」

「ちからを」

 流晶は、首を絞められ、足が地面から離れた状態でも、まったく平気な顔をしていた。「ちからを、まず半分、露祇お兄さまからいただきました……いきなり全部をもらうのは、

僕にも負担が大きい。少しずつ、もらいます」

 うっすらと笑い、流晶はキールを蹴り飛ばした。その小さな身体のどこにそんな力があるのか、キールは思わず流晶から手を離す。

「次は、焔俐お兄さまのちからをもらいます。露祇お兄さまも、紫雷お兄さまも、もうろくに動けないみたいですから」

「……流晶」

 突然聞こえた声に、軽く眉をあげ、流晶は振り返った。

 そこでは、立ち上がった露祇が、彼を睨み付けていた。

「よく、わかった。流晶と露祇は同じだ。おまえがどうしてそこまで力に執着するのかも、

痛いぐらいにわかった。おまえは、露祇と同じだ」

 流晶は沈黙した。

 この兄が、何をいいたいのかがわからなかったからだ。

「……なら、わかってくれるでしょう? 僕と露祇お兄さまが同じなら、僕のやろうとしていることも、理解してくれるでしょう? 露祇お兄さまは、この七年間、僕と同じ思いをしたんですから」

「……紫雷や、焔俐を、殺したいと思った」

 露祇の言葉に、レオンとキールが、はっと顔をあげた。

「でも違う。おまえを見ていてわかった。紫雷や焔俐は、露祇を憎んで、好きでこうしたわけじゃない。露祇は、本当に紫雷や焔俐を殺したいわけじゃないんだ。流晶、おまえは、

淋しそうだ……」

 露祇の目から、涙が、こぼれ落ちた。

 自分に向けて何かをいっている流晶の言葉も、キールの言葉も、レオンの言葉も、露祇の元まではとどいてこなかった。

 重苦しい耳鳴りのようなものが彼の全感覚を奪い、露祇は両耳を押さえ、言葉と嗚咽とを同時に吐き出す。

 流晶が眉を顰め、こちらを見ている。その姿が、幼いころの、自分の姿と重なった。

「……ああ……」

 いいようのない嫌悪感。

 兄達にずっといいたかったこと、弟に対して感じていた劣等感、それらすべてが、一気に、内部から沸き起こった。

「うああああああああっ!」

 流晶の手から球体が飛び出し、それは露祇の元まで転移すると、赤い輝きを放った。

 輝きはやがて、熱を帯び、光りそのものを解き放つ。

「……ちからが……僕の、ちからが……!」

 蘭が、レオンの手を振り払う。

 静寂が、訪れた。



 それはセピア色の過去。

 四人の少年と、ひとりの少女がいた。

 一番年長者らしい少年は、本を片手に、地面に大きな陣を描いていた。そして、その後ろからは幼い二人の少年がついてきており、熱心にその様子を見ている。もうひとりの目つきの悪い少年は、その陣に次々といたずらをし、少女は両手を腰に当て、その少年を諌めていた。

