城へ
羅那は神の地
羅那の風は神の息吹
羅那の雨は神の恵み
羅那の大地は神の掌
その未来は神の意志
神とはすなわち海であり
神とはすなわち大気であり
神とはすなわち羅那であり
自然とはすなわち神である
神の名は大天海神
羅那の未来を決定し
道標を選び出す
それは皇と呼ばれしもの
皇とは大天海神に認められしもの
皇とは羅那を導くもの
羅那は神の地
神の名は大天海神
*
「セリがよく納得したな」
船のなか。
うとうととしているところに、いきなり弟にそういわれ、レオンは思わずびくりとした。
「あ、わたしもそれ思った。絶対、ついてくると思ったもん、セリエさん。どうやって説得したの?」
一緒がよかったのにな、と口を尖らせながら、恵芳が追い打ちをかける。
「なんか……巻き込みたくないだろ? 兄弟の話に、あいつをさ。レクリアで出会ったんだ、そのまま、レクリアのセリエでいてほしいっていうのかな」
「論点が違う」
ずいっとキールが歩み寄る。その目がいつにもまして冷ややかなのは、果たして気のせいだろうか。
「兄貴のいいたいことは、わかる。俺も同じだ。俺が聞いてるのは、あんな夜中に、二人で宿を抜け出してまで、一体どういう説得方をとったのか、ということだ」
「…………」
レオンは、言葉をつまらせた。
「そんなの、ちゃーんと誠意を込めて説得したら、わかってくれたよ。それよりほら、そろそろ羅那につくぞ」
「本当だ、見えてきた!」
船室の窓にべったりと張りつき、恵芳が歓声をあげる。自国を、離れた位置から見るというのは、新鮮な気分だ。
それから、何ともいえない沈黙が訪れる。
レオンとキールはじっと羅那国を見つめ、恵芳は二人を気遣ってか、無邪気に喜ぶのをやめた。
羅那国。
なるべく、考えないようにしていた。この国のことそのものを、必死に忘れて、レクリアで暮らしてきた。
「エイスは……」
キールが、そう口を開く。
「無事、だと思うか?」
「俺たちの弟だ。大丈夫だよ、絶対」
いってほしかった言葉を、さらりと兄は返してくる。
流晶がエイスに何か危害を加えるという可能性は考えたくなかったが、少なくとも、人質という身柄上、無事でいるはずだ。
問題はそんなことではない。
もう、術の有効期限である七年は、過ぎているのだ。
「俺は、エイスにずいぶん助けられてきたと思ってる。あいつがいたから、焔俐としての俺や、羅那国のすべてを、忘れることができた。だから俺は、自分はどうなってもいい。あいつだけは……」
「にいさま!」
恵芳はひどく憤慨した様子で、キールに詰め寄った。
「それはだめ。それは、絶対にだめ」
「そうそう、そういうことは考えるなよ。俺たちは、ちゃっちゃと流晶に逢って、ちゃっちゃとエイス取り返して、そのまま帰ってまたあそこで暮らすことだけ、考えてればいい。
簡単なことだよ」
恵芳は、弾かれたようにレオンの顔を見上げた。
やっと逢えたのに。
この兄は、レクリアの町に『帰る』といっている。
もう、羅那国は、兄達にとっての故郷ではないのだと、恵芳はとても寂しい思いになった。それは、仕方のないことなのかもしれないけれど。
「さあ、師匠からの最後の課題だ」
ヴィランツの真似のつもりか、レオンは不敵に笑った。
「羅那に、けりをつけなきゃな」
*
(ねえ、おかしいよ)
ひとりで廊下を歩いていた露祇は、いきなり聞こえてきた声に、立ち止まった。
城のなかは、しんと静まり返っている。誰かが、話し掛けてきたというわけではないようだ。
「……?」
気のせいか。
そう思い、もう一度歩きだす。
(あれ、ねえ、聞こえてないのかな。ロギさん、だよね? 聞こえてたら、えっと、返事をしてほしいんだけど)
「誰だっ?」
思わず声をあげ、そして気づく。
それは間違いなく、自分のなかから聞こえる、自分の声だったのだ。
「エイス……?」
(ああ、よかった、聞こえてた。初めまして、ロギさん)
その恐ろしく能天気な話しぶりに、露祇はめまいを感じた。露祇が、エイスのことを殺したいほど憎いと思っていることを、知らないはずはないのに。
(あ、それはもちろん、知ってるよ)
どうやら、思考は筒抜けのようだ。
「……何のつもりだ? この身体はもう、露祇のものだ。おまえはそのうち消えてなくなる。露祇とおまえは、敵だ」
(んーと、よくわからないけど、ぼくは消えてなくならないよ。それに、ロギさんとも敵じゃない)
「どういう意味だ?」
(だって、ぼくは消えたくないし、ロギさんのこと嫌いじゃないから)
「…………」
理論が無茶苦茶だ。
「露祇はおまえが嫌いだ。それで十分だ」
(んー、でも、ぼくはロギさんのこと嫌いじゃない)
真面目に話をするのが馬鹿らしくなってきた。
(この身体に後から入ってきたのはぼくの方だけど、その時確かにロギさんはいなかったんだ。だから、七年間、この身体はぼくになった。でもいま、ロギさんが完全復活したから、この身体はロギさんになる。そういうのって、自然の流れっていうんでしょう?)