 それは、セピア色の過去。

 ずっと幼かったころ、幸せだったころの、紫雷と、焔俐と、露祇と、流晶と、恵芳の過去。

 レオンもキールも露祇も、その光景を見たことがあった。

 体験したのではない。

 第三者として、たしかに見たことがあった。

 そう、あれは確か、七年前──



 光は、消えていた。

 流晶は呆然と立ち尽くしており、その身体には、蘭が抱きついていた。

「もうこれ以上は……おやめください、流晶さま。私は生まれて初めて、あなたに逆らいます。兄弟で争うなどと、おやめください」

 へたりこんだ露祇の手から、粉々に砕け散った球体が、小さな音をたてて床にこぼれた。

 そこからふわりと、何かが舞い上がる。 

 だれもが、天使だと、そう思った。

 浮かび上がった女性は、やわらかく微笑み、流晶と露祇と、そしてレオンとキールに、順番に口づけをした。

「お……かあさ……」

 それは幻だったのか。

 恭蓮は、少しだけ淋しそうに微笑むと、流晶の頭を撫で、そして消えていく。

跡形もなく、ただ、静かに。

「……流晶さま」

 蘭は、流晶の視線に合わせてしゃがむと、その目を見た。

「私では、いけませんか。私では、あなたの母君の代わりには、なれませんか」

 それはいつもの無機質な、感情のこもらない声だった。

 流晶の目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。

 彼は、初めて自分の目から涙が流れることを許し、何度もしゃくり上げると、蘭に抱きついた。

 そして大きく声をあげ、泣いた。

「……流晶」

 露祇は、ゆっくりと起き上がると、流晶に歩み寄った。

「おまえはちゃんと、皇になれる。おまえは、痛みを知っている。だから立派な、皇になれる」

 レオンも、キールも、顔をあげ、露祇を見た。しかしそれに気づかないふりをして、彼は続ける。

「おまえが淋しそうだったのは、露祇と同じだったからだ。自分を見ていても、相手は、本当の自分を見ていなかったからだ。でもそれももう、終わった」

 そして露祇は、振り返った。

「……紫雷、焔俐」

 短く名前を呼ぶ。二人は、立ち上がって、こちらを見ていた。

 露祇は、心のなかのもうひとりに囁きかける。四人兄弟も悪くないかもしれないと、精一杯の言葉を。

 そうして彼は、真っすぐに、レオンとキールを見た。

「おまえたちは……ここに、誰を、迎えにきた?」

 キールが、無言で露祇を抱き締め、レオンは微笑んだ。

「もちろん、俺たちの、大事な弟たちをさ」

 露祇の中を、何か熱いものが広がった。

 それが、エイスの感情なのか、露祇の感情なのかはわからなかったが、自分がいま、泣いているということは確かだった。

 ぎゅっと、キールが腕に力を込める。

「悪かったな」

 レオンは、上から、その頭にぽんぽんと手をやった。

「淋しかったろ?」

「……うん……」

 露祇とエイスは、頷いた。












「おお、いいところにきたな」

 酒場の主人は、グラスを磨きながら、常連を迎え入れた。

「新情報があるぜ、ヴィーさん」

「知ってらぁ」

 大魔道師ヴィランツは、どっかりとカウンターに腰を降ろし、酒を注文する。

「死んだはずの羅那の皇子たちが、見つかったってぇんだろ? この間聞いたよ」

 つまらなそうにぼやくと、その様子に、店の主人は肩をすくめてみせた。

「いやそれがどうも、今度はその三人の皇子が行方不明だってよ。生きてたなんて嘘じゃないかって話だ。ま、羅那国は新しい皇も即位したことだし、そんな小せぇこと関係ないだろうがな」

「あんだって……?」

「見つけたわよ!」

 唐突に店の扉を開け放ち、金に近い髪を揺らしながら、ひとりの少女が飛び込んできた。

 店の主人は、あまりの剣幕に、驚いてカウンターから飛び出す。

「ちょ、ちょっと、なんだってぇんですか?厄介ごとは困りますぜ」

「あたしはジャスティスよ! そんなことより、そこのポニーテールのオジさん! あなた、大魔道師ヴィランツねっ?」

 有無をいわさずに、つかつかと歩み寄る。彼女は、ずいっと顔を近付けると、命令のようにいった。

「森のなかの屋敷に、案内して! レオンと、約束したんだから!」

 呆然としていたヴィランツだったが、みるみるうちに顔が歪み、彼は大口を開けて、豪快に笑いだした。

「ど、どうしたんだよヴィーさん」

 驚いたように主人が問い掛けてくるが、なかなか笑い止まない。

 やがて彼は、むりやり笑いを押し殺すと、主人の肩をつかんだ。

「オヤジ、おまえ曲がりなりにも酒場のマスターやってんだ。料理ぐらい作れるよな?」「そ、そりゃあまあ……」

 なんのことかわからずに、あいまいに返事をする。

 にやりと、ヴィランツは笑った。

「よし、じゃあいますぐオレの屋敷にこい! そっちの嬢ちゃんもだ! さっそく、パーティーの準備をするぜぇ!」





 それからまもなく。

 森のなかの屋敷には、日常が戻ってきた。

 三人兄弟は四人兄弟になっていたけれど、それ以外は何も変わらない、幸せな日常が。










最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。心から、お礼申し上げます。


この作品は、私が高校生のころに書いたものです。当時はワープロで執筆していたのですが、最近、フロッピーを発掘したので、アップすることにしました。

読み返して、あまりの未熟さに赤面する場面も多くありましたが、少し直すと全部気になり始めるので、加筆修正はしておりません。


本当に、ありがとうございました。

感想等ございましたら、お気軽に書き込みいただけると幸いです。

今後も精進致します。


光太朗

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