「…………」
(あれ、違う? でも、どっちにしろ、ぼくは消えるつもりはないから、これからもよろしくね。だってぼく、にいちゃんたちに逢いたいから。最初の七年がロギさんで、次の七年がぼくで、それからはぼくたち二人。それで、今度は四人兄弟になるんだ。四人で暮らしたら、きっとすごく楽しいよ。そういうことで、いい?)
「よくない」
(うん、そういうと思ったけど、でも決めちゃった。ありがとう、ロギさん。やっぱり、やさしい人だね)
エイスには、悪気といえるものは微塵もないようであった。しかしそれだけに、露祇は、
身体の内部から伝わってくるエイスの素直な喜びの感情に、戸惑う。
何をいっているんだろう。
自分を、露祇の代わりとしてだましつづけてきた兄達が、憎くはないのだろうか。
(だってぼくは、露祇さんの代わりじゃなかったよ?)
心底不思議そうな声が、返ってきた。
(そういうの、わかるでしょう? ロギさんも、わかってるのに)
露祇は押し黙る。
それでもやはり、感情はそのまま、エイスのなかに流れこんでいた。
エイスから何かをいわれる前に、露祇はむりやり、話題を変えた。
「さっき、おかしいといったな? どういう意味だ」
(お母さん、っていうひとのこと)
返ってきた言葉は、ひどく端的なものだった。
「……あの女が、どうかしたのか」
(ロギさんは、その人のことすごく嫌ってるみたいだから、気づかないかもしれないけど。
ロギさんの魔力……みたいなので、さっきから、なんかいろんなものが見えるんだ。でもどこにも、その人の気配がない)
いわれて初めて、露祇もそのことに気づいた。もともと高い魔力を誇る皇の一族だ。同じ血筋のものの気配を感じ取ることぐらい、できる。
しかし確かに、母親の気配はなかった。
「……そういえば、流晶のそばにもいなかった。露祇がここにいるということを、知らないのかもしれない」
知っていれば、何か反応を示すはずだった。それとも、自分が殺したはずの息子になど、逢いたくもないのか。
そのまま考え込んでいると、突然、激しい音をたてて、廊下の向こうからひとりの男が走ってきた。
「──?」
とっさに高く跳躍し、天井へつかまって身を隠す。ビーストと呼ばれていたころに、しみついたくせだ。
そのまま走り去る男に、興味を覚え、露祇は気づかれないように後をついていく。城のなかで取り乱して走るなど、ただごとではない。
「おい、何があったんだ?」
男はやがて、そこそこ身分の高そうな、髭面の男に呼び止められた。彼は、とっさに頭を下げ、それから手短に説明する。
「や、病でなくなられたはずの紫雷皇子と焔俐皇子が、生きているとの報告が……! 実際に、恵芳さまとともに、この城にご帰還なさると──!」
「なんだって……?」
兄達が来る。
露祇の胸を、ひどく複雑な思いが広がった。
「……思い切ったことをしたな」
キールは、半ば呆れたように、呟いた。三人は、羅那国の食堂で普通に休憩をとっていたが、恵芳の水色のワンピースもただの町娘のものに着替えたので、変な目で見るようなものはひとりもいない。七年ぶりにまともに話す、レオンとキールの羅那国語も、完璧だ。
「最良の策っていえよ、この場合。恵芳の人望が厚くて助かったけどな」
中身がからになった湯呑みをもてあましながら、レオンがいう。その隣で、恵芳が得意げに頷いた。
「みんなが、わたしのこと心配して探しにきてくれてて、ほんと良かった。でもやっぱり、
にいさまはすごいわ。城に使者を送って、正体明かしちゃうなんて。絶対、完璧、裏をかいたわね!」
みんなというのは、恵芳お付きの黒装束軍団のことである。忽然と姿を消してしまった恵芳を心配し、町のあちこちで彼女のことを探していたのだ。
「……すごい?」
恵芳の言葉に、キールは軽く眉をあげた。
「兄貴は、ずる賢いだけだろう」
「別にすごくもないし、ずる賢くもないさ」
悪戯っぽく、レオンは片目を瞑ってみせる。
「流晶がいう皇になるためのお手伝いってのは、なんのことか全然わかんないけど、とにかくあいつは皇になりたいんだろ? だったら、ライバルにあたるにいちゃん三人も呼び寄せたりしないよな、普通。っつーことは、表向きには俺たちの存在を隠したいってことだ」
「うん、そういうことになるね」
「んでもって当然、羅那に恨みたっぷりの俺たちが、自分から名乗りもしないだろうと向こうは思ってただろうな。でも俺たちは、堂々と公言した。で、名乗ってしまったからには、流晶もうかつなことはできないってことさ。皇候補に手ぇだすわけにはいかないからな。これでとりあえず、俺たちの身の安全は保障されるってわけ」
ふむふむと、恵芳が頷く。
「びっくりさせるだけじゃなかったのね。ほらやっぱり、レオンにいさまはすごいわ」
「だから別に、すごくないって」
レオンは、肩をすくめた。
「人間正直に生きろっていうだろ? それを実践しただけだよ」
「その口からそういうことを聞くことになるとはな」
まったくの無表情でキールが呟き、思わず半眼でレオンは弟を見る。キールは何事もなかったかのように涼しい顔で、勘定札をひょいと兄に渡すと、立ち上がった。
「そろそろ城に行かなくてはまずいだろう。適当に豪華そうな服を見繕って、行くぞ」
やられた。
流晶は、親指の爪を噛み、眉間にしわを寄せた。
なんということだろう。
まさか、皇子であるなどと、名乗るとは思わなかった。
「……計画が、むちゃくちゃだ」
「しかし、流晶さま。七年ぶりに、そんなことをいって紫雷さまたちが現われたところで、
誰も信じないのではありませんか?」
蘭が素朴な疑問を口にする。知ってるだろう? と、流晶は蘭を見上げた。
「紫雷お兄さまは、そういうことには妙に頭が働くんだ。そうでなかったら、海に流されて生きていても、孤児が忌み嫌われていた大陸で、生きぬくなんてとてもできないよ。それに加えて、焔俐お兄さまの行動力がある。何か考えがあるに違いないんだ」
イライラと、流晶は気が気でないようだった。そのまま、また床に視線を戻し、呟く。「それにここでは、大天海神がすべてだ。儀式をすれば、きっとすぐに大天海神はお兄さまたちを認めるよ。ここは、そういう国だからね」
「ならば……また、ご兄弟みんなで、お暮らしになってはどうでしょう。争うことはありません」
「それじゃあ、僕が皇になれない」
返ってきた言葉は、先程までの声と違って、厳しいものだった。
「僕にはもう、あの頃みたいな魔力はない。大魔道師のところで暮らしていたお兄さまたちの方が、よっぽど魔力があるに決まってるんだ。そうなったら、僕は皇にはなれない。大天海神に認められない。それじゃあ、だめなんだ……」
そこまでいって、不意に、流晶は顔をあげた。
目は大きく見開かれ、その頬には、じんわりと汗がにじんでいた。
「まさか……」
かすれた声。
「まさかお兄さまたちは、皇になるつもりなんじゃ……」
両手を、強く握り締める。
「流晶さま、そのようなことはございません。たとえあったとしても、大天海神さまがそのようなこと認めるわけがありません」
「僕が……」
流晶の身体は、わなわなと震えていた。
「僕が、皇になるんだ……僕が……」
そうでなくちゃいけないんだと、彼は自分にいい聞かせるように、何度も呟いた。